第23話 商人には気をつけましょう
久しぶりに感想が届きました……!
いつもより早く次話が投稿できたのは、そのことと無関係ではないはず。(作者のモチベーション的な意味で)
あと、小説の進捗状況をマイページに記載することにしました。現状の文字数を書いていますので、どれくらい出来上がっているのかが分かるかと……
あの後すぐに、アルティミシアさん達とは別れた。まあ、彼女達とは元々アルト聖王国で別れる予定だったのだから、特に驚きもしない。
テオの何やら考えていた表情と、「ここまで来れば、すぐに本部の者と合流できると思います。本当にありがとうございました」と頭を下げていたアルティミシアさんの二人の姿が、まだ記憶に新しかったりする。
――結局、あのことは聞けず仕舞いだったな。
あのこととは勿論、入国の際に俺がふと疑問に思ったことだ。欠片が足りないからとそこで考えを打ち切りはしたものの、やはり気になるものは気になるのだ。なんというか、モヤモヤしたものが胸の辺りに残っている感じ。
魚の小骨が喉に引っ掛かっているかのような違和感。
ならば本人に話を聞いてみようかと思った矢先に、彼女達が別れを切り出してきたのだ。なんともタイミングの悪いことで。
……結局、話題を切り出す切っ掛けを掴めないままに彼女達と別れ、今に至る。
なんとなくではあるが、コチラが何か追及しようとしているのを敏感に察知し、その話題に触れられる前に逃げたかのような錯覚すら覚える。
……いや、案外錯覚などではないのかもしれない。さっきの会話で実感したのだが、アルティミシアさんはなかなか頭が切れる。自分にとって不利な状況が出来上がる前にその場を立ち去ることくらい、用意に考え付くだろう。
――まあ、いいか。
この話は次の機会にでも聞けばいいだろう。なんとなくではあるが、彼女達とはまたいずれ何処かで会うような気がするのだ。……あくまでも勘でしかないのだが。
思考の井戸から戻り、俺は前へと足を進める。
流石は大国の城下町。何かしらの品物を商う店々が建ち並ぶこの区画を歩く俺達を包むのは、人々の喧騒だ。店員と客が、店員同士が、通りがかる人達がそれぞれ交わす言の葉が積もりに積もり、最早一つの音としてそこらに響き渡っている。
「そこの兄ちゃん、ちょっとウチの商品を見ていってくれ!」
そんな騒がしい中でも俺の耳にもはっきりと伝わるような声量を出せる点は、流石は商人といったところだろう。
道行く俺へと声を掛けたのは、道の端に元は布だったらしき物――ボロ布を敷きつめ、その上に自らと商品を並べている一人の男だった。
当然ながら、商いに携わる人間の全てが店を構えているわけではない。誰かが経営している店に雇われている者もいれば、彼のように青空の下で道端に商品を並べている者もいる。どこの世界でも変わらない光景だと思う。
「結構だ――」
「何か、良い商品でもあるの?」
『私は怪しい人物です』と公言しているかのような男性の姿に、しかしミラは逆に興味をそそられてしまったらしい。俺の言葉を遮って男の近くに歩み寄り、並べられている商品へと目を向けている。
やめときゃいいのに。
どこをどう見ても、並べられている商品の中にさして目を引くような物は見当たらない。凡百な武具に凡百な雑貨。扱っている商品の幅は広いものの、それらは全て店売りの品物と大差はない。
これならまだ、そこらの店で売られている物を買った方がまだマシというものだ。
目の前の彼女もそう考えたのだろう。しばらく商品を眺めてはいたものの、やがて興味を無くしたらしく、早々にその場を立ち去った。
いや、立ち去ろうとした。
「おっと、待った」
立ち去ろうとしたミラの手を即座に掴んだのは、怪しい商人の手。本当に商人かと思うほどの速さで伸ばされたその腕はミラの手をガッシリと掴んでおり、決して放さないぞという意思が見受けられる。
――だが、残念。それは悪手だ。
「――アレ? おい、ちょっと待ってって……。アダダダダッッ!! 痛いイタイいたいぃぃ!!! 止まって止まって!! アッーーー!」
掴んだ人物が、ただの女性だったならば問題は無かった。だが、件の女性はミラ――今を生きる魔王その人である。
ミラは、男に掴まれたことをもろともせずにその場を歩き去った。彼女にとって、一般人が引き留めようとする膂力など問題ではないからだ。
……強化。俺がゲザさんから教えてもらったこの魔法――の概念――を、より彼と長く共にいたはずのミラが教わっていないわけがない。当然ながら、彼女は当たり前のようにコレを行使することが可能だ。
結果、掴んだ手を放さなかった商人の男は、意図せず街路を引きずられることとなる。なんという市中引き摺り回しの刑。
流石にミラはすぐに足を止めたのだが、それでもさぞ痛かったことだろう。
しかし、そんな状況に陥っても決して掴んだ手を放そうとしなかった点は、実に商人らしいと言える。
「……あー、大丈夫?」
背を摩る男の姿を見て多少の罪悪感を覚えたのか、ミラが「不本意です」とでも言いたげな表情を浮かべながらも、男を気遣う。いや、その表情は隠そうよ。
対する男はというと、その表情は苦痛に塗れている。だが、それ以上に客がその場を立ち去ろうとすることを防げたからなのか、その瞳の光は先ほどよりも尚、爛々と輝いていた。おそらく、彼の中ではミラが獲物にでも見えていることだろう。
アンタ、商人の鏡だよ。
「おぉ、痛ぇ……。やるな、姉ちゃん。――俺の目に狂いは無かった。アンタにこそ、コレは相応しい」
そう言って、何やら地に敷いたボロ布の下へと戻る商人。さっきまでは男の影にあって分からなかったが、そこには大きな背負い袋が置かれていた。デコボコとした形状から、中に何やら色々と詰まっているのだろうと判別できる。
……というか、あの男が最初に声を掛けたのは俺だったよな? いつの間にか、あの商人がミラの実力を察して声を掛けたことになっているんだが……。
既に俺は彼の視界に映っていないらしい。別にいいけど。
「――というか、商人が売る相手を選ぶなよ……」
背負い袋をガサゴソと漁る男の背中へ向けて、ボソリと呟いた。
この隙にさっさと逃げてしまおうかとも思ったのだが、ミラは男の言葉が気になるのか、目をこれまた輝かせながら商人の姿を眺めていた。ああ、こりゃあ梃子でも動かないな。
――しかし、ミラにこそ相応しいモノ、ねぇ……?
彼女の姿を視界に納めながら、思考を働かせる。
……ミラは強い。
その魔王ならではの魔力量の多さや魔口の大きさもそうなのだが、それ以上に彼女は勘や閃きといったモノに優れていることが、ミラが絶対的な強者として在り続けられる理由だ。
即ち、センスが良い。自身の優れた魔法の才に驕ることなく、それを上手に戦いに組み込むことが出来ている。
例えば、彼女には鋭い武器は必要無い。その莫大な量の魔力とそれに見合うだけの大きさを持つ魔口を利用しての強化を行使してさえいれば、本気の彼女の拳は大岩すら簡単に穿つ破壊力を発揮する。
例えば、彼女には硬い防具は必要無い。彼女が戦闘時は常に周囲に張っている薄い魔法の膜。ミラが本気になれば、ソレは一種の城壁と化す。その防御力の前には、並大抵の攻撃など造作もなく防がれてしまう。
そんな彼女に相応しいものといえば……、武器などの類ではなく、おそらくその美しさを際立たせるような服や装飾品の類だと思われる。あるいは、
――PAD?
……何故か、ミラに無言で殴られた。頼むから考えは読まないでもらいたい。
「おお、あったぞ!」
そんなことをしている間に、男は目的の品を探し当てたようだ。天に大きく見せつけるかのようにその品を高く掲げた後、小走りで此方へと駆け寄ってくる。
その品は全体を布にくるまれていた。縦に置いたとして、俺と変わらない程度の長さはありそうだ。まず間違いなく武器だろう。それも長物。
そこに込められた魔素の構成を読み取ってみる。……テオのナイフのような、特に変わった点はない。
それはつまり、男が手にしているのは聖剣――剣ではなさそうだから、聖具とでも呼ぶべきか?――ではないことを示している。
聖具でないとすれば、男は一体何をそんな自信満々に勧めようとしているのだろうか……?
考えに耽る俺を他所に、ミラの目の前へと駆け寄った商人は「驚くなよ?」と一声告げた後に、割れ物を扱うようにゆっくりと丁寧にその布を剥がしていく。
果たして、その中身は――、
「これが、俺のとっておき。『むてきのほこ』だ」
「さあ、先を急ごう」
「そうね」
誰が見ても分かる。こいつは、ただの矛だ。無敵の、なんて名前がつけられるような大層な物ではない。
そも、『無敵の』なんて名称を付けている時点で怪しい品であった。
自信満々の表情で詐欺商品をこちらに勧めてくる男の戯言を無視し、俺達は止まっていた足を動かし始めた。流石にミラもこれ以上男に付き合うことの愚を感じ取ったらしい。早々に足を進めていく。ああ、時間を無駄に消費してしまったな。
だが、そんな俺達の反応が気に食わなかったようだ。男は執拗に食い下がってくる。今度は先の件で学習したらしく、掴みかかってくるのは俺の腕だ。
強化を行使して振りほどいてもいいのだが、その手に握る『むてきのほこ』とやらがその際に誤って誰かに傷を負わせてしまったらと思うと、強気な反応に出るわけにもいかない。対象が俺だったならばまだいいが、ソレが道行く人だったりすると、ね……。
……案外、そこまで考えているのかもしれない。だとしたら抜け目の無い男だ。
「どうして気に食わないんだ? 『むけつのほこ』だぞ?」
「お前、さっきと武器の名前が変わってるじゃないか!」
なんといい加減な。いや、最初からそのことは分かっていたけどさ……。
「とある遺跡から採掘されたこれはな、由緒正しい武器なんだよ! 夢とロマンと歴史が詰まっているんだよ!!」
「由緒あり過ぎだ! 絶対に中が朽ちてるだろ、その武器!!」
「舐めるなよ!? そこらのナイフよりは断然強度があるぞ!」
「基準が低すぎるわ!」
「いや、そもそもこの『むはいのほこ』はだなぁ――」
「お前、武器の名前を覚える気無いだろ!?」
俺と男の言葉の応酬は続く。
そんな俺達の姿を歯牙にもかけずに通り過ぎていく通行人の中、俺達の攻防はお互いの息が切れるまで続いた。しつこい奴……。
「どうしても『むそうのほこ』は買う気になれないんだな……?」
「どこからどう見ても普通の矛にしか見えないソレを、どうしてわざわざ買おうと思うだろうか? いや、思わない」
反語表現が飛び出ている時点で、俺の心境を察せ。ついでに言えば、名前については最早突っ込む気にもなれない。
「――分かったよ。どうやら『むてきのほこ』は気に食わないようだ。……なら、こっちはどうだ?」
――あ、戻った。
……じゃなくて。
名称の迷路を一巡したのか、最初の名称に戻った矛を手に持ったまま渋々引き下がった男は、次の品物を取り出してきた。
その間、俺の手は握られっぱなしだ。というか、さっきからずっと握られている。
俺には男に手を握られて喜ぶ性癖はこれっぽっちも存在しないため、いい加減離してもらいたいところだ。
――まあ、放された瞬間に全力で逃げるけどな。
それが分かっているから、向こうもその手を放そうとしないのだろう。ヤレヤレ。
「これが、俺のとっておき。『ひかりのたて』だ!」
「だから、なんで大袈裟な名前を付けようとするんだ!」
魔力も込められていなければ、材質もそこらのモノと変わらなそうなんだから、普通に『盾』でいいじゃないかと一言言いたい。
というか、そんな「私は中古品です」と自己申告している盾を、俺は光の盾――もとい、ひかりのたてだとは決して認めない。
『くすんだたて』あるいは『ちゅうこのたて』で十分だ。
「我儘な客だな! いいから買え!」
「どっちが我儘だ! 何がなんでも買わん!」
「ぬぅぅぅぅぅ……!」
「むぅぅぅぅぅ……!」
互いに顔を突き合わせた状態で睨み合う俺達。しかし、商人の左手がしっかりと俺の手を握っているものだから、傍から見ればさぞ可笑しな光景に映っていることだろう。
「もう面倒だから、買っちゃえば?」
「いいや、買わない。ミラは黙っていてくれ」
様子を見かねたのかミラがそう小声で語りかけてくるが、断固拒否。基本的に立場が下の俺にだって、反論することはあるんです。極々稀にではあるが。
ここまで来たら、意地だ。意地でも買ってやらん。金がどうとかではなく、俺のプライドが許さん。
なんであんなこと言ったんだろう……。思わず自己嫌悪に陥ってしまう俺。
アレからどれくらいの時間が流れたのか、さっぱり分からない。一分なのか、十分なのか、一時間なのか。それよりも長いのか短いのか。
ただ一つ分かることは、俺の精神力がレッドラインに突入したということだ。
「いいか? この『むそうのほこ』はなぁ。放てばどんな盾すらも貫通するという幻の武器なんだぞ? それに加えて――」
商人の口は尚も止まることを知らない。コチラはいい加減、疲れてきたというのに……。
「――で、こっちの『ひかりのたて』はなぁ。かざせばどんな攻撃すら受け止めてしまう、伝説級の防具なんだ。そこいらの盾なんて比べ物にならない。それを、この値段でアンタ達に売ろうって言っているんだぞ? それを――」
もう買います。買いますから、勘弁してください。
そう口に出しそうになるのを、うっと堪える。いかんいかん。ついつい口走ってしまうところだった。
突っ込みどころが満載の商人の説明語りであるが、今の俺にはそこを突っ込む気力が無い。
いやだって、一度突っ込むと相手の話が更に長くなるんだもん。
とはいえ、このままずっと相手の話を聞いているのは、俺の精神が保たん。
語りに熱が入っているのか、うっすらと汗ばんでいる商人の掌は未だに俺の腕を握りしめて離れない。離れてくれない。
助けを求めようにも、傍らの魔王様は、さっき俺が彼女の提案を突っぱねたからか、ご機嫌斜めだ。「それ見たことか」と冷たい視線で訴えかけてくる。
うう、ごめんなさい。なんとか助けてもらえないでしょうか?
イ・ヤ・よ。
俺のアイコンタクトに対し、無言だが唇を動かすことで返事と為すミラ。そこはイイよじゃないの!?
「――ハァ……」
……援軍の望みは絶たれた。なんとも役に立たない魔王であるごめんなさい今の発言は撤回しますから笑顔のまま殺気をガンガン飛ばすのは止めてもらえませんか麗しの魔王様ぁ!?
……後が怖いが、取り敢えず許してもらえたみたいだ。
見れば、商人の顔も真っ青に染まっている。このままミラの殺気を飛ばし続けたら、男の手も離れるのではとも考えたが……やめた。俺の精神も保たない。俺の心は硝子なのだ。血潮は鉄ではないけれど。
――となると……。
俺に取れる方法は二つに一つ。即ち、
素直に購入してしまうか。
何とか隙を見つけて商人の手を振りほどき、この場を去るか。
のどちらかだ。
後者は――前述の理由によって不可能と判断。となれば……。
――買う、しかないのか……?
はなはだ納得のいかない結末ではあるが、これ以上コイツに付き合うよりはと思いなおし、腰の袋に手を伸ばす。対する商人はというと、その様を見て目をキラリと輝かせた。
「アレ……?」
――が、伸ばせども伸ばせども、俺の手は空を切るばかり。何事かと思って目線を向けてみれば、腰に結わえ付けていたはずの袋が忽然とその姿を消していた。
そういえば、入国の際に番兵に袋ごと渡したんだっけ?
――っていうか、今の俺達は無一文じゃないのか!?
今更ながら、大変なことに気づいた。所持金を全て入国の際に使いきってしまったのだから、俺達は預かり所まで金を下ろしにいかなくては、買い物も何もできないじゃないか。
俺もミラも今までそのことに全く気付かなかったというのだから、抜けているとしか言いようがない。
……が、今回に至ってはコレは好機だ。持ち金が無いと言えば、流石にこの商人も諦めるだろう。人生、何が幸いするか分からないものだなと思う。
「あー、申し訳ない。どうやら金を持ってき忘れたみたいで……。残念だが、この話は無かったことに――」
「そうか。なら、仕方がないな」
「ホッ……」
相手に聞こえないように、溜息をうつ。これでようやく解放されそうだ。
「金の代わりに、その剣で我慢してやるよ」
事態が余計に悪化したぁ!?
「い、いや。それはちょっと――」
「なんだと!? どうやら、この『むてきのほこ』と『ひかりのたて』の良さが分かっていないようだな? いいか? そもそもこの『むはいのほこ』はだなぁ――」
再び、商人が語り始めた。
勘弁してください。
心中で涙を流す。早くこの状況から解放されたいと心からそう思った。
だが、そんな俺に手を差し伸べようとする者はいない。世界の中心で助けを呼んだところで、誰も助けてはくれない。何とも世知辛い世の中である。
唯一の頼みの綱である傍らの魔王様はというと、「こんな時、どんな表情をすればいいか分からないの」と唇の動きのみで俺に伝えてくる。完全に傍観者モードだ。嘲笑えばいいと思うよ。
……いよいよ以て、本格的に気が滅入り始めてきた俺。
商人の口は止まることを知らず、『むてきのほこ』の発見経緯から、そこまでの自身の道のりの話を経由し、現在は自分の妻の自慢話に入ってしまっている。もう、話が脱線とかいうレベルじゃない。
「ねえ」
が、しかし。捨てる神あれば拾う神あり。……ああ、この世界に神はいないんだっけ。
――ともかく。
絶望という名の檻に閉じ込められかけていた俺に伸ばされる、一本の救いの手。おお、貴方が神か。
救世主――もとい、救俺主が口を開く。
「その『ほこ』と『たて』をお互いにぶつけあったら、どうなるの?」
如何なる盾をも貫く『矛』と、どんな攻撃だろうと受け止めてしまえる『盾』。この二つをぶつけ合ったら、どうなるのかとその少年は男に問うた。
そういえば、故事成語にそんなものがあったなぁ。文字通り、矛盾という言葉が。
もしかしたら俺は、この世界における故事成語の誕生の瞬間を、現在進行形で目撃しているのかもしれない。
「…………」
「どうなるの?」
「あ、いや、その――」
「ねえ、どうなの?」
「う、いや、あのな? ええと……」
少年の執拗なまでの詰問攻撃を前に、商人は俺達という客を前に下手なことは言えないとでも思ったのか、顎に左手を当てて考え込み始めた。それが癖なのか、時折顎髭をなぞる様な仕草を見せる。
だが重要なのはそこではない。大切なのは、商人は顎に左手を当てているということだ。即ち――今、俺の手は解放されている!!
そこからの動きは早かった。
一瞬の間にミラとのアイコンタクトを済ませ、俺は次のアクションへと移った。
即座に右手を伸ばし、少年を片手で抱きかかえる。幸いというべきかは微妙なところだが、コイツを片手で抱きかかえることには慣れていた。それは少年も同じなのか、何も言わずに身体をこちらに預けてくる。
「んんん……。って、あっ――!」
背中を向けて走り出した俺の姿を見て、ようやく自分が少年にしてやられたことに気づいたのだろう。こちらを指差し、声を上げてくるが……、人ごみの中に紛れ込みかけている今となっては既に遅い。
その様子を見ても、別に何かを盗んだわけでもないわけでもないので、罪悪感も何も湧かないしな。
――まっ、他の奴にでも売りつけてくれよ。
ミラが追随してくる気配を感じた俺は、更に脚部に力を込め、この場から走り去った。
「流石にここまで来れば大丈夫だろ……」
そう言って、腕に抱えたままだった少年を降ろし、自身も日陰の中に腰掛ける。
残念ながら今の俺達は一文無しであることが判明したため、どこぞの飲食店で休憩するなんてことは出来ない。仕方なしに、視界に入った大きな建物の影にて休むこととなった。
「ふぅ……」
走り続けて早くなった呼吸を、ゆっくりと落ちつけていく。傍らのミラはというと……、肩で息をしているな。もう少しかかりそうな雰囲気。
まあ、人混みの中を走りぬけるなんて、ようやく人混みの中をなんとか歩けるようになったばかりの今のミラには、大変だっただろうとは容易に想像がつく。今は休ませてあげよう。
さて。
俺は視線を傍らから正面へと向きなおす。先程俺を助けてくれた少年とは、身体ごと相対している状況だ。
今から口にする言葉は、感謝の言葉ではない。いや、確かに感謝はしているのだが、それ以上に俺は彼にむけて問わなければならない。
「――で?」
頭をガシガシと掻きながら、そう問うた。
彼とは、さっき別れたはずだ。
「どうしてココにいるんだ?」
この大きな国で、この人混みの中で、俺達の姿を偶然認めるなんて可能性は、無くはないだろうが限りなく少ない。
ならば。
おそらく、この少年は俺達の後をずっとついてきていたのだろう。
「――テオ?」
彼の名を告げる。
そこには、さっき別れたはずのテオが立っていた。
『主人公 商人に 迫られる』の巻きでした。