偉そうな家事手伝い
朝、ツバサの目覚まし時計のアラームが、少しばかり耳障りな電子音で部屋に響いた。
俺は充電ステーションに繋がれたまま、その音で意識を覚醒させる。エネルギーが満たされたせいか、なんとなく気分が良い。
隣の部屋からは、ツバサの慌ただしい気配が聞こえてくる。軽く伸びをするような音、タンスを開け閉めする音、そして小さな鼻歌。彼女の日常が始まるのだ。
しばらくすると、ツバサがリビングに顔を出し、俺が起きていることに気づいて「おはようございます、コウセイさん」と声をかけてきた。
「うむ」
まだ発声機能が完璧ではないため、俺は短く答える。魔王時代の名残か偉そうな返事をしてしまった。
ツバサは洗面所へ向かい、歯磨きや洗顔を済ませると、簡単な朝食の準備を始めた。パンをトースターに入れ、冷蔵庫から牛乳とジャムを取り出す。手際の良い動きを見ていると、一人暮らしにも慣れていることがわかる。
いや、それって俺の仕事のはずだが?
俺が見つめているとツバサは首を傾げ「もしかして、コウセイさんも何か食べますか?」と尋ねてきた。食べる行動は今の身体には必要ないはずだ。エネルギーは充電によって供給されている。
「いらぬ」
そう答えると、ツバサは少し残念そうな顔をした。
「そうですよね、さすがに食べる機能はありませんよね」と、すぐに納得したように笑うと「ごめんなさい。コウセイさんの説明書がネットでも見つからなくて……。せめて型番だけでもわかれば良かったんですが」と申し訳なさそうにしている。
どうやら俺は古い機体らしく、メーカーも仕様も分からなかったみたいだ。少しばかり彼女の気を遣わせてしまったかもしれない。
朝食を取りながら、ツバサは今日の予定を話してくれた。午前中は学校で授業、午後はロボットパイロットの訓練施設へ行くらしい。奨学金を得ているため、訓練には人一倍力を入れていると言っていた。そして無事パイロットになれれば奨学金の返納はしなくてもいいそうだ。
話を聞いていると、彼女が抱える夢や目標が、少しずつ見えてくるようだった。パイロットとして、一人前として自立したいという強い思い。彼女の小さな肩には、色々なものが乗っているのだ。
ツバサは制服に着替えると「行ってきます。何かあったら、連絡してください」とマンションのドアを開け、外へと出て行った。連絡先も仕方も分からなかったが、遅刻させてしまうかもしれない。まあ、何とかなるだろうと思い呼び止めはしなかった。
俺は窓から彼女の後ろ姿を見送った。少しばかり頼りない足取りだが、背筋はしっかりと伸びている。彼女の小さな体で懸命に生きているのだ。
かつては魔王と勇者の力を持っていた俺が、今はその背中を見守ることしかできないなんてな。そんな事を考えていると、ふと、ツバサがエレベーターホールに向かう途中で少しだけ俯いたのが見えた気がした。
俺は早速リビングの掃除を始めることにした。教わった通りに、まずは床に落ちている大きめのゴミを拾い集める。指先はまだぎこちないが、少しずつ慣れてくるだろう。
掃除機を取り出そうとした時、棚の上に置かれた小さな写真立てが目に入る。幼い頃のツバサが、満面の笑みを浮かべて写っており、隣には優しそうな眼をした女性が一緒に写っていた。おそらく、彼女の母親だろう。今の彼女は一人暮らしだし、何か訳ありなんだろうか。
掃除を終え、次は洗濯だ。
洗濯機の操作方法は、昨日のツバサの説明をなんとか覚えている。洗剤を投入し、洗濯物を仕分け、ボタンを押す。洗濯が終わるのを待っている間、俺はまた窓辺に立った。眼下には、様々な形状の飛行物体が、まるで空を泳ぐ魚のように行き交っている。
魔王時代の前の転生前、前前世で住んでいた世界では、空を飛ぶ乗り物といえば飛行機やヘリコプターくらいだった。こんなにも多くの、そして多様な乗り物が飛び交う光景は、初めて目にする。懐かしいと思うのは日本語ぐらいだろうか。
ぼーっと眺めていると、一台の流線型の乗り物がマンションのすぐ近くをゆっくりと通過した。
それは翼を持たず、まるで光る板のような形状をしている。
機体の側面には、ホログラムのような映像が映し出され、鮮やかな色彩で見たことのない商品の広告が表示されていた。
俺は目を凝らしてその映像を見た。その隅に小さく表示された西暦らしき数字が目に飛び込んできたのだ。
2325年?
俺の記憶にある地球は、まだ2000年代だったはずだ。もしこの表示が正しいのなら、ここは少なくとも300年以上先の未来ということになる。
やけにでかい変な形の建物。
空を飛び交う乗り物。
そしてあのホログラムのような広告。
そして今、決定的な証拠が目の前に現れた。
ここは……未来の地球なのか。
たしかに創造神は「元の世界」とは言ったが「元の時代」とは言ってない。
異世界での数百年の時を生きたとはいえ、まさかこんな未来で機械の身体で転生させるとは。あいつ一体どこまでポンコツなんだ!
落胆している暇はない。今はまず、この世界で生き抜くことを考えなければ。
まずは自分の現状の確認。
前世でのスキルや魔法は使えるのだろうか? 頼むよ創造神!
「ステータスオープン」
前世では何百回も唱えた言葉。
ピッと共に目の前にステータスウインドが開く。
よし、出来る。
さらっと確認すると勇者スキルも魔王スキルも魔法も表示されていた。流石は創造神クオリティ。
魔王スキルと勇者スキルは共存出来ない、世界は消滅するなんて言うから前世で苦労したんだが?
なんでまた一緒なんだよ!
聞こえてたら返事しろよ創造神!
だが返事はない。
魔王としての力、勇者としての力。
また俺は滅びないと駄目なのか?
ふと今朝ツバサが楽しそうに、かつ、大切そうに話していた事を思い出す。
ロボット工学、航空力学、パイロット……。
俺が再度滅びを選ぶ日まで、彼女の夢を叶えるために出来ることがあるかもしれない。
この平和な未来では必要ない力かもしれないが、彼女の目標を達成するための手助けならできるのでは?
そんなことを考えていると、沈んだ心の奥に、微かな希望の光が灯ったような気がした。