第4話 ここはチュートリアルの村です
今回も説明回です。ごめんなさい。
「すまないが、俺はここまでのようだ……」
その場に倒れこんだ。力が入らない。身体が動かない。意識が朦朧とする。
――もう、ゴールしてもいいよな……?
精一杯、やってきたじゃないか。ならば、もう休んでもいいはずだ。
俺は、ゆっくりと、目を閉じていった――。
「まだ、休憩時間ではありませんよ?」
暗闇の中、ゲザさんの声が聞こえる。ふぅ、やはり休憩させてはくれないか。
俺は嫌々ながらも目を開く。開けた視界には、当然、ゲザさんの顔が……。
「近っ!?近いよ、ゲザさん!!」
「おや、まだまだ元気そうですね?顔色も悪くないですし」
「いやいや。俺の健康状態を調べる前に、まずはその顔を遠ざけてください。さっきから、唇が当たりそうなんですけど」
「ふむ。なんなら、しますか?口付け」
ニコッと笑いながら、とんでもないことを言ってくる。
いやいやいや!?何言ってるの、この人?俺には、そんな趣味はないぞ?ノンケだぞ!?
俺の慌てている姿がツボに入ったのか、クスクス笑いながら顔を遠ざけるゲザさん。
からかわれていたらしい。やれやれ。
「よっこらせっと」
倒れた時に手放した剣を右手に持ち、俺は立ち上がった。
訓練を始める際にゲザさんから貰った鉄製の剣は、刃こそ潰してあるものの、他は実物と変わりない。
ちなみになぜ剣なのかというと、教える側であるゲザさんが剣しか扱えないからなのだそうだ。
ゲザさんを正面に捉え、ゆっくりと息を吐く。ゲザさんは動かない。
右手に握る剣に、左手を添える。ゲザさんは動かない。
集中力を高めつつ、剣をゆっくりと正面へ。剣道でいうところの、正眼に近い構え。ゲザさんは動かない。
右足に力を込める。一気に、間合いを詰めるのだ。ゲザさんは動かな――動いた!
逆に、一瞬で間合いを詰められる。そして、即座に振るわれる一閃。
「くっ……!」
前に出ようとする身体を、左足を前に踏み込むことで押し留めた。そのまま、あえて体勢を崩すことで、迫る銀閃を回避する。
顎先を、剣がかすめていった。
「おっと。避けれるようになりましたか。感心、感心」
ゲザさんからお褒めの言葉を頂くが、それに返事をする余裕はない。身体を捻り、下方からすくい上げる斬撃を放つ。
「ですが、その後の行動はいけませんね。そんな斬撃では、簡単に止められてしまいますよ?……このように」
放たれた斬撃は、しかしゲザさんの剣に受け止められた。俺の攻撃を受け止めたゲザさんは右手を軽く動かす。
そんなに力は込められていないはずなのに、俺の剣はいつの間にか宙に舞っていた。俺の目は宙を追う剣を追いかける。
呆けていたのは一瞬だ。だが、その一瞬が致命傷となる。ハッと気が付き、相手に目を向けた時には既に遅かった。
迫る銀の閃き。頭の中にチェックメイトという言葉が浮かび上がる。
少しでも身体を守ろうと、思考するよりも早く両腕が目の前で交差された。
――衝撃。
「残念ながらショウさんには、体勢を崩した状態からでもちゃんとした攻撃を放てるほどの筋力はありませんからね」
ゲザさんの言葉を聞きながら、俺は宙を舞った。さっきの剣の二の舞だ。
視界に映るのは、一面の青だ。元の世界では想像も出来なかっただろう、青く澄み渡った空。
剣を受け止めた両手が痛い。折れているのではないかとすら思う。まあ、手加減はしてくれているのだろうけれど。
地面が近付いてくる。そろそろ受け身の態勢に移らなければ……。
――あ。
そこで俺は気がついた。
……痛くて、手が思うように動かない。受け身がとれない……!?
――当然ながら、重力はどんな状況でも等しく俺にかかっているわけで。
受け身をとれない俺は、無防備に地面に激突した。
「いや、まさか受け身をとらないとは思いませんでしたよ」
「とらなかったんじゃなくて、とれなかったんですけどね……」
ゲザさんの言葉に苦笑いを返しながら、俺は立ち上がった。身体を襲う痛みに、自然と頬が引きつる。
それは、激突時に生まれた痛みだけではない。
――いくら刃は潰してあるといってもなぁ……。
訓練を始めたのは、明朝からだ。訓練をするということで、この村はずれの草原に連れられてから既に数時間が経っている。
その間、ずっとゲザさんに斬られ――殴られ続けてきた俺の体は、傷だらけ。傷を負っていない箇所を探す方が難しいくらいだ。
「さて。今日はここまでにしておきましょう」
今日「は」……?
ということは、明日もあるんだろうか。いや、きっとあるんだろう。
一日で習得できるわけがないと分かってはいるが、やはりこの痛みを明日も味わうのかと思うと気が重い。
項垂れた俺を見て、傷が痛んでいると勘違いしたのだろう。ゲザさんは右掌を俺に向け、「治癒の光」と呟いた。
「お?――おぉぉぉぉ!!」
身体を温かい光が包んだかと思うと、みるみる傷が塞がっていった。俺はその光景を見て、驚きを隠せない。
――これが、魔法か……?
光が包んでいたのはおよそ数秒程度だろう。光が消えた後には、身体から傷はすっかり消えていた。痕跡すらない。
初めて見る魔法に興奮する俺に、ゲザさんはにっこりと笑った。
「これで、明日も訓練できますね?」
「……ソウデスネー」
この人、イイ性格してるよ。
「剣に力が乗っていないんですよ」
訓練中に掻いた汗ですっかり重くなった服を着替えていると、ゲザさんが話しかけてきた。
「力、ですか?」
着替え終えた俺は、ゲザさんに向き直る。これでも力は込めていたつもりなんだが……。
ゲザさんは頷く。
「はい。どうもショウさんは腕の力だけで振っているようですが、それでは剣に力が乗ってきません」
「とは言われても……」
いまいち、ピンと来ない。運動系の部活に所属していたことがあるのならまだ違ったかもしれないが、残念ながら俺の場合は小学校の時からずっと文科系だった。
ううん。ならば、俺にも分かる別の物に置き換えてみようか。
例えば……。
「農業でいうと、クワを腕の力だけで振るようなものかな?」
「そうですね。そういう認識で合っていますよ」
畑仕事ならば、経験はある。ほんの数日程度だが。
成程、クワを腕の力だけで振るのは確かに効率が悪い。そんな方法では、負担が大きいくせにほとんど耕せない。
ゲザさんは、今の俺は剣をそんな風に扱っているのだと言う。
ならば、どうしたらいいのだろうか。
これが仮に、振るうのがクワだとしたら、腕だけでなく、足腰や背筋等も使うだろう。
つまり、そういうことなのか?
「もっと身体全身を使うようにしろ――ということですか?」
ゲザさんはニコリと笑う。どうやら、この答えで合っていたようだ。
「そうですね。私との訓練では、戦いにおける基本――身体の上手な扱い方を学んでいただきたいと思います。剣術を完全に極めるためには長い時間がかかりますが、これならば短時間である程度の戦闘力を確保できますからね」
今日の訓練で、体使いの大切さも分かったはずですしねと続けられる。
「ちなみに――」
次回からはその点を意識して訓練に励もうと思っていた俺に、ゲザさんは声をかけた。その手は、腰部の剣に掛けられている。
風が吹き、僅かに髪が浮き上がる。
チャキッという、剣を鞘に収める音を聞いて初めて、俺はゲザさんが剣を抜いたことに気づいた。
「今のが、体全身を使った斬撃です。身体の扱い方をある程度把握できれば――」
ゲザさんが、指で指し示す。だが、その方向には何もない。50メートル程だろうか、遠くに大岩が転がっているだけで、あとはずっと平地が続いているだけだ。
何も起きないじゃないですか、と言おうとした瞬間、ズッとなにか重い物が動く音が耳に届いた。
ゲザさんへ向きかけていた視線を、もう一度指の先へ向ける。
そこにはたしかに、斜めに両断された大岩が転がっていた。なんてこったい。
「――これくらい、出来るようになりますよ」
うん、絶対に無理だと思う。
食事はいつも、城の食堂でとることにしている。
とても忙しいであろう昼食時の食堂は、しかし今日もがら空きだった。ぽつぽつと兵士の皆さんが座っているだけで、ほとんど人がいない。
魔族の人口が少なくなってきているというミラの話を思い出した。
室内の様子を眺める。正確な数は分からないが、それでも席の数は百は下らないだろう。それほどの広さだ。
そして食堂が広いということは、この城が建設された当初は、それだけの需要があったということになる。まあ、多少は多く見積もっただろうが。
にも関わらず、この食堂には人がほとんどいない。昼飯時であるにも関わらず、だ。
仕事中で食べれない人もいるだろう。他の場所で食べている人もいるだろう。
だが、あまりにも少なすぎる。俺は、魔族の人口が少なくなってきているということを、改めて実感した。
――これは、急ぐ必要があるかもな……。
旨いものは旨い。
見た目がどんなにアレでも、旨いものは旨いのだ。
……。
…………。
ごめん、やっぱり嘘。
皿の上に乗っているのは、地虫と呼ばれる虫の丸焼き。
なんというか、ダンゴ虫に似ている。大きさは三十センチメートル程あるが。
目をつむり、殻を剥いて中身を食べる。口の中に広がるのは海老の味だ。美味しい。美味しい――けど……。
「見た目がなぁ……」
折角作ってもらったというのに申し訳ないのだが、どうも食べる気がしない。
昨日までは肉料理だったから問題なかったんだが、これはちょっと……。
食文化の壁という大きな問題にぶち当たった俺は、とりあえず目の前のダンゴ――地虫をどうしたものかと考えていると、
「あ、こんな所にいた」
声と共にツカツカと近づいてくる足音。誰かと思い、顔を上げてみると、
「もう、いつまでお昼ご飯食べてるのよ」
ミラがこちらに近づいてきていた。
……非常に今更なんだが、道行く人がミラの姿を認める度に頭を下げていく姿を見ると、ミラってやっぱり魔王なんだなと思う。いまいち実感がわかないんだがな。
怒ったり泣いたりと非常に表情豊かな彼女を見ていると、魔王というイメージが根本から崩れていくのが分かる。
ほら、現に今もムスッとした顔をしてこちらに近づいて――俺って何かしました?
「ほら、いくわよ。私も時間が押しているんだから」
「いや、いくってどこにだよ?」
そんな、行くのが当然みたいな口調で手を引かれても困る。俺は約束も何もしていなかったはずだが?
――このダンゴ虫を食べない、良い口実にはなりそうだけどさ。
「え?訓練でしょ?」
「いや、訓練はさっき終わったぞ?ゲザさんにボコボコにされた」
「それは剣術の訓練でしょ?今から行うのは、魔法の訓練。ゲザから聞いてなかった?」
「いや、聞いてないと思うぞ?」
午前中の記憶を思い返しても、ゲザさんからそう言われた経験はないはず――いや、そういえばこんなことを話していたな。
『そうですね。私との訓練では、戦いにおける基本――身体の上手な扱い方を学んでいただきたいと思います。剣術を完全に極めるためには長い時間がかかりますが、これならば短時間である程度の戦闘力を確保できますからね』
「私との訓練では」、か。
アレはつまり、ミラとの訓練もあるということを説明していたんだろうか?
もしもそうだとしたら、分かり難すぎるぜ、ゲザさん……。
「魔法を放つには、三つの要素が必要なの」という言葉で、ミラ先生による魔法訓練は始まりを告げた。
訓練の場所は、朝と同じ場所だ。両断された大岩が、記憶に新しい。
「三つ……?」
当然ながら魔法のマの字も知らない俺は、彼女の言葉に首を傾げる。マジックポイントとレベルと職業だろうか?
明らかに間違っているような答えしか思いつかない。
「そう、三つ。一つ目が魔素。二つ目は魔力。三つ目が魔口よ」
一つ答えを言う度に、立てた指を折っていくミラ。
いまいちピンとこない俺は、依然顔をしかめたままだ。俺の顔を見て、彼女はフッと笑う。
「まあ、これだけを聞いても理解できないわよね。順を追って説明していくわよ」
魔素とは、文字通り魔法の素のことなのだそうだ。ミラが地面に文字を書いて教えてくれた。まあ、書かれた文字自体は読めなかったのだが。
ちなみに、言葉は通じるのに文字が読めなかった理由について、ミラはある仮説を立てていた。
そもそも召喚魔法は、ただ召喚者を他の世界からこの世界へ移動させるというような簡単な魔法ではないのだという。
日本にいた俺という『存在自体』を魔法によって分解し、この世界へ持ち運ぶ。そして、魔法によって『それまで日本にいた俺』という存在を再度組み立てるという、危険極まりない魔法なのだそうだ。
うん、こんな説明ではさっぱり分からないな。
例えるなら、そうだな……。折りたたみ自転車のようなものか。
元の世界に存在していた俺という自転車を折り畳み、異世界へ持ち運ぶ。そして、異世界に到着次第、自転車を組み立て直したといったところか。
――あれ?俺の扱い、酷くね?
軽く気分がブルーになりかけるが、それは置いといて、ミラの仮説の話だ。
ミラ曰く、この世界での言葉や文字は、元の世界とは違うものなのだという。現に、彼女が地面に棒で書いた文字を、俺は読み取ることが出来なかった。
では、何故俺の言葉だけは通じるのか。
そこで、さっきの召喚魔法の話に戻る。ミラが言うには、召喚された際に俺の身体が多少書き換えられたのではないかという。
正確に言うと、再構成されている間に不純物――魔力が混じったのだそうだ。
この世界の住人であるミラの魔力が俺の構成と混じり合った結果、俺の身体にいくつかの異変が起きたのだそうな。
その一つがこれ、言語の共通化。
物体を介さず、直接相手に向けて話しかけた場合にのみ、体内中のミラの魔力が互いの言葉を翻訳してくれるらしい。
もっとも、これはミラによる仮説でしかないのだが。
閑話休題。
とにかく、魔素とは魔法の素である。そして、魔素はこの世界における万物全てに存在するらしい。空気中にも、土の中にも、海の中にも、人の中にも。
今朝方、ゲザさんがかけてくれたような治癒魔法は、人体中の魔素に働きかけることで発動させるらしい。なんていうか、本当に便利だな。
「あー、この蛍の光みたいなヤツがそうか?」
一度、魔素という存在があるのだと認識してしまえば、後は簡単だった。
見慣れた光景の中に、ぼんやりと光り輝く異物が混じりこむ。
宙を浮かぶ小さな異物。一つ一つは小さな物体だ。遠目からでは、宙を舞う埃や砂のようにしか見えない。
だが、近づいてみるとそれは、仄かに光り輝く粒子であることに気が付く。
青空にも、草原にも、視界に映る全ての場所に、それは存在した。
目を凝らさなくては見つけられない、見つけられたとしても、思わず埃や砂かと誤認してしまうような物体が、そこには確かに存在していた。
魔素を視ることが出来るようになることを「発眼する」というらしい。意味としては、普通の人間には決して見ることが出来ない、魔素という『存在』を認めることが出来るようになったということなのだそうだ。
魔族なら誰もが出来るその行為も、人族ならばそうはいかないという。発眼出来る人間はおよそ二十人に一人というのだから凄まじい。
しかも、これで第一工程を終えただけだというのだから――、
「魔法って、難しいんだなぁ」
「当り前でしょ」
ぽっと口に出た呟きは、ミラにばっさりと切り落とされてしまった。
魔素は、あくまでも魔法の素になる存在に過ぎない。
それを魔法へと変質させるために必要なのが、魔力と魔口だ。
より正確に言おう。魔素を魔法へと変える力のことが魔力だ。そして、魔口というのはその魔力を放出するための出力口だと考えればいい。
魔力という言葉は、RPGゲームでいうところのMPという言葉に置き換えてもいいかもしれないな。
まあ、それはともかく。
魔力と魔口の関係は、魔素とのソレよりも遥かに密接に結びついているのだという。もっとも、少し考えてみれば分かることなのだが。
例えば、とある魔法を起動させるために必要な魔力が百だったとする。
その際、その術者は魔力量と魔口の瞬間出力の両方が百を超えていなければ、その魔法を発動させることが出来ない。例え魔力が三百あったとしても、魔口の瞬間出力が二十しかなかった場合、その魔法を起動させることが出来ないのだ。結局、放出する魔力は二十でしかないのだから。
逆もまたしかり。
要は何を言いたいかというと、魔力保有量と魔口の瞬間出力はバランスがとれていることが理想なのだそうだ。どちらかに偏っている場合、それは宝の持ち腐れになるわけで。
……では、俺はどちらのタイプなのかというと。
「はぁぁぁぁぁぁぁ……」
ミラの深いため息が、俺は後者であることを証明していた。
「ええと、そんなに偏っているのか?」
俺の質問に、ミラが力ない動きで頷く。
「ここまで偏っている人も、珍しいわ……」
そう呟いて、ミラは俺の額から、すっと指を離す。それは、さっきからずっと掛けられていた検査魔法の終了を意味していた。
身体の中を弄られているような感覚から解放された俺は、しかしミラの表情を前にどうしたものかと悩む。いったい、どれほど偏っていたのだろう。
先に口を開いたのはミラだ。
「簡単に言うとね。ショウの魔力量は一般的な魔族に匹敵するわ」
一般的な魔族――ルーガさん達と同じ程度ということか。
「とは言われても、いまいちピンとこないんだが……。どれくらいなんだ?」
「人族なら、歴史に名を刻めるくらいの大魔力ね」
「色々と待て」
突っ込みどころが多すぎるぞ?なんで俺がそれだけの魔力を持っているんだよ?というか、一般魔族の魔力量高いな?んでもって、一般的な魔族でそれなら、魔王であるミラの魔力はどれくらいあるんだよ?ああ、突っ込みが追い付かない。
「だけど、それに対してショウの魔口の瞬間出力は――、一般的な人族のソレとほとんど変わりないわ」
言葉は、時に刃よりも鋭く人の心を抉るものだと実感する。
ミラの発した言葉は、諸々の突っ込みを全て吹き飛ばさせるほどの破壊力を持っていた。ああ、さっきミラが溜息をついた理由が分かったよ。要は、宝の持ち腐れなんだな?
「ちなみに、理想的な魔力と魔口の比率を『一:一』とすれば、あなたの比率は『一万:一』くらいの差があるわ」
追い打ちまでされちゃったよ。
絶望的なまでの二つの差異に、俺は肩を落とす。
なんというか、くやしい。なまじ魔力が常人を遥かに超えるだけのものを持っていたばかりに、結局は一般魔法使いと同じ程度でしか魔法を扱えないという事実が心に重く圧し掛かる。
落ち込んでいる俺に気を使ったのか、ミラが俺の肩にぽんと手を置く。
顔を上げれば、視界に映るのはミラの笑顔だ。聖母のようにすら思える微笑みを浮かべたミラは口を開き、
「下級魔法をほぼ無尽蔵に使い続けることができるんだと思えばいいじゃない」
……下手なフォローは、逆にその人の心を刻むよな。
「なんで魔法、すぐに消えてしまうん?」
今度も不発だ。
右掌に発動させた火の玉は、しかし実際には数秒も経たずに消滅した。
もはや、溜息すら出ない。
これで何度目の失敗だろうか。少なくとも、二桁は超えている。
見上げた空では、もうすぐ日が暮れようとしていた。
いつもならば帰り支度を始める頃だが、今日は違う。
ミラ先生の熱心な指導の下、俺はあれから一生懸命、魔法の練習をしていましたとさ。熱心なのはいいんだが、少しくらいは休憩させてくれ。
ミラの「もう一度」コールに促されながら、俺は右手を前に突き出した。今日だけで何回も繰り返した行為だ。
唱える。
「集え」
魔力を右掌から放出させる。
「集え」
放出された魔力が魔素に触れた。頭内に浮かぶイメージは、一本の線。魔力を介して、魔素と繋がったのだ。すぐさま、干渉する。
「集え」
想像する。俺の干渉下にある魔素が掌の先に集まる光景を。魔素が炎の玉に変化する様を。
果たして、魔素は確かに俺の想像通りに動く。掌の先に集まり、炎の玉に変化した。
だが、それだけだ。数秒も保たずに消えていく火の玉。
何度も見た光景だ。見飽きた光景だ。
今度は、ミラも「もう一度」とは言わなかった。
魔法には確固たるルールというものがない。強いて言うならば、魔素等の三要素くらいのものだろう。
決められた呪文を唱えなければ発動しないわけでもない。いやそれどころか、似たような魔法こそあれど、全てが同じ魔法というものは存在しないのだという。
魔法とは、魔素を変質させて発動させるものだ。では、どうやって魔素を変質させるのか。
俺がその言葉を発すると、ミラはこう答えた。
「想像するの」と。
曰く、魔素自体に己の魔力を介して『変化後の魔素の姿』を想像し、伝えることで魔素はその姿へと変化する。それが魔法なのだそうだ。
似た魔法は存在するけれども、全てが同じという魔法が存在しないのはこれが理由だ。人それぞれによって思考は違うのだから、想像して行きつく先も同じになるはずがない。
同じ火の球でも、人によっては対象に纏わりつくような火を生み出すだろうし、当たった瞬間に爆発するような火の玉を作り出す人もいるだろう。
千差万別にして無限の可能性を秘めた存在――それが魔法だ。
ちなみに、魔法は想像力で発動させるものなのだから、呪文を唱える必要はない。にも関わらず、俺の『集え』のように言葉を発する人間が多いのは、その方が脳内に強くイメージできるからなのだそうだ。
教科書の内容を覚えるときに、見て覚えるだけではなくて声に出して読むと、より頭の中に残るようなものだ。
「ちょっと、聞いてる?」
「ああ、聞いてるよ」
ミラの顔が目の前にある。残念ながら、現実逃避はここまでのようだ。俺は言葉を返しつつ、苦笑を浮かべた。
言うまでもなく、ミラの説明を受けている最中だ。言っている内容は逃避していた先の考えと同じもの。もう、何回も聞かされてきた言葉だ。今なら諳んじることができるかもしれない。
「――にしても、不思議よね。途中までは完璧なのに、どうしても完成しない。いつも最後になって、魔法が霧散してしまうのよね……。イメージが不確かなんじゃない?」
「いや、それはないぞ。火の玉が出来るまでのイメージも、完成した後のイメージもちゃんと出来てある。それどころか、相手を倒すイメージすら出来ているんだぜ?」
火の玉といったら、アレしかないだろう。当時の俺としては衝撃的な光景だったからな。
想像――というよりも、再現に近いか。これに関しては自信があると、俺は満面の笑顔でミラに告げた。
だが、ミラには俺の自信までは伝わらなかったらしい。不安そうな表情を浮かべていた。
「ちなみに、どんなイメージなのか説明してもらっていい?」
「ゼットン」
「は?」
「ゼットンの火の玉だ。光の巨人すら打ち倒した火の玉だぞ」
当然だが、ゼットンという単語は通じなかった。ちなみに、初代の方だ。通称、養殖と呼ばれている方じゃない。
「光の巨人ね……。それくらいになると、結構強力な魔法だったりするんじゃない?」
「おう、滅茶苦茶強力だぞ?何せ、一兆度の火の玉だからな。この星すら消し飛ばすさ」
主人公を破った技だからなと笑いかけた俺は、しかしゆらりと近づいてくるミラの様子に、表情が固まる。
……なんか、黒いオーラみたいなものが見えるんですけど?
「あなたの魔力で、そんな大魔法が撃てるわけないでしょ!分を弁えなさいよ!」の言葉と共に襲いかかる右拳。俺は例の如く、宙に吹き飛ばされた。
いくら想像力が逞しくても、干渉下外の魔素にはその身を変化させることはできない。
そして、干渉下における魔素の量は放出される瞬間魔力量と比例する。
つまりは、魔口が一般人のそれと変わらない俺に、召喚魔法なんかよりも遥かに強大なゼットンの炎など生み出せられるわけがないわけで。
そりゃあ怒るよなと、痛む頬を感じながらそう思う。彼女には、魔王としての仕事もあることだし。
空が近付く。どうやら今日は、いつもより高く吹き飛んでいるようだ。手を伸ばせば、空が掴み取れるような錯覚すら覚える。
だが、その感覚も永遠ではない。俺は重力に包みこまれた。空が遠ざかっていく。
本日二度目の、落ちていく感覚に身を任せながら、俺はふと思った。
――この世界にきて一番変わったことって、魔法とかよりも何よりも、どんなに吹き飛ばされても決して死なない、この耐久力だよな……。
作品の感想、誤字脱字の報告、辛い指摘など、皆さまのお言葉が作者の糧(文章力や意欲的な意味で)になります。
ですので、皆様のお言葉を頂けますと、作者は喜びます。尻尾を振って喜びます。
作者は、皆さまの感想をお待ちしております。