掴みどころのない女
北条薫。
その言動は衣服にとどまらず、正に男勝りとはこのことである。
しかし私から言えばその姿は『虚』そのものである。
武術の概念には虚実というものがある。
わかりやすく言えば虚とは偽物である。
暴の化身のような前世を送った自分だから分かるものがある。
もちろん精神性から来る強さというものは存在する。
しかしそんな物は幼いうちに突如として一度に養われるものではない。
そんな彼女に対して私はどのように接するべきか考えあぐねていた。
彼女に手を上げようとした愚かな少年は残念ながらこの学校にいることはできなくなっていた。
ちなみにその日私は久しぶりに懲罰部屋に放り込まれた。
正直そこまでしてまで彼女を「救ってやった」という
気持ちがないわけではない。
多少「やり過ぎ」であるという目線が彼女から感じられたのもまた
わからないではない。
そんな彼女はといえば、その後は何事もなかったかのように挨拶を交わす。
ただそれ以上の会話があるわけでもなかった。
なんとなくではあるが彼女との間に「気まずさ」のようなものが
常に張り付くように残っているのである。
北条薫……小十郎に頼み、彼女の出自を調べてもらった。
古くは中々の名門で出ではあるものの、その両親に関しては
今ではさほどの資産家でもなく、名声も無いという。
小十郎は言った。
「わざわざ彼女がこの学校に通学されている理由ですが……
恐らく彼女は性同一性障害ではないかと思われます」
「性同一性障害?」
「最近の研究で明らかになった精神的な病気……と理解していただければいいと思います」
「どういう病気だ?」
「簡単に言うと彼女の場合は自分自身を女子であるにも関わらず男子であると強く感じており
女子の立ち振舞をしなければならないことに強いストレスを感じているということです」
男から女になってしまった私にとってはそれは些か以上に滑稽に聞こえる話であった。
その病気の観点から言えば私も性同一性障害だと言えるだろう。
最も私は女として生きることにさほどの抵抗感は持っていない。
私が最も恐れることは力を失うことだ。
力こそが全て、それが前世での私自身であり、今でもその考え方は変わらない。
しばらくして北条薫は徐々に友だちを増やしていった。
意外にも彼女はその快活さから男女ともに人気であり、友達も多い。
一方で私はといえば……友達らしい友達は出来ていなかったのである。
元々友達というものに興味がない人間であった。
しかし特にそれが苦痛というわけではない。
『前』もそれは変わらなかったからだ。
強いて言えば学校にいる時間の退屈さが些か不満ではあった。
前世の私には学などというものはなかった。
それがただ座ってるだけで身につけることが出来るのだ。
ありがたい話ではある。
かつての私はとても貧しい生活であり、親すらいない孤児だった私を育ててくれたのが
私の武術の老師であり、私とは似ても似つかない優しい人物であった。
北条薫をみているとかつての老師に似たものを感じた。
彼女は接する者全てに等しく優しく接していた。
一方で早々に揉め事を起こした私に関わろうとするものはおらず
ネームバリューと持ち前の無愛想さも合わさって
私にとっての休み時間とは雲の流れを見る時間となっていた。
そんなある日の放課後の出来事である。
私は気分的に眠気を覚えていたのだが、軽く肩を叩くものが居た。
反射的に手を払い除けそうになったが、敵意のあるものでないとすぐに気がつき
自らを諌める。
その正体は北条薫であった。
彼女はニコニコしながら私の方をみている。
「どうかした?」
私は鋭い目線で彼女を見ないようにあえてそっぽを向いて言った。
そんな私に彼女はストレートに物をいった。
「どうせ友達居ないみたいだし暇そうだなぁって思って」
昔の弟子が言っていたら間違いなくぶっ飛ばしていたであろう。
流石にそこまで大人気なくもないためぐっと我慢して彼女の方を睨みつけた。
「わざわざ嫌味を言いに来たなら、さっさとお友達と帰りな」
「今日は友だちは用事があるとのことで私一人なんですよね……それで」
なにやら言いたいことがあるようだがなんだろうか?
男子相手に手を上げたことでも今更文句でも行ってくるつもりだろうか?
「あの日のお礼を言わないといけないと思ってて、ずっと言えなかったのだけれども……。
ありがとう!」
最後の一言に彼女はありったけの笑顔を乗せて言ってきた。
……。
特別大したことをしたつもりはない。
この学校に相応しくない人間を一人事前に間引いただけに過ぎない。
だが。
まぁ悪い気はしなかった。
「学友が馬鹿にされていれば当然のことをしたまでよ」
「でも……流石に学校を追い出すのは……その……どうしてそこまでするの?」
なるほどそういうことか。
「敵……だからだ」
「敵ってそんな……」
「話し合えばわかるってか? あのお前の話も聞く耳も持たずに手を上げたあいつが?」
そういうと彼女は言葉をつまらせていた。
みんな心の何処かで人はわかり会えると「錯覚」して気持ちよくなっている。
世の中の殆どの人間とは実はほとんど、わかりあえることなどない。
もしできることがあるとすればそれは自分が相手側に「染まる」ことだけだ。
それが相手を理解したということになるのであるならば。だが。
「……わかったわ、貴方の言いたいことは。 でも私のためにしてくれたということも
事実だと思うから、一言言っておきたかっただだよ。それじゃ、さよなら」
そう言うと彼女は教室の外にでていくと声がした。
「北条さん、藤原さんとなにか話でもしたの?」
「私あの人苦手……怖いんだもん」
ふふ、何が今日は友達がいないだ、しっかり教室の裏に待ってるように言いつけていたようだ。
まぁ彼女の人気ぶりを見れば一緒に帰る友達がいないなどというのも
変な話ではある。
最もその性同一性障害とやらを抱えたままこのまま順風満帆と行くならいいがな。
「私には関係ないことだ」
そう心に言い聞かせると私は帰り支度をして小十郎が待つ車に向かった。
車の中で学友と帰宅する北条薫を眺めつつ小十郎に私は聞いた。
「あの北条薫、どのぐらい保つと思う?」
「どのぐらい保つ……と言われますと?」
この男は愚鈍なのかただ純粋なのか、それともとぼけているだけなのか。
もう少し察しが良いと助かるのだが。
「今は奇抜な格好も含めて性格も良いので持て囃されているが……という意味だ」
というとなるほどなどともっともらしい言葉を口にして
一呼吸おいたところで小十郎は答えた。
「小学部のうちは良いでしょう、しかし中等部を超えたあたりで人は二次成長期を迎えます。
彼女をみている限り、持ち前の明るさで乗り越えられるかもしれませんが
そこで潰れてしまう可能性も大いにあるでしょうね」
「随分あの子を買っているじゃないか、そんなに有望に見えるか?」
「ええ、それはもう。今の芹様の漂わせる雰囲気に怖じけず礼を言える子ですから
そう簡単に折れることはないのではないでしょうか」
ふふ、小十郎は本当に良く物をみているものだ。
確かに男の格好をしているその姿は「虚」であるが
中には一本心の通った人間であるということか……。
私が成長するにあたって良き好敵手となってくれればいいのだがな。
道中の青空に広がる雲の数を数えながらそのようなことを私は考えていた。
実質に戻ると私は再び鍛錬を再開した。
部屋には小十郎に言って一定の大きさの円を表した図形のカーペットを用意させた。
私は服を着替えると八卦掌の構えを取りひたすら滑らかに円を描くように
走圏の練習をした。
何をしているかといえば、簡単に言えば如何に滑らかに円を中心に体を捌いて
円を描くように回る動作である。
前世でも私はこの八卦掌独特の訓練法である走圏に興味があり
剛拳を主として戦う私はこの手の柔の武術に対して苦戦をすることが多かった。
女であるならば最も脅威となるのはガタイの大きさから来る
力攻めが最も苦しくなるのは明白である。
相手の攻撃を裁く術を持たない場合は成すすべなく叩き潰されてしまうだろう。
つまり如何に相手をいなすかが大事である。
なおこの国には似たような技法を持つ合気道なるものが存在することも小十郎から聞いたが
小十郎が取り寄せてくれた画像資料を見るにこれは習熟するのに時間がかかると判断した。
いずれはものにしてみたいとも思ったが二兎を追う者は一兎をも得ずという言葉がある。
走圏は恐らく最も安定して相手の攻撃を裁くのに優れていると私は判断した。
こうして私は武術の鍛錬に6年を費やし、北条薫は6年を費やして友情を育んだのである。
細々とですが継続して書き続けていきたいと思いますので
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