大晦日 夕暮れ 絶望
その日はとても寒い日でした。
お昼前に降りだした雪は一向に止む気配を見せません。
おまけに日も暮れてきました。
人々は皆、コートやオーバーをしっかりと着こみ、足早に家路を急いでいます。
そんな人たちの間を一人の少女がとぼとぼと歩いていました。
少女は疲れて、寒さに震えていました。
それも仕方ありません。何故なら少女の服は薄くて寒さを凌ぐのにちっとも役に立たない上に、裸足だったからです。
靴を履いていないのは、物凄い勢いでやって来た馬車を避けようとした時に両方とも脱げてしまったのです。
片方はどこかに飛んでいってしまい、もう片方は小さな男の子が嬉しそうに持っていってしまいました。
と言うわけで可哀想なその少女は雪の中を裸足歩いているのでした。
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「……従って、この世界の物事はある確率的変動幅を持ちながらも決められた方向に進んでいく。
これを既定路線仮説とよぶ」
寒さと空腹でぼうっとなった頭で私はブツブツと呟く。
マッチを売ろうとかなり頑張った。
そうよ、私は頑張ったのだ。
おだて、泣き落とし、安売り、バラ売り、価値創出。
思い付く手を全て使ったが一束どころか一本も売れない。
売り方が悪い?
そうかもしれないが、多分違う。
私の記憶の片隅にある、恐らくはマッチ売りの少女としての過去の記憶(記憶というより設定か?)によれば、どんなに調子が悪くても一束、二束は売れるものとなっていた。
そりゃそうだわ。でなければ、今よりもずっと前に死んじゃってるよね、この娘
だから、この売れなさは異常だと分かる。
そして、私は靴を失った時に確信した。
原作で馬車に轢かれそうになって靴を失う事を知っていたからかなり注意していた。
あの時も道を横切る時に馬車がいないことを確実に確認したのだ。
なのに突然馬車は現れた。
以上の出来事から導きだしたのが既定路線仮説だ。
・マッチは売れない
・少女は母親の靴を無くす
という既定路線が厳然とこの世界に存在。
どうあがいてもこのイベントは発生する確定事項という事なのだろう。
恐らくこの既定路線には
・少女は大晦日の夜、路地で凍死する
と言う項目もあるのだろう。
よって、ぶたれるのを覚悟で家に帰ったとしても外に放り出される可能性が高い。
どす黒い創造主の悪意を感じるなぁ。
いや善意なのか。
アンデルセンの時代、貧困層は塗炭の苦しみにあえぎ死による救済しか魂の安息を得られなかった時代。
故にアンデルセンは薄幸の少女に天国という切符を渡す物語を書いた。
これは悲劇ではない。
マッチ売りの少女の物語は、どこまでも美しく、静謐な魂の救済の物語なのだ。
ああ、そう思うとなんかこう、両手を合わせて空でも見上げたい気持ちになってくるわ。
冷静に考えてみるとマッチ擦るだけで天国へ行けるのは、将来の展望のないマッチ売りの少女には結構良い選択肢なのではないか?
……
将来の展望のない?
私は口許に歪める。
将来の展望がないと点なら私もマッチ売りの少女と同じではないか?
今なら、何となくマッチ売りの少女の気持ちが分かる。
マッチ売りの少女は父親に叱られるとかそんな理由で家に帰れなかったのではない。帰らなかったのだ。
彼女は疲れて、絶望して、ダラダラと続くろくでもない人生を拒絶したのだ。
「あんたは、それでも良いと思ったのね?」
私は鉛色の空に顔を向ける。
降り止まぬ雪が顔に降りかかるが、私は構わずじっと空を見る。
「本当に、本当にそれで良いと思ったの?」
目を瞑る。
雪は私の頬で溶けて流れる。頬を伝う物が溶けた雪なのか、涙なのか私にはもう分からなかった。
2018/01/11 初稿
マッチ売りの少女の話をどう解釈するのかは難しい問題ですね。
何でアンデルセンはこんな話を書いたのか?
きっと、読む人の数だけ答えがあるのでしょう。
これも答えのひとつで有ります。