異星生命体は突然に
乾いた警報音が鳴り響きわたる中、アナウンスが流れる。
「緊急警報。レベル5戦術警戒を発令。異星生命体を確認。敵勢力、地球L3軌道へ向けて侵攻中。全生徒および職員は、直ちに避難プロトコルを実行してください」
「司令部より通達。これは演習ではない。繰り返す、これは演習ではない。火星前線より敵影確認、実戦コードを起動する! 戦術ブロックE・Fの教練機は迎撃隊に配属、即時発進せよ!」
「警告。敵影、軌道上より降下中。到着予測地点、ブロックA―19、学園区画付近。避難を急いでください。これは演習ではありません。繰り返します、これは演習ではありません――」
連続する緊迫したアナウンスが学園中に響き渡った。
先ほどまで混乱していた保護者たちは、一瞬で緊張の表情に変わり、それぞれが通信端末を取り出し始める。
教室内の教師たちは慌てるどころか、まるで訓練通りのように生徒たちを誘導し始めた。
「避難プロトコル」という言葉に、一部の生徒は怯えた声を上げたが、軍服を着た保護者たちの反応は異様だった。
彼らの顔にあるのは、恐怖よりも、来るべき事態への覚悟と、プロフェッショナルとしての緊張感だ。
「生徒は全員、指導教員の誘導に従い、Dブロック第3避難シェルターへ向かってください!」
「保護者の皆様は各自の軍区分に基づき、行動を開始してください。警備班は即時、戦闘配置へ!」
俺はその光景を呆然と眺めていた。
……世界観おかしくないか?
異星生命体? 戦争? 学園に到着予測地点?
アナウンスに従って、生徒達は次々と落ち着いて連絡を取り始めている。
彼らは、この信じがたい状況を、まるで予期していたかのようだ。いや、予期していたからこそ、この場で全くパニックになっていないのだ。
スーツ姿の男が、片耳に通信機をつけたまま、低い声で呟く。彼の口から出た言葉は、先ほどのアナウンスを補強するものだった。
「敵性コード、アビス。火星軌道を突破して、第一波が地球近傍へ侵入……想定より早いな」
「防衛システムが間に合うか……学生に被害が出れば上層部の責任問題だ」
火星軌道? アビス? なんの話だ?
状況が掴めず、思わずツバサを見つめる。彼女の顔は青ざめているが、混乱というよりは、耐えてきたものが決壊しそうな、痛みに耐えるような表情だ。
アキナもすぐそばで震え、ツバサの服を掴んでいる。
「説明して欲しいのだが?」
ツバサは一瞬言葉に詰まり、だが覚悟を決めたように、潤んだ瞳で俺を見上げて答えた。
彼女の周りでも、他の生徒たちが教師に誘導され、避難のため教室を出ていく。
「……コウセイさん。これ、世間には秘密だったんです」
彼女は深呼吸し、絞り出すような声で続けた。
「今の地球は、異星生命体と戦争してるんです。もう何年も前から」
……え?
時間が止まったような感覚だった。
戦争? 異星生命体? まさか俺は、この世界の最も重大な真実を知らなかった?
これまで感じていた違和感、不自然さが、全てこの言葉で説明される。
ロボットが暴走しても、休園しない学園に休まない生徒達。
そもそもツバサがロボットパイロットっになると言うことは、戦う相手がいるということだ。
ツバサの母は戦争で行方不明になった。どこで? 何と戦って?
「地球の戦力じゃ勝てないって、分かってるんです。だから混乱を避けるために、ニュースもフィルターがかかってて……」
ツバサは俺の知らなかったこの世界の正体を語っていく。
「でも、軍の人たちとか、パイロット候補生には、みんな知らされてます。私たちは“将来の戦力”だから」
その「将来の戦力」という言葉が、どれほどの重圧をツバサのような子供たちに与えているのか、俺には想像もつかなかった。
「……それと、母もこの戦争で、火星戦線で行方不明になったんです」
俺がツバサの悩みを年頃の少女の感傷だと思っていたことは、ひどく浅はかだった。
彼女は、母親と同じ戦争の次世代の担い手として、常にこの現実と向き合わされていたのだ。
自分の知る“地球”は、どうやら表層だけのものだった。
だが、ならばこそ——この絶望的な状況こそ、俺の力が真価を発揮する場所かもしれない。
その時、外から無機質な金属の駆動音が複数聞こえ始めた。同時に窓の外には、宇宙から降りてくる無数の虫のような形をした何かが、学園の校舎に向けて速度を上げているのが見えた。
「コウセイさん、こっち!」
ツバサは俺の手を引き走り出し、階段を駆け下りた。警報の音は届くが、地上の混乱からは遠ざかる。
地下へ。
たどり着いたのは、訓練機用のハンガーだった。厳重な扉は、幸い緊急時のプロトコルか、半開きのままになっていた。
格納庫の空気は冷たく、そこに佇む機動兵器が、俺の目を奪った。
あの時の暴走ロボットとは違い、間違いなく戦うために作られた鉄の巨人だ。
「コウセイさん、夕飯はハンバーグが食べたいです。必ず帰るので待っててください」
ツバサの声は、静かで、そして強い意志を感じさせた。
彼女は迷いなく、格納庫の片隅に設置された搭乗用リフトに飛び乗った。
その動きは――訓練生ではなく、すでに“戦士”のそれだった。俺は遅れてリフトに飛び乗る。
「戦うのか?」
「そうです。お母さんが守ろうとしたこの世界を、今度は私が守る番です」
その言葉を聞いたとき、背筋がぞわりとした。こんなに小さい少女の内に秘められた力と覚悟を感じた。
「敵は……異星生命体って言ったか? もう一度確認してもいいか? 」
問いかけると、ツバサは一瞬だけ目を伏せ、それからゆっくりと答えた。
「“異性生命体アビス”です」
俺はその言葉を、何度も心の中で繰り返す。
異星生命体アビス。その名称は、前世の情報を揺り起こした。
宇宙を彷徨う脅威。星を喰らう者たち。
奴らは…前世に存在した、あの「アビス」なのか?
「ダメだ、一人では行かせられない」
俺は、搭乗用リフトに飛び乗り、無理矢理にツバサの隣に立った。ツバサが驚いて俺を見る。
「コウセイさん! 何するんですか!? 危ないです!」
「危ないのは、お前一人で行くことだ。俺も行く」
「で、でも! コウセイさんは…家事用アンドロイドで…!」
「関係ない。俺はツバサの家族だと言っただろう。俺が戦場に行く妹を見送るだけだと思っているのか?」
有無を言わせない口調で言い放ち、リフトを最上部まで操作する。ハッチが開く音がした。
ツバサはまだ躊躇っていたが、外から響く爆発音と揺れる地面が、彼女に迷っている時間はないと告げていた。
彼女は覚悟を決めたように、コクピットへと滑り込んだ。俺もそれに続く。
狭いコクピット内には、無数の計器やディスプレイ、レバーが並んでいる。
「システム起動、シークエンス開始します」
ツバサが慣れた手つきで操作を開始した。パネルに光が灯り、メインディスプレイが起動する。
「メインエンジン起動!」
ツバサが叫ぶ。
機体の下から、重厚な起動音が響き始め、コクピット内に振動が伝わる。ディスプレイに表示されるエネルギーレベルが上昇していく。
「各部チェック、異常なし! 武装、グリーン!」
ツバサの声は、緊張と集中により研ぎ澄まされている。
巨大なハッチが、ゆっくりと開き始めた。外の光が差し込み、格納庫内に響く駆動音と、外から聞こえる爆発音や破壊音が混じり合う。
「ツバサ、覚悟はいいのか?」
俺が問うと、ツバサは、操縦桿を握りしめたまま、力強く頷いた。
その小さな体の中に、母親から受け継いだのか、それとも彼女自身のものなのか、確固たる戦士の魂が宿っているのを感じた。
開かれたハッチの向こうには、瓦礫と煙を上げる学園の地上、そしてその上空に鎮座する、異星船の巨大な影が見えた。
「ホシノ・ツバサ出撃します!」
ツバサの声が響き渡る。