第12話 テオ
先日、友人に作品を読んでもらう機会があったので感想を言ってもらいました。
一番良かった意見が、『独特だね』
一番悪かった意見が、『才能ないな』
他の意見が、『つまらない』『面白くない』『重い』『ライトじゃないし』
……アレ?褒められてない……?
少年の身体が淡い光に包まれる。
夜空に浮かぶ月のような淡く優しい光に包まれた少年の姿を見て、俺はホッと安堵の息を吐いた。彼に施している回復魔法の効果は、目に見えて表れているからだ。
地面に横たわらせている少年の体からは、次々と傷跡が消えていく。切り傷も打撲の痕も何もかもを、だ。
この調子ならば、すぐに治療は終わるだろう。
俺は少年へ向けていた目線を、自身の身体へと戻す。
――これはまた、酷いな……。
ボロボロになった服はとっくの昔に脱ぎ棄てている。上半身裸になった俺の身体には、無数の傷口が生まれていた。
さっきの戦闘で回復魔法をかけたおかげで多少はマシになっているとはいえ、それは戦闘中における応急処置以上の物にはなり得ない。閉じたはずの傷口からは、うっすらと血が滲みだしてきていた。特に矢の突き刺さった箇所の傷は深く、先の回復魔法をしても傷口は閉じなかったのか、今も尚血を流し続けている。
もしかしたら、外傷だけならば少年よりも自分の方が深手であるかもしれない。
目を閉じ、精神を集中する。想像するのは、無傷の自分。傷一つ無い身体。
光の繭に包まれ、俺の身体が活性化していく。傷が塞がり、血が巡る。
ビデオの逆再生をかけているかの様な光景に、俺は翳したままだった右手を降ろした。発動させなかった回復魔法は、右手の中でその光を霧散させる。
「もう終わったのか?」
他人の身体をその本人以上の効率で癒すことが出来る人間など、彼女以外にいるはずがない。こちらに向けて魔法を行使しているであろうミラに向けて、質問を投げかけた。
「ええ。ショウよりは軽傷だったからね」
「……さいですか」
交わす問答の内容は、少年の容体についてだ。
微かにではあるが皮肉が込められたその返答内容によると、どうやら少年の治療は完了したらしい。
「はい、おしまい」
そう思うが早いか、視界に映っていた光の繭がその姿を消した。どうやらこの短時間で俺の治療も終えてしまったらしい。
自分が使う、強引に傷口を塞ぐような――繋ぎ合せるような回復魔法とは違い、使用者に微かな安らぎの感覚すら与えるミラの回復魔法は、受けていて中々心地良い。思わず、昼寝に耽りたいとすら思ってしまうほどに。
ほんの少しではあるが、その感覚から解放されてしまったことに僅かな悔しさを覚えるが、そこは口に出さない。
視線を己の肉体へ。……大したものだと、改めてその効力を実感する。
あれほどの量の傷跡が刻まれた身体が、ほぼ戦闘前のソレと同じ状態へと戻されていた。
僅かに残る痕も、注視しなければ分からないほどだ。これくらいならば、完治したと言っても問題ないだろう。
「正直、コレだけで食べていけるよな、ミラは」
「フフッ、ありがとう。――でも、誰かさんが怪我をしないのが一番良いんだけどね」
「……善処します」
「うむ、よろしい」
……口では勝てないと、少なくとも助けてもらった上に治療までしてもらった今では絶対に勝てないと判断した俺は、視線を少年へと逸らす。『ツツツ……』というマンガでよく見かける効果音が今にも聞こえてきそうなくらいのぎこちない動きで。
地面で横たわっている少年の口からは、小さくも一定のリズムで吐息が零れだしている。どうやら、ゆっくりと眠れているようだ。
……本当にどうでもいいことなのだが、今日はこの子は寝てばかりだな。
まあ、それも仕方のないことなのだが。
「――ま、ゆっくり休めよ」
聞こえていないだろうが、声を飛ばす。少しでも早く元気を取り戻してもらいたいものだ。
武器に手入れは欠かせないものだ。例えそれが魔剣の類であったとしても。
刀身に付着した血と脂を布で丁寧に拭き取っていく。
この世界にやって来て、かれこれ一カ月。今ではこの作業もすっかり手慣れたものだ。むしろ、習慣にすらなりつつある。
……まあ、どんなに粗末に扱ってもこの剣の切れ味が落ちたことなんてないんだけどさ。
俺の手には余り過ぎる剣の手入れを終え、青い魔剣を鞘へ納めていく。
既に手入れを終えてある赤い片割れの方は、俺の足元だ。ミラは俺の隣に腰かけており、少年は薪火を挟んだ向こう側で安らかに眠っている。――生きてるぞ?
場所は馬車の周囲ではなく、先程まで盗賊と戦っていた場所だ。先程ミラが綺麗になるように『掃除という名の処理』を行ってくれたが――それでも微かに血の匂いが鼻へと届いてくる。
休むには余り適していない場所だが、それも仕方のないこと。俺も少年にも森中を歩き回る余力がない以上、ココで一夜を過ごすしかないのだ。
青の剣も足元へと置き、ホッと一息をつく。
今まで手入れに夢中で口を開かなかった俺がミラに話しかけたのは、そんな時だった。
「……そういえばさ。空なんて飛んで良かったのか?この子に見られる可能性もあっただろ?」
魔法使いにはそんなことをする必要などないからだろう、手入れの様子を物珍しげに眺めていたミラに、今まで内に秘めていた疑問を投げかける。
この子とは当然ながら、先程救出した少年のことだ。
「え?どういうこと……?」
そんな質問をぶつけられるなど思ってもいなかったのか、彼女はその眼を見開いて聞き返してくる。
「いや、どういうこともなにも……。翼生やして空飛んでる姿をこの子に見られたら、お前が魔族だってことがバレちゃうじゃないか」
「――だって仕方がないじゃない。そうでもしなきゃ、貴方達の場所なんて分からなかったんだから。ただでさえ夜だから視界が狭いのに、それに加えて土地勘の無い森を越えていくなんて無茶に決まってるじゃない」
流石に、自分の正体がバレてしまう危険性までは考慮していたらしい。そのことを考えた上で、私は空を飛んで捜索することを選んだのだと彼女は頬を膨らませながら言う。
しかし、『無茶』ねぇ……?
「俺みたいに、魔法の痕跡を辿っていけば良いと思うんだけどな?」
王都に近いとはいえ、ここらはまだまだ辺境の地だ。魔法を扱うような人間に――まあ、いなくもないだろうが――会うことなどまずないだろうし、魔獣が周囲にいるのであれば、その魔法の痕跡がもっと多くても構わないはずだ。それこそ、絡まりあった糸のように。
だが、この森は違う。魔法が使われた痕跡などまず無いことから、魔獣がここに生息していないことなど直ぐに分かる。現に、昨夜はほんの一匹にもそれらしい生き物に出会わなかった。
ならば。そのことが分かっているのならば、そこに突然に現れた魔法の痕跡を不自然に思うことは自然なことであるはず。
ならば。少年の短剣に込められた魔法を連想するのは自然なことであるはず。
ならば。その痕跡を追おうと思うことは自然なことであるはず。
現に俺は魔法が使われている痕跡を感じて、それを追っていった。俺でも感じ取れたことが、ミラに出来ないはずがないのだが……。
「なに、それ……?」
俺の言葉を聞いたミラの顔に、怖い表情が浮かぶ。……あれ?なんか悪いこと言ったか、俺?
「どういうこと……?」
挑みかかるような彼女の表情は、獣のソレを思い起こさせる。いや、マジで怖いですよミラさん。
「あ~、いや……。なんでもない、独り言だ。忘れてくれ」
「そん――」
「おっと、眠くなってきたな。悪いけどもう寝るわ。じゃあ」
「待っ――」
多少どころではないくらいに強引に話を打ち切った俺は、即座に横になる。だって、ミラの顔が怖いんだもん。
もしかして、魔法の痕跡を辿る手段のことが頭の中からすっぽりと抜け落ちていたのだろうか?それを俺に指摘されて、湧き上がる恥ずかしさも相俟って怒った――とか?
ありえない話ではない。彼女の優秀さは疑うべくもないが、同時にどこか抜けているところがあるからな。
――にしても、そこまで怒る必要はないよなぁ。
なんにしても、今は何も言わない方がいいだろう。下手をすれば墓穴を掘りかねない。
今尚俺に向けられている言葉は悪いが一切を無視することにする。大丈夫、明日にはミラの機嫌も直っているはずさ。俺は強引に思考を閉じ、眠りにつく。
それでも。言葉が聞こえなくなった後でも。見えない背中の向こう側から、いつまでも視線を感じていた。
「――むぁ?」
昼飯の匂いに誘われたのか、むくりと少年が身を起こした。
「ああ、起きたか。昼飯、食べるか?」
寝ぼけ眼でキョロキョロと周囲へと目を向ける少年に、俺は声をかけた。彼の真上では、高く位置している太陽が暖かい陽光を降り注いでいる。
「…………」
未だに意識が覚醒していないのか、ぼーっとこちらを眺めてくる少年。そのどこか間の抜けた表情に、こちらの表情も緩む。
だが、それもほんの少しの間だけだ。
直ぐにその焦点が合わさったかと思うと、彼は小さく口を開く。
「……ぁ」
顔をしかめた状態でそう呟いた彼は、しかしそれ以上に言葉を発することなく、そのまま顔を背けた。微妙に俺の心を傷つける行動だと思う。
「…………」
……チラチラとこちらへ伺うような視線を向けてくる辺り、嫌われているわけではないようだが……。
――となると、昨夜のことかな?
さしずめ、黙って抜け出したことに対する罪悪感と命を助けてもらったことに対する感謝の気持ちとか、そういったものが入り混じってしまって、それをどうしたものか判断に困っているといったところだろうか。
「気にすることはないのになぁ」
「…………!」
思わず声に出してしまった俺の考えに、少年がビクッと身体を震わせて反応する。
――怒られるとでも思ったんだろうか?
どことなく小動物を思い浮かばせるその動きに内心で密かに癒されながらも、自分にはまず彼にするべきことがあったことを思い出した。
「そうだ、コレを……」
そう言いつつ懐をゴソゴソと漁る俺の姿に、少年は首を傾げる。その疑問の表情が変わるのは、俺が取り出した物を見てからだ。
ナイフ。
極めて一般的なその外見とは裏腹に、内に魔法を秘めることが出来る優れ物。
初めて彼に会ったとき、イの一番に俺へと刺し向けられた一物。
そして、昨晩においては彼の所在を俺に知らせてくれた一物。
右手に握るそのナイフを、少年に手渡した。
昨晩よりも丁寧に。
昨晩よりも心を込めて。
「あ、ありがとう……」
前回とは違って彼がこの短剣にどれほどの想いを抱いているのかを知っている今、ナイフに対する処遇がより丁寧なものになるのは必然だろう。
差し出されたナイフを受け取った少年は感謝の言葉を述べてくるが……、
「ん~……」
個人的には、その言動は受け入れがたい。というのも、結果的には俺達の――というよりも、俺の――力が及ばず彼に傷を負わせてしまったのだから、むしろこちらが謝るべきなのではないかと思ったからだ。少なくとも礼を言われるようなことはやっていないと感じている。
とはいえ、相手の言い分を正すようなことはしない。折角の感謝の気持ちを無下にするのはあんまりだと思うからだ。
少年からの感謝の気持ち。こちらからの謝罪の気持ち、助けたいと思う気持ち。お互いに向け合う気持ちは違うモノではあるけれど、しかしソレは互いを気遣うもの――想うもの――と、方向性には変わりがないわけで。
ならば、わざわざ指摘などしなくてもいいのではないかと思う。わざわざ自分の感情を口にしなくてもいいのではないかと思う。お互いに向け合っているソレは、想いこそすれ憎むものでは決してないの だから。
――まあ、良い意味で擦れ違いっていうヤツかな。
だから。俺が次に口にする言葉は、それとは全くと言っていいほどに離れた言葉だ。
「――ああ、そうだ。そういえば返事を聞き忘れていたんだけど……、俺達はこれからアルト聖王国まで行くつもりなんだ。折角だからキミも一緒に連れて行こうと思うんだけど……。どうする?」
「え?あ……、その――よろしくお願いします」
少年はそう言って頭を下げる。
……どうも、変に遠慮している素振りが見えるな。助けてもらったという負い目でも感じているんだろうか。
――そんな必要、ないのにな。
苦笑を零す。先も述べたが、少年が負い目を感じる必要はない。
何故ならば、彼を保護しようと言いだしたのは俺であり、助けようと思ったのも俺だからだ。――ならば、身の危険が迫った彼を助け出すのは当然のこと。
むしろコレが向こうの世界だったならば、逆に俺が怒られそうな気がする……。監督不十分だとかなんとか。
――まあ、これからは単独行動をなるべく控えてもらいたいところだけれど。
だから、俺はその考えに則って行動する。
少年の目前に人差し指をビシッと突きつけて、「一言だけ言っておくけど」と口を開いた。
「は、ハイ!」
途端に背筋をピンと伸ばす少年。その顔は真剣な表情そのものだ。
だから。
俺はその顔に向けてニヤリと笑い、
「遠慮をする必要はないからな」
「え……?」
「どんな事情があるにしろ、一緒に旅をする以上、俺達は仲間だ。仲間だったら――遠慮なんてする必要ないだろう?」
少年は俺の言葉にポカンと口を大きく開けて聞いている。その表情はとても間抜けだ。俺の言葉がよほど予想外のモノだったらしい。
「えっと……。でも、いい――んですか?僕には身寄りもないし、それに昨夜は迷惑を――」
「気にするな」
少年の言葉を途中で切り捨てて、俺は続ける。
「俺達はそんなこと気にしていない。――というより、無償で助けられたら、そりゃあ誰だって何か裏が無いか疑うよな」
無料より怖いものは無い。特にそれが向こうにおける中世程度の生活水準でしかないこの世界ならば尚更だ。そういう点においては、こちらの配慮が足りなかったと今は反省している。
「まあ、なんだ?どんな事情があるにせよ、どんな事情があったにせよ、俺達は別に気にしないさ。……よく言うだろ?旅は道連れ世は情けって」
「……?」
俺の言葉に少年は再び首をかしげる。……どうやらこの世界には、そのような言葉は存在しないらしい。
俺はコホンと咳払いを一つ。
「……いや、今のは忘れてくれ。――まあ、話を纏めると、だ。俺達が責任もってキミをアルト聖王国まで送り届ける。キミはその間、俺たちに遠慮しなくていい。……そういうことだ。いいか?」
「は、はい」
「…………」
「――じゃなくて、ウン……」
まあ、最初はこんなものだろう。未だ遠慮が抜けきらない少年の返答を、眼力で強引に切り替えさせる。……この際、多少強引にでも方向性を修正しておかないとこれから先尾を引くことになりそうだからな。……荒療治ではあるのだが。
――誤解の無いよう言っておくが、俺は何も丁寧な口調を禁止しているわけではないからな?あくまでも、妙に肩肘の張った遠慮を取り除きたいと思っているに過ぎない。
「――まあ、アルト聖王国に着くまでには、自分のこれからの身の振り方をゆっくりとでいいから考えておいてくれ。あと――」
少年に、手を差し伸ばす。掌には何も持っておらず開いた状態だ。いきなり伸ばされた右手に戸惑う少年に向けて俺は精いっぱいの笑顔とともに口を開く。
「俺の名前は、ショウだ。短い間だけど、よろしくな」
今の今まで先送りにしていた自己紹介をようやく――そう、本当にようやくだ――口にする。
この言葉で、俺の手が何を示すものなのかに少年も気づいたのだろう。こちらも笑顔で手を伸ばしてくる。
「テオ。テオ・サウアースで――だよ。よろしく、ショウおじちゃん」
互いに笑顔のソレで交わされる握手。俺は少年――テオの右手をしかと掴み、フッと笑みをこぼした。
「頼むから――おじちゃんはやめてくれ……。せめて兄ちゃんで……」
乾いた笑みではあったのだが。
「……ちゃん!兄ちゃん!!」
まるで昔のゲームの導入部分のように、断片的に聞こえる自分を呼ぶ声に俺は意識をゆっくりと覚醒させていく。
「ほら、広場の鐘があんなに気持ちよさそうに歌ってる……」
「兄ちゃん?寝ぼけてるの?」
「……いや、何でもない」
折角、起きがけに時の引き金的なネタを披露したというのに。それを見事にスルーされた俺は、現在進行形で若干の憂鬱状態だ。
……最も、この世界の人に分かるわけがないネタを口にする辺り、やはり俺の目は覚めきっていないのかもしれない。
「ミラ姉ちゃんから伝言。もうすぐ出発だってさ。ホラ、起きて。次は兄ちゃんが手綱番だからね」
そう言って、テオは手を差し伸べてくる。図らずとも、夢の中とは逆の光景になってしまっている現状に俺は苦笑を浮かべ、
「ああ、分かった」
そう言って、俺は手を掴む。
――アルト聖王国まで、あと少しだ。
ようやく、第一幕も終わりが見えてきました。
以降の予定ですか? ……ほんのちょっとだけ続くんじゃ。