第21話 俺達だっていつも戦っているわけじゃない
基盤が壊れたPCをヤ〇ダ電気に修理に出して約2か月……。ようやく帰ってきたぞ~!!
喜びのあまり、いつもより長い文章になってしまったのはご愛敬。
……というか、私のPCって壊れすぎじゃあ? 絶対に特殊能力に ケガ× あるいは ケガ2 がついているに違いない。
アルト聖王国への到着をいよいよ明日へと控え、俺達は休息の準備へと取りかかる。
身体を休めるのも、旅をする上では重要な要素だ。仕事と言っても過言ではない。
馬車を街道脇に寄せた俺は、御者台から大地の上へと降り立つ。
「スゥ……」
久々に踏みしめる草花の感触を靴越しに感じながら、俺は大きく背伸びを行った。
……長時間に渡って同じ姿勢を続けたからだろうか、背伸びに伴って響く背骨からのバキボキという音をBGMに、俺は凝り固まった全身の筋肉をゆっくりとほぐしていく。
「――――」
そのままの体勢をしばし保つ。
深呼吸も伴った背伸びは、俺の身体をほぐすだけではなく、先程までは疲労による倦怠感に包まれていた脳内の思考までもをクリアにしてくれる。
「――ハァァァァァ…………」
後は、ゆっくりと空気を外に吐き出すだけ。
たったこれだけのことだが、これをやる前と後では調子に随分と差が生じるもの。身体は幾分か軽くなったと、十分に酸素を取り込んで活性化し始めた脳が俺に伝えてくる。
同時に、もっとこのままでいたいという欲求も生まれてくるが、そこは我慢。
俺には次の仕事が――休息の準備という名の仕事が待っている。
後ろ髪を引かれる思いを振り切りながら、静から動、休から動へと気持ちを切り替えた。
――手綱番だけなら、楽なんだけどなぁ……。
残念ながら、そう上手くはいかないのが世の常というもの。
俺が元居た世界ならばいざ知らず、こんな魔獣や野党の類が道中に蔓延る時代では無防備に野営するわけにもいかない。常に万全の状態でその日を過ごすことが、旅をする上では必要不可欠な世界なのだ。
簡単に言ってしまうと、いつも俺達がやっている不寝――火の――番や、野営地点周囲の警戒がそれに当たるが……、それ以外にも料理を作ったり、馬車馬の世話も行わなければならない。
俺達は馬車があるからそこで寝ればいいが、徒歩で旅をする場合は寝床を用意する必要もあるだろう。
――と、まあ咄嗟に思いつくだけでもこれだけの仕事があるのだ。モタモタしている暇がないことは理解してもらえたと思う。
それに加えて、この馬車には乗っている人員が少ない。……そして――もっとも、それはこの旅の目的を考えると仕方のないことなのかもしれないが――、安易に乗員を増やすこともできない。
適当な人族を見繕って金で雇う? 現実的ではあるが……、それで万が一、この旅の目的やミラの正体がその人間にバレてしまったら――あまりにも拙い。
襲い掛かってくるのならばいい。返り討ちにすればいいだけだ。ミラの実力ならば造作もないことだろう。――え、俺? ……可能な限り、善処します……。
仮にバレてしまっても、他の人間に伝える前に口封じが出来るのであればそれでも構わない。死人に口無し。真相は闇の中というもの。
ちなみに、昔の俺だったならば確実にこの考えを拒否していただろうが、今の俺にはそんな躊躇いは微塵も存在していない。なんというか、慣れてしまったんだろうな。
それをこの世界に馴染んできたと喜ぶべきなのか、染まってしまったと嘆くべきなのかは……正直、分からない。
ただ、それが人助けだったとはいえ、相手が盗賊だったとはいえ、人を殺めてしまった俺の手は、既に返り血に塗れている。そんな俺に、人殺しを厭う心も資格も存在しない。引き返すこともできない。
最早、俺には前に進むことしかできないのだ。罪悪感を死ぬまで背負いながら、歩き続けなければならないのだ。
閑話休題。
要は、俺やミラ達で対処が出来るのであれば、問題は無いの。
だが、もしも。
もしも、俺達の正体を知っても襲いかかってくるようなこともなく、口封じにも合わずに済む人間がいたら。
そしてその人間が、俺達の正体のことを伝えまわったならば。
人族にとって、魔族は仇敵であり天敵でもある。そんな噂話が流れたのならば、人々は必ずや俺達のことを探し出し、調べ上げようとするだろう。そうなれば、ただでさえ目立つ容姿の俺達――特に俺は、この世界では珍しい黒髪黒瞳だ――に、それから逃れる術はない。
仮にその捜索の手から逃れることが出来たとしても、一度魔族と疑われてしまえば、以降の俺達の旅には常に何らかの制限が付きまとうことになってしまうのは目に見えている。
そんな不安要素を抱えてまで、人族を馬車に乗せようと思うか? 答えは、ノー。
――だから、本当はテオやアルティミシアさんもこの馬車に乗せてはいけないんだ。俺達の正体がバレる可能性があるから。
それを曲げたのは、単に俺の我儘。救える者は可能な限り救いたいと考える、青臭い俺の考えによるものだ。
そんなくだらないと自分でも思う俺の考えを、しかしミラは苦笑しながらも最終的には許してくれた。
確かに旅の目的のことを考えれば、俺の考えも彼女が下した許可も共に不適切なものだ。甘い、という言葉だけでは済まされない、計画の大本を狂わせてしまう恐れもある危険な行為でしかない。
だが、その時の俺は――俺の心はそのおかげで幾許か救われた。この手で初めて人を殺めてしまった俺に、人助けをしているのだという事実を与えてくれたからだ。
勿論、それは罪悪感から目を逸らしているだけだということは分かっている。
人を救ったからとはいえ、それで人を殺めたことが帳消しになるわけではない。人を殺めた事実は変わらない。
だが、それでも……罪悪感に雁字搦めに縛られることは無くなった。それも一つの事実だ。それが無ければ今頃、俺の心は当の昔に罪悪感に押し潰されて、狂ってしまっていたのかもしれないのだから。
もしかしたら――彼女はそれすらも見抜いていたのかもしれない。初めて人を殺した際に、俺が罪悪感に押し潰されてしまいそうになっていたことを。
……また、話が逸れてしまったな。馬車に乗せる人員の話だったな。
今までの説明で人族を馬車に乗せることの危険性は分かってもらえたと思う。
では。
ならば逆に、魔族――それこそ魔王村の誰かを乗せれば良かったのかと言われると、これまたノー。
人族が魔族に対していい感情を抱いていないように、魔族もまた人族に対していい感情は持っていない。というより、お互いに嫌い合っているという方が正しいか。
もっとも、彼ら魔族には人口の低下による絶対的な戦力の不足という要素が付き纏うから、彼ら自身からは人族に攻撃しようとはしないが。
そんな彼らに、人族と手を結ぶというこの旅の目的を伝えた上で馬車に乗ってもらう?無理無理、到底働くとは思えない。
彼らは魔王であるミラに負い目を感じているわけだから、暗殺などという直接的な手段こそは使ってこないだろうが……、意欲的には働かないだろうな。下手をすれば、旅の続行が不可能になるように、妨害をしてくる可能性すらある。
旅の目的を伝えなくても一緒だ。もしもバレてしまっては、さっき述べた行動を取ってくる恐れがある。
だからこそ、俺達は魔王村の皆にもこの旅の真実を告げていなかったりするわけだ。妨害などされては堪らないからな。
それらのどちらにも当てはまらない、馬車に乗っても大丈夫な唯一の例外として、この旅の目的について理解のあるゲザさんの存在があるが……、あの人は無理だ。
魔王であり統治者であるミラがこの旅に出てしまった以上、彼にまで旅に出られては魔王村の存続が危うい。いや、経済がとかそういう問題ではなく文字通り存続の危機に立たされる。
……魔王城は大陸の端に位置するからか、強い魔獣は魔王城の周囲に集まる習性でもあるのか、はたまた偶然なのか、とにかく周囲に生息する魔獣の強さが半端ではないのだ。ゲームを例えにすると、推奨レベルが最低でも五十オーバーとかそんな感じのイメージ。
――大抵のラスボス倒してED見れちゃいますから!?
とまあ、こういう理由で、魔族屈指の実力者であるミラとゲザの二人が城を抜けてしまうと、村が壊滅してしまう恐れもあるのだ。
人族と同盟を結んで帰ってきたら、自分達を除く魔族が殺されていました――なんて、洒落にもならない。
余談だが、俺と共にミラが旅に出たのも、その周辺に住む魔獣の強さが原因だったらしい。まあ、当然だよね。
ドラクエで、初エンカウントでスライムと遭遇するのならまだしも――もっとも、それでも勝てていたかどうかは不安だが――、いきなりキラーマシーンが出てくるようなものだ。
何その無理ゲー。なにも出来ない内に殺される自信がある。ウン。
――とまあ、そういうわけで、村の守りを固めるためにも彼には是非とも城に残っていてもらわなければならない。
それはつまるところ……、
「今の人員で仕事をやり繰りしなければいけないわけだ」
自分に言い聞かせるように、俺は呟く。小さく零れ落ちた言の葉は風に乗り、やがては消えていった。
そして、少ない人材で仕事を全て終わらせるというのならば、それだけ限られた時間を無駄なく効率よく使わなければならない。
その時の行動が遅ければ遅いだけ、後々の行動にまで影響をもたらしてしまう。――まだ睡眠時間を削る程度で済めばいいが、最悪、翌日の旅にも支障が出てしまう恐れがある。それだけは何としても避けたいところ。
最後にあと一回と、肺が一杯になるまで息を吸い込む。草花の嗅ぎ慣れた匂いが鼻一杯に広がっていき、文字通り大自然の香りに俺は包まれた。
さあ、休憩時間は終わりだ。そろそろ、仕事に移ろう。
「ええと、確か今日の俺の当番は――」
「私が周囲の警戒と馬の世話で、貴方が料理係と火の番になっていたはずよ」
今日の俺はなんの当番だったかなと考えながら呟いた言葉へ対し、凛とした声が律儀に答えを返す。
その声に振り返れば、得物――籠手を腕に嵌めたミラがそこに立っていた。
……彼女の先の言が正しければ、これからミラはこの近辺の警戒を行わなければならない。
この辺りは人里に近く人通りも多いせいか、生息している魔獣の数も少ない。それでも万が一の可能性を考えて、武装していることは何らおかしいことではないだろう。掌を何度も握り締め、籠手の装着具合を確かめている彼女の背後には、丁度荷車から降りようとしているアルティミシアさんとテオの姿が窺える。
「ん、了解。じゃあ、その間にちゃちゃっと夕飯を作ってしまおう」
「よろしく。おいしい夕飯を期待しておくわ」
よく言うよ。自分の方が料理の腕は上なくせに。……料理も出来る魔王ってどうよ?
「さて、今日の晩飯は何にしようかねぇ?」
短い受け答えを終えて。見回りに出ていったミラの後ろ姿を見送りながら、俺は夕飯の準備へと取りかかっていた。
まな板や包丁等の料理道具を魔法で生み出した水で軽く洗い、洗い終えたならば、次にこれまた魔法で生み出した風を使って個々に付着している水滴を飛ばしていく。
「二人は、何か食べたい物とかある?」
料理の準備を片手間に話しかける対象は、荷車の傍でこちらの様子を眺めていた、テオとアルティミシアさんの二人。彼らはあくまでも客人としての扱いでこの馬車に乗せているため、たまに手伝ってもらったりすることはあるものの、基本的に俺達の仕事は任せていない。
まあ、強いていうならば俺やミラが調理に集中している際の、馬の世話を任せているくらいか。
「特に無いかな」
俺からの問いかけに、テオが答える。その言葉に「そうかい」と返し、未だ答えを発していないアルティミシアさんへと目を向けた。
「ぇぇっ……その……」
――何か言い辛いことでもあるのだろうか。何かを俺に伝えようとしては口を閉ざし、チラとこちらを窺うような視線を向けては口を開き……、その行動を繰り返している。
ごめん、その動作は反則だわ。
ただでさえ、彼女のその楚々とした外見は反則的なまでの破壊力を持っている。その長くも美しい金髪を風に靡かせながら見せる微笑たるや、世の男性陣を骨抜きにしてしまうこと間違いなしだ。
まして、そんな彼女が頬を僅かに赤らめながら、言いよどむ姿。更に、そこから上目使いで此方に視線を向けてくる姿に見とれない男がこの世にいようか!?いや、いない。
――と。今までの俺の心を抉るような発言によって、彼女に対して若干の苦手意識を持ち始めている俺――それでも、テオやミラ程は嫌ってはいないのだが。本当に、アンタラの間で何があったのかと小一時間問い詰めたい――ですらコレなのだから恐ろしい。
「……まあ、何か思いついたら話してください」
これ以上、彼女を見ていては理性やらその他諸々が危ないと判断した俺は、そう言って彼女から目線を外し、以降は極力彼女を視界に納めないようにして料理の準備を進めていった。
調理道具の準備は完璧。――とくれば、次は食糧の準備だ。荷車の中から食料が入っている箱を引き出し、中を覗く。
……余談だが、旅を始めたばかりの頃は山のように積まれていた食糧箱も、今ではそのほとんどがすっからかん。唯一、この手に持つ一つのみが生き残っているという状況だ。本当ならばもう少し残っていたはずなのだが、まあ、食い扶持が増えたからなぁ。
「んー、どうしたものかなぁ」
何が入っているやらと箱の中を物色してみたが、碌な食べ物が残っていない。正確に言うと、保存性に優れた食べ物しか残っていない。
例えば、干し肉とか干し肉とか干し肉とか干し肉とか干し肉とか。
「っていうか、干し肉ばっかりじゃん……」
これでミラは何を作れと言うのか……。
どう頑張っても、主菜が肉、副菜も肉の、栄養バランスもへったくれもない料理しか完成しないと思うんだが……。
食糧箱の隅に隠されていた、パンと野菜という名の秘宝を遂に探し当てた渡辺探索隊こと俺は、興奮冷め止まぬままに傍らの包丁を手に取った。これで、多少の栄養バランスを確保することが出来るだろう。
後は調理するだけだ。まな板の上の鯉――もとい野菜という名の秘宝の片割れに対し、静かに包丁の切っ先を向ける。
「いくぞ、野菜共――」
「あのぉ……」
「――はい?」
いざ、勝負とばかりに包丁を持ちあげた俺の動きを止めたのは、背後から聞こえてきた女性の声だった。無論、アルティミシアさんの声に他ならない。
流石に包丁片手に会話することは失礼だろうと思い、一旦包丁をまな板の上に置いた後に、アルティミシアさんの方へと振り返った。
……振り返った俺の視界に真っ先に飛び込んできたのは、彼女の瞳。それが何なのかは分からないが、何かを決断したかのような強い意志を秘めたその瞳は、見る者を引きつける力強さと美しさを伴っている。
ああ、と彼女の瞳を見た俺は、内心で酷く心を揺さぶられた。俺は、この瞳を知っている。
それは、まだこの世界に喚ばれて間もない頃に見たモノ。
それは、あの日確かに俺を魅せたモノ。
それは、俺がこの辛く険しい旅に参加しようと決意したきっかけとなったモノ。
それは、俺が召喚された理由を告げられた夜、ミラが俺に見せたモノと同じモノ。
ああ、と俺は内心で呟いた。ミラとアルティミシアさん――彼女達は似ているのかもしれない。外見がではなく、思考がでもなく、その本質が。
何かに迷い、挫け、しかしそれでも前に進もうとするその気高い心根が。
「……あの――」
強い光をその瞳に宿しながら、しかしそれでも開きかけた口を再び閉じてしまうアルティミシアさん。彼女をしてここまで話すことを躊躇わせてしまう内容とは、一体どれほどのものなのだろうか。俺には想像もつかない。
――もしかしたら。
そこまで考えて、ふと、俺は一つの考えに思い至る。
もしかしたら、目の前の彼女もまた、自分一人で抱えるにはあまりにも大きな何かをその身に背負っているのかもしれない。それこそ、魔族の命運をその小さな背中一つに背負うミラのように。
――ならば。
聞こうと思った。アルティミシアさんの話を。いや、聞かなければならない。
それで、何ができるかは分からない。何もできないのかもしれない。
だが、そんなことは関係ない。
彼女が、何かを話しかけようとしている。そこが重要なのだ。
他人に話すことを思わず躊躇ってしまうような話題を、しかしそれでも俺に話しかけようとしているのだ。
――ならば。
聞かなければならない。
聴かなければならない。
それほどまでの内容を、俺に伝えようとしてくれる彼女の信頼に、応えなければならない。
彼女が口を開くのは、俺が思いを確かにし、姿勢を正すと同時。
その小さな口から飛び出てくるものは何なのか。一言一句聞き逃さないようにしようと身構える俺の目の前で、彼女の口から言葉が紡がれる。
例えその口からどのような内容が紡ぎだされようとも、絶対に受け止めて見せよう。そう胸に誓い、俺は――
「私に料理をさせてください」
思いっきりズッコけた。
「ええと、つまりは助けてもらったお礼も兼ねて、料理を作りたいと?」
「そうです」
彼女の言葉を要約すると、こういうことだ。
アルティミシアさんは、俺達にその命を助けてもらった。そして、その恩に報いるために何か出来ないかと思考に思考を重ねた結果、ならば手料理を振る舞えばいいのではないかという答えに辿り着いた。これならば、俺やミラの仕事を肩代わりして、俺たちへの負担を減らすことにもなる、と。
まあ、確かに料理を代わりに作ってくれるのであれば、俺の負担はかなり軽減される。されるが――、
――そこまで気にしなくていいのに。
アルティミシアさんを助けたのは、単に俺の自己満足なわけだから、そこまで重く考える必要はない。まして、お礼なんてする必要もない。
そのことを彼女に伝えるも、「それでは私の気が済みません」と返されてしまった。……働き者だなぁ。俺だったら「あ、そうですか?」と言って、そこで折れること間違いなしだ。
「ん~……」
「…………」
真剣な表情でこちらをジッと見つめてくるアルティミシアさんを前に、俺は顎に手をやって思考に耽る。
――さて。本当に彼女に任せても大丈夫なんだろうか?
まず、火はどうする? ……まあ、これは大変ではあるが火打石でも使って自分で起こしてもらうことにしよう。
次に、彼女に料理は出来るのか? ……これは、まあ、出来ると信じたいところ。というか、出来ないヤツが料理させてくれなんて言うだろうか?
最後に、毒を混入したりはしないだろうか? ……可能性は低い。あの日アルティミシアさんと出会った日のことを、思い出してみよう。彼女は着のみ着のままであったはず。ならば、一体何処に毒を隠し持つというのだ?
同行してからも、特におかしな行動は見せていない。今の彼女が毒を持っている可能性はゼロとはいわないが、限りなく低いのではないか。
――念のため、テオに様子を見させておけば大丈夫だろう。
そう判断した俺は、目の前でこちらの様子を窺っている彼女にその旨を伝える。途端に、その表情を和らげるアルティミシアさん。そんなに料理が作りたかったのだろうか?
「じゃあ、後はお願いします。俺は荷車で一眠りしているんで……。何かあったら、俺に知らせてください」
「ハイ!」
威勢のいい返事だ。熱意に満ち溢れている。これならば、今日の夕飯には期待できそうだ。――いや、材料は乏しいけど。
早速調理に取り掛かる彼女に背を向け、俺は馬車へと歩み寄る。途中、馬の世話をしていたテオに彼女がおかしな素振りを見せないか注意しておくように伝え、俺は荷車の中で横になった。
身体を大の字に伸ばすと、時間を待たずに瞼が重くなる。それと同時に、動かすのが億劫になる自身の体。長旅の疲れが思っていた以上に溜まっていたらしい。案外、自分では気がつかないものだな。
「これ以上は働きたくないでござる!絶対に働きたくないでござる!!」と訴えてくる自分の体を休めるため、俺は早々に眠りに就いたのだった。
それが、自分の首を絞めることに繋がるとは知らずに。
「ショウ、起きて……」
誰かが俺を呼んでいる。身体にかかっているこの微弱な振動は、その『誰か』が俺を揺り起そうとしているためのものか。
こうして目を瞑ってその振動に身を委ねていると、まるで揺り籠の中にでもいるかのような錯覚を覚える。
「ショウ、起きて……」
尚も誰かが俺を呼んでいる。しばらくこの感覚に浸っていたいところだが、相手が俺を起こそうとしている以上、そういうわけにもいかない。
ヤレヤレと内心で呟き、俺は目を開けようと――、
「ショウ、起きて……いい加減、起きなさい!!」
「グボァァァァ!!!」
――する前に、腹部に突き刺さる鋭い一撃によって俺の思考は一瞬で覚醒させられた。
身体を突き抜ける激痛が、眠りに浸ることも気を失うことも許さない。俺はただただ、その場で悶える。折角緑色に回復したHPゲージが、今の不意打ちで一気に赤に戻ってしまう様を幻視した。
「おはよう。ようやく目が覚めた?」
腹部を抑えて不条理な痛みに耐えている哀れな被害者に向かって、話しかける女性が一人。
こんなことをするのは、彼女しかいない。空手家の瓦割りよろしく、拳を振り下ろした体勢のままでミラは話しかけてくる。
「殺す……気、か……」
「だって、何度起こそうとしても目を開かないから――」
「いや、その理屈は……おかしい、だろ……」
なかなか起きないからと言って、拳で叩き起こそうとするなよ……。危うく、今朝食べた物を逆流させるところだった。
――食べた物といえば、夕食はどうなったんだろうか?アルティミシアさんは料理を作り終えたのだろうか。
そのことをミラに問うと、「そのために呼びにきたのよ」と返された。
なんでも、ミラが見回りを終えて帰ってくると、既にアルティミシアさんが夕食を皿に盛って彼女の帰りを待っていたとのことだ。
その際にアルティミシアさんからテオは先に食べたが、俺はまだ夕食に手をつけていないことを聞いたミラが、ならば一緒に食べようと思い至り、俺を起こしに来てくれたのだと。
……起こしに来てくれるのは嬉しいが、拳で叩き起すのは勘弁してもらいたいところ。
「あの人が作ったっていうのは癪なんだけれど――」
そう言って、彼女は若干渋い表情を形作る。未だ、ミラのアルティミシアさんへの嫌悪の感は晴れずにいるらしい。
「――結構、見た目は良いのよね。テオも完食したようだし」
しかし、その作り手という減点要素も料理の見た目から来る期待感には敵わないようだ。ミラは表情こそ嫌がってはいるものの、本心の部分では早くアルティミシアさんの料理にありつきたいと思っているのだろう、既に全意識が馬車の外へと向かっている。
これは期待できそうだと、目の前の彼女の様子を見ながらそう思う。
なんとか立ち上がることが出来るまでに回復した俺は、今にも走りだしそうなミラを連れてアルティミシアさんの待つ所へ。あとは簡単な回復魔法を腹にでもかけてやっていれば大丈夫だろう。
「おはようございます」
俺達の姿を認めたアルティミシアさんが、開口一番に挨拶をしてくる。俺はそれに返事を返しながらも、視線は彼女の顔ではなくその手元――夕食が盛られた皿へと向けていた。いや、吸い寄せられていた。
「これを、アルティミシアさんが?」
「ハイ。料理は初めての経験だったので、上手く作れたかは自信がありませんが……」
「初めての料理がこれ!? おまけに一人で作ってるし」
――ハァ、天才っていうのはいるものだね。初めての料理でこんなに凄い料理を作り上げるなんて。
「いえ、一人で作ったわけでもないんですよ? 火を起こすのにテオさんに協力してもらいましたから」
「……ああ。そういえばこの前、テオの聖剣に補充したのは炎の魔法だったっけ」
などと彼女と会話をしつつも、俺の視線は縫いとめられたかのように料理から動かない。それは皿の前に座ってからも同じことだ。
皿の上に盛られている料理は、その一つ一つが存在感をこれでもかと振り撒いていた。
どうしたらこんな料理が作れるのかと思う。干し肉と幾らかの野菜とパン……、俺達と使っている材料は同じはずだというのに、アルティミシアさんが作ると同じ材料で出来ているはずの料理が、まるで最高級の食材をふんだんに使った至高の一品にしか見えない。
……まるでその料理は劇場の如く。皿という舞台の上で、各々の料理が観客たる俺達を魅了していく。成程、真に優秀な演者はその舞台を選ばないというが、それはこういうことだったのだろう。粗末――とまでは言わないがさして目立つ所の無い筈の皿が、しかし今ではそれも一つの演出なのではないかと思える程に、舞台に立つ演者を引き立てている。これではミラのあの反応も当然というものだ。
ミラに至っては、今にも飛びかかりそうな様子を見せている。いや、腹が空いているのは分かる。俺は休んでいたが、ミラは今までずっと働いていたわけだしな。その分、腹が空いているのは分かるし、美味しそうな料理を前に逸る気持ちは分からんでもないが――流石に女性がそんな風に目をギラつかせるのはどうだろう?
アレは人の目じゃない!獣の目だ!?と言いたいのをグッと堪えつつ、アルティミシアさんにスープを注いでくれるようお願いする。
……ふと。
何気なく横に視線を向けてみると、そこにはテオが座っていた。どこか呆けた表情で、遠くの景色を眺めている。余程、アルティミシアさんの料理が美味しかったのだろう。
スープが注がれた器がミラの前に置かれた。感謝の言葉もそこそこに料理へ手を伸ばすミラの姿に、俺とアルティミシアさんは顔を見合せて苦笑する。
続いて、俺の器を手に取るアルティミシアさんに礼を述べつつ、その後ろ姿を見やる。鍋からスープを掬い、器に注ぐ姿は実にサマになっている。アレで調理は初めてだなんて信じられないな。
折角だから、アルティミシアさんの料理の感想でも聞こうかと思い、傍らのテオへと話しかけてみる。だが、へんじはない。ただのしかばねのようだ――ではなくて。
「…………」
「おーい?」
「………………」
「もしもーし?」
そこまで話しかけて、ようやくテオがその首を動かした。まるでギギッという軋む音がこちらに聞こえてきそうな程に、ぎこちないその動き。
そこで、彼の様子がおかしいことに気がついた。その唇は紫色に染まり、彼の瞳からは光が失われていたのだ。誰がどう見ても異常としか思えない姿。
その様子を見て、俺は言葉を失う。その目線の先で彼が口走った言葉は、
「巻き舌宇宙で有名な紫ミミズの剝製はハラキリ岩の上で音叉が生まばたきするといいらしいぞ。要ハサミだ。61!」
「電波大佐!?」
何でソレをお前が知っているんだという疑問よりも、一体どうしたんだと口に出る方が早かった。しかし、肩を揺らしながら放った問いかけに対しても彼は明確な答えを発することはなく、ただその虚ろな瞳が空を捉えるのみだ。
その姿を見ていると、何となく嫌な予感に囚われる。どこかで、俺は大きな失敗を犯してしまったのではないかと、不安に駆られて仕方がない。額から生じた一筋の汗が、つつと零れ落ちていった。
その嫌な予感が正しかったことに、俺はすぐに気づくことになる。
「ハイ、どうぞ」
その言葉と共に、考えに耽る俺へとアルティミシアさん特製のスープが手渡された。質素であるはずなのに一流シェフ顔負けの見た目を誇る、彼女のスープ。
だが、俺はそこであることに気がついた。確認のため、更に件のスープへと顔を近づけていく。だが、結果は揺るがない。
……匂いが、全くしなかったのだ。
まさかと思い、その他の料理の香りも嗅いでみるが――、いずれも結果は同じ。
――料理が無臭だなんて、そんなことがあり得るだろうか?
傍らのミラに視線を向けてみると、どうやら彼女もこのことに気がついたらしい。先程までの姿とは一変、真剣な表情を此方に向けている。
『毒、かしら……?』
以前用いた、己の声を対象に伝える魔法をお互いに用いて交信する。無論、アルティミシアさんにはこの会話が聞こえないように考慮している。この話を聞きとることができるのは、あくまでも俺とミラの二人だけだ。
『――いや、違うな』
俺は、彼女の言葉に否定の意思を見せた。この状況ならば毒の可能性を疑うのが筋だろう。現に俺も真っ先に、想像もつかないどこかに隠し持っていたのだろうかと考えた。だが、
『この料理の魔素に、毒のような不純物が混じっている痕跡はない。だから――』
毒を混入された、ということはないだろうと俺は判断する。
もっとも、料理の所々にノイズが走っているのが気になるのだが――、しかしそれは『摂取した者に害を与える』といった、明確な魔素の構成を持っていない。即ちそれは、料理に毒が混ざっているわけではないという証明にもなるはずだ。
そのことをミラに伝えると、何故か溜息を吐かれた。何か変なことを言っただろうか?
『変なこともなにも、魔素の構成だとかノイズだとか……。はあ、もういいわ』
しかも、何故か呆れられてしまった。
『まあ、今はそんなことよりも目の前の事態をどうするべきかよね。何か考え、ある?』
最終的に、そんなことの一言で片付けられてしまった。
……しかし、目の前の事態をどうするか、ねぇ?
『普通に食べればいいと思うぞ? むしろ、食べる以外の選択肢はない』
『へ!? ちょっと、どういうことよ、ソレ』
『大丈夫だ、命に支障はない。食べてみれば分かる』
見れば、丁度アルティミシアさんが腰掛けるところであった。その手に器を持っていることから、自分の分のスープを注いできたのだろう。
状況への理解が追いつかずに戸惑うミラに対して、ニコニコと微笑を浮かべるアルティミシアさん。彼女には俺達への害意が無いことが、この表情からも見て取れる。
――むしろ、害意があった方が気は楽だったんだが。
そう思いつつ、傍らのテオへと目線を向けた。魔素の構成を調べてようやく、彼の身に何があったのかを知ることが出来たのだ。
果敢にも強大な存在に挑んだ、幼き勇者――テオ。彼の勇気ある行動に対して内心で敬礼を送ることにした。ゴッドスピード、テオ。
――すぐに俺も、そこまで行くからな。
諦めにも似た思いを胸に抱きながら俺は、皆と一緒に器に口を付けた。
幻想種という存在がある。
読んで字の如く、『幻想の中に生きる種族』または『幻想と思われる程に稀有な種族』のことを指す。
俺が元いた世界では、竜やペガサスなどの物語の中に存在する生き物のことを指していたはずだ。
だが、その知識はこの世界では当てはまらない。ミラやテオの言によると、亜種も含めればこの世界には数多くの竜が存在しているらしいし、滅多に人前には現れないものの、ペガサスという存在も確認されているとのことだ。
では、この世界では何が『幻想種』たる存在と言えるのだろうか?
その答えの一つが、今、俺達の目の前に座っている。美貌の上に微笑を浮かべているその存在は、現在進行形で俺達の反応を窺っていた。
そう、彼女こそが幻想種といえる存在。誰もが到達不可能な究極の中の一に辿り着いた存在。
『魔族の長たる魔王を、料理という名の一撃の下に降すことの出来る』稀有な存在である彼女――アルティミシア。
そう、彼女こそが『生命喰らう地獄の料理人(メシマズ女)』。彼女の手にかかれば、あらゆる存在がその料理を前にして逆に自らの生命を喰らい尽くされてしまうだろう。
「どうかされました?」
耳に届いたその言葉に、ハッと意識を取り戻す。どうやら、俺の身体から宇宙へと意識が飛び離れていたようだ。
その原因は間違いなく、このスープだろう。それほどまでにコイツの破壊力は凄まじかった。殺人兵器の名を冠してもいい気がする。
「――いや。このスープのあまりの凄さに、意識が天に昇っていたみたいです」
文字通り、昇天しかけていた。あのままだったらどうなっていたことか……。
「まあ。お上手」
俺の言葉に、アルティミシアさんがその微笑を色濃い物へと変化させる。いや、これは褒め言葉じゃないですから。ただの皮肉ですから。
そして視界の隅では、喜びの色を見せるアルティミシアさんとは対照的に、こちらを射殺すかのような視線を向ける女性が一人。言うまでもなく、ミラだ。
その憎しみが込められた視線は、何を指すものだろうか?彼女にこの料理を食べさせたことに対するものか? それとも、アルティミシアさんに料理を作らせてしまったことに対するものか? 恐らく、その両方だろう。
『いや、だってさ。アルティミシアさんの料理はあくまでも善意によるものだしさ。そうなると、食べないわけにはいかないじゃないか? 命に影響はないって分かってたわけだしさ! それに料理を作らせてしまったことに関しても、俺だって彼女の腕前がここまで壊滅的だったなんて知らなかったわけで――』
さっきの魔法を再び使って一生懸命ミラに対して言い訳を述べていくが、彼女は聞く耳を持たない。終いには俺に向けて何ともイイ笑顔を見せて、死刑宣告にも等しい一言を俺に叩きつける。
「後で覚えておきなさい、ショウ……!」
おれの めのまえが まっくらになった ! と同時に、仰向けに倒れていく魔王様。
……どうやら、あの料理によるダメージは凄まじいものだったらしく、気を失っている。その薄い胸が上下していることから、生きてはいるみたいだ。
「あら?ミラさんはどうされたのでしょうか?」
「お前のせいだよっ!!」と答えたくなるのをジッと我慢して、「さて。ミラも疲れが溜まっているんじゃないですかね?」と適当にはぐらかす。彼女には悪意はないわけだから、その一言で悲しませてしまうのはあまりにも拙いと思う。あくまでもこれは、善意による行動なのだから。
――まあ、精神に異常をきたす料理をふるまうってどうなのよとは思うけれど。
気を失ったミラはまだマシな方だと思う。完食した結果、精神がヤられてしまったテオが良い例だ。
――ああ、分かるよテオ。お前も、アルティミシアさんの笑顔にやられたんだな。
恐らく、彼も本心ではこの化け物料理なんか口にしたくもなかったに違いない。だが、それでもこうして彼が完食したのは――、俺達がその料理を一口食べる毎に見せる、アルティミシアさんのその嬉しそうな笑みによるものだろう。
美女の笑みに弱いのは、男に生まれた者の性だ。そういう意味ではこの少年もまた、一人の男――いや、漢だったということなのだろう。
「さて」
彼がこうして漢気を見せた以上、一人の男として、俺も負けるわけにはいかない。
覚悟を決め、俺は目の前の敵へと目線を向けた。
相手の数は少ない。だが、その一人一人が強大な強さを誇っている。
対するは、俺一人という絶望的な状況。
勝利条件は、『敵の全滅(完食)』。
アルティミシアさんが自身の料理で倒れてしまうのならば、それまでの時間を稼いで逃げ切るという手段もあったが、残念なことに彼女は普通に自身の料理を食べていることから、その方法は採択できない。恐らく、その身に毒を持つ動植物が自身の毒で身を滅ぼさないのと同じような理由なのだと思われる。
大切なことなので、もう一度言おう。あまりにも絶望的な状況だ。
だが、負けるわけにはいかない。
若き勇者の漢気に応えるため。また、目の前の美女の笑みを見るためにも。
――この戦い、負けるわけにはいかない……!
だから、俺は呟く。自らの意思をより強固なものにするために。
「いくぞ、料理共。――おかわりの準備は万全か……?」
「あ、ハイ。たっぷり残ってありますから。どんどんおかわりしてください」
「…………」
……心が折れた瞬間だった。
最近、なかなか投稿できずに申し訳ないです。
こんな作者ですが、これからも応援の程、よろしくお願いいたします。