第16話 傭兵ふたり
話を読んでいく上で、「ん?」と感じる部分などがありましたら、感想欄にて質問をお願いします。
わざとぼかしている部分や、今後の複線などで無い限り、その質問にはお答えさせていただきます。
――というより、絶対にあると思うんですよね、説明不足の箇所。完結したら、書き直しましょうかね……。
テオ達に飛び散ったものは、勢いよく噴き出したオーガの鮮血だ。それを避けようともしない彼ら二人の顔に、赤い点々模様が描かれていく。だが、それは当然のことだろう。
「――間一髪だったな」
テオはまるで憑かれたかのように、目の前の光景を眺めていた。眼を奪われていた。
その視線の前には、単身で鬼へと飛びついた壮年の男。
俺達の願った奇跡の体現者が――援軍が、そこに存在した。
両腕に握りしめた大剣を男は、力強くグイッと捻る。鬼の右目に突き刺さった剣の切っ先が更に深く埋没した。
次の一手で男は身の丈よりも長い大剣を一気に抜き取る。わざとだろうが、傷口を更に広げるような強引な動きに、オーガはたたらを踏んだ。
「んっ?……なかなか面倒だな」
致命傷と思われる傷を負わされても尚立ち続ける鬼の姿を前に、男は顔を顰めた。実際のところ彼が行った行為は、このオーガに対しては時間稼ぎにしかならない。
だが、それだけで十分だった。
「そこの人!早くその場から退がって!巻き添えを食らう前に!」
その男の登場に一瞬ではあるが呆けていたミラが、ハッと正気に戻ると同時に男へ向けて声をかける。
「成程、分かった」
言うが早いか、男は即座にオーガの顔面を蹴って跳び立った。ミラの言葉に含まれた緊迫性と鬼へ向って風を切って走る雷光の存在から、迫る危機を敏感に察知したのだろう。案外、彼女の言葉がなくても危なげなく退避していたかもしれない。
壮年の男がふわりと重力を感じさせない着地を見せた瞬間に、雷槍がオーガに突き刺さった。
効果は一瞬。苦痛も一瞬。何もかもが一瞬尽くしだ。たったそれだけの時間で敵の命を奪い去る。
力なく顔面から地面へ倒れこんでいくオーガを見て、男は「ほぅ」と感嘆の言葉を口にした。
「――魔法か。凄い威力だな。アレを一撃で、か」
そう口にしながら、こちらへと視線を向ける。強い光を宿したその眼は、鷹の目を連想させる。まるで俺の全てを見透かされているかのような、そんな錯覚を覚えた。
そして彼は一振りの下に剣に付着した体液を吹き飛ばし、自らの得物を背部にある留金へと収める。その見るからに重そうな大剣とは対照的に、留金と結合した時のチンという音はどこまでも軽やかだ。
「キミといい、彼女といい……。大した魔法使いだな」
そう言って、此方へ向かってゆっくりと歩み寄ってくる。その姿はまるで今が戦闘中であることを忘れているかのようで――いや、本気で忘れてないか?現在進行形でミラが戦っている最中なんですけどっ!?
……ん?彼女?
そういえば、さっきから光に包まれているような……。しかもこれは、よく目にする彼女の回復魔法のような……。
「そうね。私も驚いてるわ。よくもあれだけの魔法を……」
「うわっ!?」
俺のすぐ隣りから女性の声が聞こえた。咄嗟に飛び退がりながら正体を確認するが、そこにあったのは回復魔法を俺に向けて使用しているミラの姿。お願いですから気配を消して近づくのはやめてもらえませんかね?心臓に悪いです。
……ん、回復魔法?
――そういえば、いつの間にか身体が軽くなっているな。
今更ながら、そんなことに気がついた。もっと早く気付けよと、我がことながらそう思う。……ということは、やはりこの身体を包む光は、彼女の回復魔法の光だったんだな。感謝しなくては。
……って、あれ、戦闘は?
俺の疑問を交えた視線に気がついたのか、彼女がクイクイと親指で背後を指し示した。俺は指示された方向へと顔を動かす。
「はぁい」
褐色肌の健康系美女がこちらに手を振っていた。いや、はぁいじゃなくて。
ミラとはまた違う系統の美女――とでもいおうか。高貴な雰囲気を漂わせるミラとは対照的に、こちらはワイルドな空気を纏っている。
だが、そんなことなどどうでもいいと感じてしまう程の相違点が、そこにはあった。どんなに足掻いても、俺の眼がそこに向かってしまうのを止められない。
「すごく……大きいです」
そんなことを思わず口にしてしまう程の存在。――そう、それはたわわに実った二つの大きな果実。……軽蔑されるかもしれないが、どうか分かってもらいたい。この一カ月、俺の近くにあった唯一の――丁度隣に立っている彼女の――ソレは、断崖絶壁すぎて見れたものじゃなかったんだ……!
それは、人体の神秘。
それは、男性の願望。
それは、
「――さっきから、どこを見ている……?」
すみません。
……あまりにも凝視しすぎたからなのか、相対的に自分の胸を貶されたと感じたのか――恐らくは後者だろう――、ミラの口からドス黒い言葉が漏れ出る。
……というより口調変わってますって。魔王口調は勘弁してください。本当に怖いです。
さて。隣からの圧力が物凄いため、視点を余所にずらしてみよう。
豊満な肉体――ごめんなさい、許してください――訂正、褐色の肢体を持つ美女が握っているものは、いずれもオーガの死体。より詳しく説明するのであれば、胴体から切り離した首の部分だ。
……こちらに向けている表情や台詞と行動が全く噛み合っていないような気がするのだが、俺の気のせいだろうか?
次に、肩より上の部分が存在しないオーガの胴体へ視線を向けてみる。
内一匹の首の切り口は粗雑なものだ。強引に引き抜かれたような切り口。――おそらくこれが、ミラによって吹き飛ばされた鬼のものだろう。
では、他のモノはどうなのか?見てみると、そのどれもが綺麗な切り口で形造られている。まるで鋭利な刃物で切り裂かれたかのような……。
確か、ミラは刃物は持っていなかったはず。ということは……?
「そうよ。いつ忍び寄って来てたのかは知らないけれど……あっという間に背後から首をばっさり」
「うわぁ……」
確認の視線を向けた先で、彼女が右手で首を横に切る動作を取る。俺はそれに苦笑いを浮かべた。あの外見で暗殺術を扱うなんて想像も出来ないが、ミラがそういうのだから事実なのだろう。
……まあ、嬉々として鬼の角を切り取っている姿を見れば、納得は出来るのだが。
「ああ、アイツは金に関しては煩くてな。換金部位には脇目も振らずに飛び付いてしまうんだ。勘弁してあげてくれ」
肩の上から、渋い男の声が聞こえた。さっきの男のモノだ。
「いえ、そんなことは……」
助けてもらった相手に対してどうこう言えるほど、俺の胆は大きくない。
俺は目の前の壮年男へと向き直り、腰を曲げた。
「ありがとうございました。おかげで、助かりました」
おそらく、換金部位――オーガの角のことだろうと思われる――を熱心に採取している彼女は、目の前の彼の仲間なのだろう。でなければこんな台詞が出てくるはずがない。
彼がテオを助けてくれたように、あの美女もミラを助けてくれたのだろう。――で、手が空いたミラは俺に回復魔法を放ち、その様子を見た彼が俺達二人の魔法を褒めた、と。そんなところだろうか。
うん、ようやく状況が飲み込めてきた。
「いや、気にしなくていい。――あー……」
「ショウ、です。彼女はミラ。さっきの子供はテオです」
「ああ、成程。私はディランだ。あそこの馬鹿はセリス」
「コラ、馬鹿って言うな!」
「――まあ、よろしく頼む。とりあえず、頭を上げてくれ」
壮年の男――ディランさんの言葉を受けて、俺は頭を上げた。
改めて見ると、彼の逞しさが嫌というほどに伝わってくる。俺よりも遥かに高い上背と、それよりも更に丈のある大剣を振るうに足る隆々とした筋骨。
まさしく戦場にて生きる、歴戦の勇士。そういった雰囲気を彼は纏っていた。
そしてそれは間違いではないのだろう。先の身のこなし一つを見ても、ディランさんの才の豊かさが現れてくる。
「しかし、若いな……」
「そうねぇ、肌もピチピチだし。フフフ、お姉ちゃん、嫉妬しちゃうかも?」
「いや、そういうわけではなくてな……?」
俺がそうしていたように、ディランさんもこちらを窺っていたのだろう。その時の感想が自然と彼の口から漏れ出る。……ついでに、採取を終えたらしいセリスさんが会話に参加してきた。その豊満な胸を俺の肩に乗せて。
ディランさんは既に彼女のこういった言動に諦めているのか、額に指を当てて困った表情を見せているだけだ。
「あ、あの、セリスさん……?」
肩に当たる柔らかい感覚が……って、何をしているんですか。顔を赤くしてって、そりゃあ赤くなるに決まっているでしょう。照れているのか?当たり前です。いや、可愛いじゃなくて、顎に指を這わせなくていいですから。そして隣にいる魔王様?なんか視線が怖いんですけど……?
そんな俺達の様子――というより俺の困っている姿――を見て、ディランさんが小さく呟いた。
「……すまん」
いやいやいや、諦めないでくださいよ!?そこは止めるなりなんだりして、助けてもらいたいんですけど!?諦めたらそこで試合終了ですよ!?
散々弄ばれた末に、俺はようやく解放された。なんだか、戦っている時よりも遥かに精神を消耗した気がする。
……隣りからは殺気を向けられているしな。
「怖い怖い」と言って、セリスさんがディランさんの隣に並び立つ。……本当にこの後のことを考えたら怖いですよね、ハァ……。
セリスさんは、その手に皮の袋を持っている。恐らくその中には、先程採取した鬼の角が入っているはずだ。
「……連れが失礼をした。――ところで、君達は傭兵か何かかい?中々魔法の才があったようだが……」
ふと、ディランさんが話を切り替えてきた。その瞳には鈍い光が浮かんでいる。それはまるで、こちらを探るかのような眼で……。
――まさか、ミラの正体がバレた?
万に一もそんな可能性はないとは思うのだが……では、他にどんな理由があるのだろう?俺には思い浮かばない。
内心の動揺を悟られないように努めて平静を装い、質問に答える。
「いえ、俺達は傭兵ではありません。ただの旅人です」
「ふむ、そうか。……勿体無いな。折角、それだけの戦う力があるというのに」
「――そうですか?」
ディランさんの言葉に、ミラが首を傾げた。彼女としては全くといっていいほどに力を出していなかったのだから、そうなるのも無理はないだろう。
「ああ。魔法使いというだけでも価値があるのに、それに加えてあの威力に効力だ。一流といってもいいのではないかな?」
「そうね。凄かったわよ、あの魔法?」
――まあ、一応魔王とその仲間なわけだし。
「ただ、強いて言うならば……」
ディランさんは、そこで言葉を一旦切る。そして、何かを考えるかのように眼を瞑った後に、再び口を開き始めた。
「戦場に、迷いは持ちこまない方がいい」
その言葉に、俺は固まった。まるで空気が固まったかのような、凍りついたかのような感覚に包まれる。
隣のミラも今の言葉には感じるものがあったのか、顔を顰めている。おそらくは、先の戦闘でのことだろう。
そういえば、こちらから見ても彼女には迷いのようなものが感じられた。その時は何を迷っているのかが分からなかったのだが……もしや、その魔王としての力を出すべきか抑えるべきか、その二つを前に迷いながら戦っていたのではないだろうか?
対しての俺は、ミラのように計画に支障が出るから――などといった、先を見通しての迷いではない。もっと私的な、それでいて根源的な迷いである。
『――どうして――――』
また聞こえる、あの声だ。
それと同時に、再び身体が過去の呪縛に封じられていくような感覚を覚えた。あの時の光景が目の前に広がった、あの時の声が耳に届いた、あの時の痛みが俺を襲った、あの時のあの時のあのときのあのときの――、
――ポンと頭に手を置かれた。その硬くゴツゴツした大きな手の、しかし暖かい感覚に俺は現実へと引き戻されていく。
「……大丈夫か?」
俺におきた異常を敏感に感じ取ったのだろうか、ディランさんは此方を安心させるかのように暖かい笑みを浮かべていた。顔に残る大きな傷跡からか、その笑みは猛獣の威嚇を連想させるようなものであったのだけれど、しかしそれでも相手に暖かいと思わせるような笑みだった。
そのまま、頭をワシャワシャと強く撫でられる。
この人に掛かっては、俺なんて子供扱いだなぁと思った。
いつの間にか、俺を縛る呪いは消えて無くなっていた。
「さて。つい話に興じてしまったが、そろそろ立つとしようか。依頼の報告もまだだしな」
ディランさんが手に荷物を持った。厚い皮で出来た黒の袋をわずかに一つ。大きめのサイズのその袋は、旅をするのには十分な――やや少ないかもしれないが――量の荷物を持ち運べる代物だ。……代物のはずなのだが、その背に収めた大剣が大きすぎて、相対的に小さく見えてしまうから不思議だ。
「そうね、早く報酬を貰わないといけないし」
旅の準備をし始めたディランさんを見て、セリスさんも旅支度を始めた。こちらはディランさんとは違い、小さな袋をいくつも身体に括りつけている。
「――お前はそればかりだな」
「まあ、お金はあって困るものじゃないからね~」
彼らの支度はそれだけだ。手早く準備を終えられるのは、やはりこういう世界ではどんな状況に陥っても咄嗟に対応できるような早さが重視されるからだろうか。
「アラ、馬車ではないんですか……?」
そういえばとでも言うように、周囲を見渡し始めたミラが口を開いた。確かに、付近には馬車の姿は俺達のモノ以外には見受けられない。戦闘に巻き込まれることを恐れて、遠くで降りたのだろうか。それとも……?
「ん?いや、俺達は歩きだが……」
「そんなお金、持ってないしね」
徒歩ぉ!?――そんなに荷物を持っているのに、徒歩で旅していると……?
あんぐりと開いた口が戻らない。馬車での旅に慣れた俺からは、想像も出来ないような話だった。
「さて、と――」
くるりとディランさんが背を向けた。
「では、俺達はそろそろ行くことにするよ。――道中、気をつけてな」
「はい、ディランさん達もお気をつけて」
「あと、今回は助けてくれてありがとうございました」と礼を述べる俺達に対し、彼は腕をヒラヒラと振ることで返事と為す。
――気にしなくていいと、彼が述べた言葉を思い出した。
「まあ、今回はサービスということで。次回からはちゃんと料金を取るからね?」
ちゃっかりしているというか、なんというか。あくまでも冗談めかして話しかけてくるセリスさんに対して、俺は苦笑を浮かべた。
おそらくはこちらに対する気遣いなんだろうけれど……。
――次回からは本当に料金を請求してきそうな気がするんだよなぁ。
「――どうした?早く行くぞ」
「はぁい!!全く、急かすんだからあの親父は」
もう、と頬を膨らませるセリスさんは――しかし次の瞬間には笑顔でこちらに言葉を投げかけてくる。コロコロと表情が変わる女性だなぁ。
「ま、もしも依頼の際は『マクデリー親子』をよろしくね!」
ウインクを一つ残し、彼女もディランさんの下へと走り寄っていた。そのままディランさんと並び、歩き去っていく。
その後ろ姿を眺めながら、改めて良い人たちだったなと思った。強さと他人を思いやる優しさを兼ね備えた人たちだったと。
――しかし、『マクデリー親子』ねぇ……?
確かに、二人の姓は聞かなかったが――まさか親子だとは思わなかった。彼ら二人を初見で親子と見破るのは至難の業だろう。それくらいに二人の外見は似ていなかったからだ。
よほど、母型の血が強かったのだろう。
「ねえ……?」
笑いを噛み殺していた俺に、ミラが話しかけてきた。
「ん?」
「なにか、忘れてない……?」
何か引っかかるものがあるのだろうか、奥歯にモノが挟まったかのような表情を浮かべながら、ミラが言う。あ~、そういえば何か忘れているような……?
――結論からいえば、それが何かを思い出す必要はなかった。答えの方が自らやってきたからである。
バタンという何かが倒れる音と、女性の声が響いた。
俺達は操られたかのように同時に、首を音の聞こえた方向へ。
「だ、大丈夫ですか!?」
うつ伏せに倒れているテオを心配する女性の声と、
『あっ』
その光景を前に思わず口に出た俺達二人の声が同時に響いた。
……そうだった。
本当に、本当にこんなことがあってはならないのだが、ディランさん達のあまりの存在感に、今の今までテオ達の存在をすっかり忘れてしまっていた。
『…………』
俺達はしばしお互いに顔を見合わせて、
『テオっ!!』
彼の下へ走り寄ったのだった。
新キャラ登場しました。もっとも、すぐに去りましたが……。