従者様は少々出来すぎるようです
「クレイ。明日の卒業パーティーのエスコートしてほしいの」
「お嬢様。我が儘を言ってはいけませんよ? 婚約者のジェラルド王子がいらっしゃるではありませんか」
突然の相談に、従者のクレイは冷静に辞意を述べた。ソレイユの我が儘には慣れているようで、にこやかな様子は崩さない。
ソレイユ・ペイシュヴェルは侯爵家の娘だった。エスコートは婚約者の役割で従者の出る幕ではない。
「ジェラルドから所用があってエスコートできないって言われたの。お父様も忙しくて他にエスコートを頼める人がいないの」
クレイの疑問に、落胆したように言った。
「ジェラルド王子がエスコートを断ったのですね」
クレイは含みを持たせて復唱した。
「ジェラルドは一体何を考えているのかしら」
ソレイユは嫌な予感がしていた。ジェラルドを狙っている令嬢が、学院内で一緒にいるのを見てしまったからだ。
「ジェラルドったら、忙しいとかなんとかで最近私の相手をしてくれないし」
「本当にお忙しいのかもしれないですよ」
頬を膨らませるソレイユを「まあまあ」と嗜める。
「隣国の言葉で『恋と戦争は手段を選ばない』というものがありまして。まぁ、戦争の領地略奪で大きくなった国なので生まれた言葉なのですけれど」
この従者は時々突拍子もないことを言い出す。
「最後に勝ったもの勝ちという意味です。これに習って、失いたくない人でしたら懇願でもしたらいいのではないでしょうか」
「私がジェラルドに懇願……」
「そうです。貴方の好きにしてくださいと言えばいいのです」
従者がまっすぐ見て言った。
ソレイユは視線を反らせず、従者の端正な顔を引き付けられたように見てしまった。毎日顔を合わせているのに全然慣れない。うかつにも頬が赤くなった。
「私をからかって遊んでるのね。とにかく、主人の命令よ! 従ってちょうだい」
「お嬢様様の仰せのままに」
クレイは身をサッと引き、やれやれと言った様子で頭を垂れた。
* * *
卒業パーティーは盛大に開かれた。国の第一王子のジェラルドが卒業することもあって、国王も祝いの席に駆けつけた。
王子が婚約者のソレイユを連れていないことが人々を驚かせたが、ソレイユをエスコートしている人物に注目が集まった。
ソレイユの歩幅に合わせて優雅に進み出ると、人々は自然と道を譲った。
慣れないハイヒールで足元を崩しかけるソレイユを、その人物は優しく引き寄せる。年頃の娘は目を奪われて動きが止まっていた。
侯爵令嬢をエスコートしている人物となると、身分は同等以上の者ではないかという憶測が広がる。どこの貴族かと。
「静粛に!」
学院の先生の一人が手を叩くと、ざわめきは減っていった。生徒代表でジェラルドが前に進み出た。
「無事卒業を迎えられてよかったと安心しているところだが、解決しなければいけない案件がある」
解決しなければいけない案件とは何かと、会場の視線が交錯する。
「ソレイユ・ペイシュヴェル。お前との婚約は破棄する!」
ジェラルドは勝ち誇ったように宣言した。会場は驚きを隠せない者と、珍しいものでも見るような視線を送る者がいた。
「お前の度重なる嫌がらせは目に余る」
ソレイユには全く身の覚えがない話だった。
「私がどんな嫌がらせをしたのですの?」
フン、とジェラルドは鼻を鳴らして、侮辱するような目でソレイユを睨んだ。
「往生際が悪い奴め。オパール・ランスエットこちらへ」
控えめに「はい」と返事をして、オパールがジェラルドの隣に並んだ。ランスエット伯爵家の令嬢だった。自分の持つ魅力を知っているかのような笑みを口許に浮かべる。
「ソレイユ・ペイシュヴェルから、池に突き落とされたり服を破られるなど日常的な嫌がらせを受けております。それだけではなく学院にあらぬ噂を書き立てて私を退学するようにと……」
続きを言えなくなって手で顔を覆った。ジェラルドはオパールを守るように肩を引き寄せる。
すべて嘘だった。一番近いのは池に突き落とした疑惑だった。
オパールが池を覗き混んでいて、危ないと思って声を掛けたのだった。振り向くとニヤリとして池に飛び込んだのだった。
他は自作自演だろう。簡単に信じるジェラルドに呆れてものが言えなくなった。
ソレイユが黙ったことをいいことに、ジェラルドは断罪を続ける。
「ソレイユ・ペイシュヴェルの嫌がらせは目に余り、私の婚約者としての品性も疑わしい。さらにだ。婚約者がいながら従者と主人以上の仲だそうな。罪深い女だな」
従者とはクレイのことだろう。ジェラルドはソレイユの隣にいる人物が変装している従者とは気づいていない。
「クレイは忠実な従者です。決してやましい関係ではありませんわ。何か証拠があるとでも?」
屹然と言い返した。相手が強気ならこちらも負けてはいられない。証拠と言われてジェラルドは「うっ」と口ごもった。
「クックッ。黙って聞いていれば、私とソレイユ侯爵令嬢が主人以上の仲とは笑わせてくれる」
苦笑しながら、クレイが口を開いた。
ジェラルドが「この貴族は誰だ?」という疑問を顔に浮かべる。
「ジェラルド王子。ソレイユ侯爵令嬢はオパール伯爵令嬢がお話になったような悪行は何一つされていません。私がずっとお側にいましたから。ところで、王子ご自身ではオパール伯爵令嬢の言うことが正しいかは検証されたのでしょうか」
「実際に被害にあっているのが証拠だろう」
歯切れが悪くジェラルドは言う。クレイは、その言葉を無視するように話を続ける。
「……オパール伯爵令嬢の噂を書き連ねた手紙とはこちらでしょうか」
クレイの白い手袋の先には一通の手紙があった。
「その手紙をどこから!」
オパールの顔色が変わった。余裕が無くなって声を荒げる。
「そちらのオパール伯爵令嬢のお知り合いの方からいただきました」
このクレイの笑顔は怒っている顔だとソレイユは気づいた。
数人の生徒──オパールの手下と思われる──は恐怖で震えだした。その中の一人は顔をしかめて床に倒れた。
「私は筆跡鑑定ができますが、この手紙の文字はソレイユ侯爵令嬢のものではなく、オパール伯爵令嬢のものと一緒でした。信用ならないのでしたら、専門機関に鑑定してもらってください」
「お前がソレイユの従者か!」
ジェラルドは今さらながら気づいたようだった。従者と身分がわかり、自信を持ったようだ。
「虚言を吐く従者を捕らえよ! 王族の名誉を害するとは不敬罪として処罰するぞ!」
剣を持った者達が多数登場するはずだったが、物音はしなかった。
「何をもたもたしている、捕らえよ!」
「ジェラルド、いい加減にしないか」
国王の重い声が響いた。額に汗を浮かべてハンカチで押さえている。
「そちらにいるのは隣国の大国、アイシャルのクレイ王子だぞ。この前の晩餐会でご一緒したではないか。クレイ王子の顔を忘れてしまったのか?」
国王は「バカ息子が失礼した」と言って、クレイに頭を下げた。クレイが出てきたときの国王と側近の反応は大きかった。ジェラルドが婚約破棄を言い出したときよりも。
「ジェラルドの数々の無礼を赦していただけるだろうか」
「国王様。多少は目を瞑りましょう。……しかし、ソレイユ侯爵令嬢を陥れようとした、オパール伯爵令嬢並びに悪事に加担した人物を相当な処分をするようお願いします」
「もちろんだ。クレイ殿」
クレイは友好的な顔をしているが、目の奥は笑っていなかった。
「私が主人以上の気持ちを持っていたことに気づかれたことは少々癪ですが……」
クレイは独り言のようにごちて、従者のときの優しい表情に戻った。
「ソレイユ侯爵令嬢はジェラルド王子との婚約が破棄されたご様子。私が貰い受けたい。ソレイユ侯爵令嬢どうでしょうか」
「喜んで」
ソレイユは胸の高鳴りを隠しきれず、即答していた。返事をしてから、クレイの思惑にはまったのではないかと気づいた。クレイ自身が言っていたではないか「欲しいものがあれば奪い取る」という流儀を。
* * *
「どうして身分を隠して従者をしていたの?」
「それは……。アイシャルの王室では変わった慣習というか制度がありまして。十七才の誕生日を迎えると何の後ろ楯なしに一年間の旅に出されるのです」
ソレイユの疑問にクレイは答えた。
クレイが従者として来たときの奇妙な様子を鮮明に覚えている。
空腹で道に倒れていたところをソレイユの父、ペイシュヴェル侯爵が拾ったのだ。目覚めた瞬間に「住み込みで働かせてください!」と言ったのだ。
人手が足りなかったのでそのまま雇うことになったが、クレイの身元は謎に包まれていた。話が上手くいきすぎているので、父は薄々クレイの出自を知っていたのかもしれない。
「旅には一つ約束がありまして、王子であることを自分から話してはいけないということです。この前の卒業パーティーでは、顔が知られていた国王に気づかれてしまいましたけれど」
クレイは数日でアイシャルに戻る予定となっている。
「やっと色んなことが納得できたわ。アイシャルの王子は試練を越えているのね」
「試練といいますか、放置主義といいますか……。私がペイシュヴェル侯爵家でお世話になれたのは幸運でした」
こうして婚約者になれましたし、とクレイは流し目をした。恥ずかしさで顔を伏せたソレイユを見て、クレイは抱き締めた。
「早く来てくれないと我慢ができなくて死にそうだ」
「いっぱい準備して、なるべく早く行くわ。それまで待っていてね」
クレイの腕の中でソレイユは微笑んだ。