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am 7:45

 鶴見課長がフェイクヘア(カツラ)だという事実は、公然の秘密だ。


 まだ30代後半の課長だが、若い頃から薄毛だったらしい。

 本社採用された後、何ヶ所か支店を転勤して、本社に戻ってきたときには、別人になっていたという――毛髪量が。


『鶴見の奴、北海道で結婚したんだよ。それで……被ったんだろうなぁ。あ、これは秘密だぞぅ』


 マーケティング部の蒲田(かまだ)部長が、去年の忘年会の3次会でポロリと溢した「秘密」は、翌日には「公然の秘密」になっていた。実際、課長のビフォアーアフターを知る者はほとんど居ないので、長らく河童や天狗みたいな懐疑的な扱いだった。むかーし目撃者は居たようだが、久しく目にした者は居ない、というアレだ。

 だけど――伝説上の生き物は、実在した。もとい、噂は本当だった。


 だって、ほんの5m先のデスクトップの向こうから、違和感たっぷりに地滑りした髪が、チラチラとこちらを窺っているのだ。


「課長、中央線で人身事故があって、皆から出社が遅れるかもしれないって連絡がありました」


「えっ、参ったなぁ」


 参ったのは、私です。

 朝から、何たるプレッシャー。しかも、室内には2人切り。この緊張感は、半端ない……。


-*-*-*-


 スマホを覗くと、同僚達から、ぽつぽつとLINEが入っていた。


『風が強かったですねぇ。って言いながら、自分の髪を直す振りをする、っていうのは?』


 今朝は、風なんて吹いてないし。第一、そのアプローチは、挨拶の直後じゃないと不自然でしょ。


『あ、ゴミが……って、さり気なく髪を触って、直しちゃえば!』


 そんな器用に出来ないし! そんな度胸もないよぉ。


『窓開けるか、エアコン付けて、強風に晒してみたらどう?』


 今は冬ですよ? それも無理があります……。


 同僚達の協力は有難いけれど、そのアイデアを実行するのは、私なのだ。皆、我が身に置き換えてみて欲しいなぁ。


『ナナちゃん。鏡作戦、どうなった?』


 タイムラインの最後に、ユミちゃんから質問があった。


『ダメ。ネクタイだけ見て、肝心な部分は気付いてくれなかったぁ』


『そっか。手強いねぇ』


 温くなった紅茶を飲んで、こっそりと溜め息を吐いた。


-*-*-*-


 鶴見課長が嫌な上司なら、こんなに悩むことはなかったと思う。

 社内外に不自然な髪型を晒し、思いっ切り恥をかいてしまえばいい、と割り切れる。


 だけど、課長は良い人なのだ。仕事も出来るし、部下の面倒見もいい。失敗しても一方的に責めたりしないし、変なオヤジギャグで場を凍らせたりもしない。大人の対応が出来る、穏やかな性格の人なのだ。

 だから、彼のことを表立って悪く言う人はいない。

 マーケティング部の女の子達は、彼女達の上司(蒲田部長)を引き合いに出して、『企画部は、上司に恵まれているわねぇ』と羨んでいた程だ。


 だから、恐らく本人が気にしているであろうデリケートな部分で恥をかかせたくない。出来ることなら、そっとしておいてあげたい。

 だから、皆が出社する前に、気付いて欲しいのに。


「あ、9:30から会議があったんだ。このネクタイじゃマズいなぁ」


 えっ。会議?!


「社長もいらっしゃるんですか?」


「いや。でも第三部署は、部長以下が出席するよ。このネクタイはマズいなぁ……」


 マズいのは、ネクタイだけじゃありません、課長。


 頻りに胸のネクタイを気にする彼を見ながら、ますます焦りがつのる。

 部長以下の会議ということは、広報部の堂門(どうもん)課長も居るということだ。あの「拡散屋」の異名で煙たがられている、お喋りオヤジが。


-*-*-*-


 その情報伝達の速さから、Wi-Fiを飛ばしてるんじゃないかとさえ恐れられている、広報部の堂門課長。


『よりによって、ヤバい人と会うねぇ』


 ユミちゃんも、「青ざめた猫」のスタンプを付けている。


『いや、いっそのこと、拡散屋に指摘してもらったら?』


『馬鹿だな。何で教えてくれなかったんだ、ってナナちゃんが恨まれるだろ』


『うちの部内で収めた方がいいって!』


 ですよね……。


『私には、このミッション重すぎます~。皆さん、早く出社してくださいよお~』


 泣き言を入れてみるが、


『ごめん!』

『そうしたいのは、やまやま』

『無理ー』

『まだ動かないんだわ』


 分かってます……。言ってみただけですよぅ。


『頑張って、ナナちゃん。課長を救えるのは、ナナちゃんだけだよ!』


 ユミちゃんの励ましに、LINE上は一斉に「拍手」のスタンプが踊った。


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