第八幕 餅は餅屋
その道のプロと先人の言葉には、耳を傾けるべし
ファミレスで佐田との面会を終えてから、早くも一週間が過ぎていた。だが、福朗は煮詰まっており、依頼を進展させる事ができずにいた。高月との接触が上手くいっていないのが原因だ。
大学前での待ち伏せを諦めた福朗は、四月十三日から四月十七日までの夕方を、駅前の定位置に座って高月を待っていた。明日香伝いの猫宮の情報によると、高月は隣町の実家から大学に通っているとの事だったからだ。境戸駅を利用しているのは間違いないし、大学を通るバスのバス停の位置から考えて、待機している駅の入り口も間違ってはいないはず。それでも福朗には、一向に高月が見つけられなかった。
外見を知っているとはいえ、写真の印象しか知らない福朗にとって、雑踏の中から一人の女子大生を見つけるのは至難の業だ。なにしろ福朗は、役に立たない観察眼しか持っていないのだから。
写真に写っていたのは胸像と同じ範囲だったので、服装の違いは関係ない。猫宮曰く、高月は普通の体型らしい。だが、女子の普通がどの程度なのか福朗にはわからない。頼みの綱は眼鏡と髪型。しかし、眼鏡をしている若い女性なんてごまんといるし、コンタクトにされていたらお終いだ。それに髪型。女性は大抵長く伸ばしているし、帽子を被られでもしたらそれだけで印象が変わってしまう。また、髪を切られでもしていたら、それもお終いだ。
写真一つで出現時間のわからない人物を大勢の中から探し出す。その難しさを福朗は痛感していた。真田の時は奇跡中の奇跡で、且つ見つけたのは明日香である。元刑事である福朗には張り込みの経験もあったが、自宅前や企業前での経験しかない。数多の人間が交錯する駅前とは、人の数が段違いなのだ。探偵ではない福朗は、世の探偵さん達の苦労を思い知った。
そんなこんなで本日四月二十日も、福朗は一応駅前に出没した。そんな中、過去五日の不作を思い集中力が切れかけていた折、福朗に一本の電話が掛かってくる。それを受けた福朗は、十八時頃に事務所へと戻り明日香を待っていたのだった。
明日香は依頼を受けて以降、平日は毎日猫宮の居る美術室に足を運んでいる。友情というよりは姉妹愛を育んでいるような形で、依頼とは関係なく足しげく通っているのだ。そんな事情もあってここ数日、明日香が事務所に到着するのは決まって十八時過ぎとなっている。
依頼人である猫宮はと言うと、明日香との会話は美術室で間に合っている為、初日以降事務所に顔を出す事はなかった。福朗としてもこれと言って報告事項がない為、猫宮をわざわざ呼び付ける事もなかった。
福朗がソファに座り、テレビも点けずにぼんやりする事数分。事務所の扉が開かれて、明日香が顔を出した。
「やぁ、来たね明日香ちゃん」
「はい、来ましたよ。夕飯はなにがいいです?」
手慣れた女給でもある明日香は、鞄をソファに置きながら福朗に尋ねる。いつもならなにかしらリクエストするのだが、この日の福朗には電話により先約があった。
「今日は作らなくていいよ。その代わり、俺に付き合ってくれない?」
「また外食です? この間したばかりなのに」
節約家寄りの倹約家である明日香は、福朗の無駄遣いを許さない。先日必要経費と称して高いパフェをせしめた自分は棚に上げて、福朗に責めの眼差しを送る。
福朗は明日香の言わんとしている事がわかったので、先に予防線を張る事にした。
「今日はお呼ばれなんだ。たぶん奢ってくれると思うから、お金については気にしなくていいよ」
「奢りですか……」
奢りという言葉に明日香が揺れる。明日香はケチでもがめつくもない、と自分では思っている。ただ、人の好意に素直に甘えているだけだ、と言い聞かせているのだ。
明日香は脱ぎ掛けた上着を正し、鞄を持ち直した。
「それなら、ご相伴にあずかるのも吝かではないですね」
福朗も明日香をケチやがめついとは思っていない。福朗が思っているのは、
「本当に明日香ちゃんはちゃっかり者だな」
と、この一言に尽きる。
ちゃっかり者の烙印を嫌う明日香は、頬を膨らませてそっぽを向いた。
「しっかり者なんです。過度な遠慮は失礼に値しますから」
「そりゃ場合によりけり、だよ。遠慮した方がいい時もあるさ」
「そこは一応、弁えてるつもりですけど?」
明日香の抗議に苦笑しながら、福朗がソファから立ち上がる。
「そうかい。わかってるならいいよ。まぁ、今回は遠慮の要らないパターンだしね」
わかったと言う福朗が、本当にわかってくれたのか明日香にはわからない。だが、いつまでもむくれていては置いて行かれるかもしれない。そう踏んだ明日香は福朗に向き直って尋ねる。
「奢ってくれるお相手って、マダムです?」
「いんや、今日は違うよ。明日香ちゃんの知らない人」
「私の知らない? それって、私が付いてってもいいんです?」
「問題ないさ。むしろ君だったら歓迎してくれるよ」
「私だったら……それって誰なんです?」
「そいつぁ着いてのお楽しみ、って事にしておこう」
「え~、そんなぁ~」
福朗が笑いながら扉の方へ歩き出したので、謎の人物との会食に不安を覚えつつ、明日香も福朗の背中を追う。
扉に手を掛けたところで、福朗が立ち止まって言う。
「ああ、そうだ。これだけは言っておくよ。マダムを想像してたなら悪いけど、今日はそんなお高い場所じゃないからね」
「そうなんです?」
「今日は高架下の屋台ラーメン。それでも来る?」
明日香は正直なところ、少しだけがっかりしていた。しかし、そこはしっかり者を自負する明日香。顔にも声にもおくびにも出さない。
「へ~、私屋台のラーメンって初めてです~」
福朗は明日香の表情や声色からは読み取れなかったが、予測演算から多少はがっかりしてるんだろうな、と考える。そしてそれを苦笑で表現しながら、扉を開いて外へと踏み出した。
*福朗、明日香移動中*
境戸駅からは東西に向かって高架が延びている。それを東に徒歩数分追いかけると、人通りも車通りも少ない場所が現れる。中心街と住宅街の狭間にできたうら寂しいスペース。そこに福朗達の目指す屋台がひっそりと佇んでいた。
屋台の暖簾は五つに分かれ、赤地に黒色で『天上の一品』、と五文字の店名が書かれている。営業日は月水金土日の週5日。飲み物以外のメニューと言えば、屋台とは思えないほど濃厚なとんこつラーメンと、あっさり風とんこつの二種類だけ。老練で無口な店主から繰り出されるそのラーメン達は、どちらも絶品だ。しかし、店主一人で切り盛りしている為、その数には限りがある。よって偶然発見してハマった者達は、自身の分を確保したいので口外はしない。知る人ぞ知る名屋台、それが『天上の一品』という屋台なのだ。
福朗達が屋台に到着した時には、詰めてやっと五人が座れるベンチに暖簾で頭部が隠された一人分の後姿が見えた。
福朗は暖簾を潜る前に後ろから声を掛ける。
「お久しぶりですバンさん。先日はどうも」
福朗に呼び掛けに応じるように、後姿が背もたれのないベンチを跨いで反転する。暖簾から顔を覗かせたのは、白髪交じりの角刈りに無精ひげを蓄えた男だった。
「おぅ福朗、久しいな。元気だったか?」
「はい。バンさんの方こそ、お元気そうでなによりです」
福朗が『バンさん』と呼ぶのは、先日パトカーに乗せられた一件で名前を出した坂東警部補だ。本名は坂東克己。年齢的に警部になっていてもおかしくないが、昔気質の現場主義者なので出世を断り続けている。薄茶色のコートを羽織り、これでもかという具合にスーツを着崩すその姿は、およそ刑事には見えない。だが、それでも坂東は優秀な刑事だ。福朗が刑事時代世話になった先輩で、今でも稀に連絡を取る数少ない元同僚である。
「まったくよぉ、人様の名前を勝手に出しやがってからに。ワシぁ良いとしても、ひよっこ共に迷惑掛けんじゃねぇよ」
「いやぁ、その節は大変お世話になりました。以後気を付けますんで」
坂東に糾弾された福朗は、苦笑いを浮かべて頭を掻き始めた。
坂東は無精ひげを撫でながら福朗を見据える。
「本当だろうな? 次は助けてやらんぞ?」
「はい、善処します。ご迷惑をお掛けしました」
いつになくまともな対応をする福朗は、坂東に対して早々に頭を下げた。福朗が頭を下げた事で、坂東は後ろに佇んでいた明日香に気付く。
「あん? なんだぁ、その嬢ちゃんは?」
「はうっ……あ……う……」
不意に坂東と視線がかち合った明日香は、怯んでしまって上手く声が出せなかった。口をパクつかせる明日香を見て、福朗は立ち位置をずらしてからフォローを入れる。
「この娘は俺のトコでバイトしてくれてる娘なんですよ。ほら、怖い人じゃないから自己紹介を」
福朗に促された明日香は、おっかなびっくりで自己紹介を始める。
「あ、あの、私、高梨明日香って言います。フクさんの……いえ、福朗さんに雇われている者です。よろしくお願いします」
言い終えた明日香は、坂東に向かって深く頭を下げた。しかし、暫く坂東からの応答がなかったので、なにか粗相を働いたのでは、と不安になる。坂東の顔を見るのが怖かった明日香は、なかなか顔を上げられない。
折れ曲がった状態で固まる明日香を動かしたのは、突然聞こえ始めた坂東の笑い声だった。
「おめぇんトコでバイトだぁ? 酔狂な嬢ちゃんも居たもんだなぁ!」
明日香が恐る恐る顔を上げると、膝を叩いて豪快に笑う坂東の姿が目に入った。
「酔狂……です?」
キョトンとして首を傾げる明日香を見て、坂東が更に笑う。
「そらぁ、そうだろうよ! 今日日いかがわしい『何でも屋』なんかでバイトするたぁ、酔狂以外のなんでもねぇよ! なぁ、福朗よぉ⁉」
「まぁ、俺もそうは思いますが、バンさんに言われるのはちと堪えますね」
福朗は坂東の振りに、また頭を掻いて困り顔を浮かべた。
笑い続ける坂東に、福朗をバカにされたと思った明日香は、勇気を振り絞って反論を試みる。
「そ、そんなに笑わないで下さい! 困っている人を助けるフクさんのお仕事は、立派だと思います!」
勇気を出して声を上げた明日香だが、目は瞑っていた。言い切ったところで坂東の笑い声がピタリと止まったので、また明日香は怖くて坂東を見る事ができない。
福朗を擁護した明日香をしげしげと眺めた坂東は、パンッと一つ膝を打ち鳴らして言う。
「気に入ったぜ嬢ちゃん! ワシぁ福朗の元上司にあたる坂東ってんだ。まぁ立ち話もなんだから、さっさと座んな」
そう言って坂東は、屋台へと体の向きを変えた。
なにが起こったのかわからない明日香は、不安げな表情を福朗に向ける。
「気に……入られたんです?」
福朗は朗らかな笑みを浮かべながら答える。
「言ったろ? 怖い人じゃない、ってさ。それに、歓迎してくれるともね」
「は、はぁ……」
妹気質の明日香は基本的に年上を尊敬しているが、親子ほど年の離れた坂東は例外だった。初対面の現状では、明日香は押しの強そうな坂東を苦手だと思っている。
表情が硬いままの明日香を見て、福朗は釣るように言う。
「さ、俺らも座ろう。ここのラーメンは美味いぞ~」
「は、はい……」
福朗が坂東の右隣に座ったので、明日香も今更逃げ出すわけにはいかなかった。福朗の隣に座ろうとした明日香は、奢りと聞いてノコノコ付いて来た事を少しだけ後悔した。
↓屋台にて↓
暖簾を潜ると、そこは明日香にとって初めての世界だった。隔てていたのは暖簾だけのはずなのに、いざベンチに座ると美味しそうなスープの匂いが鼻をくすぐってくる。その匂いだけで、明日香の小さな後悔を吹き飛ばすには十分な威力を誇っていた。
店主が三人分のお冷を並べ終えたのを見計らって、常連である坂東は早速注文を始める。
「親父ぃ、濃厚とんこつをワシとコイツに頼まぁ」
無口な店主である『親父』は、坂東の注文に頷き一つで返した。続けて坂東は好みのわからない明日香に注文を聞く。
「嬢ちゃんはどっちでいく?」
「ふぁい⁉ なにがでしょうか⁉」
香りに釣られてぼんやりしていた明日香は、急な坂東の問いに慌てて聞き返す事しかできなかった。まだ坂東に慣れない様子の明日香に、福朗が助け舟を出す。
「ここの屋台はとんこつラーメンが売りでね。濃いとんこつと、あっさりしたとんこつしかないんだ。明日香ちゃんはどっちにする?」
福朗が優しく仲介してくれたので、明日香は深呼吸を挟んでから参考までに意見を求める。
「どっちの方がいいです?」
「そりゃおめぇ、濃い方がいいに決まってんじゃねぇかよ」
福朗に聞いたつもりの明日香は、しゃがれ声で口を挟んできた坂東の意見にたじろいでしまう。
坂東のフレンドリーさが、年下過ぎる明日香には少々高圧的に思えるのだろう。そう判断した福朗は、再び助け舟で割って入る。
「ちょっとバンさん。選ばせる為に聞いたんでしょ?」
「だがおめぇ、後進に美味ぇもんを教えてやるのが、老骨の務めってもんだろうがよぉ」
「だからって押し付けは良くないでしょう。明日香ちゃんが困ってますよ?」
福朗に促された坂東が明日香に目をやると、両手で固く握りしめたお冷に視線を固定してガチガチになっているようだ。額を左手で軽く打った坂東は詫びを入れるように言う。
「おっと、こいつぁすまねぇ。ワシのオススメは濃い方なんだが、女子供にはあっさりの方がいいかもしれん。まぁ、好きな方を選びな」
福朗のちょっとした進言を受け入れ、すぐ非を認めた坂東に、明日香は豪快だが傲慢な人ではないのだ、との印象を受けた。猫宮との出会いを思えば、坂東については自分が勝手に苦手意識を持っただけ。そう思い直した明日香は、もう一度深呼吸をしてから坂東と目を合わせる。
「オススメは濃いとんこつなんです?」
「おぅとも。嬢ちゃんにはちとキツイかもしれんが、美味さは折り紙付きってもんよ」
深い皺の刻まれた顔に無邪気な笑みを浮かべる坂東を見て、明日香の緊張が解れていく。坂東に対する福朗の対応から見ても、福朗が坂東を敬愛しているのは明らかだ。また、坂東の方も福朗を後輩としてかわいがっている様子。二人の良好な関係に水を差してはならない、と明日香は助手として思う。
明日香は知っている。先人に気に入られるには先人の好意を素直に受け取る事だ、と。さっきはよくわからない内に気に入られたらしいが、今度は意図して気に入られるよう明日香は口を開く。
「では、私も濃い方でお願いします」
「よく言った嬢ちゃん、増々気に入ったぜ! 親父ぃ、嬢ちゃんにも濃いの頼まぁ」
明日香の選択に、坂東は嬉々として注文する。それを受けた親父は、また無言で頷くだけだった。
福朗はこの店のラーメンが美味い事をよく知っているが、濃過ぎるほどに濃いとんこつである事もよく知っているので、明日香を心配して一応聞く。
「大丈夫なの明日香ちゃん? ここのスープは本当に濃いよ?」
打算通り坂東に気に入られた明日香だが、心持ちの半分以上は実質濃い方を食べてみたいだけだった。明日香は濃い味付けもイケる口であるからして。
「大丈夫ですよ。私、とんこつラーメン好きですもん」
笑顔で答えた明日香の若さが、福朗には羨ましかった。三十路過ぎて以降胃が衰えてしまい、夜の重たい食事が翌日に持ち越されてしまうのだ。明日の自分を思って憂鬱になりかけた福朗は、一度頭を掻いてから考えるのをやめた。
福朗と明日香の心中に頓着しない坂東は、注文を終えてお冷を口に含んでいた。だが、突然なにかを思い出したように、ポケットから一枚の写真を取り出す。
「福朗よぉ、ちょいとコイツを見てみてくれや」
「ん? なんですコレ?」
坂東が福朗に見せたのは、遠方からズームで撮影されたかのような、歩く男を正面から捉えた写真だった。その写真には、濃紺のスーツを着てビジネスバッグを持ち、手入れの行き届いた綺麗な靴を履く男の全身がキッチリ収められている。
「今担当してる事件でなぁ、ソイツを追ってるんだ。おめぇからはソイツがどう見える?」
「いやいや、事件ってバンさん。一般人の俺にこんなもん見せていいんですか?」
「別に構やしねぇよ。事件の内容を語るわけでもねぇんだ。写真を見せて印象を聞くくらい聞き込みと変わらん」
福朗の懸念を意に介さず、坂東は手帳を取り出して促す。
「ほれ、なんでもいいからとにかく言ってみろ」
「はぁ……」
福朗としては気乗りしなかったが、尊敬している坂東を無下に扱う事もできない。加えて先日迷惑を掛けた借りもあるので、意見を述べるくらいなら、と持ち前の観察眼を使う。
「そうですねぇ……比較的サッパリとしたビジネスマンに見えますが、髪を伸ばし気味なのと、派手なネクタイが気になりますね。どこに勤めてるヤツなんですか?」
「大手のゼネコンだ。そこで経理をやってる」
「なるほど。社内勤めをいい事に、注意されない程度に個性を出してるのか……となれば、外見は取り繕いつつも確かな個の意思を持っていて、いざという時は保身に走るタイプ。って感じですかね」
「ほぅ~、そうかそうか」
坂東は福朗のコメントに相槌を打ちながら手帳にメモを残した。そしてそれを眺めて、考えをまとめるように一人呟く。
「ってこたぁアレだな。流され易い性質で、悪行だろうとゴリ押しされれば人の頼みを断れないヤツって事になるなぁ」
坂東の漏らした呟きは、福朗の意見とは随分食い違っている。せっつかれて渋々意見を述べた福朗としては聞き捨てならない。
「バンさん。俺の話聞いてました?」
「ワシから聞いたんだ、聞いてないわけなかろうが」
「だったらなんで、俺の意見を取り入れてくれんのですか……」
「なに言ってんだ? おめぇの意見を取り入れたから、この見解になったんだぞ」
「えぇ~~」
どうにも得心のいかない福朗は、坂東に非難の目を向けた。その福朗の背後からは、明日香の感嘆の声が上がる。
「す、凄いです~」
明日香は福朗とは違い、尊敬の眼差しを坂東に送っていた。
「あん? どうした嬢ちゃん?」
「凄いです坂東さん。どうすればフクさんの観察結果を、正しく解釈できるんです?」
純粋な目で問いかける明日香に、坂東は思わず笑ってしまう。
「そんなもん、福朗と幾分長く付き合えば嫌でもわかるようにならぁな。コツさえ掴めば楽勝よ。それに刑事ってなぁ人を見るのも仕事の内だ。餅は餅屋ってこったなぁ」
福朗と坂東は、かれこれ十年近い付き合いになる。福朗が刑事だった頃に行動を共にする事が多かった坂東には、福朗の的外れな観察眼を修正するくらいお手の物なのだ。
「まぁ、本当に正しいかは別問題だがよぉ」
坂東は一応、福朗を気遣う言葉を付け加えたが、明日香が切り捨てる。
「でもでも、全く違うよりは断然マシじゃないですか」
バッサリと言い切った明日香に、坂東は福朗を忘れて悪乗りした。
「そりゃそうだ。よくわかってんじゃねぇか嬢ちゃん」
「はい。ここ二ヶ月くらいは毎日のようにフクさんと会ってるんです。だから私にだって、フクさんの目が役に立たない事くらいわかりますよ」
「おぅおぅ言うねぇ。なかなか見込みのある嬢ちゃんだ」
「いえいえ、私なんて。坂東さんの理解力に比べればまだまだです」
両サイドから飛び交う言葉のナイフに切り刻まれた福朗は、言葉を失くしてショック症状に陥り、表情が一気に老け込む。普段なら焦ってフォローを入れる明日香も、今は坂東の手腕に夢中で福朗の状態に気付かない。
「坂東さん、私にもコツを教えて下さい!」
真剣な面持ちの明日香から教えを請われた坂東は、悪乗り気分から一転して思案気に無精ひげを撫で始めた。
「教えろってかぁ……そうさなぁ、単純に逆突けばいいってだけでもねぇからなぁ。教えろと言われると難しいもんだ」
「そこをなんとか! お願いします!」
意外な行動力を持つ明日香は、今まさに意外な面を露にして、撃沈中の福朗を押しのけるように坂東に迫る。
後進の育成に余念がない坂東は、教えを懇願してくる若者に弱い。自分の経験から考えて、坂東は絞り出すように提案する。
「ワシぁ福朗の見立てと実際の人柄との違いから、少しずつコツを掴んだのよ。一足飛びとはいかんが、例を上げるくらいならできると思うぞ?」
「ホントです⁉ じゃあじゃあ、ちょっとコレを見てみて下さい!」
明日香は鞄からメモ帳を取り出して、とあるページを開いてから坂東に手渡した。そのページには、先日記載した佐田の観察結果が書かれている。
「ほぅほぅ、『チャラい』『プレイボーイ』『浮気性』『自己中』『ナルシスト』ってか。コレは福朗が初見だけで上げた印象なのか?」
「ですです」
「コイツの外見は?」
「割とイケメンで髪を茶色に染めた、ピアスをいっぱいしてる私と同年代の男性です」
「ふぅ~んむ……となると……」
坂東は片手でメモ帳を開きつつ、無精ひげを撫でつける。数秒悩んだ後、呟くようにして修正結果を言う。
「コイツ、実はいいヤツなんだろ?」
「凄い! アタリです!」
明日香は福朗と佐田の会話を聞いていなかったのでよく知らないが、会話後の福朗がいいヤツと言っていた事から、坂東の見解をアタリと判断した。
「どうしてわかったんです?」
「そうさなぁ、コイツの場合は単純なパターンだ。福朗が無駄に深読みせず外見そのままの印象を口にした場合は、反対の性質である事が多い。遊び人は真面目ないいヤツで、真面目に見えるヤツほど腐った内面、って具合だな」
「ははぁ~、なるほど~」
明日香は坂東の解釈に心底感心した。
坂東も明日香の反応を見て悪い気はせず、むしろいい気分になる。
二人に挟まれたままの福朗はと言えば、傷付いていく一方だった。
気を良くした坂東はラーメンができ上がるまでの間、レッスンを続ける事にする。
「他にもあんのかい?」
「あっ、じゃあ一つ前のページを見てもらっていいです?」
明日香に促されて坂東はページを繰る。そこには真田についての項目が書かれていた。
「お次は、『腕時計と靴が高級』『自己主張が強い』『身勝手』『意見の押し付け』『逆切れの可能性あり』、か。コイツの外見は?」
「その人も私と同年代の男性で、眼鏡を掛けた好青年風です。この場合はどうなります?」
「ん~……コイツもたぶん、悪いヤツじゃあなさそうだなぁ」
「え? え? ドコでそうなります?」
『坂東式福朗見解解釈術』に、明日香は興味深々だ。意欲ある生徒を前にして、坂東も丁寧に注釈を入れる。
「まずだなぁ、福朗が物の値段を口にしても信じちゃいけねぇ。小綺麗な物は大概高価だと決めつけてやがるからだ。この場合は高い物を若造が身に付けてると思った事が間違いなんだよ。そこから後の印象に派生したんだろうさ」
明日香は坂東の説明を聞いて思い出す。真田を見た福朗は確か、「学生の分際で」とかなんとか言っていた事を。
「となると、ミスリードで本質とは違う印象になったって事です?」
「そうなるなぁ。だが、価値はどうあれ、一見して高そうな物を身に付けてるって点は無視しちゃならねぇ。だから『自己主張が強い』は残しつつ、『身勝手』と『意見の押し付け』を『自分の考えは曲げない』に変える。逆切れするかどうかまではわからんが、コイツは自分の意志を表に出す事を恐れない堅物ってだけだろう。そう考えると、ここに書かれてるよりはいいヤツなんじゃあねぇかなぁ」
「は~~、なるほどです~」
自身の作品を世界に発信する真田を考えると、明日香には坂東の見解に正当性があると思えて仕方がない。明日香は今後、福朗の観察結果に悩んだ時は、坂東に相談しようと決めた。
明日香と坂東に妙な師弟関係が生まれ、福朗が灰になりかけていた時、無口だった親父が初めて渋い声を上げる。
「へい。濃厚とんこつ。三つ上がり」
片言のように区切りながら言った親父は、ラーメン鉢を坂東の方から順番に並べていく。
「待ってましたっ!」
と、坂東が膝を打ち鳴らし、
「食べて元気出そ」
と、しょぼくれた福朗が呟く。そして、
「うわぁ~、ドロドロです~」
と、明日香が率直な感想を述べた。
三者三様の反応を見せ、それぞれがラーメンに向かう。福朗と坂東はすぐ割り箸に手を伸ばしたが、明日香は想像を超えたスープの濃さに固まってしまっていた。
だから言ったのに、と思い、福朗は明日香に最終警告する。
「無理しなくていいからね。余ったら俺かバンさんで平らげるから、今からでもあっさりとんこつを頼みんさいよ」
明日香は一度福朗に目をやってから、粘度の高いスープに視線を戻して拳を握る。
「いえ……せっかくのオススメですし……」
震える手でレンゲを掴みスープを掬った明日香は、恐る恐る口に運ぶ。ラーメンスープとは思えない口当たりに一瞬眉をひそめたが、飲み下した時には明日香の目は見開かれていた。
「これは……」
スープを飲んで硬直した明日香を見て、もう大丈夫だろう、と福朗は思った。でも一応聞いておく。
「どう? いけそう?」
「はいっ、とっても美味しいです!」
すっかり『天上の一品』のラーメンに魅了された明日香は、鞄からポーチを素早く取り出し、中にあった髪ゴムを使って髪を束ね始める。そして、
「いただきます!」
と、再びラーメンに向かった明日香は食べ終えるまでの間、飲食以外の目的で口を開く事はなかった。
*ラーメン堪能中*
「ご馳走様でした~。美味しかったです~」
明日香の感想と恍惚とした表情を見ても、親父は顔色一つ変えず頷きもしなかった。まるで当然だと言わんばかりの無表情で、明日香のラーメン鉢を回収する。
福朗と坂東は明日香がラーメンを頬張っている間に替え玉を注文していたので、明日香よりも少しだけ遅れて食べ終えた。
「やっぱここのラーメンが一番だなぁ。えぇ、おい?」
「そうですね。久しぶりに食いましたが、ラーメンはやっぱりラーメン屋に限ります」
「ったりめぇだ。ここに勝るラーメンなんてワシぁ知らん」
親父は福朗と坂東が完食した事を確認して、福朗のラーメン鉢だけを下げた。
坂東は目の前に残るスープを見ながら、コートのポケットを弄る。タバコとライターを取り出して、いざ箱を開いたところで額を打った。
「しまった、忘れてた! おめぇらが来る前に吸った分で最後だったんだ!」
坂東の落胆を一瞥して、福朗は溜息交じりに言う。
「タバコ、まだ止めてなかったんですか? 随分前に忠告したでしょうに」
「うるせぇなぁ。本数はかなり減らしたんだ、少しくらいは大目に見ろっての」
「止めないと意味がないから言ってんですよ」
坂東は福朗の気遣いを憎からず思っている。故に本数の削減までは取り組んだが、止めるまでには至っていない。それに、
「だがよぉ、ここのスープを啜りながら吸うのが一番美味ぇのよ。これだけは止められん」
と、食後の一服は坂東にとって外せない儀式なのだ。
「ちょいと買ってくらぁ」
そう言って坂東が立ち上がろうとしたので、気の利く助手である明日香がすぐに反応する。
「私が買って来ますよ。コンビニすぐそこですし」
「あん? いいのかい嬢ちゃん」
「はい、全然です」
「そいつぁ助かる。んじゃ、コレと同じもんを頼まぁ」
「畏まりました、師匠」
坂東からタバコの空き箱を受け取った明日香は、一度敬礼をしてから屋台を出て行った。
師匠と呼ばれた坂東は、苦笑しながら福朗に言う。
「おんもしれぇ嬢ちゃんだな。ドコで捕まえたんだ?」
福朗としては捕まえたつもりなどさらさらない。なし崩し的に雇う事になった経緯を思い出して頭を掻く。
「今年の初め頃ですかねぇ。沈んでいたあの娘と出会って依頼を受けたんですよ。ひと月ほど掛かって依頼をなんとか解決した時には、妙に懐かれてまして」
「そんで助手にしたってか?」
「はい。正確には向こうから雇えと言って来たんですがね」
坂東は福朗が刑事を辞めた理由も、『何でも屋』という奇妙な活動を始めた理由も知っている。知っているからこそ坂東は、福朗に理解者ができた事を喜ばしく思う。坂東は福朗を気に入っているからこそ、福朗を気に入った人間を気に入るのだ。
「そりゃ増々面白れぇじゃねぇの。まぁ、大事にしてやんな」
「はぁ、そうですね。でも、俺のトコに居ても、あの娘の為にはならんのではないかと……」
「そんなもんはおめぇの決める事じゃねぇさ」
「そう言われましてもねぇ……」
福朗は頭を掻き続けている。福朗と付き合いの長い坂東も、それが困った時のクセである事を知っている。
「あの嬢ちゃんは、おめぇにとって迷惑なのか?」
「いえいえ、決してそういったわけではありません。よくやってくれてますよ。特に俺と依頼者の間に立つ、緩衝材役としてね」
「ならいいじゃねぇか、別によぉ」
「しかし、あの娘の本分は学生なんです。俺のトコには稀に妙な依頼も来ますし、巻き込むわけには――」
「ウダウダ言うなってんだ!」
煮え切らない福朗の言葉を、坂東の一喝が遮った。同時にカウンターを叩きつけたので親父が反応したが、二人を注意する事はなかった。
「いいかぁ、福朗。いくら雇えとせがまれようと、最終的に雇うと決めたのはおめぇだ。だったら助手として、あの嬢ちゃんをちゃんと扱ってやれや。その上でおめぇがしっかり守りゃあいい」
「はい。一応そのつもりで行動はしてますけど」
「だろうな。だが、かと言って不用意に疎外するのもよくねぇ。あの嬢ちゃんはおめぇをよく慕ってる。おめぇの役に立ちてぇと思ったから助手になったはずだ。過度な気遣いは嬢ちゃんに不安を与えるだけだぞ? ちゃんと助手として使って、頼ってやれ。それがおめぇの役割だ」
「はい……」
久々の坂東の説教は、福朗にはどこか心地良く思えた。先達から受ける、先達として振舞うアドバイスが、福朗に染み入っていく。福朗は坂東のアドバイスに則り、進展しない依頼状況を考えてから、明日香を頼る事に決めた。
「わかりました。今ちょうど、俺一人では煮詰まってたところなんで、明日にでも頼る事にします」
「おぅ、そうしてやんな。そもそもおめぇは探偵じゃねぇんだ。探偵業ってのは余計な事に首突っ込んで恨みを買っちまう事態もままあるが、おめぇんトコはそこまで酷くねぇんだろ? もしなんかあったとしても、ワシが手ぇ貸してやっから心配すんな」
「ありがとうございますバンさん。その言葉、忘れませんからね」
「まぁ、おめぇ個人がどうにかなる分には、知らんぷりを決め込むがな」
「またまたぁ、なんやかんやで助けてくれるくせに」
「そうかもなぁ」
坂東が豪快に笑い、福朗も笑い声を上げる。坂東と福朗もまた、坂東と明日香よりも遥かに長い師弟関係なのである。
二人の会話がひと段落ついて笑い合っていた頃、ちょうど明日香がお使いを終えて戻って来た。
「お待たせしました坂東さん。はいコレ、タバコです」
「おぅ、あんがとよ嬢ちゃん」
タバコを受け取った坂東は、財布から五百円玉を取り出して明日香に渡す。
「コイツで足りるだろ? 釣りは少ねぇが取っときな」
「はい、ありがとうございます」
「こちらこそだ。これでやっと一服できるってもんだ」
坂東はそそくさとタバコに火をつけて、スープとタバコの極上ループに入っていった。食後の儀式に満足そうな坂東を見て、福朗は苦笑している。
福朗の隣に座りなおした明日香は、席を外していた間に交わされた会話が気になっていた。
「楽しそうな笑い声が聞こえましたけど、なんのお話をしてたんです?」
そわそわ顔の明日香に一部始終を語るのが気恥ずかしかった福朗は、詳細を隠して明日香に伝える。
「君の話をしてたんだよ」
「え? え? どんなお話です?」
「明日香ちゃんは面白い娘だな、って話さ」
「えぇ~、なんですかそれ~」
明日香が不満の声を上げ、福朗がまた笑う。坂東は二人の様子を窺いつつも、ループから抜け出してまで割って入る事はなかった。
*坂東一服中*
ヘビースモーカー時代なら、スープ一杯でタバコ四本はいけた坂東だが、福朗に本数を減らしたと言った手前、二本に留めてラーメン鉢を返した。
「よっしゃ、一服も終わった事だしそろそろ行くか」
「そうですね。ご馳走様ですバンさん」
福朗は奢って貰えると思っていたので、先行して坂東に礼を言った。しかし、坂東は怪訝そうな顔を福朗に向ける。
「あん? なに言ってんだおめぇ」
「あれ? 誘ってくれたから、俺はてっきりバンさん持ちかと」
「ナマ言ってんじゃねぇよ。こないだ助けてやったろ? 迷惑料としておめぇが払え」
「いや、それはさっきの写真の件でチャラになったんじゃ……」
福朗の抗議に対し悪戯な笑みを浮かべた坂東は、突然真面目な顔に変えてから、
「一般市民殿の無償協力に感謝致します!」
と、刑事ならではのスットボケを繰り出した。
福朗は奢られるつもりで来ていたので、逆に奢る事になってショックが大きい。だが、打算で動いていたのは自分の方で、借りがあるのもまた事実。借りと言うのはさっきのアドバイス代だと思う事にして、福朗は渋々財布の中身を確認する。
明日香も食事相手に奢って貰えると聞いて来たので、まさか福朗が出す事になるとは予想外だった。思わぬ出費で顔を歪める福朗に、明日香は自分の財布を取り出して言う。
「あの、私の分は自分で……」
明日香を助手として扱えと言われたばかりの福朗は、その言葉に甘えるわけにはいかない。
「いや、ここは俺が出すよ。気を遣わせて悪いね」
精一杯の愛想笑いを明日香に向けて、福朗は丁重に断った。
悪びれない坂東はベンチから立ち上がり、一足先に屋台から離れていく。
「おぅ、嬢ちゃん。情けない男の会計を見守ってやるなぃ。女は黙って店の外で待ってりゃいいのよ」
坂東のお呼びが掛かり、明日香は財布と福朗を交互に見つつ、戸惑いの声を上げる。
「えと……でも……」
今の明日香の心境は、福朗に対する優しさなのか、同情なのか。どちらにしても、福朗のダメージに繋がる事に変わりはない。
福朗は明日香の反応を見て、坂東が言う以上に情けない気持ちに囚われる。情けない感情を溜息と共に吐き出して、福朗は明日香を追い払う。
「ほら、バンさんが呼んでるよ。コッチはいいから、相手してあげてくれる?」
「ホントにいいんです?」
「いいからいいから。ほら、行った行った」
福朗が手を振って促すので、明日香もこれ以上食い下がりはしない。
「ご馳走様です!」
と、明日香は頭を下げてから、財布を鞄に戻して屋台から離れて行った。
*福朗会計中*
屋台に福朗を残し、明日香は坂東へと歩み寄っていく。
「美味しかったです。お誘いありがとうございました」
「いいって事よ。まぁ、嬢ちゃんを連れて来たのも、奢ったのも福朗だ。礼ならアイツに言ってやんな」
「はい。後でもう一度伝えておきますね」
明日香にはもう、坂東に対する苦手意識など欠片も残っていなかった。
坂東の方には元々明日香に対する苦手意識はなかったし、福朗を擁護した時点で気に入っていた。今となっては、明日香に対して親心のような感情が芽生え始めている。また、直接言いはしないが、坂東は刑事を辞めた後の福朗を心配している。福朗の性質を知り高く買っている坂東だが、なにかと世話が焼ける面を知っているのも坂東だ。気立ての良さそうな明日香という存在が福朗には必要だろう、と坂東は思う。
「よぉ、嬢ちゃん。福朗の助手は楽しいかい?」
「そうですねぇ……すごく楽しい、とは言えません。でも、嫌だと思った事は一度もないです」
少し間があったものの、ハッキリと言い切った明日香に坂東は安心する。
「そいつぁ結構じゃねぇか。どんな事やってんだ?」
「依頼自体はほとんど来ませんから、基本的にはご飯作ったり、掃除してる事が多いです」
「なんだそりゃ。それじゃあ助手ってより家政婦じゃねぇか」
呆れ顔の坂東の言葉に、明日香は顔を曇らせてか細く答える。
「そう、ですよね」
明日香が不意に寂しげな表情を浮かべても、年齢に裏打ちされた経験を持つ坂東は焦ったりしない。どっしりと構えて相談に乗るスタンスに移る。
「なんでぇ嬢ちゃん。なんか思うところでもあんのかい?」
坂東は明日香にとって頼れるシニアであり、且つ福朗をよく知っている数少ない人物だ。漠然とした不安を打ち明けるいい機会だと思った明日香は、坂東に心中を吐露する。
「フクさんのところでバイトを始めて、もうすぐ二ヶ月くらいになります。依頼が少ないのは本当ですが、全くないわけじゃありません。でも、フクさんは私に、なにもやらせてくれないんです。いえ、なにも、は言い過ぎかもしれませんが、それでももう少し、頼ってというか、使ってくれてもいいと思うんです。私って、信用されてないんでしょうか……」
訥々と語る明日香の言葉を、坂東は無精ひげを撫でながら聞いていた。そして思ったのは、福朗の配慮がやっぱり裏目に出ている、という事だった。
福朗と明日香の関係は、良好ではある。だが、まだまだぎこちない。そう判断した坂東は、福朗に一喝入れたように、明日香の背中も押してやる。それが老骨の役割である、と熟知した上で。
「嬢ちゃんの言い分はわかった。だがまぁ心配は要らねぇよ。福朗は人間嫌いじゃねぇが、特段好きってわけでもねぇ。福朗は一人でも大丈夫なヤツなんだ。そんなヤツが嬢ちゃんを側に置いてるんだ、信用してねぇなんてこたぁねぇのさ」
「そう、なんでしょうか」
福朗ほど強く押せなかった坂東の言葉は、今一つ明日香に伝わり切っていないようだ。未だ自信なさ気な明日香に、坂東はもう少しだけ言葉を弄する。
「福朗は自分に頓着しない割に、他人には敏感なヤツだ。嬢ちゃんの意欲は十分だから、ちゃんと意思表示すればヤツは応えるよ」
「それは……そう思いますけど……」
「福朗が『何でも屋』を始めてもう二年になるが、助手なんて嬢ちゃんが初めてだ。ウジウジしてねぇで自信持ちねぇ」
『初めての助手』。それが明日香の心に火を点けた。明日香は俯き加減だった顔を上げて、頭を振って気持ちを切り替える。切り替えが済んだら、後は坂東に向かって微笑んで、決意を述べるだけ。
「わかりました! 私、やってみます!」
無事役目を終えた坂東も、後は笑って応援してやるだけだ。
「おぅ、よく言った嬢ちゃん! 福朗の助手は面倒な事も多かろうが、まぁ、気長に相手してやってくんな」
「はい、お任せ下さい!」
これにて、坂東による明日香のカウンセリングが終了した。
ようやく会計を終えて、福朗が仲良く笑い合っている二人に合流する。
「おんや、随分楽しそうだねぇ? なんの話?」
福朗の問いに、明日香が笑顔で答える。
「フクさんはしょうがない人だ、って話ですよ」
坂東も笑ったまま悪乗りする。
「ちげぇねぇ。おめぇは本当にどうしようもねぇヤツだ」
合流して早々二人に笑われた福朗は、ただただ頭を掻いて苦笑いするしかなかった。
↓帰り道にて↓
屋台で坂東と別れた福朗と明日香は、事務所を目指して会話しながら歩いている。
「ラーメン、美味しかったですね」
「ああ、あそこのは特に美味い」
「私、屋台は初めてでしたし、そもそもラーメン屋ってほとんど行った事なかったんですよね」
「女の子が一人で入るには少々ハードル高い気もするけど、そこまで? 嫌いじゃないんだろ?」
「好きですよ。でも、外食って大体、ファミレスや居酒屋、フレンチやイタリアンとかの、メニューが豊富なところしか行かないですもん」
「あ~、若い女の子ってのはそうなのかもねぇ。でもさ、店なんてドコも美味しくて当たり前だけど、やっぱり一点突破のトコは美味さが違うんだよ」
「そういうもんです?」
「そういうもんさ。餅は餅屋ってバンさんも言ってたろ? 自分の好みやアタリハズレは有っても、大抵の場合はその道のプロを訪ねる方が堂に入ってんのさ」
「ファミレスでイタリアンを食べるくらいなら、イタリアンの店に行けって事です?」
「まぁね。この間みたいにファミレスが不味いってわけじゃないが、やっぱ違うだろ?」
「それは……まぁ……」
「価格や敷居と相談する必要はあるけんど、真理としては、餅は餅屋に任せた方が適材適所、ってね」
福朗がそこまで言ったところで、二人の会話が一度途切れた。
明日香は坂東のアドバイスに従い、福朗に意思表示するタイミングを窺っている。
福朗は自分で言った言葉を反芻して、頭を掻きながら「餅は餅屋、か」と呟いていた。
福朗が頭から手を下ろしたところで、
「あの――」
「あのさぁ――」
と、二人の言葉がぶつかった。福朗は少しだけ早く口を開いた明日香に主導権を譲ろうと声を掛ける。
「なんだい、明日香ちゃん」
「あ……えと……その……」
意を決して話し掛けた明日香だったが、いざ言葉にするとなるとなかなか上手く出てこない。明日香が言葉に詰まったので、自分の用件を先に口にする事もできたが、福朗は黙って待っている。
暫しの沈黙が流れ、福朗が待っている事に気付いた明日香の頭に、坂東の声が蘇る。『意思表示すればヤツは応える』、と。
明日香が一度頭を振る。それが切り替えの合図だと、福朗は知っている。
「あのですね、フクさん」
「うん?」
「私は、フクさんの助手だと思ってます」
「うん」
「だからその、もう少し私をその、助手として使ってみませんか?」
明日香の声は弱々しかったが、決して福朗に届かない距離ではない。それでも福朗がすぐに返答しなかったので、明日香は立ち止まって固く目を瞑った。
福朗は明日香の言葉に驚いていた。それ以上に、坂東の言葉を思い出して驚いていた。それで反応が遅れてしまったのだ。先人の見識は斯くも当たるものなのかと、福朗は坂東の偉大さを再認識する。
明日香から言わせたのは自分の不手際であると反省しつつ、福朗は口を開く。
「え~っと、明日香ちゃんのご希望に沿えるかどうかはわからんけども、君に頼みたい事があるんだよ」
「えっ⁉」
固く閉じられていた明日香の目が、今度は大きく開かれる。明日香は福朗の言葉に驚いて、そして嬉しくて。こんなに上手くいくなんて、と明日香も坂東の偉大さを思い知った。
福朗は頭を掻きながら続ける。
「猫宮さんの依頼なんだけどさ。高月さんと接触できてなくて、どうにも煮詰まってんのよ。だからさ、ちょいと協力してくんない?」
「も……もちろんです!」
立ち止まっていた明日香は豹変し、福朗に詰め寄ってグイグイ聞き始めた。
「なんです⁉ なにしたらいいです⁉」
「ちょいちょいちょい、急にどうしたのさ明日香ちゃん」
明日香の変わり身に気圧された福朗は、両手を明日香に向けて制止を促すが、明日香の鼻息は治まらない。
「なんです⁉ 言ってみて下さい! さぁさぁさぁ!」
福朗が明日香に頼もうとした事は、些細でつまらない内容だ。やる気満々状態の明日香では不服に思うかもしれない。一瞬そう思った福朗だが、『何でも屋』とはそういうものなのだ。どんなに些細でつまらない依頼でも、依頼とあらば熟すのが福朗の『何でも屋』だ。明日香の今後を占う為にも、福朗は元の考えを変えずに伝える事にする。
「明日香ちゃんに頼みたいのはだな、俺に代わって校門を見張る事なんだよ。餅は餅屋、だ。あの大学の生徒である明日香ちゃんなら、待ち合わせを装って怪しまれずに校門を見張る事ができるだろ? だから高月さんが大学を出た時間と、その時の服装を俺に教えて欲しい。どうかな?」
福朗が言い終わっても、依然明日香は興奮状態のままにある。
「あとは⁉」
「え⁉ それだけだけど⁉」
「違いますよ! 尾行しなくてもいいんです⁉」
「ああ……そっちね……」
意外な行動力を発揮する明日香の発言に、福朗は少しひいた。
「俺達は探偵じゃないんだ。それは趣味が悪いから必要ないよ」
「わかり、ました」
福朗がひいた事に明日香は気付かなかったようだが、福朗が思ったよりは、明日香は簡単に引き下がった。
あまりに簡単に引き下がったので、福朗は明日香が落胆したのかと思った。が、違う。明日香は少しでも役目を貰えた事が嬉しくて、浮足立って、感情が爆発する。
「よ~っし、頑張るぞ~!」
福朗の目の前で両手を振り上げた明日香は、空に向かって叫びを上げた。
福朗はそんな明日香を見て、助手として申し分ないな、と苦笑しながら密かに思うのだった。