第30話 依頼:ゴブリン討伐
遅くなったなんてものではない件。
いや、本当に申し訳ない。
入院に次ぐ入院に加え、PCさんが亡くなったことや、急に厨二病が冷めてしまったり(ぇー)と色々ありまして……。
「終わりましたよ。――ああ、疲れた……」
受付嬢にそう告げて、一枚の紙をカウンターへと置いて見せる。ついでに、本音もその際にポロリと漏れた。
今俺が提出した物は、傭兵ギルドが発行し、そして依頼主のサインが書かれてある紙だ。依頼を請け負った傭兵が仕事の報酬を手に入れる際には、必ず依頼主から任務完了のサインを用紙に記入してもらわなくてはならない。
そうしてサインをしてもらった紙をギルドに提出することで初めて、報酬をギルドから受け取ることができることになっている。
「お疲れ様でした。報酬は、金貨一枚ですね。お確かめください」
にこやかな笑顔で、金貨を差し出してくる受付嬢。
どこからどう見ても、金貨一枚だ。上から見ても、横から眺めても試しに齧ってみても残念ながらその事実は変わらない。
キラリと陽光を受けて光る一枚の、たった一枚の金貨を見つめながら、俺は微かに溜息を吐いた。
未だにFランクの身なのだから仕方のないこととはいえ、あの仕事内容でこの報酬では正直割に合わないと思う。コレならまだ、魔獣を相手取った方がマシだ。
なんなんだよ依頼内容が『城下街の清掃』って。いや、それだけならばまだ良い。街の衛生を考慮することは重要なことだから。
だが、問題はその募集人数だった。
カウンターの上に置いてある依頼書には、その依頼の概要及び募集人数が書き込まれている。
『参加可能人数:二名まで』
ふざけてるの? ねえ、ふざけてるの?
ただでさえこの国は大きいために掃除の範囲が広いというのに……ソレを最大二名でこなせとか、鬼かと。狂ってるのかと。
結果、俺ともう一人の傭兵の二人で城下町の清掃に当たったわけだ。今ならはっきり言える。ブラックってレベルじゃねえぞ!!
たぶん、裁判に出たら絶対に勝てると思う。この世界に裁判なんてないけれど。
魔法で風を操って、ゴミを一箇所にまとめたからまだ楽だったとはいえ……。もしも魔法が使えなければ、途中で投げだしていた自信がある。あるいは体調を崩していたか。
――とまあ、そういうわけで。相方のことは心配ではあるものの、とてもではないが手伝いに向かう気概なんて微塵にも湧かなかった。それよりも安西先生、腰が痛いです……。
「――どうも」
少ない金貨を手に取る。掌の中に優に収まる一枚の金貨(報酬)を見ていると、なんだか悲しくなった。
――今日はもう、宿屋に帰るかな?
まだ他の依頼で頑張っているであろうミラやテオのことを考えると、多少心苦しくはあるが――、それだけ今回の依頼は大変だったのだ。勘弁してもらおうと思う。
たまには身体を休めることも必要なのだ。うん。
「あ――っと。ショウさん、今、手は空いていますか?」
踵を返しかけていた俺を呼び止めたのは、受付嬢だった。何やら新たな依頼状を手に持ちながら、俺へと言葉を投げかけてくる。
……この状況から察するに、次の依頼に関することなのだろう。
「フザケルナ! 俺は疲れたんだ!! 今日はもう、依頼は受けん!!!」なんて啖呵を切る度胸など無い俺は、渋々とカウンターへと向かった。
どうやら、まだまだ俺は休めそうにない。
「ゴブリン退治、ですか?」
受付嬢から発された依頼内容に、俺は声を上げる。
「ええ。昨日、王都外の街道でゴブリンの姿が発見されたそうです。目撃された数は一匹。……恐らく、群れから逸れたのでしょう。――その魔獣の討伐依頼が、王国の方から届けられているんです」
「はぁ。――なんで、わざわざギルドに依頼なんて……? 国が兵を出せばそれで済むことでしょう?」
受付嬢が、苦い笑みを浮かべる。
「んー……。兵隊を動かすと、色々お金がかかりますから。もしも死人でも出てしまったら、遺族への補償費用も出さないといけませんし」
「ああ、成程」
納得した。国としても、魔獣の相手は死のうがどうなろうが知ったことのない傭兵に任せた方が楽なのだろう。おまけに、かかる費用も傭兵の方が安いときた。
――となれば、当然コレを利用しない手はないよな。
「事情は分かりました。――けど、なんで俺なんです? 他にも傭兵がいるじゃないですか」
そう言って、俺はギルド本部の中を見渡す。
小さな村ならいざ知らず、ココは王国内に設けられた傭兵ギルドなのだ。万が一にもここに傭兵がいないということはありえない。
現に、俺の瞳には現在進行形で壁に張り出されている依頼書を眺めている傭兵達の姿が映っていた。わざわざ俺に頼まなくても、彼らに頼めばいいと思うのだが……。
更に言うなら、彼らでなくてもいいのだ。上階の食事処にでもいけば、手を余している傭兵が何人かはいるはずだから。
「それはですね? この依頼がFランク向けの依頼だと設定されているからなんです。そして、Fランクの傭兵さんは今ココにはショウさん達以外に――」
「――いない、ですか。……分かりました。受けますよ、その依頼」
本心では決して受けたくはないのだが、ここまで言われてしまっては受けざるを得ないだろう。そんな俺は、ノーと言えない日本人だ。
「助かります」という受付嬢の喜色の混じった答えを聞きつつ、俺は依頼書にサインしようと筆を取った。
記入するのはこの世界における自分の名前。ソレを用紙の定められた欄に記入するだけで、手続きは終わりだ。
「――――っと」
最初は手間取っていたこの行為も、何度か依頼を受けていく中で次第に手慣れていった。やはり何事も反復することは大切なんだなと改めて実感する。
今ならば、簡単な文章くらいは書くことができるはずだ。……カタコトで良ければ、だが。
筆を置き、用紙を受付嬢に提出した。これで俺はゴブリン退治の依頼を受諾したことになる。
……まあ正直な話。強化魔法さえ使えば、ゴブリン程度ならすぐに倒せる。むしろ現地へと往復する移動時間の方がかかるくらいだ。
こういった討伐依頼は命の危険というものが常に付きまといはするが、負担という意味ではさっきよりも楽な仕事と言えるかもしれない。いや、絶対に楽だ。
――ちゃっちゃと終わらせてしまおうか。
依頼書に添付されていた、ゴブリンが目撃された地点が丸で記されてある王都周辺の地図を手に取る。
手続きは済んだ。地図も手に入れた。……とくれば、もうここには用が無いだろう。
踵を返し、大通りに面する扉に手を掛けた。
今は太陽が真上に位置する真昼の時間帯。これならば、夕方になる前に宿に戻ってくることができるだろう。
そう考えながら、扉を開ける俺に、
「あ、ショウさん待ってください! 同じ依頼を受けている人がいますから、その人と一緒に行かないとダメですよー!!」
――え? 同行者がいるの?
振り返った俺の目に飛び込んできたものは、依頼書に書かれている備考欄であった。
『備考:三名以上の参加を条件とする』
うっかりしていた。失念していたともいうべきか。以前説明されたことが、頭からすっかり零れ落ちていた。
身近に『歩く非常識』がいるためか、この世界における、人が魔獣と戦う際の常識というものを忘れていたのだ。
今までずっと少人数で複数の魔獣を相手取ってばかりいたため、脳内に定着しなかったのだろう。
それは、人が魔獣に挑む際は三人で組むことが常識となっているということ。
一応、傭兵になる際にも説明されたことだ。いわば、社会における常識。鉄則と言ってもいい。
となれば当然、その常識は傭兵ギルドにも当てはまるわけだ。依頼を斡旋する側のギルドとしても、無駄な被害は出したくないのだろう。魔獣の討伐依頼を斡旋する場合は、複数の傭兵に声をかけることになっているという。
今回の場合、ゴブリンはFランク相当の魔獣だから、俺を含めて三人のFランク傭兵を組ませることとなっている。
――まあ、特に気にすることでもないだろう。ゴブリンが相手ならば、そう手間取ることもない。
まして、こちらはFランクとはいえ傭兵が三人だ。時間をかけずに依頼を遂行することができるだろう。
そう思っていたのだが……。
「――まいったなぁ、コレは。アハハハハ……」
栗色の髪を左右で括った女性が、俺の横で笑っている。
その手に握られているのは、弓。特に目立つ装飾がされているわけでもない、極々普通の簡素な弓だ。
俺が着ている布の服と似た造形の――つまりは男性用の服装を着こんだ彼女の背中が、微かに震える。その度に、背負われていた屋筒の中の弓矢が擦れて、カチャカチャと音を立てていた。
「どうして、こうなったんだろう……」
今度はカチカチと歯音を立てながら、彼女は呟いた。その表情からは、依然笑顔が張り付いている。――恐怖と諦観の念に彩られた、負の笑顔が。
俺はそんな彼女から目を離し、チラリと目の前へと向けた。
真新しい鎧を着込んだ青年が、物言わぬ屍となって地に伏せている。先の道中で快活に歩いていたその姿は、もう二度と見られることはない。
あれだけ熱心に語っていた、将来の夢も展望も、もう叶うことはない。
――死因は一目で分かる。喉元を鋭利な武器で切り裂かれたのだ。
……即死だった。標的のゴブリンを認め、即座に躍りかかった彼へと、別のゴブリンが襲いかかったのだ。
予想もしていなかった方向からの攻撃に彼はなすすべもなく倒れ――、俺が治癒魔法をかける間もなく、絶命していった。
次いで、同じ依頼を受けた三人の中の一人――彼に手を下した存在へと目を向ける。
俺達が受けた討伐依頼、その対象。ゴブリンがいた。
だが、その数は一ではない。
二十、三十。いや、四十までいくか……? とにかく、想定を遥かに超えた大群が、俺達を待ち受けていた。
ぐしゃりと、手に持った依頼書を握り潰す。
依頼書には、ゴブリンの数は一匹と書かれていたはず。何度も読み返したことだ。間違いない。そうでなければ、Fランクの傭兵に討伐依頼が回ってくるはずがない。
だが、目の前の光景はソレとは全く違う。……目撃情報だけが情報源だったから、多少の誤差は出るとは思っていたが、ここまでとは思わなかった。
ここまでくると、Fランクの傭兵程度では手が出ない。E――いや、Dランクの傭兵が複数人必要だろう。
ギルドか、それとも国に文句を言うべきなのかどうかは知らないが……この際、はっきり言わせてもらおう。
――いい加減な仕事をしやがって……!
討伐依頼を斡旋するならするで、色々と確認しなければならないだろうに!
一、二匹ならばともかく、これはもう誤差の範囲ではない。明らかに、向こうの不手際だった。そのせいで、無駄な血が流れてしまった。
……と、血飛沫があがる。
既に息絶えていた男傭兵は、死して尚もゴブリン達にその身を蹂躙されていた。――具体的に言うと、喰われていた。
人体を切り裂き、肉や臓物を食い荒らすゴブリン達の姿は、周囲の血臭も相まってか吐き気を催す光景を生み出していた。
ブチブチ、グチャグチャと奏でられる不協和音は、俺達の精神をガリガリと削っていく。
「ぃ…………いやああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!????」
そんな光景を前にいち早く限界を迎えたのは、傍らの女傭兵だった。精神の均衡どころか、その秤自体をぶち壊されたとでもいうような。発狂を間近に控えているといっても過言ではない表情を浮かべる彼女は、急いで――しかし身体はその意に反して動かないのか、結果的には極めてゆっくりと――その場を離れようとする。
だが、それは悪手だった。
彼女の声に反応して、食事中だったゴブリン達の視線がこちらへと集まる。
ギラギラと光る奴らの視線を一身に受け、彼女は「ヒッ……」と身を竦めた。そのせいで彼女の声は止まったようだが、時すでに遅しというもの。
ジワジワと俺達を囲い込むように近づいてくるゴブリン達の様子を見る限り、どうやら俺達は獲物としてロックオンされてしまったらしい。
「あ、ぁぁぁぁ、ああ……」
身に迫る危険に怯える彼女を尻目に、俺はこれからどうするかということについて思考を走らせていた。
――正直、ゴブリンは単体の戦闘能力は高くないんだが……。
それでも、この数を相手取るのは少々、いや、大分骨が折れる。
以前にも同じようなゴブリンの大群と戦ったことはあるが、あの時はミラが近くにいたからこそ相手取れたわけだし。
「――――――――」
チラリと傍らの女傭兵に目を向けてみる、が。
……今の彼女に戦闘能力を期待するのは酷というものだろう。
となれば、今回は女傭兵を守りながら戦わなくてはならない。
護りながらの戦闘の難しさは、オーガとの戦闘で身を以て学んでいる。
それだけではない。テオを助けだした時の盗賊との戦いでも、ミラの助力がなければ俺は今頃生きていなかったじゃないか。
そう考えると、どんよりとした不安が鎌首をもたげてくる。
「出来る、かな? 俺に……」
思わず、そう呟いてしまう。
相手はFランクとはいえ魔獣が三ダース以上。それを相手取りながら、女傭兵のことも守らなくてはならない。
そして――これが一番大きな要素なんだが――、この場にミラはいない。
ゴブリンが一斉に駆け出すのが見えた。視界の端で、女傭兵がその顔を強張らせるのも。
……腰が抜けたのか、彼女はその場にヘタリと崩れ落ちる。もはやこうなっては、逃げだすことも容易ではないだろう。
誰かが守らなければ、容易く命を奪われてしまう無防備な身体。……その姿を見て、俺は覚悟を決めた。
見捨てるなんていう選択肢は、俺の中にはない。だったら――、
「出来る出来ないじゃなくて、やるしかないよな!!」
そう吠えながら、鞘に収められた剣を握る。右手に赤剣、左手に青剣の二刀流だ。
どうやら俺は知らず知らずの内にミラに依存していたようだ。俺もまだまだ甘い。
コレは帰ったら、一回自分を見つめ直す必要があるのかもしれない。うん、自分に喝を入れることにしよう。
とはいえ、ソレは帰ったらの話。そうなるためにはまずは、この状況を片付けなければならない。
強化魔法、開始――!
「――チッ!」
抜刀。右手に握った赤い魔剣で、迫りくるゴブリンの爪を受け止め――るどころか、そのまま爪ごと敵を横一文字に両断する。
上半身と下半身で分けられたゴブリンには見向きもせず、すぐさま青の魔剣を左横に放つ。
ソレは今にも女傭兵に襲いかかろうとしていたゴブリンの頭蓋を貫き、剣先からピュッピュと微かに脳漿を撒き散らす。
「――――ぇ?」
女傭兵の呆けた声が聞こえたが、そんなものは無視だ。青剣を抜きとり、次の行動に備えて油断なく双剣を構える。
こちらに詰め寄ってくる数は、五匹。いずれも唾液を振りまきながら駆け寄ってくるその姿に俺は、
「連弾――」
魔弾五発によるお出迎えで応対した。マナーの悪いお客様には、この程度の応対で十分なのだ。
果たして青色の魔弾――触れた者を凍らせるイメージで創造した――の応酬を受けたゴブリン達は、為す術もなく氷像と成り果て、そして地面に倒れた衝撃を以て崩れ去った。
「ま、ほう……?」
女傭兵が、先ほどよりも更に気の抜けた声を上げた。さっきと違うところがあるとすれば、視線が俺だけに向けられていることくらいか。
仲間をゴブリンに殺された驚きや恐怖を、俺への関心や疑念といった感情が上回ったようだ。
――まあ、狙ってやったんだが。
簡単にいえば、彼女の正気を取り戻すには、それ以上にインパクトのある光景を見せなければならないと判断したのだ。荒療治であることは認める。
だがそうでもなければ、精神力を消耗する魔法を五発も安易に使用するはずがない。なにせ、俺は前の依頼で精神力をごっそりと消耗しているのだから。温存できるならしておきたいのが本音だ。
ソレをしなかったのは、ゴブリン程を度簡単に一蹴できる強者の存在を彼女に見せつけ、注意をこちらに引き付けようという狙いがあったからだ。
果たして、今の彼女の注意はこちらだけに向けられている。その表情に、脅えといった感情は見受けられない――とはいえないが、先よりも確実に少なくなっているのは確かだ。
ウン。これならば、強者を演じた甲斐があったというもの。今の彼女なら、簡単な指示くらいなら聞いてくれることだろう。
「そう、魔法使いだ」
彼女の言葉に応答しながらも、目の前のゴブリンを蹴り飛ばし、その隙だらけの身体に一刀を叩き込むことは忘れない。
正確にいえば簡単な魔法が使えるだけの剣士(見習い)なんだが――、まあ嘘は言っていないよね!
「じゃ、じゃあ!」
「ああ、大魔法を使えばヤツラを一掃できる」
嘘です。大魔法なんて使えません。僕は少し容量が多いだけの魔力タンクなんです。
――なんてことは例え事実であったとしても口にはできない。言ってしまったが最後、彼女は再び絶望に囚われてしまうだろう。
折角生きる希望を見出したのか目に力が生まれてきたところなのに、そんなことは言いませんです。ハイ。
だから、嘘を吐く。
俺は強者なんだと。俺なら、ヤツラを倒すことができるのだと。
……実際の俺は、そんな大したものじゃないんだけどさ。虎の威を借る狐というか、ジャイアンの威を借るスネ夫というか――、そんな感じの存在ですよ。
だけど、嘘を吐く。
お前の見ている背中は、頼りになる背中なのだと。お前を生かしてくれるぞと言わんばかりに。
そうしてみれば、ホラ、どうだ。みるみる内に彼女は元気になっていく。
――人間、一つでも希望を見出すことができれば、どんなに絶望的な状況であってもソレに抗うことができるものだ。今回の場合もまさにソレ。
「風刃――」
おまけに一発。風の刃を生み出し、相手方へと放ってみる。
みるみる内に真空の刃に切り裂かれるゴブリン達。真っ赤な血潮が宙を飛ぶ。
ついでに、ガリガリと精神力を削られていく俺。気分でいうと、ゲージが真っ赤になった気分。正直、吐きそうです。
「……な?」
だが、そんなことはおくびにも出さない。余裕綽々な様を演じる俺。
「――ハイ!」
おお、返事ができるくらいには回復したらしい。
俺の姿を見て、表情が晴れていく女傭兵。OK。俺の演技も捨てたもんじゃないな。
相次ぐ仲間の死に戸惑っているゴブリン達を横目に、彼女へと声を飛ばす。
「だから、足止めは俺に任せて先に逃げるんだ。……できれば、増援を呼んできてくれると嬉しいかな」
死亡フラグ立ったよな、今――なんて考えつつも、できる限りの優しい声で話しかける。
「え?でも、そんな。それじゃあ、貴方が!?」
まあ、そんなことを言ったら反発することは目に見えていた。
戦闘態勢は解除せずに、狼狽える彼女へと目線を合わせる。
「……聞いてくれ。いくら俺が強くても、キミを守りながら戦うのは厳しい。大魔法を放とうにも、キミを庇いながら戦っていては、その魔力を練る暇がない。わかるね?」
「……ハイ」
見る見るうちに表情を曇らせる女傭兵。元々、自分が俺の足を引っ張っているという自覚があったのだろう。その表情は、今にも泣きだしそうだ。
うおー!ごめんよー!でも、実力が足らない俺一人じゃあ、キミを守りながら戦うなんて無理なんだよー!
「だから、キミは逃げてくれ。その時間稼ぎは俺が受け持つ。それが最善の方法なんだ。わかってくれるな?」
「でも……」
それでも渋る彼女。うん、あともう一押しといったところかな?
「大丈夫さ。俺は強いからな」
「…………」
これでも動かないか。困ったな。
「――そうだな、ならこうしよう。俺に時間稼ぎを任せた埋め合わせとして、今度キミが俺に食事を奢るというのはどうかな? それなら貸し借りなしになるだろう?」
そう言って、安心させるようにニコッと笑って見せる。だが、その内心では滝のように汗を流している。視界の隅で、敵方の動揺が収まったのが見えたからだ。
おそらく、そろそろ仕掛けてくるだろう。それまでに、彼女には逃げ出してもらいたいところなんだが――!
「わかりました。絶対、絶対ですよ?」
ようやく、彼女は決心してくれたようだ。涙目になりながらも、首を縦に振る。
「ああ。約束だ」
俺が頷き返した様を見て、彼女はアルト聖王国へと足を向けた。
だが、その動きは遅々として進まない。やはりそうは言っても俺のことが気になるのか、チラチラと後ろを見返しているからだ。
だから、俺は言ってやる。こんな状況において、もっとも相応しいあの言葉を。
「ああ、そうだ。一つ確認し忘れていた……。
……時間を稼ぐのはいいが、
――別に、あいつらを全て倒してしまっても構わんのだろう?」
「……!ハイ、お願いします!!」
あえて、彼女の方は見なかった。そうした方が、彼女は俺を信頼して走り出してくれると思ったからだ。漢は背中で語るのです。
あの名台詞も相俟っているのだ。きっと、俺の望む通りの効果を発揮してくれるはずだ!
果たして。彼女はさっきよりもペースを上げて走り去っていく。俺の目論見は正しかったようだ。
「さて、と……」
もう彼女の心配は必要ないだろう。
俺は全意識を戦いの方へと傾けていく。
「来たか……」
俺が強引にでも彼女を逃げ出させた理由――その根本が、こちらへ迫ってきているのが感じられた。
そもそも、この依頼は初めからおかしかったのだ。といっても、そのことに気付いたのはついさっきなのだが。
というのも、だ。ゴブリンの生態からして、奴らが王都近くにやってくること自体がおかしいのだ。
前にも言ったと思うが、ゴブリンは主に洞窟などに定住し、そこからほとんど動くことはない。
そんなゴブリン達が、王都近くに現れたということは――そうするに足る理由があったからなのだ。
テオの時のように、人間に襲撃をかけたか?
……いや。この近辺に、襲撃の跡は見られない。
――とくれば、原因は一つしかないだろう。
洞窟に住んでいた奴らへ、襲撃をかけた存在がいるのだ。
このゴブリン達は、その襲撃者から逃げ出してきたものだったということだ。
「ハッ!」
近づいてきているゴブリンを叩き斬る。既にこの周辺は、奴らの血潮で満ちている。
風に乗って運ばれてくる臭いもすごい。――それこそ、件の襲撃者が嗅ぎ取ってもおかしくないくらいに。(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)
死角を縫うように迫る黒い影。喉元に齧りつこうとするソレを、剣の腹で吹き飛ばす。
手ごたえは、あんまりない。威力を軽減されたのか。
宙に飛んだ黒い影は、器用なことにクルクルと回転し、見事に着地して見せた。
現れたのは、黒い毛皮で覆われた肉体。発達した筋肉により二足歩行をも可能にした狼。
――人狼とでも呼ぶべき魔獣がそこには立っていた。
しかも複数。
「ハハハ……。これは死ねる」
あきらかにゴブリンなんぞよりも格上の敵を前に、乾いた笑い声しか上がらなかった。
とはいえ、戦うしかないだろう。そう思って構える俺の脳裏に、ふと言葉が浮かんできた。
――足止めは俺に任せて先に逃げるんだ。
――時間を稼ぐのはいいが、
――別に、あいつらを全て倒してしまっても構わんのだろう。
ついさっき、俺が打ち立ててしまったばかりの、生まれたばかりの新鮮ホヤホヤの死亡フラグ達。
そんな彼らが、俺の脳裏をぐーるぐると巡り行く。
――もしかしたら、本当に俺はここで死んでしまうかもしれない。
とりあえず、急いで投稿しました。
私は今から、自分の設定を読み返してきます。すっかり忘れてしまったもので……。