いのち貸します
学期末試験。どうでもいいけど寝坊した。いつものこと。いつもでないのは、そう、今日は全然ついていない。なんで?
不幸の予感というのはこういうこと。
朝思った。
一条みさき。名前なんてどうでもいい。これから起きる地獄に、あなたも一緒に行くのだから。
寝癖が直らない。何度ブラシとドライヤーでリセットをかけても、立った毛は頑としている。それも二か所。まるでケモ耳だ。恥ずかしい恥ずかしい。しかし時間がない。休みたいけど休めない。
期末テストだ。行かなきゃヤバイ。追試は御免だ。
「ママ、朝ごはんー」
犬が食ってた。
「あんたが遅いからよー」
「なにも、ルルにやることないでしょっ」
「勝手に食べたのよ」
「おまえ、帰ったらヤキトリなっ」
「ルルちゃん犬よー」
犬のルル。アニメからつけた。反逆しやがった。
玄関で靴のかかとが取れた。仕方ない。スニーカーで行くしかない。
家を出たとこで、カバンを忘れたことに気がついた。ついてる。駅まで行ってたらアウトだ。
戻って玄関を開けたら、ルルのフンを踏んだ。
「ぎゃーっ、こんなとこにクソすんなっ、ボケ犬っ」
ああああ、もういやだいやだいやだ。
いやいや、今は学校だ。早く行かなきゃ。お仕置きは帰ってからだ。ふふふ、待ってるがいい。せいぜい安寧にまどろんでおけ。やがて地獄を見せてやる。クソ犬。
あー気持ち悪い。振り返ると茶色い足跡が点々とついて来る。通行人が不思議そうにその足跡を見ている。もーやだやだ。
あの角のコンビニを曲がれば駅だ。間に合いそうだ。ああ、神様ありがとう?
トラックにはねられた。
ああ、なんてついてないんだ、今朝は。もう、死んじゃうのかな?あー意識がなくなるー。
薄明るいところをトボトボと歩いた。ここはきっと天国へ行く道なんだ。ママ、ごめん。先立つ不孝をお許しください。パパ、クリスマスまで生きてたかった。テニスラケットとシューズ。欲しかった。テニスはやんないけど。兄貴。金返せ。ルルーシュ。犬。祟り殺す。
前を見ると階段のようなものがある。ずーっと続いている。ああ、これが天国への階段なんだー。
その手前に、郵便局のような建物が見える。近づくと、そこは郵便局ではないようだ。
白い看板に青い字でなにやら書いてある。
『いのちのローン 初回ご利用限定ライフ利率ゼロ お気軽に にこにこライフローン』
サラ金?何でこんなとこに?意味わかんない。
呆然と立ち尽くしていると、声をかけられた。
「いらっしゃいませ。ご利用は初めてですか?」
振り向くと、若そうな男の人が立っていた。黒いスーツを着ている。
「いえいえいえ。そうじゃなくて、ただの通りすがりの女子高生です。立ち止まってすいません。行きます行きます。サッサと行きますから」
とりあえずあやまってこの場から去ろう。あたしのゴーストが囁いた。いや、あたしがゴーストか。もうわけわかんない。
「失礼しましたー」愛想笑いをしながら立ち去ろうとする。すると若い男が優しそうな声で言った。
「あー、見たとこ高校生?まだ若いのに、気の毒だね」
そんなこと言われると思わなかったので、思わず立ち止まってしまった。
「え、あの、なんですか。ここは天国なんですか?」
あたしは最大限の疑問を聞いた。これよりほかに聞くことって、あるのかしら。
「まだまだですよ。道は遠いです。7日かけてあの階段を昇らなくてはなりません。そこに天国の門があるんです」
「7日も昇るんですか?死んじゃうわよ」
「もう死んでますよ」
「それにしたって、疲れちゃうわよ」
「だから死んでるんですから、疲れたり眠くなったり、それからおなかが減ったりはしません」
あたしの聞きそうなことを、彼は先に答えた。そういうこと言う人、きっと多いんだろうと思った。
「まあ、それならいいけど。んじゃ、行きます。すいませんでした」
あたしは再び歩き出そうとした。
「待ってください。いいんですか?このまま逝っちゃっても」
「え?どういう意味?」
「天国に行けるかどうかは別として、やり残したこととか思いを遂げたいこととかないんですか?」
天国に行けるかどうか?なんかそこひっかかる。がしかし、やり残したことか。なんだろう?期末テスト?犬のお仕置き?なんだろう、あたしのやり残したことって。
「お悩みのようですね。よかったらお話を聞かせてくれませんか?お力になれることも、あるかと思いますよ」
あたしはその建物の中に連れていかれた。
白いソファーがあった。でかいウサギがいた。正確にはウサギの着ぐるみを着たでかいものが、ソファーに座っていた。
「こちらが支店長のテンダ・クルスです」
「このでかいウサギ、さんが、ですか?」
若い男の人はうやうやしくウサギの着ぐるみのなにかを紹介した。
「ただいまご紹介に預かりました、僕、支店長です。今日はようこそ」
でかいウサギは丁寧に頭を下げた。ずるっと頭が取れそうになったが、手で押さえたみたいだ。
「ではモーリス君、ご利用の説明をしてあげてください。僕は高山のお爺ちゃんとお話してきます」
「かしこまりました」
モーリスと呼ばれた若い男の人がキチンと頭を下げると、テンダ・クルスと名乗った大きなウサギが奥へ行ってしまった。
「さて、ご利用規約の説明をさせていただきます。ご利用はおいくらぐらいをご希望ですか?」
「は?とくにお金なんか借りようと思ってませんけど。天国って、お金いるんですか?」
そういえば、地獄の沙汰もなんとかと聞いたことがある。天国にもお金とかいるのかも知れない。
「さあ、あなたが天国に行けるか地獄に行くかはまだ決まってませんので、ここではなんとも判断できませんが」
「えーーっ、天国には行けないの?あたし、そんな悪い子じゃなかったんですけど」
「ご自分の客観的な意見はともかく、天国かどうかは認定を受けなければならないのです。たとえば生きているときどれだけ親切にしたとか、誰かの命を救ったとか。逆にどれだけ悪行をしたのか、というのも地獄行への認定に大きく影響します。そういう意味で、誰かを呪ったり、祟ろうとするのはもってのほかですね」
頭のなかにルルの間抜けな犬面が浮かんだ。
「あのあのあの、そういうことでお金がいるんですね?」
「だからお金は、関係ないですよ。誰ですかね、地獄の沙汰は金次第ってフレーズ流行らさせたの。まったく公平ですから、審判は」
「はあ。じゃ、なにを借りるんですか?ここは」
「いのちですよ」
いのち、を借りるってなに?命を借りて、ローンで返すんかい。どうやったらそういうことできるのだろう?
訝しがるあたしを察したのか、モーリスさんは丁寧に説明し始めた。
「ああ、いいですか?あなたは死にました。命はもうありません。ですが、まだ生きて何事かを成し遂げたい。恩返しがしたい。食べ残した料理がある。あの人に告白したい。さまざまなご希望が人にはあります」
「ふんふん」
「そこで、われわれが命をお貸しする」
「え?そんなことできんの?」
思わず聞いてしまった。だって、命を貸し借りできるなんて、聞いたことない。
「もちろんですよ。それが僕らのビジネスですから」
「でもどうやって?」
「まずはご説明させていただきます。たとえばあなたが10日間の命を必要とします」
「はいはい。でもたったの10日?」
「それだけあれば、だいたいなんでも出来ますからね。たいていのことってそんなもんですよ。時間かけすぎなんですよ、人間はなんでも」
叱られた。人間代表して叱られた。
「失礼。あなたがたったの、と仰るものでつい。人は生前はどれほど命と時間を無駄に使っていたか、1日をどれだけ大切に生きてこられたか。多くの人は見失っていますから、つい」
また叱られた。でも、そう。あたしたちはどれだけ毎日を大切に生きようとしたろう?毎日毎日ダラダラと過ごさなかったか?どれだけ生きている喜びに思いをはせ、感謝して過ごしたろうか。
「ごめんなさい。考えが浅はかでした」
「わかってくださればいいんです。これからお貸しする命が、大切なものと感じていただければいいのです」
「え?それって生き返れるんですか?」
「そうです。お貸しした何日ぶんかのあいだ、生き返ることができます」
「でも、どうやって返せばいいの?命なんて」
モーリスさんは何枚かの表を取り出した。
「そこでご提案です。今ここにあなたに最適と思われるコースをご用意しました。その中から最適なコースを探しましょう。まずは返却のご説明をしましょう」
「はあ」
「ご返却には2種類があります。一括返却と、何回かに分けての分割、という方法です」
「だからその返す命はどこから?」
「それを今ご説明します」
早く言えよ。
「あなたはこれから天国か場合によっては地獄で何年か過ごされます」
「地獄は嫌ですが」
「それは認定次第と言いました。とにかく何年か極楽生活か悶絶生活かわかりませんが、過ごします。そうすると生まれ変われるチャンスが来ます」
「チャンス?なの」
「そうです。ちょっとでも態度が悪いと延長されますから、あなたも気をつけてください。そういう場合、われわれが不良債権抱えちゃうんで、これは絶対守ってもらいます」
力が妙にこもっていた。よほど不良債権、っていうのが多いんだろう。
「えと、どのくらいで生まれ変われるんですか?」
「そうですね、だいたい50年。しかももといたところとは限りません。この並行世界の、パラレルワールド、と言った方がいいかな?そこへの転生となります」
「50年地獄は嫌だわ」
「そうして生まれ変わるんです。文句言わない」
「はーい」
「で、われわれはその生まれ変わって生きる時間を返していただきます」
「つまり、来世の生きる時間で返す、と」
「そういうことです」
来世で生まれ変わったときの命で返すのだ。なんて残酷でいやらしい。だがなんて魅力的な。あと30年も生きればいいんだ。年取って死ぬより、きれいなうちに死にたい。
「じゃあ、あと30年生かしてくださいっ」
「お待ちください。これから利息の説明をしますから」
利息?なにそれ。お金なら金利のことでしょ。学校で習ったけど、命に利息なんか適用できるの?
「さて、さっきも10日間と例をあげましたが、10日の命の利息はおよそ1,000倍、つまり10日分の命は10,000日。およそ27年と5か月生きる時間を利息としていただきます」
「ちょ、ちょっとなにそれ。たった10日で10,000日?おかしいわよ。ぼったくってんじゃないわよ」
「人聞きの悪い。いいですか?それでも生き返りたいというニーズがあるんです。それを提供する。それがわれわれのビジネスなんです」
「じゃあ、その利息にとった命はどうするのよ」
「それは有効に使わせていただきますよ。たとえば有望な惑星に命を吹き込む、などという事業もその一つです。環境的に難しいこともありますが、将来的に有望なんですよ。つまり投資、ですね」
わけがわからない。なにか非常に損をしている気分になる。
「もう結構。あたしはとくに困ってませんから」
その場から離れようとしたあたしにニッコリ微笑んだモーリスさんは、お辞儀をした。
「大変失礼しました。無理にお勧めするわけではありませんでした。ただ、あなたが困るというより、あなたのせいで困る人もいたもので、つい」
「あたしのせいで困る?」
誰のことだろ。
「そうです。あなたとの出会いで命が短くなってしまった人」
「そんな人いるわけないじゃないですか」
「田辺紘一君。御存じですよね」
同じクラスの、けっこうかっこいいヤツ。女子にはすごい人気だ。あいつがどうした?あたしはあまり話したことないぞ。
「じつはあなたに恋していたという、極めて陳腐な展開なんですが」
「ええーーーっ?マジで」
ぐわわわ、気がつかなかった。そうなのかーーっ。もったいないことをしたーーーっ
「その彼は、あなたがいなくなり、途方にくれて自ら命を絶ってしまう」
「マジですか?今どきそんな奴、いるんですか?」
「きっと純粋なんでしょうね、あなたと違って」
「ん?」
「まあ、そういうことであなたはそれを阻止するチャンスができたのです」
「意味わかんない。なんであたしが、いや、チャンスってなに?」
「ですから、先ほども言いましたが、天国かどうかの審査がありまして」
「あー、はいはい」
「まあ、完璧、天国行きに自信がおありなら構わないですが、ないのでしたら」
「どうしろと」
「お止めになる方が審査のとき有利かな、とお話ししているんです」
「なあるほど」
やっぱりこのままじゃ地獄行きなんだわ。でもどうやって自殺なんか止めるのよ。
「話はわかったんだけど、どうやって自殺なんか止められるのよ。あたしのせいかも知れないけれど、勝手に恋して勝手に悲観するんだから、もうどうしようもないじゃないの」
「ですから、30分でも1時間でも生き返って、説得すればいいでしょう?もう、わたしのことはあきらめてとか言って」
「そんなんで納得するわけ?」
「なんでしたら嫌われるとか」
「どうやって?」
「うーん、悪口を言うとか、いきなりうんこするとか」
「ばかしね」
「いまので審査が厳しくなりましたよ」
「あわわわ」
こいつわざとやってるだろ。どうしようもなくしようと、あたしを追い込んでいる気がする。
「わかったわ。要するにあたしを諦めさせればいいわけね」
「そのとおりです」
「なんでそんなことして自殺を止めるの?ビジネスになるんじゃない?」
「そうはいかないんですよ。自殺すると命が汚れてしまうんです」
「いのちが汚れる?」
意味がわかんないことばかりだ。
「つまり、死を求める命は、命を芽吹かせようとしてもすぐに枯れてしまう、いわば病んだ命、ということなんですよ。そんなもんどうしようもありません」
「なるほど」
「さあ、どうします」
このままだと地獄行きもありえるが、クラスメートを助ければ、正確には自殺を止めれば天国。そのためにはあたしの来世の貴重な寿命を削らなければならない。
「なら、1分、いえ5分でお願いします」
「5分ですと、およそ3日と11時間の利息になります。その分を来世の寿命からお引きすることになりますが、よろしいですか?」
まあ、3日ちょっとならいいか。なんか、どこか間違っている気もしたが、とりあえず目先のことを考えた。
「それでお願いします」
「ありがとうございます。これでまたどこかの不毛な星に、新たな生命が生まれる可能性が高まりました」
「あの、それで、心配なのはうまくいくのかな、と」
「それでしたらご安心ください。わたしがどこまでもサポートさせていただき、しっかりと目的を果たせるように陰ながら協力させていただきますので」
「ついていてくれるの?」
「もちろんです」
「でも、あなたがそばにいると変じゃない?」
「誰にも見えませんから大丈夫です」
なんか変な感じ。
「そういえば、ひとつお聞きしていいですか?」
「なによ」
「あなたのそのヘアスタイルなんですが」
「え?」
「流行なんですか?ケモ耳」
「ねぐせよっ、寝癖」
「ああ」
なんなのこいつ。
いきなり見知らぬ家の前に立っていた。
「田辺紘一君の家ですね」モーリスさんが言った。
「え、どうすんの?直接本人の家に来て、自殺すんなって言うの?」
「時間がありませんから、まどろっこしいこと抜きで単刀直入に行きませんと」
「あなたが見えるけど、大丈夫なの?」
「他の人間には見えませんよ。さ、時間がありません。急いで」
わたしはチャイムを鳴らした。
「はい」
いきなり本人が出て来た。ふつう、お母さんとかなんとか、家の人が出るんじゃないの?
「え?あ、みさき、さん?一条みさきさん?死んだんじゃなかったの?」
目をはらしている。泣いていたんだ。きっとあたしのために。
「えーと、事情があって、時間がないんで急いで言います」
「まって、何のことだかわかんないよ。なんで君が、死んだ君がここに?」
「話せば長くなるので省略」
「う、なら、僕の部屋で聞くよ。あがって」
男の子の部屋ってどうなの。兄貴の部屋は入ったことあるが。まあ、そんときはすごく怒ってたが。
ちょっと緊張したが、時間がない。どたどたと走りこんだ。
「で、ハッキリ言います。自殺はヤメテ」
「え?、あ、なんでわかったの?」
「いろいろコネがあるのよ」
「そう。じつは僕」
「恋してたんでしょ、あたしに」
紘一君は真っ赤になった。
「な、な、なに」
「だから、あたしは死んじゃうんだからあきらめて」
「え?」
「死んじゃう。わかる?いまは一時的に戻ってきているだけ。すぐにあの世よ。あたしが天国行けるかあなたにかかってるの。いい?死んじゃダメ」
「死んじゃう君に死ぬなって言われても、説得力ないよ」
「ちょ、もう、つべこべ言わないの」
「クス。思った通りの人なんだね」
「え?」
よく見ると目元が優しい。もっと生きている間に仲良くなりたかった。なんか悔しくなってきた。
「いつも元気に走り回っていて、みんなと話しているときも生き生きしてて。すっごく眩しかった」
そんなこと言われたことなかった。がさつで乱暴でうるさくて、と言われる。そっちの方があたしらしいが。
「僕は子供のころ大きな病気をして、それ以来運動とか苦手で」
そういえば、いつも物静かで、だから声をかけにくかったのかも知れない。
〈もうそろそろ時間ですよ〉
モーリスさんが注意してくれた。
あたしは紘一君の目をまっすぐに見て言った。
「紘一君。あたしはもう行かなきゃならないの。自分の命は大事にしてね。さようなら」
「みさきさん。ありがとう。でも僕は君をあきらめられない」
「そんなこと言わないで。時間ないし。あたしはあんたが思っているような子じゃないの。嘘ついたり犬呪ったりする子なの。なんならここでうんこするような子なの」
モーリスさん、コロス。
〈今のは聞かなかったことにしてあげます〉
ありがとよ。
「何言ってるかわからないよ。ぼくは君と死にたいんだ。きみと一緒に」
「死んでも一緒にはなれません。だからお願い、死なないで」
「わかった。きみが困るようなこと言って、ごめん」
なんかいい人なんですけど。これは失敗しました。あたし失敗しました。
「最後なんでしょ」
「ええ、そう、ね」
「だったら最後に、僕に、きみが好きって言わせてくれないか?」
もう言ってるような気がするが、そこはスルーしたほうがいいのかな。辺に突っ込むと、また時間とられるからな。
「あ、はい。どうぞ」
「君をはじめてみたのは入学式の日、笑顔で走りこんできたよね」
そっからですか?そっからなんですか?
「すいません。時間がないんで巻いてもらっていいですか?」
〈あんたはTVディレクターか〉モーリスさん、突っ込まないで。
「え?あ、だからキラキラした君がいつもいて。あ、でもあるときなんか落ち込んでいたよね」
あのときだ。結構気になる男の子がいた。先輩だった。テニス部にいたひとつ上の先輩。廊下でぶつかったとき、笑顔で、大丈夫?怪我無かった?って聞いてくれた。テニス部に入ろうと思ったけど、勇気がなかった。テニスには興味があったんで、どこかのスクールにでも通って、いつかばったり出会う偶然をチャッカリ夢見ていた。
そんな先輩に、彼女ができた。校舎の隅で見かけた。それ以来、一緒の姿を見かけるようになった。しばらく落ち込んでいた。そのときのことだ。見られていた。恥ずかしい。
〈そろそろお時間です〉
〈まって。もう少し、時間をください〉
〈延長、しろと?〉
〈だめですか?〉
〈いいですが、お話しした通り利息は取られますよ〉
〈かまいません。あと5分〉
5分なら合計で10分。利息は7日だ。長い人生のたった7日だ。どうということはない。
〈じゃ、あと5分。お願い〉
〈かしこまりました〉
「みさきさん?」
「あ、ごめんなさい。それはぜんぜん問題ないんだから。もうまったく関係ないのよ」
〈いまのは嘘とは認定しないであげます〉
ありがとよ。
「僕はそれ以来、君のことが気になって。そして気がついたんだ。君が好きだって」
ついてない。初告白されるのが命日。もう死にたい。
〈もう死んでますよ〉
うるせえ、モーリス。
「なんて言ったらいいかわかんないけど、わたしうれしい。ずっとあたしも気になってたんだ。でもあなたはほかの子たちにすごく人気あるし、あたしなんかって、思ってたけど。なんか救われたわ」
「君に言えてよかった」
「あたしも。きっと生きてたらあなたを好きになった。いえ、もうとっくに好きだった。ありがとうね、好きって言ってくれて。うれしくてたまんない。なんかすごい幸せ」
「きっとまたいつか会えるよ。そうしたら、こんどはぜったい恋人同士だよ。約束ね」
「うん。約束する。絶対、会う」
手と手が触れた。温かい手だ。きっと心も。
「みさきさん。いえ、みさきってよんでいい?」
「いいよ、紘一」ちょっと照れた。
「なんでケモ耳?」
「そこかよ」
〈もうよろしいですか〉
モーリスさんの優しい声が、する。
〈うん。ありがと、モーリスさん〉
〈ビジネスですよ〉
「さよなら、またね」
「さよなら、また」
彼女は消えた。
僕の部屋から。花のような香りが残っていた。涙が出た。
「君は優しいね。僕は感動したよ、紘一君」
「あ、テンダ・クルスさん。無理を言って、すいませんでした」
部屋に大きなウサギの着ぐるみを着たなにかがいた。
「いやいや。君の献身的な気持ちに涙が出たよ、僕は」
「本当に好きだったんです。告白出来てよかった」
「しかし本当によかったのかい?来世の寿命を削ってまであの子に告白するなんて」
「はい。僕が重い病気になったとき、来世のことが少し見えました。あの子がいました。僕はそのときから彼女が好きだったんです。だからお願いして、この時を作っていただきました」
「いやいやいや、君が自殺するって脅すから。不良債権はごめんですからね」
「申し訳ない。でも、本当に感謝してます」
テンダ・クルスはじっと紘一を見ていたが、やがて紘一の手を取り、言った。
「じゃあ、行こうか。もう時間切れだ。これで君も天国だね。なかなか考えたものだ。ふたり同時に天国に行く方法か。ビジネスモデルとして参考にさせてもらうよ」
「それじゃ、アイディア料をいただかないと」
「君、僕のところで働かないか?」
「考えておきます」
また無茶な交換条件をだされるな、とテンダ・クルスは思った。
まあ、しょうがない。これも、ビジネスなのだ。
来世を計画している。すごい人がいますね。こういう人をどんどんスカウトすれば、わが社も大きく発展するでしょう。いまのところ、不良債権が多いんですが。