16話 不可視の凶器
ライが手をかざすと、僕を掴んでいた腕を切り落とした剣は、ブーメランの如き軌道で彼の手元に戻った。
その身体には見覚えがある。
瞳の色が変り、髪の毛が一房色を変えただけでは、見間違えようがない。
今日、学校を欠席し、その人気さ故に他学年までをも騒がせた僕の友人。
タクの肉体に、ライの魂が入り込んでいた。
「久しぶりだな、ヒイロ。 といっても、二日しか経っておらぬか」
「……うん。 久しぶり」
複雑で、奇妙な感覚が僕の背筋を凍らす。
共に目標を据えて手を取り合ってきたライを前に、喜びと安心感が湧き上がってきた。
その一方で、最悪なまでに正しい行いをしようとした、絶対に分かり合えないと確信してしまった異世界の王子を前に、恐れと緊張が身体を走る。
どちらかと剣呑さが表情に表れていたのかもしれない。
ライは場を和ませるように、朗らかな笑顔を浮かべた。
「先日は心底呆れ果てたものだったが、すまない、あの時にヒイロと別れたのは早計だったようだ」
「……それって、つまり」
「無力ながらも、個人で人形姫に勝負を仕掛けるとは。 見上げた忠誠心だ。 是非、再び俺の手を取り、アケルのために力を尽くしてほしい」
一方的に攻撃されて逃げ惑う様を、果たして『勝負を仕掛けた』と言ってもいいのかは分からないけれど。
王子の目からは、そう見えたらしい。
そして、『見上げた』忠誠心。
立場上でも、能力上でも、万物を見下ろそうとするライからすれば、今のは最上級の誉め言葉なのだろう。
作戦第一段階。
ライを誘き出し、僕の信用を回復させる。
それらの目的は、見事に達成されたと言っても過言じゃない筈だ。
「ごめん、ライ。 あの時は僕が間違ってたよ。 今度こそ、僕はライをアケルに帰すために力を貸すよ」
上手に噓をつくためには、真実と織り交ぜて話すのが良いらしい。
王子を元の世界に帰すため、という名目は本当だ。
少しだけやり方が本人の意にそぐわないかもしれないけれどね。
「少し待て。 今そちらの身体に移動する」
告げられた言葉を脳で処理しきる前に、タクの身体が崩れ落ちる。
それと同時に生じる、頭の中の異物感。
この異物感が消失した際は、酷く虚無感を覚えたものだ。
それほどまでに慣れ親しんだ感覚。
しかし、改めて味わってみると僅かな抵抗感がある。
うーん、人間とは矛盾した生き物だね。
(安心するがよい。 我が居候も、今夜で最後となることを約束しよう)
二日ぶりに脳内スピーカーが復活する。
そして、遅れてある事実に気がつく。
ーーまずい。
早く身体を交代しなきゃ駄目だ。
(ヒイロは一体何を慌ててーーそういうことか。 案ずるな。 この程度は)
「もはや俺達には通用しない」
魔法陣が浮かび上がり、身体を通り抜ける。
その一瞬後に迫ってきた巨岩を、ボールを打ち返すバットのように剣で打ち払う。
その一撃で仰け反ったゴーレムは、そのまま見えない力によって地面に叩きつけられた。
「無粋な真似をするものだ。 ヒイロの騎士道を少しは見習うがよい」
「……前々回の戦闘と比較。 王子の戦闘能力の上昇を確認」
「なに、相性の悪い肉体で効率よく俺の力を引き出す術を練習してきたからな。 その術を身に着けた俺が、さらにヒイロの身体を操ればこの程度、造作もない」
予想外のパワーアップを果たしたライへの驚愕をよそに、安堵が僕の心を包む。
ナイスタイミングだ、トゥルちゃん。
僕は、ライが勘違いしたように、敵の攻撃を察知して身体の交代を必要と感じたわけじゃない。
ライは僕の心の中を読めてしまう。
僕がライに本当の意味で協力しようとは思っていないことが悟られてしまったら、全てがおじゃんだ。
よく考えたら、そのまま僕が決してライの不利益になることを企てているわけではないという心も読んでもらえて、平和な話し合いの元でことを進められたかもしれないけど。
危ない橋は渡らないに越したことはない。
身体の支配権を交代すれば、おそらくライは僕の心を読めない。
今までの戦闘を考慮した上で立てた推測だ。
僕が明確にライに話しかけようという意思で呟いたことにしか、ライは反応してこなかった。
「では、今度こそトゥルを捕らえ、元の世界に戻る方法を吐かせるとしよう」
現に、僕が今頭の中で組み立てていた思考を悟る気配もなく、ライは元気に宣言した。
王子の好きにさせるわけにはいかない。
このままでは、王子は前回同様、いや、先ほどの強さを鑑みれば前回以上の速さでトゥルちゃんを追い詰めるだろう。
そして、脅迫材料として涼弥を斬りつける。
そんな事態は、絶対に防がなきゃ駄目だ。
「不可能。 王子は、ここで止める」
僕の思いに呼応するように、トゥルちゃん、いや、人形姫が静かな啖呵を切る。
それが、戦いの火蓋を切らせた。
腕を切り落とされた者と、地面に縫い付けられたまま立ち上がらない者。
それら二つのゴーレムはもはや不要と判断したか、人形姫が両手を上げると共に浮かび上がったのは、新たに地面を抉って作られた土塊だった。
「攻撃開始」
土の弾丸が全方位から発射される。
それを前にして、ライは微動だにしない。
「無駄だ」
ぶら下げた剣が、より一層強い光を放つ。
すると、放たれた土塊が全て地面に沈んだ。
ライの重力魔法のような能力。
「--攻撃継続」
さして驚く様子もなく、人形姫は次弾を装填する。
グラウンドのあちこちで窪みが広がるのと同時に、土が小石に形成される。
それだけではい。
今度は、風を巻き起こすほどに強烈な回転を、その場で始めていた。
そしてそのまま、それこそ本物の弾丸のように、きりもみ回転をしながらライに向かって撃たれる。
先ほどに比べて明らかに威力が上がっているが、しかし、ライの力を前にすれば無意味なことだ。
どんな攻撃も等しく地面に叩き落せてしまう。
「たわけ。 分かりやすすぎる。 気が付かぬとでも思ったか」
しかし、ライが取った行動は予想に反するものだった。
大きく身体を捻り、縮こませた自らの身体を解放すると共に放たれた斬撃が円を描く。
三百六十度、全ての飛来物を一撃で弾いた。
見事な技だけれども、疑問が残る。
(今のも能力で対応すれば良かったんじゃないの?)
「それは罠だヒイロ。 以前言ったように、魔力で操られた物には、能力を行使できない」
(でもさっきの攻撃には能力を使ってたじゃん)
「あの攻撃は発射の瞬間にしか魔力反応を示さなかった。 能力で土の塊を射出した後は、もう魔力による操作は行われていなかったということだ。 大して今の攻撃では魔力反応が継続して示されていた」
(なるほど……)
一瞬の火薬の炸裂でよって勢いをつける鉛玉と、噴射しながら突き進むミサイルの違いみたいなものだろうか。
ゲームセンターでの戦闘では、ライは迫りくるガラス片を能力で叩き落す一方で、他の遠距離攻撃には他の対応策を取ったりしていた。
あの時もライは魔力反応の有無を感じ取っていたということかな。
今更ながらな事実の発覚はともかくとして、僕は心の準備を済ませる。
攻撃はことごとく失敗に終わっているけれど、ここまでは予定通りだ。
今の弾幕の目的はライを蜂の巣にすることではなく、その場に釘付けにすること。
ーー来た。
「--!! これは」
「作戦第二段階、フェーズ1、成功」
身体が沈む。
突如として、足元の地面は液体となった。
浮遊感が全身を包むのも束の間で、即座に沼と化していた地面に身を浸す。
そして浮かび上がる暇もなく凝固。
一瞬で個体から液体へ転じ、液体から個体へと戻った地面により、僕の膝から下を全て地面に埋まらせていた。
「分子の振動操作による状態変化、か」
流石は王子。
何が起こったのかを即座に理解したらしい。
個体と液体というのは、分子の感覚によって変動する。
化学的な理論を省いて簡単に言うとすれば、まあ要するに、個体をめちゃくちゃに揺らせば液体に変えられるということだ。
逆に液体はぎゅうぎゅうに詰めれば個体になる。
『物質を操る能力』は使い方次第で、どんなことも可能になるのだ。
「まさか、トゥルがこのような手を用いるとはな。 意外にもほどがある」
ライが感嘆の息を漏らす。
信じられないと言わんばかりの言い草だ。
「警戒レベルの上昇を推奨。 トゥルは頭がとてもいい」
してやったり顔を浮かべるトゥルちゃん。
急に語彙力が下がった台詞の後半からご察しの通り、この策は彼女の考案したものではありません。
僕が提言したことだ。
今までとは切り口の異なる手段を取らなければ、ライを出し抜くことはできない。
連続射撃でその場に根を下ろさせた後、土壌ごと崩す。
下手に能力で反撃しようものなら、自分自信を巻き込むことになる。
これで王子の動きは封じた。
ならば彼が取るべき手はーー
(ライ! 剣を投げるんだ!!)
「ーーなるほど、その手があったか」
僕の提言の応じたライから、黄金の矢が再び放たれる。
国宝を投擲することが許されるのは、おそらく王子だけだろう。
腰と上半身だけで反動をつけ、剣を切っ先を人形姫に向けたライは、それを槍投げのようにして撃ちだした。
しかし、
「予想通り」
地面から岩盤を引き剥がし、巨大な盾を浮かべる人形姫。
剣は標的を前に、あえなく勢いを殺される。
剣が突き刺さった岩盤は即座に衝突音を響かせながら地面に突き落とされたけど、人形姫には衝撃波がささやかな風となって髪を僅かに揺らる程度の影響しか及んでいない。
そして、一歩も動くことなく戦況を支配していた人形姫がついに動き出した。
岩盤に刺さった剣を目掛け、駆け出す。
それ自体に魔力があり、固有の能力を持つ国宝は自らの手で抜く他ない。
「戻れ、ラテアノクスよ!!」
人形姫の行動に警戒を抱いたのか、ライが猛々しい号令を上げる。
しかし、剣は縫い付けられたかのように、小刻みに震えるばかりでその場から動こうとしない。
一度刺さった釘が中々抜けない理由をご存じだろうか。
それは、刺さった対象物が釘を強く挟むことによって生まれる摩擦によるものだ。
そして今、人形姫の力によって限りなく強大な力をもってして,
岩盤は剣を握ったまま放さないでいる。
「なぜ戻らない!!」
あるいは剣の能力であれば、突き刺さった岩盤ごと、主の手元に戻ることすら出来たのかもしれない。
しかし、岩盤は王子の能力により、極限の重力に晒されている。
主の元に馳せようとする剣の力と、全てを平伏させる王子の力が、打ち消しあっているという状況だ。
地面に植え付けられたまま動けない王子。
それを傍目に剣に手をかける人形姫。
完璧に作戦通りだ。
さらに手筈通りであれば、背中とコートの裏地の間に黄金の鞘が挟んである筈。
ーー勝った。
僕は興奮のあまり、拳を突き上げた。
……え?
身体が、僕の意思で動いている?
なんで?
ライはどこにーー
疑問に対する答えは、すぐに僕に突きつけられた。
「危ないところだった。 いや、本当に焦った。 ヒイロには申し訳ないが、この男に憑依し慣れていなかったら、我が剣に何をされていたか分からぬ。 俗人が手にしたところで扱える代物ではないが、我が妹たるトゥルであれば、仮の主として剣に認められる資格を持ち合わせているからな」
人形姫は、仰向けに倒れていた。
それを見下ろすのは、青色の眼。
タクの身体に憑依し直したライだった。
「さて、トゥル。 あの時のやり直しだ。 --スズヤの命を失うか、異世界へ戻る方法を教えるか。 どちらかを選べ」
「!!……」
驚愕に目を見開いた人形姫の喉元には、既に剣が突きつけられていた。
ーーまずい。
最悪の事態だ。
勝利は目前まで迫ってきていたというのに。
たった一つの想定外の行動により、あっさりと形勢逆転されてしまった。
「……作戦失敗、これより撤回を開ーー」
「くどい。 貴様がその娘を手放そうとしないことは、既に明白だ。 ハッタリは効かぬ」
王子が腕を僅かに動かすと、刃は皮膚に皮一枚分食い込んだ。
あと少しでも力を込めれば、涼弥の命が失われるという段階。
下手に動くことはできない。
そんな状況下で取られた行動は、思いもよらないものだった。
「--否。 王子の言葉を否定。 トゥルは撤退を開始する」
瞬間、雪色の髪が溶けるように色を変え、艶やかな黒へと転じる。
瞳が閉じられた涼弥の身体は眠りについたかのように、静かに胸を上下しはじめた。
ーー見るに明らかだ。
トゥルちゃんの魂が、涼弥の身体を手放した。
それは即ち脅迫内容を承諾したということ。
人形姫は、涼弥の命を見捨てーー
(捨ててない。 ヒイロの早計を否認)
え?
今の声、頭の中から聞えてきたよね。
状況から判断するに、この声の正体はーートゥルちゃん!?
(肯定。 ヒイロの身体に憑依)
いや、何で!?
そんな場合じゃないでしょうが。
今にも涼弥がバッサリ斬られそうになってるじゃないか。
涼弥の変貌を目にしたライが、視線を尖らせる。
「--ほう。 斬ってもよい、ということだな。 了解した。 五秒後にスズヤの首を断つ。 どこかで見ているのなら、今のうちに戻ってくることだ」
ほら、今ならまだ間に合う。。
今すぐ涼弥の身体に戻ってもらえば、ひとまず涼弥は斬られずに済む。
(それは不可能。 王子への敗北を意味する。 命令は背けない)
ーーっ!!
こんな時まで命令命令って。
涼弥がどうなってもいいというのか!!
いや、落ち着け。
落ち着くんだ僕。
トゥルちゃんの主義にケチをつけるのは、今更にもほどがある。
命令に従うことを第一に優先しているのなら、命令に背かない形でなんとかすればいいと決めたじゃないか。
沸騰しかかった頭を努めて冷やす。
今は起死回生の一手を考えることに集中するんだ。
「残り三秒」
ご丁寧にカウントダウンを開始する王子。
心が逸るのを感じながら、僕は意識を集中させた。
ライをこの場でどうにかして倒す。
そのためには何が必要だ。
考えろ。
王子の弱点を。
彼を倒し得る存在を。
「残り二秒」
ーーあった。
一つだけ、王子を倒せるものがあった。
思いついたことは、口にせずとも既に伝わっている。
「残り一秒」
(了解。 スズヤの身体に移動する)
僕の思考を聞き入れたトゥルちゃんが、間髪入れず僕の意識から気配を消す。
「残りーーふん、やはり口だけであったか」
寸でのタイミングで、涼弥の瞳が朱色を帯びながら開く。
それを確認した王子が、冷酷な声色で問いかけた。
「戻ってきたということは、アケルに帰還する方法の用意は出来ていると捉えて間違いないな?」
「間違いない。 これより、方法の説明を、開始する……ただ、」
「ただ、なんだ」
トゥルちゃん特有の口調が強調されるように、言葉はゆっくりと紡がれる。
焦らされたかのような感覚を覚えたのか、王子が苛立ちの籠った声で続きを促したーーその時。
「--僕も気になる、なあ!!」
僕はライを後ろからギュッと抱きしめた。
背中からのハグ。
不意打ちの抱擁。
それを初めてする相手が同姓になるとは。
何度も言うけれど、僕にそっち方面の趣味は一切ない。
「ど、どうしたヒイロ。 場を弁えるがよい」
「場を弁えてたらいいんだ」
「いや、そういうわけではない、というか一体何のつもりだ」
あまりにも場違いかつ唐突な行動に目を回すライ。
といっても、その視線の先はトゥルちゃんからひと時たりとて離れていない。
僕へ混乱を示しつつも、その瞳は冷静にトゥルちゃんの所作一つとして見逃さなかった。
この程度は、大した陽動にもならない。。
でも、大した陽動でなくともよい。
ほんの一瞬。
ほんの一瞬の戸惑い。
それが、勝負を決した。
「何のつもり、って……ーーまあ、こういうつもりかな」
言い残すと同時に、僕はその場にしゃがみ込んだ。
刹那、響き渡る粉砕音。
砕け散る粒が、僅かな月明かりを反射させる。
「なっーー」
動揺の声。
揺らぐ足腰。
確かな足取りが失われると、王子はその場にドサリと倒れこんだ。
王子の僅かな隙を突き、人形姫がその頭上に動かしたもの。
それはーー枠から切り離された、学校の窓ガラス。
照明に照らされながら無数の欠片に分けられた際とは比べ物にならないほど、夜闇の中で長方形を形どったそれは透明だった。
王子に唯一、膝を着かせたことのある不可視の凶器。
「ーー作戦、成功。 勝利の確定を確認」
王子を倒す方法。
それは、一番初めから提示されていた。