第1話 ダウナー系金髪ギャルとの出会い
揺れる電車内、今日は普段とは違う光景が広がっていた。
毎日通学時に乗る電車だ。
顔ぶれは見慣れたものもあり、同じ高校に通う野球部の男子や、中学生女子の集団。
他にも毎日肩を落として吊革に掴まるサラリーマンや、今日も厚化粧で舟を漕いでいる女子大生もいる。
そんな中、今日は珍しいものがいた。
ギャルだ。
野生の金髪ギャルが座っていた。
俺の通う高校は公立のいわゆる進学校であり、校則を順守した生徒が多いため、こういう派手な髪色に遭遇することは少ない。
彼女の制服を見るに、近隣の有名私立高校なのはわかるが、この電車でこんな派手な子を見かけたのは初めてだ。
しかもその高校といえば、どこぞの企業の御曹司などが多く集まる超セレブで有名な高校であり、近所ではあるがそうお目にかかれる代物でもない。
珍しいものに俺は勿論、乗客のほとんどがつい視線を奪われていた。
今日は夏休み明けの始業日だし、イメチェンしたか転入生か、そんな辺りだろうか。
それはさておき、問題の本質はそこじゃない。
彼女は、今にも殴られそうになっていた。
ギャルの目の前には、顔を真っ赤にした中年男性が息巻いている。
事の発端はほんの少し前だ。
直前の駅で車内に乗り込んできた男が、彼女の目の前で立ち止まった。
酒を飲んでいるようで、既に理性はない状態。
そんな状態で男は虫の居所が悪かったのかギャルに喧嘩を売った。
『チッ。親の七光りで入ったセレブ高校で髪なんか染めやがって。いいよなぁ。自分には何の能力もないのに楽できて。挙句にお洒落気取って股開くだけか? この節操無しがよ』
恐らく相手なんて誰でもよかったのだろう。
嫌なことがあって朝まで酒を飲んで、丁度目に付いた人間に八つ当たりしたくなっただけ。
しかし、相手が悪かった。
『……非モテオジの言いがかりきっしょ』
『なんだとッ!?』
まさかカウンターが来るとは思ってなかったのか、男は激高した。
そんな過程を経て、今に至る。
「おいッ! もう一回言ってみろ!」
「……うるさ。口臭いし黙ったら?」
「ッ!? お前、女だからってタダで済むと思うなよ!」
ダウナー系なのか、だるそうに男をあしらうギャル。
ため息を吐きながら、視線はスマホに向いている。
しかし、その手は少し離れた俺の目にも見えるほど、震えていて。
「あ? ……ふひっ。お前、手震えてんじゃねえか」
「……」
「無視か? 可愛いとこもあるねえ」
指摘されて黙るギャル。
俯いているから錯覚なんだろうが、俺には既に涙目に見えた。
ギャルとは言え、朝から酔っぱらいの男に絡まれて殴られそうになれば、それは恐怖を覚えるのも普通だろう。
男はしゃがんで、ギャルの短いスカートに手を伸ばす。
「……放して」
「減るもんじゃねえよ。それに、どうせヤりまくってるんだから関係ねーだろ」
「……」
ふと俺が辺りを見渡すと、皆気まずそうに顔を逸らすだけで、助ける気配はない。
そりゃそうだ。
酔っぱらいの相手なんか誰もしたくない。
皆今から仕事や学校があるわけで、自分に矛先が向くのもごめんだ。
俺だって一緒である。
見て見ぬふりをするのに抵抗や罪悪感はあるが、今回はギャルの方も喧嘩を買っていた。
あんな反応をすれば気を逆撫ですることくらいわかるはずだ。
理不尽なことにも耐えなければいけないのが社会。
不本意だがそんなものだ。
だから、俺も知らない。
これは事故だと、自分に言い聞かせて。
……気付けば俺は男の真横に立っていた。
ギャルは徐々に持ち上げられる自分のスカートを抑えながら、震えている。
そして小声で「……助けて」と呟いたのが分かった。
俺は決心を決め、男の肩に手をかけた。
「彼女から手を放してください」
「なんだてめえ! コイツの彼氏か!?」
男の矛先がギャルから俺に代わり、突っかかってくる。
幸い車内の誰もスマホで撮影したりもしていないため、俺はある程度余裕を持って相手することができた。
にしても、酒臭い吐息だ。
何時間飲んだらこうなるのだろうか。
「いえそういうわけでは。ただ、暴行を見過ごすわけにもいきません」
「ケッ。正義漢気取りかよ。どいつもこいつも!」
話の因果がめちゃくちゃだが、そんな事は良い。
とりあえず次の次の駅まで間を持たせよう。
彼女の高校の最寄りまではあと十分以上だ。
チラリと女子を見ると、彼女はまだ下を向いていて顔まではっきりは見えなかった。
勇気を振り絞って助けに来たのに、少しショックである。
と、男は俺に掴みかかってきた。
「どいつもこいつもオレを悪者みたいに言いやがって! ただ真面目に生きていただけなのに! 何でオレだけ……」
段々と尻すぼみになり、そのまま崩れ落ちる男。
「うっぷ」と口を押えるもんだから、俺も流石に身構えた。
が、しかしギリギリで持ち堪えてくれたらしい。
それにしてもこのおじさんの身に何があったのかは知らないが、この状況で「真面目に生きていただけなのに」と言われても説得力は皆無だ。
と、そのまましばらくして駅に着く。
男は項垂れたまま、降りて行ってしまった。
電車には新たに乗客が入ってきて、人が入れ替わり、丁度席が空いたためギャルの隣に腰を掛ける俺。
車内は状況を知らない人と、一部始終を傍観していた人間によって微妙な雰囲気に落ち着いている。
「……ありがと」
よく聞くと、低く落ち着いたイケメン声だった。
どこかで聞いたことがあるような声音に、一瞬戸惑いつつも俺は口を開く。
「あの人、駅員とかに突き出さなくて良かったんですか?」
「……別に、君のおかげで私は何もされてないし。どちらかというと君の方が良かったの?」
「俺は大丈夫ですよ。道徳的ではないんだろうけど、朝から駅員や警察と問題沙汰になるのは勘弁ですから。殴られたわけでもないし」
「……そ」
会話はたったのそれだけ。
その後、俺達は何の会話もなく電車に揺られた。
私立高校前の駅に着いた時、彼女は席を立つ。
「……ごめんね。私のせいで」
「え?」
「じゃあまた」
「は、はい……」
席を立つ女子は肩にかかるくらいの綺麗な金髪を靡かせて、そのまま去っていった。
唐突に謝られて、驚いた。
しかし、最後に彼女が放った言葉の方に疑問が残る。
「またって、何……?」
俺と彼女の出会いは恐らく今日この時が初めてだ。
小心者の俺にダウナー系金髪ギャルの知り合いなんていない。
彼女だって、俺のことを知っているわけがないのである。
制服で俺の学校はわかるかもしれないが、生憎俺は名乗ってもいないし、この電車内で誰かが俺を撮影していた様子もない。
そのため、SNS等から個人情報が特定される事態は想像できない。
駅員に男を突き出したわけでもないので、俺の個人情報なんか彼女が知りようもないのに。
しかし何故だろうか。
とんでもないモノを見落としているような気がしてならない。
この時の俺は知る由もなかった。
まさか、この時点で既に外堀がほぼ埋められていただなんて、知り得ない事だったのだ。