第4話 ダウナーギャルの下準備
「ねぇ君、今一人暮らしでしょ。……一晩でいいから泊めてくれない?」
しばらくすったもんだした後。
仕切り直しと言わんばかりに、もう一度ご丁寧に同じセリフを放つダウナーギャル。
俺は恐らく、ここ数年で一番ひどい顔をしていたと思う。
頬を引きつらせ、そのまま口を開いた。
「いやあんた誰」
「……え?」
「え? じゃなくて」
普段眠そうな目を何故かこれでもかと見開いている彼女に、俺は困惑する。
そりゃ勿論、彼女が例のギャルであることはわかる。
しかし接点がない。
どうしてここがわかった?
会話すらしてないのに何故俺の住所が割れているのだろうか。
言っちゃ悪いがめちゃくちゃ怖い。
と、そこでギャルが口を開く。
「……可児辺佑己君だよね?」
「何故名前を知っている」
「え? ……ん、は? ……本気で言ってる?」
「当たり前でしょう」
だからなんでこいつは俺の個人情報を知っているんだ。
で、なんでそれに俺が驚くとこいつも驚くんだ?
まるで知り合いであるかのような反応をしやがって。
……ん? 知り合い?
そう言えばこの人、夏からギャルデビューしたって噂だったっけ。
あれ?
そう言えばこの顔、どこかで見たことあるような。
目の前では目を丸くしたギャルが、言葉が出ずに口をわなわな震わせている。
徐々に顔は紅潮していき、呼吸も荒い。
ギャルというにはあまりにもコミュ障過ぎる態度に、また頭が痛む。
どこかでこんな奴、見たような……。
そうだ。
あれは確か、俺が小学校に上がるくらいの頃だった。
うちの母親の友達一家とキャンプに行ったのだ。
その時、同い年の向こうの娘さんと一緒に遊んだ記憶がある。
髪は長く、生気のない奴だった。
落ち着いたトーンのダウナーな女の子が、確かいた。
その子が途中で怪我をして、俺が絆創膏で治療してあげたんだっけ。
『……ありがと』
あぁ、思い出した。
そういうことか。
道理で声に聞き覚えがあったわけだ。
「わ、私は、佑己君のお母様の友人の娘で」
「七村紫埜、か」
「……遅いよ」
目の前にいるギャルの顔をよく見てみる。
俺の視線に照れたのか、顔を赤くして目を逸らす彼女。
よく見たら覚えのある顔だった。
当時は前髪も長く、今とはイメージが違い過ぎて気付かなかったのだ。
……。
で、うん。
だから何だって言うんだ?
彼女の正体を思い出したからと言って、話は解決しない。
「何故いる?」
「それは……深いわけが」
「簡潔にどうぞ」
「……深いって言ってんじゃん。無理だよ」
「デスヨネ」
サラッと片付けようとしたが、そういうわけにもいかず。
なし崩し的に、結局俺は彼女を家にあげる羽目になった。
「お邪魔」
「汚いけど文句言うなよ」
男の一人暮らしなんか綺麗になりようがない。
家に入るや否や、手持ち無沙汰に立ち尽くしている紫埜を放置して、俺はまず買ってきていた食料品を冷蔵庫にぶち込んでいく。
お、あぶねえ。
さっき買い物袋を落としたが、卵が入った袋じゃ無くて助かった。
仮に卵が全割れしていたら、普通に紫埜に買いに行かせるところだったぞ。
と、冗談はさて置き。
俺は荷物を置いて、席を勧めた彼女の目の前に、テーブルを挟んで座る。
「話を聞こう」
「……なんか昔とキャラ変わった?」
「特には」
「そ」
淡白な反応の女だ。
髪を弄りながら、短く言うだけ。
少し待っていると、紫埜は語り始めた。
「私、柊華院学園に通ってるの。それで、柊華院の中でも立派な家の子はみんな婚約者や許婚がいる」
「そうだろうな」
「ん」
「……で?」
「それだけだけど」
「舐めてんのか!」
その情報量で何を察せというのだこいつは。
深い理由って言う割に超簡潔だったし。
俺が立ち上がると、彼女は若干慌てたように続きを喋る。
「え、えと。それで私にもそういう縁談?的な話が来てて。でも私、こんなだから誰とも上手くいかないし、親は結構恋愛面放任主義だったし、学校の男子からは存在自体認知されてなかったし。……でも、流石に高校に入って親も焦り始めて」
「……だからギャルにイメチェン?」
「それもそう。でも……本質はそこじゃない」
「ほう」
要領が飲めないので俺は適当に返事をしていたと思う。
だからこそ、すぐに反応できなかった。
「君が、私の婚約者になったから。だから来た」
「ふーん。そっか」
俺が、紫埜の婚約者ね。
大した付き合いはないとはいえ幼馴染みたいなもんだし、なるほど。
適任ではあるのか。
……ん?
「は? 何言ってんのお前?」
気付けば全身から血の気が引いていた。
再び立ち上がり、退けぞる。
目の前の可愛らしいギャルに、俺は戦慄した。
「だから、君が。……佑己君が私の、旦那様になるの。……ん? 婿入りになるだろうから、この際はお婿様?」
「んな事はどーでもいいよ! えッ!? 何それ!?」
なんで俺の知らないところで勝手に婚約者にされてんの?
なんで唐突に未来のお嫁さんが俺のとこに来てるの?
なんにも意味がわからないんだけど!
慌てて親に連絡しようとすると、いつの間にか横に立っていた紫埜にその手を止められる。
「……提案したのは佑己君のお母様。だから電話しても無駄。……なんなら、多分君が後悔する」
「あぁ。なんかそんな気がしてきたわ」
言われてすぐに実家の母親を思い出したが、テキトーに笑う姿が想像できて首を振った。
あの親とは真面目に話ができる気がしない。
止められるがまま、俺達はもう一度席に着く。
「というわけで、とりあえず今晩はよろしく」
「いやよろしくしないから。なんか卑猥だし」
「……いずれはそういう事も、するでしょ」
「生々しい言い方やめろ! 俺は婚約なんて認めてないんだぞ! そもそもお前、ロクに会ったこともなかった俺相手でいいのかよ!?」
勢いで言うと、彼女は黙り、そして首を傾げた。
「だって、両親が決めたし。……私も、知らない奴と家のためだけに結婚するのは、嫌だから。それなら昔遊んだ事のある人の方が、マシ」
「だからってなぁ……」
「……そもそも婚約なんか、そんなものでしょ」
やけに重いその言葉に、空気が重くなる。
セレブのお家騒動に俺を巻き込むのはよして欲しいものだ。
それにしても参ったな。
自然にこの部屋に居座っているが、この女とは別にそこまで親しい間柄だったわけでもない。
会ったのはその十年近く前のキャンプの時だけ。
俺がこいつに気付かなかったのも仕方がないのだ。
逆にこいつが俺に気付いた方が驚きである。
と、思って軽い気持ちで理由を尋ねたら。
「顔は夏休みに撮った現在の顔写真をもらってたからわかった」
「ナニソレ。俺知らない」
「ふーん。私もよく知らない」
「ちょっと待てよ。じゃ、じゃあ同じ電車に乗ってるのは?」
「家の人間が調べて、君の行動パターンを伝えてくれたから。……君のお母様から君が毎日分単位で同じ行動を繰り返す、地味に几帳面な人間だとも聞かされていたからすぐに遭遇できた。……あ、でもあのきしょい痴漢おっさんは予想外。助けてくれて感謝してる」
「待て待て待て。喋り過ぎだ。全然整理できない。今まではわざと俺と同じ電車に乗ってたって事か?」
「……勿論。じゃなきゃ電車通学なんかしない」
「だよな」
聞いて損したと思った。
冷や汗が全身から吹き出すのを感じながら、俺は目の前の真顔の女に恐怖する。
するってえと、なんだ。
俺との婚約は夏前から決まっていて。
実は俺の知らないところで根回しが済んでおり、ずっと裏で盗撮されたり尾行されたりしていた可能性があるって事?
……え?
「めちゃくちゃ怖いじゃんお前」
「私に言われても困る。それに、婚約の下準備なんてこんなもんだって、君のお母様が」
「絶対違いますよ?」
あぁダメだ。
金持ちの奴らとは会話が成立しない。
だから関わりたくないんだ。
きょとんとした顔で大ぶりの派手なピアスを揺らす紫埜に、もう畏怖の感情しか湧かない。
ふとスマホを見ると、時刻は八時を回っていた。
急がないと寝る時間が下がってしまう。
「帰ってくれって言っても無駄なんだな?」
「ん。……ここ一週間君に話しかけられなかったから、しびれを切らした親に今日は家を閉め出されてる」
「最終手段の家凸だったのかよ」
コミュ障なのを自覚しているのか、俯いて若干睨みつけてくるのが腹立たしい。
まるでお前から話しかけて来いと言わんばかりの顔だ。
しかし、そんな顔すら可愛いから困る。
そりゃ『事情はどうでもいいから一発お願いしたい系女子No.1』なんて不名誉な肩書きを付けられるわけだ。
よく見たらコイツ、ちゃっかりお泊まり用のボストンバッグまで持ってきてるし。
「いつから玄関前にいたの?」
「……一時間以上前」
「なんかごめんな」
そんなこんなで、俺とダウナーギャルの奇妙な夜が始まった。