第5話 隠し玉は最後に見せるのが駆け引き
時刻は夕飯時である。
どうしようかと考えていると、目の前のギャルもどきが立ち上がった。
「ご飯は私が作るよ」
「え、マジ?」
浮かない気分の中、俺はようやく少しハッピーな気分になった。
今から二人分の飯を作るという事を考えると、憂鬱だったのだ。
作ってもらえるならありがたい。
しかし、一つだけ問題がある。
「大丈夫か? 俺、料理人志望だぞ」
そう、何を隠そう俺は料理人になるのが将来の夢であり、料理にはそれなりにうるさい。
家を出たのも自分でご飯を作る生活に憧れたからというものがある。
その実、最近は早くも怠慢でサボりがちにはなっているが。
しかし、俺の言葉を聞くとむしろ紫埜は目を輝かせた。
「……ふっ、任せなよ。ちゃんと花嫁修業はしたから」
◇
「あのさ、一瞬でフラグ回収するのやめてもらっていい?」
「……ちっ」
「おい、お前今舌打ちしたろ? 育ち悪いな社長令嬢の癖に」
七村と言えば、一代で超大手に君臨した化物和菓子メーカーである。
そんな優雅な環境で育ってそうな女が、躊躇なく放った舌打ちにドン引きした。
イメチェンだったとはいえ、割と元からギャル適正は高いのかもしれない。
俺は彼女が干からびて焦がした肉じゃがに水を足し、なんとか再生を図る。
「そう言えば、あんなことがあったのになんでまだギャルっぽい見た目にしてんの?」
あんな事というのは、言わずもがなおっさんとの電車内トラブルの件だ。
俺の言葉に紫埜は微妙な顔をする。
「チャラい見た目だと因縁付けられやすいだろ。現に、うちの高校までお前の噂が轟いてる。色んな奴に好奇の視線を向けられるのは、嫌じゃないのか?」
「……別に。ちやほやされてて、正直気分いいし」
「肝座ってんな」
こいつは大物の器かもしれない。
自己肯定感に忠実な奴は好きだし、ちょっと面白い。
と、紫埜は笑う俺に真顔で聞いてきた。
「……そんなことより、君は私のこと覚えてなかったんだね」
「まぁそりゃ大昔にちょっと遊んだだけの奴だしな。それもイメチェンして見た目が大きく様変わりしてるし」
「じゃあなんで助けてくれたの?」
怪訝そうに聞いてくる彼女。
電車内での出来事は本当に自分でも勝手に体が動いてやったことだし、何と答えて良いものか少し考える。
見過ごせなかったというより、震えるこいつが見ていられなかったという方が近いかもしれない。
小唯は俺を過大評価していたが、俺は正義心に駆られて動くタイプじゃない。
なんとなく、『ここで見捨てたら後味悪いな』と思ってしまう自分の罪悪感のためにやっているだけだ。
だから間違えても知り合いだと気付いて助けたわけではない。
俺にできたのは、名を告げて恩を売るような真似はせず、スマートに立ち去ることくらいである。
まぁ、それも今となっては意味のないことだったが。
相手は俺のことを全部把握していたんだからな。
「私のこと覚えてたから助けてくれたのかと思ってた」
黙る俺に、紫埜は髪を触りながら言った。
生憎俺はそんなに察しが良くない。
というか、さっき玄関前で俺が紫埜の正体に気付いていないことに驚いていたが、それはこういう勘違いが起きていたからなのか。
少し納得だ。
と、そんな話は他所に、俺は醤油で薄っすら味付けされた肉じゃがに違和感を覚える。
「なぁ、なんでこの肉じゃがステーキ肉使ってんの? 細切れで良くね?」
「……は?」
料理中ずっと俺の隣にいた紫埜の温度感が、一気に冷めたような気がした。
振り向くと、物凄く不服そうな顔で睨んでくる。
「……カレー」
「なんだって?」
「だから、カレー。それ肉じゃがじゃない」
「……へ?」
言われて、俺はもう一度鍋に目を落とす。
使われている食材は牛肉、じゃがいも、にんじん。
調味料は醤油と、顆粒出汁だ。
あ、なるほど。
しばらく考えた後、和風出汁カレーを作ろうとしていたのではないか、という結論に至った。
しかし。
「何か間違えた? 料理はさしすせそって聞いたけど」
「よしこれからは俺が料理を教えよう。メシマズ嫁はNGだ」
とりあえず、二度とコイツに勝手に料理させるのはやめようと思った。
と、そこでふと紫埜の手に違和感を覚える。
何故かずっと左手の人差し指を握っているのだ。
まさかとは思うが、一応聞いてみる。
「なぁ、その指どうした?」
「……切った」
「早く言えよ。ほら、こっち来い。絆創膏貼ってやるから」
悪戯を隠すガキじゃないんだから、怪我したらさっさと言えばいいのに。
料理のミスをしたことで決まりが悪かったのか、彼女はそっぽを向いてしまった。
きっと料理も慣れていないのだろう。
言葉足らずだし、そもそも喋らないし、何を考えているのかわからない。
ギャルというには手入れされ過ぎている髪を見て、俺は考える。
こいつは、どんな気分でここにいるのだろうか。
血を見て少し冷静になった。
絆創膏を取り出し、彼女の指に巻きながら言う。
「ごめんな。俺がちょっと目を離したせいで」
「……別に」
ギャルは相変わらず素っ気なかった。
しかし、今日初めてまともに心からの声が聞けた気がする。
彼女の頬は何故か少し色づいて見えた。
◇
食事を終えた後の事だ。
結局さっきのカレーもどきは和風出汁カレーにアレンジし、それなりに上手いクオリティにはなった。
料理人志望としては、まずまずのリカバリー力を見せられたのではないかと思う。
元を作った本人も心なしか微笑んでいたし、口に合ったのだと思いたい。
そんな同居人についてだが、彼女は先に風呂に入った。
一番風呂を譲るかどうかってのは若干悩んだが、お嬢様に庶民の残り湯を味わわせるのもいかがなものかと思ったのだ。
断じてあいつの残り湯を、俺がいかがわしい意味で求めていたからじゃない。
なんなら湯を張り替えてもいい。
いやそうしよう。
それがいい。
なんてどうでもいい事を考えていたところ、彼女は女子にしては早くに風呂から上がってきた。
そして脱衣所の扉が開く。
「お待たせ」
「……どういう意味ですか?」
彼女は下着姿だった。
流石に全裸で出てくるほど常識外れではなかったらしい。
お嬢様だし、そのくらいの振る舞いは身に着けていた模様。
だがしかし、問題はそこじゃない。
俺は真っ白できめ細かいお腹の中心部、俗にいうへそ辺りできらりと光る物に目を奪われていた。
居候のダウナーギャルは……へそにピアスを開けていた。