第3話 ダウナーギャル、自宅玄関前にて待ち伏せ
その日の放課後、俺は学校帰りにスーパーに寄る事にした。
一人暮らしな事もあって、自炊は必須だ。
冷蔵庫の中身も寂しくなってきたため、買い出しに参じたわけだが。
「野菜は冷凍のモノが便利よ。長持ちするし、必要な分だけ使えるから管理も簡単。一人だと生野菜を多く買っても腐らせてしまうでしょう?」
「アドバイスありがとうございます」
「なんでそんなに余所余所しいのよ」
隣には制服姿の恵永小唯が並んで立っている。
冷凍の野菜を物色しているその姿はもはや新米若妻。
これではまるで同棲している高校生カップルである。
何故かウキウキで楽しそうな小唯に俺は尋ねる。
「なんでついてきたんだよ」
と、彼女は目をパチクリさせた。
「だって部活が始まるまで暇なんだもの」
「だからって、別に俺の買い物に付き合う事はないのに」
「そうかしら? わたしは力持ちだから荷物持ちでも役に立つわよ? その買い物かごもわたしが持ってあげようか?」
「俺が情けない目で見られるから遠慮します」
誰が女の子に力仕事を任せるんだよ。
パワー系な思考に、俺はいつも振り回されているような気がする。
小唯はバレー部に所属しているが、今日は体育館の使用六時以降かららしく、それまで一時間以上暇だからこうして俺に付いてきたそうだ。
俺も話し相手がいる方が楽しいからありがたいが、こいつはこれでいいのだろうか。
付き合っていると勘違いされかねない距離感だし、実際何度か学校で勘繰られたこともある。
まぁこいつに言わせれば『友達なんだから普通でしょう?』らしい。
無言でそんな事を考える俺を後目に、彼女は不意にずいっと距離を詰めてきた。
「若干期待してきたのだけれど、いないわね」
「誰が?」
「柊華院のギャル」
「あぁ」
辺りをきょろきょろ見渡している小唯だが、その行動の理由はあの子を探すためだったそうだ。
「この沿線で電車に乗ってたら遭遇するかもと思ったのに」
「朝ならともかく、夕方は下校時間もバラバラだろうよ」
「もしかするとこのスーパーで会えるかもしれないわ」
「グレたって噂だけど一応お嬢様だろ? こんな庶民の巣窟にいらっしゃるのかね」
「それもそうね。ってかなんでそんな卑屈なのよ」
「俺は金持ちには弱いんだよ」
「ふーん」
興味なさそうに相槌を打つ小唯。
こいつの頭の中には例のギャルしかないのだろうか。
俺も彼女の事は気になると言えば気になるが、それはまた別の意味だ。
あのダウナーギャルとはあれ以来毎日電車で顔を合わせている。
そして、不思議な事に毎回お互いに気付くと、そのまま数秒間見つめ合う謎の時間が発生するのだ。
どちらかが話しかけるわけでもなく、ただ見つめ合うだけ。
これは一体どういう意味なのか。
正直結構気になっている。
だって考えても見ろよ。
俺は彼女にとって、襲われかけていたところを助けてくれたヒーローなわけだ。
意識の一つや二つ、してもおかしくないだろう。
別に見返りを求めて下心で助けたわけではないが、フィクションならここから恋が始まる展開も多い。
俺はそんなことが気になって聞いてみた。
「なぁ、もし仮にお前が暴漢に襲われかけたとして、それを助けてくれた男がいたら恋に落ちるか?」
「落ちないわ!」
「……もう数秒考えてもらっても?」
「そう? ……………………うん、落ちないわ!」
「おっけー。ありがとう」
素直で物事を瞬時に判断できるのは素晴らしいことだと思う。
満面の笑みで答えた彼女が眩しい。
そしてあさましい自分が憎い。恥ずかしい。
小唯は不思議そうに俺を見た。
「急にどうしたのよ」
「いや、例えばの話だよ。ほら、例の野球部の先輩とくっついたりするのかなぁと思って」
口から出まかせがポンポン出てくる己に、我ながら恐怖を覚える。
そんな俺の言葉を小唯は正面から一蹴した。
「いやないでしょ。柊華院に通う令嬢なんて、大体許婚がいるでしょうし尚更ないと思うけれど。それに、なんか嘘っぽいのよね」
「何が?」
「あの先輩よ。見るからにひ弱そうじゃない。あの人が暴漢に立ち向かう姿なんて想像もできないのだけれど」
真面目にそんな事を言う小唯に俺は吹き出す。
なかなか鋭い奴だ。
そしてナチュラルに酷い事を言う。
「人を見た目で判断するのはやめないとね。だけど、わたしとしてはあの人よりあなたの方が、ヒーロー像としてまだしっくりくるわ」
「は? 俺?」
「えぇ。普段から面倒ごとを避けているようで、誰かが困っていると放っておけない性格してるじゃない」
「……超絶過大評価だ」
「いいえ。わたし、人を見る目には自信があるわ!」
ヤバい、顔が熱い。
こんなに正面から褒められて、照れやら何やらで顔から火が出そうだ。
それに、俺はそんな大それた奴ではない。
どうもこいつは俺の事を勘違いしている。
……しているはずなのに。
言ってることは合ってるんだよなぁ。
「まぁでもその子とあなたに接点があっても、落とすのは無理よ。諦めなさい」
「なんで急に現実に引き戻すの? ねぇ」
「だって噂のギャル、本当に大物らしいわよ? 夏休み前までは存在感すらなかったらしいけど、今では柊華院の中でも人気急上昇。校則は厳しくないとはいえ、ギャルみたいな子は物珍しくて価値が高いのかしら」
「……イメチェンしたって事?」
「らしいわよ」
道理で初めて見かける顔だったわけだ。
しかし、やはり謎が深まる。
何故そんな大物が公共交通機関で登校しているのだろうか。
俺の知る限り、柊華院の生徒が夏前にあの電車を利用していた例は知らないし、イメチェンだろうと何だろうと、彼女が電車に乗り始めたのはあの暴漢に襲われた日が初めて。
引っ越し? いや、そんな馬鹿な。
大豪邸だろうから、そんな実家を離れるメリットがあるとは思えない。
『……ありがと』
ふと、彼女の電車の中での声を思い出した。
そういえば、やけに落ち着く声音だったのを覚えている。
あれはダウナー系ギャルというより、そもそもダウナーな奴がハリボテのギャルを演じていただけだからこそのトーンだったのかもしれない。
ん? 妙だな。
なんか鼻の奥、脳の手前の方がむず痒くなってきた。
何かを、見落としている気がする。
「どうかした?」
「いや、なんでも」
「ふふ、考え込んでもあなたの手には余るわ」
「しれっと酷いこと言うのやめてもらっていい?」
「わたしと並んでるくらいが、丁度いいわよ」
けろっとそんな事を言ってのける小唯。
そういうところだぞと俺は言いたくなった。
◇
買い物を終えた後、小唯と別れて帰路に就く。
時刻は既に六時近い。
まだ八月だから日はあるが、随分時間が遅くなってしまっていたらしい。
そんなわけで小走りで俺は家に向かった。
オートロックなどついていない自宅マンションを駆けのぼり、自室のある四階のフロアに到達する。
と、そこで俺は違和感を覚えた。
誰かが、いる。
俺の部屋は四階の最奥、角部屋だ。
その前であろう位置に、人影がある。
じっくり眺めると、見覚えのあるパーカー姿の女子高生が座り込んでいる事に気付いた。
どさっと俺の手からずり落ちた買い物袋が音を立てる。
それに気づき、彼女――例のダウナーギャルはこちらを向いた。
のそりと立ち上がるギャル。
そのまま俺の方に歩いてやってきて。
「ねぇ君、今一人暮らしでしょ。……一晩でいいから泊めてくれな——」
「もしもしすみません、警察ですか? 今自宅前に不審者が……」
「ちょ、ちょっと通報はやめて!」
珍しいダウナーギャルの大声に晒されながら、俺はゆっくりと項垂れた。
あぁ、だから嫌だったんだよ……面倒ごとなんて。