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第29話  再会

遅くなって申し訳ありません。昇進やら配置移動やら病気などが重なりまして……。


その分、文量は多くなっていますので、それでご勘弁を……。

 星月の下、三つの足音が夜の裏路地を素早く駆け抜けていく。

 この時間帯では滅多に人は通らないであろう裏路地の奥から、悲鳴が聞こえてくることに気づいた俺達は、風に運ばれてくる悲鳴を頼りに走り続けていた。

 悲鳴は今も尚、断続的に響いている。

 ここまで来ると、さっきまでは聞こえなかったはずの俺達にも悲鳴が聞こえるようになっていた。


「―――――――!?!?!?」


 ……男の声だ。それも、複数。何を言っているのかまでは流石に分からない。


「――まさか、こんな大きい街中で悲鳴を聞くことになるなんて……」


 最後尾を走るテオが、ボソリと呟いた。


「……いや、街中かどうかなんて関係ないと思うぞ? そこがどんなに治安の良い所だとしても、事件というものは起きる時は起きるものさ。それに――」


 テオへそう話しかけながら、俺は周囲へと視線を向ける。

 そこに灯りの姿は存在せず、あるのは冷たく並ぶ家屋の群れだ。

 俺達にも聞こえるくらいなのだから、これらの家屋に住む人々にも、当然悲鳴は届いているはず。

 なのに、灯りが点くどころか物音ひとつしない。俺達の足音と時折響く悲鳴を除けば、ここには一切の音というものが存在しない。

 灯りが点いていない理由が、万が一にも巻き込まれることを恐れているのか、あるいは悲鳴に動じていないが為なのかは知らないが、ただ一つ言えることがある。

 ……ここの住民は、こういった悲鳴やらに慣れているということ。そうでもなければ、ここまで冷静に夜を過ごすことなんて出来るわけがない。


「周りの家の反応を見る限り、この辺の治安はあまり良くないようだしな」


 恐らく、この近辺ではトラブルが多発しているのだろう。だからこそ住民達も騒がずに過ごしているわけだ。

 これだけ大きく悲鳴が響いているのに、衛兵が飛んでこないのがその証拠でもある。


「まあ、衛兵達の目が届かない区画なんでしょう」


 俺の発言を補うように、言葉を発するミラ。その口調には、「もう、この話は終わり」という意味が添えられていた。

 ミラの視線が、俺へと向けられる。それに対し、コクリと頷く。


「来たわね……」


 そう呟き、長い睫毛の下から覗く彼女の紅い瞳が、強い光を伴って路地の先を見据えた。手甲が装着されている両拳を、強く握り込む。

 傍らのテオが、震えつつも短剣を握りしめた。

 そして最後に俺が、腰の魔剣に手を添える。

 いつ、何が起きてもすぐに対応できるように、俺達は身体に力を込めていった。

 全員の双眸は、油断なく目の前へと向けられている。

 通路の先に広がる夜の帳――その中から複数の足音が聞こえてきていた。






「はぁっ――はっ――、あ――!!」


 暗闇の中から、三人の男たちが駆け寄ってくる。

 今まで、ずっと走り続けていたのだろう。呼吸も荒い。

 彼らは前へと走りながらも、常に背後を意識しているようだ。何者かに追跡でもされているのだろうか?

 となれば、彼らが悲鳴の主だろうか? 確かに聞こえてきた声と性別は一致するのだが……。


「――っ……くそっ!」


 先頭を行く男が、自らの右腕を抑えながら悪態をついた。それと同時に、ポトリポトリと地面に落ちていく真っ赤な液体――血。


 ――怪我をしているのか!?


 見れば、自分の身体を抑えているのは彼だけではない。部位こそ違うものの、目の前の三人は皆、身体の何処かをその手で押さえていた。


「大丈夫ですか!? ――ミラっ!!」

「ええ!!」


 すぐさま彼らに駆け寄りつつ、魔法を練っていく。魔素という砂と魔力という水を掛け合わせて出来た、回復魔法という名の泥団子。

 傍らを見てみれば、俺と同じ判断を下したのだろうか。彼女もまた、その両拳に回復魔法独特の淡く優しい光を纏わせていた。


「あ、あんた達は……」

「――静かに。今、治療をしますから」


 見知らぬ人物が現れたからか、動揺している男たちを尻目に俺達は彼らへと回復魔法をかけていく。……俺の回復魔法では、間に合わせの止血程度にしかならないだろうが、それでもやらないよりは遥かにマシだろう。

 右手の淡い光を、先頭を走っていた男の右腕――その患部へと当てていく。


「これは――切り傷ですか?」


 間近で見るまで気づかなかった。太く、逞しい腕に広がっている肘から肩に至るまでの縦の裂傷は、想像していたよりも遥かに深いもの。

 その右腕はすっかり、血で染まっていた。白い骨が覗ける箇所すらある。


「そうだ……。ヤツの、大剣にやられたんだ……。紙一重で致命傷は避けたが……、くそっ――」

「話さないでください。傷が開きますよ」


 男の苦しそうな呟きを、制止する。とりあえず出血こそ止めたものの、あくまでもそれは応急措置。今のように興奮されては、すぐに傷が開いてしまうだろう。

 更に、患部へと魔法を当てていく。

 肉が隆起し、見る見る内に元通り――とまでいかないが、傷口にうっすらとかさぶたのような物が出来る程度には回復した。

 この辺りでいいだろう。体外へと放出していた魔力を止め、魔法を拡散させる。


「――よし、治療終わりましたよ」

「……ああ、助かった。ありがとう」


 回復魔法をかけられて、痛みが和らいだのだろうか? 先ほどよりも幾分はっきりした口調で礼を述べてくる目の前の男性。――とはいえ完治したわけではないため、本格的な治療を後日改めて受ける必要はあるだろう。

 そういえば、ミラの方はどうなっただろうか。

 あちらは治療対象が二人もいる。まだ処置が済んでないようなら、俺の手を貸すとしよう。そう思い、チラリと横目で様子を窺ってみる。


 ……その必要は、ないようだ。


 見たところ、既に一人目の治療は終わりに差しかかっていた。どうやら今ミラの治療を受けている彼は、右肩から左腰にかけてをバッサリと斬られたらしい。

 正直、よくここまで歩いてこれたものだと、ある意味で感心してしまうくらいの大怪我。だが、今ではそのほとんどの傷口が癒えてしまっている。

 いくら回復魔法とはいっても失った血までは取り戻せないため、しばらくは貧血でフラフラすることになるだろうが……とりあえず、生命の危機からは脱したと見ていいだろう。

 一方、残った一人はどうしたのかというと――こちらは手が空いていたテオが、怪我人の服を破って包帯代わりにと患部に巻きつけることで、ミラの治療が始まるまでの応急処置――止血を行っていた。

 これならば、俺が手を出す幕はないだろう。

 そう判断した俺は、目の前の男へと向き直り――、


「――それよりも、こんな大怪我をするなんて……一体、何があったんです?」


 ――何があったのかと問うてみた。

 あんな怪我を負うなんて、尋常ではありえないことだ。まず間違いなく、何者かと戦った際に出来た傷だろうと俺は見ている。

 加えて、彼らの傷口から察するに用いられた凶器は鋭利な刃物。それも、俺が使っている長剣以上の重さがある何か。

 少なくともテオが持っているような短剣サイズの物ではないだろう。そのサイズの得物では、肩から腰にかけての切り傷を与えることは出来ないからだ。……正確にいうと出来なくはないのだが、ソレは『出来なくはない』だけであって、普通ならばまずそんな行動は取らない。


「それは――」


 男が言い淀む。何か後ろめたいことでもあるのだろうか?

 俺は何も言わずに、男が話し始めるのをジッと待っていた。


「…………」


 待つ。


「………………」


 待つ。


「……………………」


 待つ。

 ……視界の片隅に残る二人の治療を終えたミラの姿を認めた頃に、俺の視線に耐えられなくなったのか、男がポツリと口を開いた。


「……ソレは――」


 だが、俺は彼の言葉を最後まで聞くことができなかった。

 何故ならば。


「――――!?」


 闇の中を駆ける足音が、耳に届いてきたからだ。






 その足音は間隔短く、そして間違いなく此方を目指して駆け寄ってきていた。

 もしや、この足音の主が――、


「あ、アイツらだ……。俺達を追いかけて来たんだ……!」


 脳裏の疑問に答えるように、先ほど治療した男たちが声を上げた。

 その声は誰が聞いても分かるくらいに震えており――、ああ、その心中はすぐに判別できる。

 恐怖だ。

 恐れ、怖れ、怯える感情が、彼らの心に巣食っており、そして体内を駆け回っている。

 彼の言葉が正しければ、この足音の主は彼らに大怪我を負わせた張本人ということになる。

 無理もない。

 自分たちに重傷を負わせた相手が追ってきたのだ。心中を穏やかに保つことなど、そう簡単に出来やしない。


 ――断言しよう。


 今の彼らに、まともな戦闘行動はとれない。

 震えが止まらないその手で、満足に得物を握りしめることができるだろうか。

 震えが止まらないその足で、満足に攻撃を躱すことができるだろうか。

 ……無理だ。そんなことは無理。不可能だ。例え天地がひっくり返ったとしても、この答えだけは変ひっくり返らない。返せない。

 だが、逃げるという選択肢も彼らの前には残っていない。

 ……血を流し過ぎたのだ。いくら回復魔法でも、血を生成することは出来ない。貧血の症状に悩まされた状態では、満足に走ることもできないだろう。

 つまり、八方塞がり。逃げることも戦うことも出来ない彼らは、ここで死ぬ。

 ――ただ。

 ただ、一つだけ方法はある。彼らを生き延びさせる手段が、一つだけ。


「――ミラ」


 傍らのミラを見た。

 それだけで俺の言いたいことは分かったのだろうか。

 刺すような鋭さで足音の先を見つめていたミラは、一瞬ではあるが呆れた表情を見せた後、こちらへと頷いて見せる。

 ……呆れた表情を見せるのは当然のことだろう。なにせ、今から俺達がやろうとしていることは――。






 宵闇の奥から、足音が聞こえる。その数は、一つ……二つ。

 つまり、相手は二人組だということだ。

 対するこちらの数も、ちょうど二人。男たちの姿は、この場にはいない。テオの先導の下、裏路地から逃げだしている。

 ……ここまでいえば、分かるだろう。彼らを生き延びさせるただ一つの方法とは、


 ――この場に俺達が残って、彼らが逃げる時間を稼ぐということだったのだ。


 ミラが呆れた視線を送ってくるのも当然と言える。

 ……話し合いでこの状況が解決できるとは思わない。なにせ、彼らと足音の主達はすでに一度戦闘を交わした間柄。ぽっと出の俺達が、ソレを静められるはずがない。

 つまり、俺達には戦うしか選択肢は残っていないのだが……。そこで懸念事項が一つ。

 足音の主達は、間違いなく手練れに相当する腕前を持っているということだ。

 ――というのも、俺やミラは先の男たちを治療したから分かるのだが、男たちの身体には余分な脂肪が付いておらず引き締まっていた。加えて、身体の至る所に見えた古い傷の跡。

 そこから察するに、おそらく彼らは傭兵かなにか……少なくとも、戦いを生業としている人種だということは想像付く。

 そんな彼ら三人に重傷を負わせる足音の主達。――手練れと呼ぶに相応しいだろう。

 この場にテオがいないのも、ソレが理由だ。

 未だ、まともな戦闘経験をほとんど積んでいないテオが相手取るには、あまりにも荷が勝ち過ぎている相手だから。

 故に、俺達二人で相手取ることとなったのだ。

 テオとの待ち合わせの場所は、ここまで通って来た裏路地の入口。夜が明けるまでに戻ってこなかった場合、俺達は死んだものとして扱うようにとも伝えてある。


「……そんな奴を無償タダで相手にしようだなんて――、兄ちゃんは救いようがないね」


 去り際に、テオに言われた言葉だ。いやはや、なんとも耳が痛い。


「…………っ!」


 ――そろそろ、無駄話もお終いのようだ。

 張りつめた緊張を誤魔化すように、腰の赤い魔剣をゆっくりと抜いた。それにつられたのか、傍らのミラが拳をぎゅっと握りしめる。

「なに、心配いらないさ」と、口に出してそう自分に言い聞かせる。

 そうだ、男たちを治療する際に聞いたではないか。内一人の得物は、大剣だと。

 広い空間ならばいざ知らず、今俺達が立っている場所は、どんなに詰めても大人が三人横に並ぶのがやっとな程の――とても狭い空間なのだ。

 そんな中で大剣を満足に振り回せるとは到底思えない。動きが制限されるという点では、俺の長剣も同じではあるが、それでも向こうよりは遥かにマシなはずだ。

 ――とくれば、俺達が採択るべき選択肢は必然と決まってくる。

 相手に付け入る隙を与えないくらいの、速攻と連撃。

 詳細が不明なもう一人については、俺より小回りが利くミラに対処をお願いすればいいだろう。

 手早くミラと作戦について話し終えたその刹那。俺達を、突風のような殺気が襲う。この感覚、明らかに常人のソレではない。


 ――間違いなく、幾多の死線を潜り抜けてきた者(熟練者)のソレだ。


 殺気が放たれているのは、目の前の夜の帳の奥からだ。月の頼りない光に照らされて、微かに人影シルエットが帳の中に浮き上がっていた。

 カツン。

 人影が、一歩こちらへと歩み寄ってきた。

 ごくり。

 思わず、生唾を飲み込んだ。

 ――気圧されているのか……?


 魔獣との戦いでは知り得なかった、強い人間のみが持つ独特の気迫オーラ

 強者の殺気に当てられ、身体を微かに強張らせていた俺を、しかし救う者がいた。

 ポン、とまるで友人にするソレのように、軽く肩を叩かれる。

 ミラだ。

 彼女の眼光は前に、けれど、その意識は間違いなく俺の方へと向けられていた。


「大丈夫、力を抜いて。――貴方が一人で相手する必要はないんだから。もしもショウが危なくなった時は、私がフォローするから」


 一瞬。

 ともすれば、見落としそうな程の僅かな瞬間、彼女は此方へと視線を向けた。どこか茶目っ気が混じった目で、


「だから、もしも私が危なくなった時は助けてよね?」


 そう言った。

 ぽかんと、戦闘前にも関わらず、俺は本気でぽかんと――脱力してしまった。

 開いた口は塞がらず、相手への注意もそぞろとなった今の俺は、誰が見ても付け入る隙が見え見えであったことだろう。

 いったい、彼女は何を言っているのか。

 俺よりも何倍も強いミラが、まさか自分を守ってだなんて発言をするとは思わなかった。想像にすら上がらなかった。

 だから、だろうか。こんな緊迫した空気の中、俺は思わず――、


「――プッ……」


 ――噴き出してしまっていた。


「なによ。何か、おかしいこと言ったかしら?」

「クククッ……いや、何も……?」


 まるで、普段雑談を交わしている時のような雰囲気。ミラがむくれて、俺がニヤける。

 だからだろうか。いつの間にか、俺の身体から不必要な力がすっかり抜け落ちていた。


 ――ああ、認めよう。彼女が狙ってやったのかどうかは分からないが、俺は彼女のおかげで変に力まなくて済んだ。


 だったなら。そのお礼として――というにはいささか語弊があるが、彼女のリクエストには、非才の身ながら最大限答えるべきだろう。

 剣を構える。目線は闇の中に立つ人影を射抜き、魔法を練ってこの身を包む(コーティングする)。


「OK、ミラ。お前の背中は、俺が守るさ」


 そう言うが早いか。

 強化魔法を行使した俺の身体能力――その最大限を以て、相手へと飛びかかる。

 都合八歩の距離を一息で詰め、その勢いのままに赤い剣を振り上げる。

 常人ならば、対応できない速度。

 だが、相手は常人ではなかった。純粋な反応速度によるものか、あるいは今までの経験が教えてくれたのか。それは定かではないが、何れにせよ、彼は一つの行動を俺に反してきたのである。

 元々、上段に構えていた大剣。それを、勢いよく振り下ろし――


 夜の街に、火花が散った。






 最初の激突は、五分――いや、得物の重さの分、俺が僅かに劣っていた。

 勢いに押され、弾かれ――ない!?

 これも相手の技量によるものか。がたいの良い影――相手はまるで大剣が手足の延長であるかのように操り、俺を剣ごと抑え込もうとしてくる。

 徐々に、徐々に押し潰されていく身体。身体を強化しておいて、コレなのだ。強化ブーストを使用していなければ今頃は……。そう考えると、心底ゾッとする。


「……っ!」


 声にならない叫びを上げながら、渾身の力で大剣を受け流す。

 剣自体の重さと担い手の力を一身に受けていた大剣が、石畳を砕いて止まった。

 ――状況は、互いに死に体。

 俺は今の今まで大剣を受け流すことに終始したためか、身体の体勢が崩れてしまっている。

 一方、相手はというと、こちらも似たような状況だ。受け流された自身の得物が石畳に突き刺さっている現状、向こうもまた、体勢が泳いでしまっている。

 つまりは、互いに一呼吸を置く必要がある場面。有効打を相手に叩きこむためにも、一泊置かなくてはいけない状況だ。

 だが。

 そんな状況を、容易く覆す存在がいる。

 覚えているだろうか? 俺達が感知した相手の足音は、二つ。つまり、もう一人の敵がこの場には存在するのである。

 そんなことを考えた直後、視界の隅に、闇が動くのが見えた。

 速い。夜の闇を纏い――いや、切り裂きながら、こちらへと走り寄ってくる。

 その影は目の前にいる影よりも大分細身だった。恐らく、この影の人物は女性なのだろう。

 一応言っておくが、俺は女性だからといって、相手を甘く見ることができる程お気楽な性格ではない。

 現に、彼女が手に持つ二双の銀。月光を受けて鈍く光るその短剣は、俺の急所へと向けられている。アレが刺されば、俺の命はそこで尽きることだろう。

 簡単に言えば、ゲームオーバー。あるいはデッドエンドというもの。


 ……刺されば、の話なのだが。


 俺と闇に隠れて顔の見えない彼女の間に、割り込む影がある。

 ミラだ。

 俺へと向けられていた凶器を、その手甲を纏った両腕で弾き、逸らす。――だけでは飽き足らず、その勢いを利用して放つ腹部への蹴撃。

 俺ならば間違いなく食らうであろうその一撃を、女は後方へ跳びあがることで回避した。

 ――いや、ソレだけではない。空中で翻りつつ、女はその手に握る短剣をミラへと投げ放った。回避と攻撃を、同時に行ったのだ。

 一方、短剣を放たれたミラはというと、蹴撃で伸びたままの右足を即座に畳み、


「――フッ!」


 短い呼吸音。そして、消える右足。

 次に見えたのは、空中に突き出された右足。

 次に聞こえたのは、投げ放たれたはずの短剣が地面に叩き落とされた音であった。

 そしてその先には、四足で着地する女の姿が見えた。お前は猫か。彼女の手には、いつのまにか次なる短剣が握られている。

 ミラが走りだした。それに応じるように、女が地面を舐めるように駆けだす。

 ――銀と紅が交じるように、激突した。


 連撃。連撃。更に連撃。

 パッパッパッと、連続して中空に紅と銀の華が咲く。

 耳を穿つのは、金属と金属がぶつかり合う高い音だ。

 身体能力だけならば、抑えて(セーブして)いるとはいえ、ミラの方が遥かに高い。

 だが、戦闘を決めるのはその人物の身体能力だけではない。

 女はその変幻自在の太刀筋を以て、ミラを翻弄していた。

 押すことだけならば、出来る。だが、決め手には繋がらない。

 ミラの拳は避けられ、あるいは流され。

 蹴りを放つには、二人はあまりにも近づきすぎている。距離をとろうにも、相手がソレを許さない。

 無手だからこそ出来る技――投げ。だが、その始点となる掴みの動作に移れない。移ろうとした次の瞬間には、ミラの目の前には短剣の刃が置かれていることだろう。

 一方の相手も、ミラを相手に攻めあぐねていた。

 自分よりも早く、速く、硬く、強い存在。そんな彼女が相手では、相手の女も守りに徹するしかないようだった。

 ……ところで――。


 ――他所見をしている暇が、俺にあるのか?


 ゾクリと。

 身体を、寒気が通り過ぎていった。

 何が……? いや。考えるよりも先に、身体を突き動かす。赤い魔剣を、振り回す。

 後先も考えない、ガムシャラな行動。だが、それが俺の命を救った。

 衝撃。

 右手が痺れる。手から離れた赤剣が、宙を飛ぶ。

 それと同時に、頭上を通り過ぎていく鉄の塊。ソレは俺の髪の毛を数本巻き込みながら、大気を抉り切った。

 ……俺がミラと女の組み合いに気を取られていたのは、ほんの数瞬。だが、その数瞬が致命的な隙と化す。目の前の男は呆けたままの俺の背中へと音もなく接近――大剣を振り回してきたのだ。

 赤剣が手から飛び立ったのは、俺の首を狙っていた大剣とぶつかったからだ。あの時はガムシャラに振り回しただけだったから、剣が抜け落ちるのも当然と言える。

 だが、それだけのかいがあったのも事実だ。

 大剣が俺の首を刎ねなかったのは、コイツが大剣の軌道を僅かながらも逸らしてくれたからだ。そのおかげで、俺の命の灯はまだ消えずにいる。

 即座に、動く。

 右腕は未だに痺れている。これでは剣は振れないだろう。

 問題無い。俺には、左腕が残っている。

 赤い魔剣は、地面に突き刺さっている。ここからでは手が届かない距離だ。

 問題無い。俺には、青い魔剣が残っている。

 つまり、全く問題はない。

 足を更に速めながらも、左手を青剣に伸ばす。

 相手は、まだ大剣を振りきったままの姿で止まっている。

 加速した。

 そのままの勢いで、相手の懐に――入った!!


「――なっ!?」


 相手が、驚きの声を上げる。

 ――だが、遅い!!

 柄を強く握る。

 右足を強く踏み込む。

 狙うは、相手の左肘。

 そこに――、青剣の柄頭を叩き込んだ。

 常人ならば、骨が折れ砕ける程の勢い。だが、手練れである相手は巧みに左腕を動かし、その勢いを殺す。

 激突する感覚は、ない。あるとすれば、暖簾に手を押すような感覚。思わずこちらが惚れ惚れしてしまうくらいに、巧みに力を受け流された。

 だが、実りはあった。

 彼の得物は大剣――つまり、荷重の強い武器である。それこそ両手で扱わなければ、人の身では持つことすら叶わないくらいの。

 現代で想像するならば――そうだな。学校などにある竹箒。あれを何本も何本も重ねて、振り回すような感覚か。……もちろん竹箒の端を持って、だぞ?

 さあ。ここで問題だ。何本も重ねた竹箒――それを思いっきり振りぬいたままの体勢で、強引に肘を畳んでみると……どうなるか?

 答えは――。

 ズズンッと、重い何かが地面に落ちる音がした。考えるまでもない。相手の大剣だ。

 さっきの答えは、こうだ。

 今まで全身で支えていた大剣(竹箒)を、自らの手首のみで支えなくてはならなくなる。

 そうなると当然、手首だけではその重み(負担)に耐え切れられず、結果――大剣を手放さざるを得なくなる。

 つまるところ、今の相手は無手。

 一方の俺は、得物持ち。

 この勝負、獲った――!!


「……殺しはしない。だが――!」


 剣を喉元にでも突き付ければ、相手の動きは止まるだろう。

 そう判断した俺は、左手の青剣を相手に向けながら、今度は左足で強く地面を踏みこもうとし、


「ハイ。ちょっとストップね」


 そんな声と共に、宙を舞った。

 恐らく声の主に左足を払われたのだろうと、考えがそこに行き着いた瞬間。


「ひでぶっ!?」


 俺の後頭部は、地面と熱く情熱的な口づけを交わした。






 目を覚ますと、目の前にはたわわに実る二つの丘があった。そう、おっぱいである。

 一瞬で思考が覚醒した。何せ、滅多に拝むことができないもの――ミラの体格的に考えて――がそこにあったのだ。

 ローマ字で書くと、OPPAI。これを前にして、興奮せずにいられようか。いや、いられない。

 『おっぱい、いっぱい、ゆめいっぱい』という格言があるように、アレはまさに漢の浪漫なのである。

 どこぞの偉い人も「おっぱいがあれば、ジオンは十年は戦える。あれは、良い物だ……」と言っていたしな……!!



 ――すまん。どうやらまだ、意識は混濁しているようだ。



 ……さて。冷静になって考えてみよう。

 目の前にはおっぱい。そして、未だズキズキと痛む後頭部には、柔らかい感触。

 以上の点から察するに、


 ――今の俺は、膝枕をしてもらっているのではないか……?


 だが、誰に? ミラ――ではない。間違いなく違う。絶対に違う。彼女の体格的に。

 となれば、いったい……?

 俺は現状の把握に移ろうと視線を動かし、


「あっ。起きたね」


 上から覗きこんでくる視線と目が合った。

 ……と。此方からでは相手の顔が影になって判別し難いが、その声は間違いなく、どこかで聞いたことがある声だった。

 

 ――どこだっただろうか? 少なくとも、この世界に来てから聞いた声であることだけは確かなんだが……。


 脳内の海に潜行ダイブし、記憶を漁っていく。そうこうしながらも、欲望に忠実な俺の目線はついつい彼女の胸元へと向かってしまう。

 ……そこで、ティンと来た。


「セリス、さん……?」

「どこを見て言っておるのかネ、キミは」


 膝枕の主――セリスさんに、額を小突かれた。

 一応言っておくが、別に俺が助平なわけではない。ただ、目線が勝手に動いてしまうのだ。男のサガなのだから仕方がない、と力説してみる。

 ……ここは挨拶でもしておくべきだろうか。そう思い、以前旅の途中で出会い、そして俺達の命を救ってくれた傭兵であるセリスさんに、口を開く。


「お久しぶりです」

「うん。取り敢えず、挨拶をする前に起きようか」


 それもそうだ。美女の膝枕という、野郎垂涎の行為が終わることへの若干の名残惜しさを感じつつ、俺は起き上がった。

 横になっていた時から身体に伝わっていた感覚からある程度は想像できていたが、やはりここは石畳の上のようだ。

 付け加えるならば、周囲に戦闘の痕が刻まれていることから、ここがさっきまで俺とミラが戦っていた場所なのだと――俺が気絶した場所なのだと分かる。

 ということは、俺が気を失ってから今まで、セリスさんが膝枕をしてくれていたのか?


「お姉さんの膝枕は気持ち良かったかな?」

「ええ、それはもう。――ところで、なんでココに……?」

「なんでって……。さっきまで、戦ってたじゃない」

「え?」


 ――耳の調子でも悪いんだろうか? セリスさん、今変なことを口にしなかったか?

 念のため、恐る恐る彼女へ尋ねてみる。


「えっと、誰がですか?」

「アナタ達と、私達が。今日、ココで」

「…………」


 ――ワケが分からないよ。

 混乱する俺の視界に、テオを連れて此方へやってくるミラとディランさんの姿が遠目に映った。






「すみませんでした!!」


 いくら状況が分からなかったとはいえ、命の恩人に刃を向けてしまっただなんて……。覇王翔吼拳――もとい、土下座を使わざるを得ない。ジャンピング土下座もあるよ! でも、焼き土下座だけは勘弁な!!


 ――いや、本当に申し訳ないと思っているんですよ……?

 

 あの後、テオの迎えから戻ってきたミラやディランさんに話を聞いた。

 ディランさんの話によると、なんでも俺達が治療した男たちがディランさんへ襲いかかってきたため、反撃したのだとのことだった。

 つまり、襲われていると俺達が判断した男たちの方が実は加害者で、ディランさん達は被害者だったのだ。

 襲われた理由に関しては口を噤んでいたが……、まあそこは追求する必要はないだろう。片や初対面の襲撃者。片や命の恩人の被害者――どちらに味方するのかと言われたら、ねぇ?

 男たちの怪我は割と重いモノだったので、ソレについても聞いてみたが――街中を歩いていると、向こうが突然武器を抜いて襲いかかって来た。加減が利かせる余裕はなかったのだとのこと。

 まあ、そうだよな。特にディランさんの得物は重量級のソレ。大物が相手でも殺すことが出来るように作られた武器だ。

 奇襲を受けて、なおかつその襲撃者を傷つけずに済むなんて神業にも等しき行為が、容易に行えるとは到底思えない。

 むしろ、彼らの命があっただけマシだったのでは――そう考える。

 さて。一通り説明を受けたところで、話は俺の謝罪へと戻っていくわけだ。


「いや。そんなに気にすることではない。ミラさんから話を聞いたのだが、あの状況では仕方のないことだったよ。だから、気にしなくていい。その謝罪の言葉だけで十分だ」

「…………」

「だから、取り敢えずその土下座?は止めてくれないだろうか? 正直言って、見ているこちらがとてもいたたまれない気持ちになってくるからな……」


 流石は土下座、いやDOGEZA。日本文化なんて欠片もないこの世界で、通用するとは驚きだ。


「そう、ですか……?」

「そうそう。私達は気にしていないからね。たまたま運が悪かったのよ。ショウちゃんも、別にわざと剣を向けてきたわけじゃないんでしょ?」


 俺とディランさんが話し合っていると、さっきまでミラやテオと話していたセリスさんが割り込んできた。

 っていうか、ショウちゃんって……。

 まさか、この歳になってちゃん付けで呼ばれることになるとは思わなかった。

 俺が最後にちゃん付けで呼ばれたのは、いつのことだったかな……?

 ……。

 …………。


「? おーい、もしもーし?」


 ――っと。意識が記憶の向こうへと馳せてしまっていたようだ。周囲の皆が、心配そうに俺の方を見つめている。前の世界のことを思い出すのは、極力控えることにしよう。

 心配ないと周りの皆へアピールしつつ、先の問いかけへ答えることにする。


「――ええ、わざとではないですね」

「でしょ? だったらソレで良いの。私たちがそう言っているんだから、それで問題解決! ね?」


 両腕を腰に当て、胸を反らすセリスさん。加えて、「ね?」の部分で小首を傾げて見せるのがミソだ。

 どこぞの誰かとは違う、思わず飛び込んで甘えたくなるようなその懐具合に比例して大胆に育った肢体が、その仕草で当社比三倍の破壊力を以て俺を襲う。

正直、俺の全意識が本能に従いそうになるが、横手から殺意に満ちた波動が送られてきたので、辛うじて――なんとか辛うじて踏みとどまった。

 目に見えた死亡フラグを、踏みに行きたくはないよね!

 ――最近、この視線にも慣れてきたのが自分でも分かる。以前ならば満足に立っていることすらできなかったこの視線を受けても、今は平然としていられるのだから。恐怖心が麻痺しているんじゃなかろうかと、心配になってくる。

 現にテオはともかくとして、あのディランさんまでもが震え上がっているのだ。


「では、そのお言葉に甘えさせてもらいます」

「そうそう。若い子は年寄りの言うことを素直に聞くべきよ。まあ、言うほど私は年食ってないけどね? ……お父さんならともかくね」

「――否定はしないけどな」


 おどけた口調で答えたディランさんの言動に、俺は思わず微笑みを零した。






「今日は、色々あったなぁ……」


 階段を上りながら、思わず呟きが漏れる。

 ……今日一日で、アルト聖王国に到着し、テオが半正式に仲間に加わって、傭兵となり、ディランさんやセリスさんと再会した。


「本当に、内容の濃い一日だった……」


 ひとりごちながら、俺は割り振られた扉を開けた。

 ここは、王国の一角にある宿屋だ。名前を『白馬亭』という。

 あの後、ディランさん達にお願いして宿屋を紹介してもらい――ここに案内されたのだ。

 彼らもよくここを利用しているらしい。もしかしたら、宿屋の中で会うこともあるかもしれない。

 どちらにせよ、ディランさん達には感謝しなければ。彼らには迷惑ばかりかけている気がする。いつか、礼をしなくてはならないだろう。

 寝酒として階下の食事処で一杯やってきた俺を出迎えたのは、既にベッドの布団に包まれて眠りに就いているテオの姿だった。

 考えてみれば、今は深夜だ。子供が寝るにしては少々遅い時間である。

 遅くまで起きていたためか、彼の眠りは中々に深い。勿論そこには、今までの旅の疲れという要素も含まれているのだろうが。

 ちなみにミラはこの部屋ではなく、隣の一室を使っている。流石に野営の時はともかくとしても、男女が同じ部屋を借りるのはどうかという結論に至ったからだ。

 恐らく、今頃彼女もぐっすりと眠っていることだろう。

 そういう俺も、寝酒の効果が出てきたのか、瞼が重い。


「……寝よう」


 特に睡魔に抗う理由も存在しなかった。身体が、脳が白い布団が身体を包みこむあの柔らかい感触を求めている。俺は本能の導くままにベッドへ潜り込み、部屋の灯りを消した。


「――お休み。明日も、頑張……ろ……う……」


 やはり気づかぬ間に疲れが溜まっていたのだろう。驚く程早く、俺は意識を手放す。

 そうして、俺のアルト聖王国での一日が終わりを告げた。

『主人公、久しぶりに戦闘する。主人公、再会する。主人公、宿屋で眠る』の巻でした

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