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第二十六話 キセキの少女

 朱音さんは玄君にバスケットを机に置くよう指示すると、出しっぱなしだったパイプ椅子に腰を下ろし、ちらりと窓を見た。

「こんな暑い日に窓を全開にしておくなんて……私達が来ることがわかってたのかな?」


「来るかどうかは半信半疑でしたが……来て欲しいとは思ってました。個室でよかったです。大部屋なら閉めろって言われそうですからね」

 窓を開けていたのは朱音さんの言った通り、玄君が来ても大丈夫なようにだった。窓が開いていればここは閉ざされた空間じゃない。ここは蠱毒の坪の中にはならない。


「そっか。玄が謝りたいって言ってたし、私も青歌ちゃんにはちゃんと謝んなきゃって思っていたのよ」

 そう言うと、ごめんねと頭を下げた。玄君も朱音さんの後ろで会釈程度に頭を下げる。


「謝らないでくださいよ。朱音さんと玄君のお陰でこうして私もお父さんも生きているんですから」

 そう言い返し私も頭を下げる。

「私達を鬼から救ってくれてありがとうございます」


 夏の温い風が髪を揺らすと、朱音さんは頭をあげてと言った。私が頭をあげると、朱音さんは本題に入った。


「青歌ちゃんはどうして私が来ると思ったのかな?」


 どうして来ると……生きているとわかったのか。気づいたのは病室で目覚め、お父さんに病状を教えられたからだった。心臓麻痺。私の心臓は一度止まったんだ。


「どこにも証拠はないんですが、玄君の蠱毒の術から私が生き残ったことを考えると、仮説がたちました」

 朱音さんは私の話を聞くのが楽しみなのか、笑みを溢しながら組んだ足の上に、組んだ手を置いた。

「聞かせてもらえるかな?」


 私は枕元から携帯を取り、検索した履歴を探す。

「朱音さんが霊薬と言ったあの小瓶の中身なんですが、あれってトリカブトか何かですよね?」

 トリカブトの植物図鑑のページを見せる。

「トリカブトの毒性は呼吸不全や心停止を起こすって出ています。トリカブトは事務所にもあったので、可能性は高いと思います」


「ご名答よ。霊薬と言ったけど、どちらかと言うと毒薬かな」

 正解と言われ、私の中の仮説がぐっと真実に近づいた気がした。

「本当は正直に話すべきだったんだけど、トリカブトの毒薬だよって言ったら、青歌ちゃん飲むのを躊躇うんじゃないかと思って、霊薬って嘘をついたのよ。ごめんね」


 あの場では詳しい説明をする時間などなかったし、正直に話されたら、切羽詰まった状態でもきっと飲むことを躊躇っただろう。


「いいえ朱音さんが言う通り躊躇ったと思いますし、躊躇っていれば……きっと間に合わなかったと思います」

 玄君がいる前では言いにくかったので、私は少しだけ声ボリュームを落とし言った。気持ちを切り消え、私はでもと続けた。

「でも、トリカブトを飲んで心停止した事からわかったことがあります。蠱毒の術は心臓が止まる……つまりは仮死状態になれば逃れることができると言うことです」


「蠱毒の術は生者のみに反応するから、仮死でも心臓が止まれば、死者と見なす。妖でも人でもそれは同じことだね」

 玄君がポツリと呟いた。


 ここまでは実体験から導きだした仮説であり、この先は突如飛躍する。

 一昨日までの私の頭では決して思い付かないような仮説だ。


 霊と言う非現実を受け入れた今の私だから出てきた仮説であり、非日常を体験した今だから違和感に気付くことが出来たんだろう。


「朱音さん、大変失礼な質問なんですが……今おいくつですか?」


 私の質問に綺麗な顔を崩し、苦々しい笑みを浮かべる。

 その顔は一見二十前後にしか見えないが、もっと上だと言うのは間違いないだろう。

 

 玄君がばばあと言うくらいには上だ。


 十五年以上前の私の学校が共学になる前、旧校舎しかない時代に結界を張ったくらい年を取っている。


 三十代の担任の先生を子供扱いするくらいには月日を生きているのは間違いなかった。


 私の問いに答えにくそうにしながらも朱音さんは言った。

「十八才よ」

 私の一つ上? そんなわけはないと思い食い下がろうとすると、朱音さんは続けた。

「八十年前はね」


「……ッ!」

 八十年前に十八なら今は九十八才。数え年から九十九才で白寿と言うことになる。わたしが思っていたよりもずっと年上だった。

「朱音さんは私にトリカブトを飲ませようとしましたが、自分が飲もうとはしていませんでした。はじめは自分の身を犠牲にしてでも私を助けようとしているのかと思いましたが、違うんじゃないかと思えてきたんです。朱音さんは私に言いました。鬼が死んだら次は青歌ちゃんーー私が狙われると。あれは狙われる順番を知っていたのではなく……初めから自分は狙われないと知っていたからなんですね」


「ええ」

 と、相づちを打った。


「蠱毒の術は人だろうが妖だろうが生きていれば狙われる。つまりは生きてなければ……心臓が動いていなければ狙われない。朱音さんは……初めから死んでいたんですね」


 雪のように白く透き通り、冷えた肌も死んでいるからなんだろう。


「正解よ。私の心臓は八十年前に止まっているの。青歌ちゃんは本当に凄いね。私が話さずにこの事に気づけた人は青歌ちゃんで三人目よ。そんな青歌ちゃんなら私の正体にも気づいているのかしら?」


「仮説を立て、はじめは幽霊なんじゃないかと思いました。でも幽霊だとしたら、真美のおばさんが朱音さんを見て話をした事の説明がつきません。朱音さんは学校で私に霊を見て話を聞く事は普通は出来ないと言いました。真美のおばさんが霊能力があって、話をすることができたなんて思えません。それなら朱音さんは幽霊じゃなく、別の存在なんだと考えました。携帯で色々調べたりもしました。姿形があり、心臓が止まっても動いている妖について」


 そこまで話すと私は携帯をいじり、検索したページを開く。


「調べるとゾンビや死人など出てきましたが……どれも違うような気がしてなりません」


 ゾンビも死人も死後甦り死体が動く妖の事を表すが、朱音さんには一つ当てはまらない点があった。


「朱音さんは昨日両手を失っていた筈なのに、玄君の足を……掴みました。失っていた筈の腕が再生していました。他にも骨が見えるような怪我をしたと言うのに、動く筈のない腕を動かしたりもしていました。あれの理由だけはいくら仮説を立てようが、調べようが答えが見つかりませんでした」


「ここまでよく辿り着いたと思うわ。ここからはお姉さんが答えを発表してあげるわね。私はね妖ではなく人なのよ。陰陽道の禁術を使い甦った人間なの。玄、陰陽の禁術で甦りの術と言ったら何があるか教えてもらっても良いかな?」


 ここで朱音さんは、玄君に話を振った。置物のように不動で黙っていた玄君は口を開いた。


「輪廻転生と反魂の術。輪廻転生は意思を残したまま新しい体に生まれてくる術で、反魂の術は死んだ後にその体に魂を戻す術。どちらも平安時代に作られた禁術ではあるけれど、使える人は現代どころか過去を探してもまずいないね。机上の空論で出来た術だね」


 反魂の術の説明で、これが朱音さんの正体かと思ったが、使える人が存在しない以上、これではないのだろう。


「じゃあ玄、不老不死の術法はどうかしら?」

 不老不死は幽霊がいることを受け入れ、非現実的な非日常を受け入れた私の心でも受け入れがたい言葉だった。


「陰陽道、道教、神道、仏道、西洋魔術、錬金術。どの流派も試みはしても実現はしているとは聞いたこともないね」


「エリクサー、辰砂、アムリタ、金丹、トキジクノカク、八百比丘尼の肉。不老不死の霊薬は数多とあれど作り出したものは皆無とされているわね。勿論私も不老不死ではないわ……」

 そこで朱音さんは言葉を止め、天井を見上げた。何かを思い出しているように見える。その中身までは私にはわからないが、悲しい過去だと言うことはわかった。

 私より一つ年上で成長を止めた綺麗な顔にはどこか影のようなものが現れていた。

「私は八十年前に不完全な不老不死の霊薬を飲んだ女なの」


「不完全?」

 聞き返すと朱音さんは顔を下げ私に悲しげに微笑んだ。綺麗だけど儚さの現れた笑みは私の心を切なくした。

「当代随一の術者が、死に向かう私を生き長らえさせるために不老不死の術を生み出し、霊薬を飲ませた。けれど、私は死んだのよ。心の臓は止まり、葬儀をあげられ土に埋められた。でも、私は生き返ったの。いいえ、心の臓は止まったままだから生き返ったと言うよりは甦ったの方が近いのかしら。けれど、不完全な不老不死の術では私の体は死者と生者の間までしか再生されなかった。数多の術師が挑み失敗してきた不老不死の術は武宮当主の力をもってしても完成には至らず、半死の状態までしか体を再生させてはくれなかった。つまり私は……仮死状態の動く肉体って言ったら分かりやすいかしら?」


 私には分かりにくい例えであるが、はっきりと分かったことがある。


「だから奇跡の少女なんですね」


「流石は進学校の生徒ね。難しい言葉を知っているのね」

 

 正解にたどり着いた私にご褒美と言わんばかりに頭を撫で誉めてくれた。


 その手は冷たく、朱音さんの肉体が生きていないことを改めて教えてくれた。けれどその肉体は死んでもいない。心臓が止まっただけのトリカブトを飲んだ私のような半死の状態にある。


 奇跡の少女。


 朱音さんは初めから私に名乗っていたのだ。


 非日常を受け入れていなかった私は、知っている単語に変換していたせいで気づけずにいたんだ。

「不完全ながら不老不死の術で甦った。それはまさしく奇跡ではありますが、朱音さんのきせきの漢字は違いますよね。きせきは鬼の籍……鬼籍で間違いないですか?」


 鬼籍とは死者の名前と死んだ月日が乗せられた帳簿のことだ。


 鬼籍に入る、鬼籍の少女。

 

 つまりは朱音さんは最初から死んだ人間と私に伝えていたのだ。


「ご名答よ。私は一度死に鬼籍に入った。半死の不死人。鬼籍の少女よ」


 九十八年の長い月日を生きてきた『鬼籍の少女』は悲しげな、どこか疲れた雰囲気の笑みを浮かべた。

 

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