新年3月頃 うはうどんのう
「いやー、大成功だよ。ハンス式安全マッチは!」
ハンスは家に戻ってくるなり嬉しそうにそう言った。
「それは何より」 (コネコネ)
と私。
「しかし、よくあんなアイディアを思いついたね」
「あんなって何が?」 (ギュッ、ギギュー)
「何が?ってリンを分離して箱の横につけるってアイディアだよ。よくあんな事考えついたね」
「ああ、あれね」 (コネコネ)
マッチの原理は発火温度が低いリンが摩擦等で発火し、その後、塩素酸カリウムや硫黄に燃え移る物だ。マッチ売りの少女が売っていたマッチは頭薬に発火材のリンも含まれていたからマッチ棒だけで擦れば燃える。
便利と言えば便利だけどポケットに入れているだけで発火する場合もあるので危険だった。町の発明家だったハンスはそれを解決しようと試行錯誤していたのだ。
そこで私が発火材のリンを分離するアイディアを教えてあげた。
日本の現代人の私にして見ればそちらの方が馴染みがあるわけだけど、この方式の安全マッチが出回るのが1850年前後なので、マッチ売りの少女の今の時代から見たら10年から20年位先の知識だ。
猛毒の黄リンを毒性の少ない赤リンに替える提案も地味に役にたっている。
「ある程度知名度が上がって来たら、販売方法も変えていくべきね」 (コネコネ コネコネ)
「販売方法を替える?」
「街頭販売から契約訪問販売に変えるの。
町中の家庭と契約して、定期的に訪問して足りなくなったマッチを補充して補充分の代金を貰うのよ」
「そんなやり方聞いたことないよ。
こっちから町中の家に売りに行くなんて無駄じゃないか」
「逆よ。マッチは安定した消耗品だけど売れる量は限られている。ほぼ世帯の数に比例する。
だから各家庭がハンス式安全マッチ以外は使う必要のない状況を作り上げるの。
『夜中に火を起こそうとしてお困りになったことはありませんか?
当社と契約いただければ自然に補充いたしますので、もうそんな心配いりません』って宣伝するのよ。
売り子に売れるか売れないか分からないマッチを持たせてウロウロさせるよりよっぽど効率的よ。
それにシェアが確保できたら材料のまとめ買いなんかでコストダウンもできるようになるわ」
(ギュウギュウ コネコネ バタン バタン)
「でも、そんな人手なんて何処にあるんだい?」
「人手なら仕事に困っている女の子が町中に溢れているじゃない」
私は額の汗を拭いながら呆れたように答える。
「彼女達を使えといっているのかい?
そんな難しいこと彼女達にできる訳ないじゃないか。
文字も読めない、足し算や引き算も出来ないんだよ!」
「出来ないなら教えればいいのよ」
「何だって?
誰が教えるって言うんだ。彼女達は学校に行くお金なんか持っていないよ」
「会社で教えるのよ。彼女達を雇って必要な教育をするの。接客のしかた、読み書き、簡単な計算をね」
「そんなの無理に決まってる。読み書きや計算なんて彼女達には難しすぎる」
叫ぶハンスに私は少しうんざりした気持ちになった。この無理解何処から来るのだろうか?
「何で無理なのよ」
「女は数学とか理解できないからだよ!
あ、いや例外もあるよ。僕が言ったのは一般論で……」
多分、私が物凄い眼力でハンスを睨み付けたせいだろう、ハンスは途中で言葉を詰まらせた。
だけど、そんな事で私の不愉快な気分が治ることはない。
「そんなのは一般論でも何でもない。ただの偏見よ。
頭のできなんて男も女も大して変わらないわ。
ちゃんとした教育と、明確な目標と達成した後で得られる利益を示してあげれば彼女達は驚く程の早さで何だって習得するわ。
男どもよりよっぽど勤勉にね。
そもそも、労働力は企業にとって貴重な資源。そして、良質な労働力は手間暇かけて育てるものよ。何処にも転がってなんかいない」
私は手に持っていた白木の棒をビシッとハンスに突きつけて言ってやった。
ハンスは小さく両手を上げて降参のポーズをとった。
「ごめん、言い過ぎました。
……ところでさっきから何やってるの?」
「これ?
うどんを作ってるの」
私は小麦粉をこねた丸い塊を手に持った棒で平たく伸ばす。 (キュー)
「うどん?
食べ物なの?
ひょっとしてお腹空いてるの?」
「違う、違う。
次の商品の試作品よ」
私は平たく伸ばした物を四角く畳み、包丁で細く切る。ハンスは興味津々で私の作業を見守っていた。
「イタリア料理のスパゲティーみたいなもの?」
「似てるけどちょっと違う。それにこれはまだ完成じゃないわ」
私は麺を軽くほぐすと高温にした油の中に入れた。時間を見計らって取り出すとカラカラに乾いた麺の塊が出てきた。
「揚げ物?でもなんか美味しそうには見えないけど」
「これは同じ方法で作った奴よ。ただし、2週間前にだけどね。」
私は2つの麺の塊を机の引き出しから取り出してハンスに見せる。
「で、こいつに熱湯をかけると……」
「おお、ツルツルの麺に戻った!」
「保存が利いて、熱湯をかけるだけで食べれるようになるこの即席麺が次の私達の商品よ」
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「いらっしゃいませ~
ハンス簡単麺はいかがですか?
美味しくて、長持ち。
お湯をかけるだけで直ぐに食べれます」
売り子の少女達が声を張り上げ、元気よく油紙に包まれた麺を売っていました。
評判は良いようです。長い行列が出来ていました。
その様子を青年と少女が見守っています。
「すごい評判だよ。
飛ぶように売れて生産が追いつかない」
と青年は言いました。
「当面は人力で頑張るしかないけど、やっぱり動力を導入して大量生産できるようにしないとね。それが終わったら次の事に着手しましょう」
「え!まだ何かやるつもりなのかい?
もう十分稼いでいるじゃないか」
青年は驚いたように言いました。しかし、少女は首を横に振ります。
「これからよ。
私は世界を変えたいの。
誰も寒空の下で凍死なんてしないし、させない世界が作りたいの」
青年は少女を見下ろしました。
「そんなの、本気で言ってるの?」
「本気よ」
「前々から不思議な子だと思っていたけど、一体君は何者なんだい?」
「私?
私はマッチ売りの少女よ」
少女はニッコリ笑うと、そう答えました。
2018/01/15 初稿