流れ松の間にて
こんな時でも藩主は特に愛妾たちに良いところを見せたいらしい。重役たちも交えて宴を開いた。
流れ松の間で襖を開放し、庭先に篝火を並べ湿気に霞んだ月を見る。剣舞や詩吟など朗々たる出し物が繰り広げられた。庭の池に炎が揺れる。照らし出す篝火が幻想的な趣を添え皆を喜ばせた。
その歓声を、亮之介や伊藤など軽格の者たちは城内を巡回しながら聞いた。宴は長引いているようだ。
巡回が始まって四日目の夜である。
城内では様々な噂が囁かれている。
蔵で見つかった爪痕は猫のものに近いとか、城内から鼠が消えたとか。
全く、こんな時に宴を開くのはおかしいと亮之介も思うが口にはしない。
田舎の夜は賑やかで、梅雨時ほどではないにしろ堀から蛙の声が届く。しかしそれも夜が深まるにつれて疎らになった。時折ポチャンと何かが水音を立てる。
歩いているだけでも汗ばんでくる。
老齢の師匠は夜に弱いので詰め所で休んでいる。
彼らの手には提灯、そこかしこには篝火が焚かれて物々しいが、闇を全て消すことはできない。
「しっかし暑いな」伊藤が蒸し暑さに辟易する。
隣を歩く亮之介は小さく笑って同意する。
「怖がれば暑くないぞ」
二人のような軽格が見回るのは屋外である。宴の庭先は当然避ける。控えめに言葉を交わす。
伊藤もまた裕福な家柄ではない。亮之介の家よりはマシという程度だ。彼は長男だが家を継ぐより剣の道に進みたいという変人である。妙に亮之介に絡んでくるその困った男が脈絡無く言った。
「そういえば祐一郎の一周忌が近いな。おぬし、どうするんだ」
亮之介は足を止めた。伊藤の表情を確かめる。
「……あの家は断絶したからな。俺が法事の段取りをするつもりだ」
「そうか」
「一人でもやる。銭は無いけどなんとかする」
「俺にも手伝わせてくれないか」
亮之介は真意がわからず沈思。
「そんな顔するなよ。俺も、あいつのことは残念だったと思ってるんだぜ」
「そうか」
「本心だぞ? 本当に強い男ってのはああいう奴だ」
今更手遅れだが、祐一郎を認める男が自分の他にもいたのかと思うと少し嬉しい。
「おいどうした」
亮之介はようやく言葉を絞り出す「たすかるよ」
せめて彼の名誉だけでも回復したい、と思った。
「ギャーーーー!」
魂切るような悲鳴が響いてきたのはその時である。
二人は走り出す。走る振動で提灯の火が消えた。いつしか月は翳り、闇はいよいよ深い。生温い風がまとわりつく。
時は少し遡る。
流れ松の間では十六夜の方様が進み出て雪風の舞を始めた。これも美しい彼女の侍女が琴をカラカラと調を紡ぐ。素晴らしく滑らかで美しい舞だ。上酒に薄っすら頬を染めていよいよ妖艶だ。黒髪が火を映して輝いた。
皆がうっとりと眺めた。
と、そこを一陣の生温い風が吹き抜ける。それほど強い風でもなかったが、バタバタと篝火が全て倒れた。火の粉が舞い落ち、辺りが闇に包まれる。
「うわ、何事か」
「早く火を」
燃えさしに残る火種の微かな灯り。
「慌てるでない、早く火を点けろ」藩主が落ち着いて指示を出す。
燃えさしで蝋燭が灯され、人々は見た。琴を弾いていた侍女が、またも喉を切り裂かれ、しかし大量に鮮血をまき散らし絶命しているのを。遅れて血の臭いが充満する。眠っているかのように力の無い、そして美しい顔をしていた。
女たちが悲鳴をあげる。騒然となる。
「おのれ忌々しい物の怪め! またも! 何の罪も無き女子を手に掛けるとは!」藩主が太刀を抜いて辺りを見回す。
皆が本能的に蝋燭の周りに集まる。各々抜刀するも恐怖と酒で動きが危うい。誤って隣人を傷つける者が続出した。
それでまた蝋燭が消えた。
何か大きな影が人の間を動く。
「ギャーーーー!」
名状しがたい大混乱だ。
駆け付けた者たちが龕灯や提灯で照らした時、さらに一人の侍女が倒れ、喉元から鮮血を噴き上げた。
「おのれ! おのれおのれおのれぃ!」藩主が半狂乱に刀を振り回す。
駆けつけた亮之介と伊藤が見たのはそういう光景である。
終わりは見えているのに中々たどり着けません