第2話 柊華院のグレたギャル
「今日も生気のない顔してるわね。朝食は食べているの?」
とある日の朝礼終わりの事だ。
眠気に任せて呆けていると隣からそんな声がかけられた。
見るとそこにはポニーテールの女子が、面白いものを見るように俺を眺めている。
「食ってない。そんな暇があるならもう数分寝てる」
「だから眠くなるのよ。朝食はしっかりとりなさい。一日の効率が著しく下がるわよ」
「お前は俺の母親か? 勘弁してくれ」
訳あって一人暮らしをしている俺にとって、生活は全て自己責任。
朝食も自分で用意するしかないのだ。
となると面倒だから朝食は抜き、その分自堕落に過ごすのが一般的だろう。
朝から説教がましく言われて苦笑が漏れる。
そんな俺の気持ちはつゆ知らず、きょとんとしているのが隣の女だ。
「もう二学期が始まって一週間よ。そろそろ夏休み気分を切り替えて——」
「はいはい。わかってるよ恵永さん」
「むぅ。本当? あしらわれている気がするんだけど」
頬を膨らませるこの女子――恵永小唯とは高校に入ってから仲良くなった。
一人暮らしで基本不摂生な毎日を送っている俺に、こうして何かと世話を焼いてくる。
正直面倒に思う事もあるが、本人が100%好意でやってくれていることなので、邪険にするのもなんだかなぁと思っているうちに仲良くなっていた。
今では俺の高校での数少ない気心の知れた友人である。
だから、こんな事をお願いしても勿論おっけーだ。
「今日の課題の答え見せて」
「見せないわよ。解き方なら教えてあげる。どうする?」
「……じゃあ寝るわ。おやすみ」
「なんでよっ!?」
という所までが日常のやり取りである。
ちなみにこの女、騒がしいが容姿はかなり整っている。
この学校の中でも屈指のスタイルとアイドル顔負けの顔面だ。
しかし、中身が若干面倒くさいのでモテてはいない。
残念な美人という奴だな。
とまぁそんな失礼な事を考えていると、彼女が口を開く。
「そう言えば、あなた知ってるわよね? 例の柊華院のギャル」
「あぁ……まぁ」
「そうでしょうよ。だって聞いたところ、あなたと同じ線で通学してるそうじゃない」
「……」
柊華院というのは、ご近所にある超有名セレブ私立高校のことだ。
最近、そこの一人の女子生徒の噂がうちの学校にまで轟いている。
「『かのお高い柊華院に夏休み明けからギャルが現れた。ダウナー系の金髪で、大企業の社長令嬢。恐らく家からの重圧に耐えきれず、グレてギャル堕ち。事情はどうでもいいから一発お願いしたい系女子No.1』って話ね」
「ブフッ! 最後のはなんだよ、最後のは!」
「わたしは今朝聞いた噂を一言一句口にしただけよ」
「なんだその超人記憶力は」
飲んでいたお茶を吹き出してしまった。
ジト目を向けると、小唯は肩をすくめてみせる。
全く、急にド下ネタをぶち込んでくるあたり、食えない奴だ。
そしてそんな事はさて置き。
この噂のギャルというのは、間違いなく先週俺が電車内で助けたあの女の事だろう。
あれ以降も同じ電車に乗っているが、接点はない。
意味深に「また」などと言っていた割に、何も話しかけてこなくて拍子抜けしていたくらいだ。
これから同じ電車に乗って顔を合わせるからという意味の「また」だったのだろうか。
ちなみにあの日の出来事があってから、ギャルはパーカーを着用して制服を隠すようになっていた。
そこまでするなら家の人間に送迎させればいいのに、なんて毎朝思っている。
柊華院の生徒ってのは、大半が本来送迎させてるしな。
「聞いたわよ。その子二学期の始業日に暴行されかけたそうじゃない」
「ふーん。そうなんだ」
「なんで知らないのよ」
「生憎友達も少なくて情報に疎いのでね」
怪訝そうな顔を見せる小唯だが、勿論今の発言は嘘である。
だって俺、そもそもその事件の当事者なんだもの。
俺があのギャルを助けた件を公にしないのはいくつか理由がある。
その一つが、シンプルに面倒だから。
面倒ごとには首を突っ込まない。仮に当事者なら極力他人の振りをする。これが俺のモットー。
あの日はかなり神経をすり減らして勇気を振り絞ったのだ。
らしくない行動をした分、正直これ以上あの出来事を思い返したくもない。
そしてその二が、金持ちと関わりたくないから。
大人の世界ってのは複雑だし、何がどう作用して揉めないか分かったもんじゃない。
触らぬ神に祟りなしという奴だ。
さらに……。
「まぁ同乗していたうちの野球部の先輩が、その子を助けたらしいけれど」
「へぇ。ヒーローっているんだな。すっげ」
そう、既に話が置き換わっているからだ。
俺が知っているストーリーでは事件を傍観していただけの野球坊主だが、何故か今学校の中では彼がヒーローとして褒め称えられている。
俺の存在や功績がなかったことになり、全て野球部の先輩のモノに挿げ替えられているのだ。
あの場にいた同じ学校の生徒は俺と彼二人きりだったため、この話の真相を知っている者も俺達だけ。
頼れるのは彼の誠実さのみだったが、生憎それがなかったらしく、こんな事態になっている。
何がどこでどうなったらそういう話になるのかは知らないが、学校内で彼がヒーローとして認知されている以上、そこで俺が「実は僕が助けました☆」なんてしゃしゃり出るのも事態がこんがらがる。
そりゃ我が物顔で功績を横取りされているのは腹が立つが、生憎俺は目立ちたくないのでこれでいい。
小唯は怪訝そうに眉を顰めながら、俺の顔をじっと見つめる。
「な、なんだよ」
「なーんか隠してるわよね? わたし、そういうの気付くのよ?」
「じゃあ俺が何を隠してるか当てて見てくれ」
尋ねると彼女は顎に手を当て、推理モードに入った。
そしてすぐに閃いた説を真顔で口にする。
「うーん……。実は暴行した男ってのがあなたの事で、それがバレないように嘘をついてるとか?」
「お前、俺の事を何だと思ってるの?」
「じょ、冗談よ。そんな本気で傷ついた顔しないで! ごめんなさい!」
すぐに謝ってくる小唯に、俺も若干罪悪感を抱く。
こいつには意味のない嘘をついているわけだし、友達相手にあまり隠し事をしておきたくはない。
こいつにくらい、俺がその事件の真のヒーローだと打ち明けてもいいかもしれない。
口は堅い奴だし。
じっとこちらを見てくる小唯に、俺はため息を吐いた。
なにはともあれ、早くあの子の話題も落ち着いてくれると助かる。