第28話 宿を訪ねて三千里……とまではいかないが
いつの間にか、スーパーの棚から銀杏の影が消えていました。
ああ、私の至福の時(炒り銀杏とビールのコンボ)が……。しばらくお預けか……。
――取り敢えず、今日はもう休もう。
……そう言ったのは誰だったか。
少なくとも、その口調からして、ミラではないことだけは確かだ。
「……迷ったね」
人の行き来が少ない通りを歩いていると、テオがボソリと呟いた。
本当にソレは微かな、とても小さな声だったのだが、生憎今は夜でココは人通りが少ない。その声はバッチリ俺の耳にまで届いていた。
その言葉通り、俺達は現在、道に迷っていた。
そもそも俺達はこの国には訪れたばかりなのだから、地理に疎くて当然というもの。それに加えて、昼間の商人の件で俺達は闇雲にそこいらを走りまわったのだから――、
結果、俺達は現在位置を完全に見失ってしまっていたのである。
こういう時、ゲームのように画面端にミニマップが表示されていたら楽だよなぁなんて思ったり。
「傭兵ギルドを直ぐに見つけることが出来た時は、幸先がいいなんて思ったけれども――」
「こんなことになったんじゃあ、ざまあないな……」
ここまでずっと歩き詰めだったため、一気に疲れが出たのだろう。ミラが覇気のない声を上げ、俺はそれに力なく頷いた。
こんなことになるのであれば、出発する前に傭兵ギルドに一旦戻り、受付嬢に宿までの道のりを聞いておけばよかった。
彼女の長い――それはもう、とにかく長い説明をもう一度聞くのが嫌だったため、俺達はそのままギルドを発ったわけだが――この国の広さを甘く見ていた。
……夜になり、視界が狭くなっていたというのもあるのだろう。知らない道を適当に進み続けた結果、迷子の三人組がここに誕生したわけだ。
今更傭兵ギルドへ戻って道を聞こうにも、そこまでの道のりが分からない。適当に進み過ぎた。
「誰だよ。迷わず行けよ、行けば分かるさ――なんて言ったの」
「貴方よ」
俺だったようです。御免なさい。
「……まあ、その話は一旦横に置いておいて」
「それを僕が姉ちゃんに手渡して」
「それを私がショウにプレゼント」
「ああ、どうも――って、返すなよ!? そこは暖かい目で見守ってやってくれ!?」
『…………』
「だからって、そんな生暖かい目で見るのは違うと思うんだ……」
何故かは知らないけれども、この二人は俺を弄る時はコンビネーションが抜群だから対応に困る……。
「取り敢えず、ふざけてないで――」
「そうね。話を進めましょ?」
テオとミラが言葉を交わす。
「……何で俺だけがふざけてた様な話の流れになってるのかなぁ……。まあ、いいけど」
もう、諦めたよ。色々と……。
「しっかし、これからどうするかね……」
「本当なら、道行く人にでも聞ければいいのだけど……」
「――でも、アレだよ?」
ミラの言う事を、考えなかったわけではない。むしろ迷ったことに気づいてから、それこそいの一番に考えたさ。
だが、それは終ぞ実行に移すことはなかった。できなかったのではなく、やらなかったのだ。
それは何故か?
……その答えは、ミラの言葉に対してテオが指で指し示した――その先にある。
「うぃ~。ヒック……」
へべれけになりながら歩く、酔っぱらいの姿だった。
流石の俺達も、千鳥足で歩くような人に道を尋ねるようなことはしない。そこまで血迷ってなどはいない。
――そう思っていたのだが。
「それでも――何もしないよりはマシよ。聞いてみましょう?」
マジですか。
いくらなんでも、目の前の酔っぱらいに道を聞くような猛者はいないだろうと思っていたのだが、どうやら身内にいたらしい。
しかし、それはどう考えても英断とは程遠いものだ。どれ程楽観的に見ても、今にも吐き出しそうなあの男に正しい道のりを説明する能力はないと思う。
というかなんというか……人体の限界に挑戦するのかと思うくらいに膨れてきているんだが。何がとは言わない。
そんな酔っぱらいの男に道を聞こうとする我らが魔王。そんな彼女を止めようと、俺は彼女の前に慌てて立ち塞がった。
すったもんだあった末、取り敢えず誰かに宿への道を聞こうという話に落ち着いた。
さっきギルドを出た時に見かけた衛兵にでも遭遇出来ればいいのだが、そう都合よく出会えることもない。流石にさっきのような男ならば遠慮したいが、これからは出会う人、皆から道を聞いていこうということになったのだ。
周囲へと視線を向ける。この辺りは、さっきからずっと暗闇が続いている。人が中で活動しているようには見えない、光のない家屋の群れ群れ。
……灯りの『あ』の字も見えなかった。道を進む俺達を照らすものは、唯一、空に輝く月や星の光が降り注いでいるだけ。それ以外には何もない。それはつまり、どこの家も寝静まっているということだ。
まあ向こうの世界と比べれば遥かに娯楽に乏しいこの世界だ。就寝が早いのは当然のことだとは思う。
――もしも灯りがついている家があったならば、そこを訪れて道を尋ねようかと考えていたのだが……。
流石に寝静まっているところを訪問するわけにもいかないか。さて、どうしたものだろう。
これが仮に酒場などであれば、まだまだ店は開いているのだろうが。
見渡す限り、この周辺にもこの道の先にも、それらしき店の影はない。
……今にして思えば、ギルドに戻って受付嬢の長い話を聞くのが嫌だったのであれば、ギルドの二階の食事処でも、ギルドを出た際にはまだちらほらと見えていた酒場にでも寄って、道を聞いておけばよかったのではなかろうか。
というか、どうしてそのことに気付かなかった?
「それは、アレだよ。疲れていたんだよ、色々と……」
テオからの疲れきった返事が、全てを物語っていた。
「そうだな。疲れてたんだよな……」
「うん……」
二人して、肩を並べて歩く。今の俺達の背中には、なんとも言えぬ哀愁とも呼べるモノが帯びていることだろう。
……二人? もう一人はどうした?
立ち止まり、後ろへ振り返る。果たして、件の人物はすぐに見つかった。
いつからそうしていたのかは分からないが、その場で立ち止まり、何かに集中している様子が見受けられる。
その視線は通路の奥――表通りではない、裏路地へと続いている闇を捉えていた。
「どうし――」
「悲鳴よ」
たんだと言い切る前に、ミラが簡潔に答えを返してきた。
……悲鳴、だって?
「ええ。正確に言えば、男の悲鳴と怒鳴り声。どうやら、誰かが追いかけ回されているみたいね」
「そうか……」
ミラ程の人並み外れた聴力を持ち得ない俺には、そんな声など聞こえない。だが、彼女がそんなことで嘘をつく必要もない。ということは、実際に誰かが助けを求めているのだろう。
さて、どうしたものだろうか。
俺としては、その悲鳴の主を助けに行きたいと思う。だが、ミラやテオがそれに賛同してくれるとは思えない。
彼らは、自分たちに対して実入りがあると判断できなければ、わざわざ他人を助けようとはしないからだ。
前回アルティミシアさんを助けた時も、後になって実入りがないのに助けに向かうことの愚かしさを長時間に渡って二人に説かれたものだ。
実際、この世界は元の世界と比べて危険に満ちている。それは魔獣だけの話ではなく、外敵と戦う機会が多いからか、兵のみならず一般人達の戦闘能力も総じて高めなのだ。主に武力を必要とする傭兵職が、広く世界に浸透していることからも分かる。
そんな世界において、誰かを善意のみで助けようと、自ら危険の中に飛び込んでいくような愚か者は長生き出来ない。
現に、先のアルティミシアさん救出戦では、俺やテオが死にかけた。いや、アレはミラという最上級の癒しの使い手がいたからこそ助かったようなもので、普通なら俺はこの場に立っていることはなかっただろう。
俺のような考えは、この世界においては異端以外のなにものでもないのだ。
……とはいえ。
それでも俺は、この悲鳴の主を助けに行きたいと思うのだ。
そうでもしないと、俺が俺でなくなってしまうような、そんな気がするのだ。
助けたい。助けよう。助けなければならない。そんな強迫観念が、俺を突き動かす。
――申し訳ないとは思っているのだが……。
俺は渋面をとられることは承知の上で、二人に頼みごとをしようと口を開いた。
「頼みがあるんだ。俺と一緒に――」
「なにしてるの? 早く行くわよ」
「助けに――え?」
今、ミラは何と言った?
開いた口が塞がらないとはこのことだ。まさか、彼女が自ら人助けを買って出るだなんて……。
現に、傍らのテオも俺と似た表情を見せている。それ程、彼女の発言は意外だったのだろう。
一方、固まった俺達を彼女はしばし不思議そうな眼で見つめていたが、しばらくして、その原因に思い至ったのだろう。ふふん、と笑みを浮かべ、
「助けを求めることができるっていうことは、ある程度は意識がしっかりしているということでしょう? だったら、その人を助けるついでに宿までの道のりを聞いてしまえば――」
「あ、成程」
テオが合点がいったとばかりに、両手を打ち合わせていた。
まあ、ミラが善意だけで人助けなんてするタマじゃないのは分かっていたけどな……。
とはいえ、これは俺にとっても都合がいい。こちらの思惑と他の人間の思惑が一致した以上、俺が遠慮をする必要などないのだから。
「よし、ならすぐに助けに向かおう。ミラ、道案内を頼む」
「そうね。……こっちよ」
そうと決まったのならば少しの時間でも今は惜しい。すぐに悲鳴の主の下へ向かうべきだ。
この中で唯一、悲鳴をその耳に捉えているミラを先頭に、俺達は暗い闇の中へと駆け出していく。
「……どっちにしろ、助けに行かずにはいられない性格だものね……」
前方から微かに届く、彼女の呆れたような呟きを耳で拾いながら。
『主人公 道に迷う』の巻きでした。