第8話 少年のココロ
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「ちょっ!?」
迫る銀光は、狙い過たず俺の眉間へと向かってくる。即座に肉体強化の魔法を施し、俺は両掌でソレを受け止めた。切っ先と顔との間に僅かな隙間を残して、ナイフはその動きを止める。
……危なかった。もう少しで突き刺さるところだった。
袋の奥にいたのは、やはりというべきか、小さい子供であった。歳は恐らく、十になるかならないかといったところだろう。
少年はその小さな体躯には不釣り合いな大きなナイフ――映画なんかで軍人が使うような――を握りしめ、こちらを睨みつけてくる。
――あれ?俺ってなんか悪いことしたっけ?
刃を止められても尚それを突き刺そうと動いてくる彼の姿に、俺は戸惑う。
……思い当たる節がないからだ。何故、彼が俺にここまでの殺意を向けてくるのかが分からない。
「このぉぉぉぉぉぉ!!」
「お、おい!」
依然として俺にナイフを突き刺そうとしてくる目の前の少年に、俺はどうすることも出来ない。只々、真剣白刃取りの要領でナイフを押し留めるばかりだ。
「ちょっと待てって!なんで俺を殺そうとするんだよ!」
「なんでだって!?母ちゃんを、母ちゃんを殺したくせに、よくもそんなことを!!」
……そうか。やはりあの女性は、この子の母親だったのか。――じゃなくて!
「いやいや、俺はそんなことしてないから!」
誤解にも程がある。俺はなんとか彼を説得しようと試みるのだが、
「うるさい!母ちゃんを返せ!!」
相手は聞く耳を持ってくれない。さて、どうしたものだろうか。
恐らくだが、彼はこの馬車内で繰り広げられた惨劇を直には見ていないのだろう。
外敵からの襲撃を予測した母親がこの子を袋の奥へと隠したために、ゴブリン達に見つからないようにしたために、逆に彼の方からも外の様子を見ることが叶わなかったというところだろう。唯一手に入る情報は、耳から入る乗客の断末魔のみ。
つまり、この子は『乗客を惨殺された』という情報こそ持ってはいるものの、『誰が殺した』という情報は持っていないわけだ。
そんな時に、俺が袋を開けてしまったために、この少年は俺が犯人だと思い込んでしまった――そんなところだろうか。
冷静になって考えてみれば、いくらでもおかしいところがあることに気づくはずだが、それをこの幼い子に求めるのは酷というものだろう。
生存者を確認するためにあちこちに触れたせいで、俺の服に血が付着しているというのも事態の悪化を進めたのかもしれないな。ヤレヤレ。
さて。おおよそとはいえ、少年の状況には見当がついた。では、次にどうするかというと、
「結局、ココに行きつくんだよなぁ……」
――これから、どうしよう……?
手を放すわけにはいかない。放したらそのまま刺さってしまう。かといって、下手に動いて万が一にも少年を傷つけてしまうことも避けたい。
結果、自然と現状維持の考えにいきついてしまう。
何かきっかけがあれば、この状況を打破できるというのに。例えばそう、異変を嗅ぎつけたミラがやってくるとか。ミラが助けにくるとか。ミラがひょこっと顔を出してくるとか……!
――どうか魔王様、私をお助けください!この状況をどうにかしてください!
藁にも縋る思いで、ミラへと一縷の希望を勝手に託す。
だが、俺の必死の祈願が叶うよりも早く、状況は一変した。
「このっ!このぉっ!!こ、の……?」
「おっと、危ない」
不意にナイフに込められた力が失せ、それと共に少年が力なく崩れ落ちていった。咄嗟に左手でナイフを持っている腕を掴み、右腕を突き出すことで少年の身体自体を抱え止める。
その姿はまるで糸が切れた人形のようだ。幸いなことに息はしている。単に気を失っているだけだろう。
まあ、こんな状況に遭遇してしまったのだから、彼の精神も身体も疲れきっているはずだ。倒れてしまうのも無理はないと言える。
むしろ怒りの感情に身を任せていたとはいえ、こちらに攻撃してくるような元気がまだあったことの方が驚きではないだろうか。
掴んだままのナイフを少年の手からゆっくりと引き剥がし、俺は安堵の息を吐く。
「――さて、と」
流石に、この子をこのままにしておくわけにもいかないだろう。俺は彼を抱えたまま、出口へと進んでいく。少年を起こさないようにゆっくりと、だ。
「随分と時間がかかってるから、様子を見に来たんだけど……」
出口付近で、先程まで待ち望んでいたはずの存在がひょこっと顔を覗かせてきた。遅いよミラさん。
「その子が生存者?」
「ああ」
地面に降り立つ俺を出迎えるミラに、俺は頷きを返した。
少年が目覚めた時には、辺りは暗くなり始めていた。
見慣れぬ場所で横になっていたことを不思議がっているのだろうか。周囲へと忙しなく首を動かし続ける少年に、俺は声をかける。
「やあ。体調はどうだ?」
「お前…!」
俺の姿を確認した彼はすぐさま懐に手をやり、そこに目当ての物が収められていないことに気づいたのか、慌て始めた。
……どうしてそんな詳しいことまで分かるのか?答えは簡単。彼が眠っている時に、懐に何かの鞘が収められているのを見かけたから。
そして、その鞘と同程度のサイズで他とは少し変わっている特徴的なナイフを俺が預かっているからだ。
「……探しものは、これか?」
そう言って、昼に俺へと向けられたナイフを取り出して見せる。
「!?――そ、それを返せ!」
「いいぞ?」
そんな大声をあげなくても返すのに。そのまま近づいていき、彼の手に握らせた。
望みの品を手に入れたというのに、少年の顔に喜びの色は浮かばない。ぽかんとした表情でこちらを見上げてくる。
いや、そんなに驚くようなことはしていない筈なんだけど……?
「え……?いいのか?」
「ああ。俺達は盗賊じゃないからな」
「盗賊じゃ、ない……?」
……ん?適当に盗賊の言葉を挙げてみただけなんだが、予想以上に少年の反応が大きい。もしかしたら、馬車がゴブリンの巣穴近くにいた理由に関係してくるのかもしれない。
「奴らの仲間じゃあ、ないのか……?」
「奴らっていうのは、盗賊のことか?」
俺が逆に質問を返すと、少年はこくりと頷いた。
「そ、そう!あいつら、村にやってきたと思ったら、突然皆に襲いかかって来て。それで、僕と母ちゃんと酒屋のおっちゃん、おばちゃん達で馬車に乗って逃げたんだ」
「――あー、成程。そういうことだったのか……」
どうしてあんな場所に馬車があったのかが疑問だったんだが、これでその理由も分かった。そうか、盗賊達から逃げている途中だったのか……。
新たに情報を得た俺は、その情報の提供者に礼を言おうとして――、そこで初めて自分の失策に気がついた。
見れば、少年は腕で自分の身体を強く抱きしめていた。震えながらも尚話し続ける彼の姿に、俺は結果的に少年の傷痕を深く抉り出すような真似をしてしまった自分自身を呪う。俺という奴は……!
「食べ物も十分用意したし、追手の姿も見えないからもう大丈夫っておっちゃんが言って、それで僕も安心して。でも、そしたらおばちゃんが叫び声をあげて」
「もういい」
これ以上は、彼にとって辛いだけの記憶にしかならない。決して軽視するわけではないが、この子にとっては村の人が襲われる光景よりも遥かに辛いだろう、馬車内で母親を殺されてしまった記憶。
俺は静止の声をかけたが、少年の口は堰を切ったかのように止まらない。留まる事を知らないかのように、次々と溢れ出ていく。
「そしたら、母ちゃんが僕に袋を被せてきたんだ。ここに隠れていなさいって言ったんだ。母ちゃんだって怖い筈なのに、僕に向かって優しく笑って、笑って……!」
「もういい!」
「しばらくしたら急に周りが騒がしくなって。おっちゃんの叫び声が聞こえて。母ちゃんの声が聞こえて。でも、僕は怖くって。何もできなくて。ずっと震えてるだけしかできなくて。母ちゃんが。母ちゃんが母ちゃんが母ちゃんが――」
「もういいんだ!!」
俺はなんと業の深い男だろうか。この子がこうなってしまうことなど、予測できたことだろうに。
涙を浮かべながら、俺は少年を抱きしめた。腕の中で母ちゃんと呟き続けている彼は、今尚涙を流し、震え続けている。
なんということをしてしまったのだろうと、自分事ながらそう思う。
自分の不注意で、少年の心を再び追い詰めてしまった。少年の心を要らぬ行動で傷つけてしまった……。
「僕が、僕がもっと頑張ってれば!あの時、震えてなんかいなかったら。外に出て、皆を助けにいっていたら!」
「違う。キミのせいじゃないんだ……!」
魔獣の恐ろしさ、戦闘の恐ろしさは身をもって経験している。こんな年端もいかない少年が何も出来なかったからといって、誰が責められるだろう。
そもそも、もしも何か仕出かしていた場合、彼すらも奴らの餌食になっていたはずなのだ。少年の行為は正しいことで、彼が気にすることは何もないはず。
だが、そのことを本人は考えられない。その結末に至ることが出来ない。
結果、俺達は最後までその体勢を変えることはなく。
少年がある程度落ち着くまで、俺達のやり取りは続いた。
……彼がようやっと平静を取り戻した時、空では既に真上で星が瞬いていた。
ミラが作ってくれていた晩飯を三人で食べていると、彼女は俺を少し少年から離れた場所へ呼び出した。
わざわざ席を立つという事は、この少年に聞かれたくない話だということだろう。俺はスープの入った器を地面に置き、ミラの下へと向かう。
「どうするの?あの子」
「どうするのって言われても……。このままにはしておけないだろう?」
彼女の質問に答えつつ、俺は背後へと振り返った。朝から何も食べていなかったのだろうあの少年は、今も目の前の食べ物に喰らいついている。あれだけの食欲があれば、体力面ではもう心配はいらないかもしれない。
「聞いた話だと、あの子の村は盗賊達に滅ぼされたらしい。――ってことは、まだそいつらはこの付近をうろついているかもしれないだろう?ゴブリン達は倒したとはいえ、こんな所にあの子を一人置いていくわけにもいかないさ」
「それは分かるけど……」
俺の説得に、しかしミラは苦渋の表情で返してくる。まあ、俺達の目的を考えたらそうなる気持ちも分からなくはないが……。
やはり、あの子を見捨てていく気持ちにはなれない。
「――はあ。仕方ないか。ショウって、予想以上に頑固で甘かったのね」
「ああ、無理を言ってすまない」
長い説得の末、遂にミラが折れた。苦笑を浮かべる彼女に、素直に頭を下げる。
「まあ、いいわ。私もそういう考えは嫌いじゃないし。――食べ物の備蓄も十分にあるしね」
俺の甘い考えを笑って許してくれたミラの懐の広さに改めて感謝をしつつ、俺は焚き火の場所へと戻っていった。
「おーい。とりあえず、君はアルト聖王国まで一緒に連れていくことに――ありゃ、寝てしまったか」
「まあ、疲れてるんでしょう。そっとしておきましょうよ」
「ん、そうだな」
腹が十分に満たされたからなのか、再び焚火の下で眠りこける少年。その様子を見たミラが、荷車から毛布を取り出して、彼を起こさないようにそっと掛けてあげていた。
その寝顔は、極めて普通の少年のソレだ。特にうなされている様子もない。寝顔だけを見れば、今日、彼の村が滅びてしまったことなど、実の親を失ってしまったことなど誰も想像がつかないだろう。
「馬車に食べ物を積んでたのは、この子にとって不幸だったのかしら。それとも……」
「――判断に迷うところだな」
少年の寝顔を覗きながら呟くミラの疑問に、俺も内心で首を傾げる。
馬車に食料を積みこんでしまったが為に、あの馬車は襲撃に遭った可能性が高い。だが、仮に食料を積みこんでいなかったとしても、あの馬車は彼らの勢力範囲内へ迷い込んでいたのだから、どちらにせよ襲撃を受けていた可能性もある。
それに、彼らが満足するだけの食料を積みこんでいたからこそ、荷車内は漁られることなく、あの少年が生き残れたのかもしれない。
――考えても仕方ないか。
人生において、仮定の話に結論が伴うことはない。
俺達は黙って火の近くへ腰をかけ、食事を再開した。
少し冷めてしまったスープを片手に、俺は懐から地図を取り出す。ゲザさんから貰ったこの地図は大陸全土が詳細に――とまではいかないが、旅をするのには十分な情報が載っている地図だ。本当に、ゲザさん様々である。
焚火の火が燃え移らないように広げ、俺達は今後の予定について話し始めた。
「今はここら辺だっけ?だとすると――」
「大陸南部最大の都市、アルト聖王国まであと4、5日といったところね」
パンを右手に持ったままの彼女の左人差し指が地図をなぞる。成程、確かに近いな。
「旅を始めて約一カ月……。ようやく、街に到着かぁ。長かったな」
「そうね。でも、私達の目的はまだ――いえ、むしろこれからなの。気は緩めないでね」
「俺達の旅は始まったばかりだってヤツか」
「?」
「――いや、何でもない。忘れてくれ。――御馳走さん。今日のスープ、美味しかったぜ」
スベッてしまった場合は誤魔化すに限る。地図を挟んでの簡単な打ち合わせも終わったこともあり、俺は食べ終わった食器を片づけ始めた。全員分の食器を集めたところで、今日の皿洗い当番であるミラへと手渡す。
「ありがとう。……えーと、『なんか水出ろー』」
「適当だな、オイ」
しかし、こんな出鱈目な詠唱でも本当に魔法が出てくるから困る。
宙から出てくる水流で手渡された食器を洗っていくミラ。更に一通り洗い終えたかと思うと、次は程よい熱風を生み出して食器を乾かし始めていく。
最初はこんなのありかよと思っていた光景だったが、今ではすっかり見慣れたものになってしまっていた。というか、最近では俺もこの方法を使っている。だって、楽なんだもん。
――しっかし、魔法を使っているとはいえ、家事技能が高い魔王様っていうのも……。
なんだか不思議な感覚だ。皿を洗っているミラの後ろ姿を眺めながら、ボンヤリとそんなことを考える。
「――よし、皿洗い終わり。さて、明日に備えてそろそろ寝ましょうか」
「そうだな。じゃあ、この子は俺が運ぶよ」
一通りの片づけが終われば、後は寝るだけだ。最も、寝ずの番をする人間は起きていなくてはならないんだが。
食器を運ぶミラに続いて、俺は傍に眠る少年を担いだ。流石に外で眠らせるわけにもいかないだろう。
今日の寝ずの番は俺になっている。荷車に少年を運び終えた俺は、再び火の下へと戻っていく。
「じゃあ、おやすみ」
「ああ、おやすみ」
就寝の挨拶を交わし、彼女が荷車の奥へと消えていくのを見送った。
何もすることが無い俺は、毛布に包まりつつ満天の星空を眺める。……最初こそこれを見て感動していたものの、あれから一か月が経った今ではもう、星空には俺の手持無沙汰を解決してくれるほどの効力は持ち得ていないようだ。
――これからが長いんだよな。
火が消えないように、外敵が襲ってきたときにすぐに対応できるように、俺のような寝ずの番は夜が明けるまでずっと起きていなければならない。
はぁ、とこれから始まる長い一人の夜へと溜息をついたところで思い出した。
……そういえば、あの子の名前を聞いていなかったな。
自分の文章を読みなおしてみて、改めて、なんというか癖のある文章だなと思います。
それが特徴となるか欠点となるかは……私の努力次第ですね、ハイ。