第2話 表情の見えない
昼の騒動から数時間後。
「あっ」
「……」
(今、扉が動いたぞ。 魔術式自動扉はアケルにも存在したが、この数量とは……異世界の技術は中々侮れんな……)
帰りの電車に乗り込むと、無表情の童顔と目があった。
今日、よく分からないことが起きた直前に顔を合わせていた、涼弥実である。
「涼弥もこっち方面?」
「はい、そうです」
「そっか……」
(中々悪くない容姿をした女だ。 アケルの民にも肩を並ぶ)
学校以外の場所で学校の知り合いと会うと気まずいよね。
早々と立ち去るべきか、そのまま一緒に帰るべきか。
普通に考えて後者の方が圧倒的にハードル高いけど、コミュ障男子の僕は「じゃあ、これで」の一言が言い出せない。
結果、僕は結局そのまま涼弥の隣に突っ立っていた。
一緒に帰って友達に噂とかされるの恥ずかしいし……、というギャルゲーの定型句と共に僕から離れない辺り、涼弥の優しさを感じる。
それどころか、先に話題を振ってくれたのは涼弥だった。
「先輩、頭の怪我は大丈夫ですか……?」
質問の意図は明白だ。
今日の僕の奇行についてだろうーーいきなり訳の分からない単語を羅列し、窓にヘッドバットを叩き込んで返り討ちにされた、休み時間の出来事。
暗黒騎士の再来が囁かれるには、十分すぎる奇天烈ムーブだった。
「う、うん。 たんこぶが出来ちゃったけど、幸い、大した怪我じゃなかったよ」
(そのたんこぶは俺が直そう。 俺の責任だ。 軽い傷なら魔力ですぐに治療できる。 というわけで、俺に身体の主導権を委任してくれないだろうか)
「するわけないだろ全ての元凶」
「えっ?」
「あっ」
まずい。
つい頭にキタので、思わず突っ込んでしまった。
冷や汗が流れるのを感じながら、後輩から目を逸らす。
しかし涼弥は僕をより一層見続ける。
「本当に大丈夫ですか。 先輩の頭」
「あれ、さっきと同じ質問なのに全然違う意味に聞こえる……」
実際、本当に大丈夫なのか聞きたかったのは頭の怪我の事じゃないのだろう。
答えになってない僕の返事に目を細めながらもそれ以上の追求ーー僕の意味不明な言動への追求はしなかった。
聞かれたら困るんだけどね。
僕自身も、何が起きたのかがまるで理解できていない。
(何度も説明した筈だが……では改めて。 俺はアケル王国第一王子ーー)
「ちょっと今集中してるから黙って」
「えっ?」
「あ、いや、涼弥に言ったんじゃないんだ」
「でも私以外の一体誰に……?」
「い、いや、蝉だよ蝉。 ミンミンうるさいから、ついつい口に出ちゃったよ」
「今は車内なのですが……」
「え、あ、き、聞き間違い、だったかな……あ、あははは……」
「………私の行きつけの精神科、紹介しましょうか?」
「お願いだからガチトーンで心配すんのやめて!!」
ていうかこの後輩さらっととんでもない事言ってるんですけど。
行きつけの精神科、あるの!?
(大丈夫か、ヒイロ。 幻聴の類……まさか精神攻撃を受けているのか!! すぐに俺に身体を預けろ!! 術師の居場所を突き止めて、攻撃を止める!!)
……やっぱり精神科紹介してもらおうかな。
このイラっとくる脳内スピーカーを除去できるならどんな手段も取りたい気分だ。
気がつくと、電車が目的地に到達していた。
慌てて涼弥に手を振る。
「「あっ、僕(私)この駅で降りるから(ので)……」」
「えっ?」
「あ?」
ここで涼弥とお別れ……とはならなかった。
涼弥とは意外と家が近かったらしいーー今まで一度も学校の外で合わなかったのが不思議なくらいに。
「えーと、涼弥の家ってどこなのかな?」
「そんな事を聞いて一体何をするつもりなのでしょうか」
「方向が一緒か気になっただけだよ!! 変な言い方するんじゃない!!」
無表情で言われると、冗談で言ってる筈なのにガチで警戒されてるように聞こえる……。
恐ろしや涼弥後輩ーー本当に、表情の見えない子だ。
「あっちです」
しかしやはり冗談だったのか、涼弥はあっさりと自宅の方向を指さした。
僕の家と全く同じ方向を。
「……僕もあっち」
「そうですか。 では一緒に帰りましょう」
何でもないように涼弥は同行を申し出た。
そういう事されると先輩男子はちょっぴりドキッとします。
かくして後輩女子とのちょっぴり気まずいお喋りタイムは延長された。
後輩女子との会話は楽しいけどそろそろコミュ力の限界です。
誰か助けて。
(助けて、だと!? 俺に任せるがよい。 敵はこの涼弥とかいう女か。 ヒイロに危害を加えるとは、美少女の皮を被った悪女であったか。 直ちに成敗しよう)
「--その前に、ちょっとトイレに行かせてもらってもいいかな?」
「はい、どうぞ」
涼弥にひと言ことわってから駅のトイレに直行。
誰もいない事を確認し、個室に入る。
一息ついてから、大きく空気を吸ってーー
「ああもうさっきから五月蠅い!! 聞こえないふりしてるんだからちょっと黙っててよお願いだから!! 幻聴が聞こえたり身体が乗っ取られたりするだけでも訳わかんないのに、意味不明な事ばっか言うし!!」
溜め込んでいたものを一気に吐き出す。
「何なの、この頭に響く声!? 気持ち悪いよ、そのせいでクラスメイトや後輩から変な目で見られてんだからね!!」
姿の見えない相手にわざわざ身振り手振りで苛立ちを爆発させる。
ぜえぜえと呼吸を整えていると、腹立たしい声は再び脳内に語りかけてきた。
(ふむ、まだ理解できていなかったか。 世界間における常識の差異を踏まえると、無理もない事なのかもしれないな。 よし、何度でも説明しよう。 俺はーー)
「アケル王国第一王子の△でしょ!? 何回も聞いてるよ!!」
僕は保健室で目覚めた時の事を思い出しながら、無人のトイレに声を響かせる。
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(目覚めたようだな。 俺はアケル王国第一王子、ライ・ファブリケイト。 この異世界に魂だけを転移し、貴様の身体に憑依した。 我が命を狙う追ってが恐らくまもなく迫ってくるが、気にする必要はない。 元の世界に戻る手立てが整えば、貴様の身体は五体満足の状態で返すと約束しよう)
「……は?」
目覚めると、僕はやわらかい布に包まれていた。
眩しいぐらいに白い部屋と、消毒液の匂い。
保健室に運ばれたみたいだ。
その状況を理解する間もなく、頭の中で見知らぬ声が発せられた。
(では、早速身体を借りーーん? 身体の主導権を奪えない? ……貴様、存外に自我が強いな。 魔力を持たない人間が憑依を撥ねのけるなぞ、滅多に聞ぬことだ)
……何言ってんだろう、この人。
中二病乙。
ってそうじゃなくて。
どういう状況?
この声どこから来てるの?
(俺は貴様の身体に住まわせてもらっている、魂だけの存在……幽霊みたいなものだ。 元の世界に戻り、祖国を救済するために貴様の身体を操りたい。 というわけで俺に身体の支配権を譲れ)
……よし、耳鼻科行こう。
頭を打ったせいで、幻聴が聞こえるようになった。
いや、これは精神科の領分かな。
もしも、たまたま帰り道が一緒の後輩が偶然にも行きつけの精神科があったら、紹介してもらおう。
いやまあそんな状況、普通に考えて絶対にありえないけどね。
とりあえず、このよく分からない声は無視するか……
(待て。 そう焦るな、少し待て。 事情を、事情を今から話そう。 俺の話をーー)
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
そんな状況ありえました。
過去の自分の予知能力ぷりにびっくり。
そういった具合にこの脳内スピーカーには無視を決め込んでいたが、我慢の限界が来てしまった。
トイレの個室には、一人で虚空に向かって叫ぶ男子高校生の姿があった。
(--ふむ、俺の話を分かってくれたなら、なぜ俺を無視するのだ)
「……いや、急に魔法とか言われても信じられないというか、ただのイタい人にしか思えないというか……」
まあぶっちゃけ過去の自分を思い出すね。
比彩君の暗黒騎士時代。
気になる方は第0巻をチェック!!
ちなみに発売の予定はございません。
あの黒歴史が社会に流れたらマジで人生終わります。
(つまり、証拠を見せろという事か)
「……まあ、本当に魔法とか使ったら、流石に信じざるを得ないね」
(魔法か……困ったな。 使えない事はないが、今は魔力の温存が最優先事項の一つだ)
「……さいですか」
あまりにも苦しい言い訳。
この声の主はやっぱりただの中二病患者みたいだ。
僕の黒歴史が第二の人格として現れてるのかもしれない。
そんな推測、あまりしたくないけど。
そろそろ涼弥の元に戻らなければならない。
トイレ個室の扉を開ける。
いくら一人きりだったとはいえ、大声張りすぎたかな。
これじゃあ涼弥にも聞こえてたかもしれない。
だとしたら気まずすぎるーー
「………………こんにちは」
「……………………こんにちは」
知らないおっさんが個室の前で用を足していました。
僕が個室に入った後にトイレに来たのかな?
とりあえず死にたい。
(この妙な空気は一体なんだ。 もしや知り合いか?)
「誰のせいだと思ってんの……」
その妙な空気を作らせたそもそもの原因に小声で愚痴りつつ、僕は早歩きでトイレを去った。
改札に戻ると、そこにはポツンと一人で立つ涼弥。
表情の見えない後輩。
可愛らしい容姿に仮面みたいな無表情も相まって、まるで人形だ。
「先輩、今トイレの方から叫び声が聞えたんですけど……大丈夫でした?」
「うん、トイレに入ってきたおっさんが何か急に一人で喋りはじめてさ。 いやあれはヤバイね。 厳しい社会の中で追い詰められてるのかもしれないけど、ああはなりたくないね」
「たしかに誰かがトイレに入るのを見かけましたが…………世の中にはあまり触れてはいけない変な人達で溢れてますね」
ごめん見知らぬおっさん。
僕の奇行を全て貴方に擦り付けました。
でも、まるで涼弥はあのおっさん以外にも変人に会ってきたかのように言うなあ。
これはあくまで確認だけど、窓ガラスに頭から突っ込むのは別に変人じゃないよね。
急に見えない誰かに向かって話し出すのは変人じゃないよね。
何だか僕への視線に含みがある気もするけど、気のせいだよね。
………どうやら見知らぬおっさんに濡れ衣を着せても、まだまだ僕の変人判定は根強いようです。
僕と涼弥は肩を並べて帰り道を歩く。
意外と涼弥は冗談を言える人で、会話は割と弾んだ。
涼弥の冗談はとてつもなく分かりにくくて、中にはガチで言ってるのだと思わせるものもあったけど。
ともかく、後輩女子との帰宅は気まずすぎるんじゃないかという懸念は杞憂に終わった。
しかし、思いの外楽しかった時間も終了。
交差点の一つで、ついにお互いの帰宅路にズレが生じた。
ここでお別れだ。
「じゃあね、涼弥」
「はい。 また明日、です」
別れの挨拶をすると共に、涼弥に背を向ける。
また明日、か。
明日も一緒に帰れるかな。
若干下心の混じった願望が頭をよぎり、ふと振り向いた。
振り向いた。
もし、振り向かなかったら、僕は後悔してもしきれなかっただろう。
その時、僕は目撃した。
「--えっ?」
大型トラックが風を切りながらアスファルトの上を削る。
暴走と称すにふさわしく、その進行方向は道路とかけ離れている。
行き先は、つい先ほどまで自分の傍にいた女子。
ーー死ぬ。
涼弥が死んでしまう。
このままだと鉄の塊の突進を受け、轢死を免れない。
助けなきゃ。
叫んで危険を知らせればまだ間にあうかも。
いや、無理だ。
土壇場で迫りくる危険に気が付いたとして、普通の女子高生が咄嗟に暴走トラックを避けられるわけがない。
考えろ。
自分が飛び込んで、涼弥を突き飛ばす?
それこそ不可能。
別れたばかりだが、彼女との距離は既に大きく開いてしまった。
僕が彼女を押し出すか、血飛沫が上がるか。
どちらが先なのかは考えるまでもない。
下手に動いたら、赤い噴水をより近くで観賞する結末となるだけだ。
もう、彼女は助からない。
奇跡が起きない限り。
魔法でも使わない限り、彼女はーー
(--代われ)
ーー身体が何をするべきか分かっていた。
天啓のようなひと言を、抗う事なく受け入れる。
自分の中のスイッチが切り替わる感覚。
己の物でなくなった肉体を譲り渡す。
直後、眩い光が視界を覆う。
足は既に動き出していた。
次の瞬間にはも身体が停止する。
背後で、鉄が己自身の勢いによって自壊する。
耳を貫くほどの凄まじい粉砕音を背に受けながら僕、いや、『俺』はゆっくりしゃがみこんだ。
両手に抱えていた少女を地面に降ろす。
「--大丈夫か」
躊躇なく動く身体とは裏腹に、僕の頭の中は混乱に包まれていた。
信じられない現象。
かつては無邪気に信じたが、現実を受け入れて諦める他なかった神業。
それを自分の身体で行使した。
自分の身体を使って、自分でない誰かが行使した。
ありえない。
しかし、事実は揺るがない。
奇跡は起きた。
僕は今、自分の顔が見えないーー鏡が無ければ自分の顔が見えないのは当たり前だが、今僕の表情筋を操っているのは俺であって僕ではない。
自らの力で命を救った少女に向けて、俺は一体どんな顔を向けていたのだろう。
ーー表情の見えない俺がいる。