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第十五話 手鞠

 やって来たバスに乗り込むと中は数人のお年寄りと、小さな子供を連れた親子くらいで空いていた。

 空いている二人掛けの席に座り、私は頬杖をつきながら夕焼け空をぼんやり眺めた。赤い夕日が遠くの山にかかり、オレンジ色に世界を染め上げていた。


「……綺麗だな」

 最近はこんなに穏やかな気持ちで空を見上げていなかったと思いながらポツリと呟くと、不意に袖をくいくいと引っ張られた。


 私の穏やかな気持ちは一瞬で消え去った。

「……ッ!」

 頬杖をついた体がこわばった。


 バスは走り出したばかりで、私の後には誰も乗り込んではいなかったはずだ。勿論隣にははじめから誰かが乗っていたなんてこともない。

 なのに……誰かが私の袖を引っ張ったのだ。


 頬を置いた手のひらにじんわりと汗をかいてきたのが、分かった。心臓がどくんどくんと高鳴ってくると、また袖をくいくいと引っ張られた。


 私の中ではこっくりさんにまつわる心霊現象は終わったものだと思っていた。そう思い気を緩めていたが……私は終わっていないことに気付かされた。


 隣に座り私の袖を引っ張っているのは人ではなく霊なんだと私は直感で気づいた。これは霊能力が教えてくれたものなのかもしれない。


 向くべきなのか、それともこのまま気づかない振りをするべきなのか私が考えていると、またくいくいと袖が引っ張られ、霊が私に話しかけてきた。


「お姉ちゃん」


 話し掛けられ私の心臓は一瞬どくんと高鳴ったが、霊の声に聞き覚えがあり、私は慌てて振り向いた。


「千代ちゃん!」


 バスの中で大声を出した私に、他の乗客が一斉に視線を送ってきた。もちろん他の客からは千代ちゃんが見えてないだろうから、独り言を大声で話している変人に見えただろう。私は慌てて携帯を切る振りをする。

「ごめんね。またあとで電話するねーーすいませんでした」

 私は電話してたんですよ感を出しながら、乗客に謝った。


 離れた席のお爺さんから、これだから若いやつらはと言われたが、独り言を大声で言う変人と思われるよりはいくぶんマシだと思い、その言葉をグッと受け止め、隣にちょこんと座った千代ちゃんに視線を移す。周りに気づかれないように話し掛ける。


「千代ちゃんどうしてここにいるの?」


「お兄ちゃんが、あそこにいたらかかに会えないって言ったの」

 お兄ちゃんとは間違いなく玄君の事だろう。

「あそこにいたら、千代もうお外に出れないって」

 そうか、学校には結界を張ると朱音さんは言っていた。結界が張られればもう千代ちゃんはあそこから出る事が出来ないのだろう。

「千代、かかに会いたいから、外に出たの」

 学校では霊だからと怯えながら見ていたが、今私の隣にいる千代ちゃんは少し古風な格好の小さな子にしか見えなかった。


 別れ際の玄君が言いたかったこととはこの事なのか。

 確かに心霊体験をした人には一緒に霊が帰るかも知れないとは言えないな。


 私はフッと笑い千代ちゃんを見る。千代ちゃんはバスに乗っていることに緊張しているのか手鞠をぎゅっと握っていた。


「お外怖いけど、千代出たの」

 外が怖い? 緊張しているように見えるのは、バスに乗っているからではなく、外に出たからのようだ。


「どうしてお外怖いの?」


「かかが言っていたの。家の外には鬼が出るから出ちゃダメだよって」

 私も小さい頃におばあちゃんに似たことを言われた事がある。一人で外に出たらお化けに食べられちゃうよと。


「みんなお外に出たら居なくなっちゃったの。鬼に食べられちゃったの」

 千代ちゃんは化け狐に周りの霊が食べられた事を思い出したのか、また手鞠を強く握った。

 私は暗い顔をする千代ちゃんを見て、話を変えなくちゃと思った。 


「その手鞠はかかがくれたの?」

 手鞠を指差し聞く。


「うん」

 千代ちゃんは頷くと嬉しそうに手鞠を見た。

「かか、お社様のところでこれで遊んでいるんだよって渡してくれたの」


「お社様?」

 聞き返すと、千代ちゃんは少しうつむいた。


「お狐様のお社。暗くて怖くて、千代ずっと鞠持って泣いていたの」


「……ッ!」

 思わず声が出そうになったが、私は必死に耐えた。現代では決して考えられないことだが、昔はあったと言われていること……生け贄。


 この子は化け狐の供物として差し出されたのだ。千代ちゃんの幼さが私に更に悲しみを倍増させた。


 幼かったからこそ、自分が生け贄にされたことにも気づいてないのかもしれない。だからこそ、未だにお母さんを待っているのだろう。


「お姉ちゃん?」

 心配したようなちょっとおどおどした目を向けてくる。


 何でもないよと笑顔を作り誤魔化す。

「千代ちゃんはかか好き?」


「かか大好き」

 屈託のない笑みを浮かべ答える。その顔を見て私はこの子に生け贄にされたことを決して伝えまいと決めた。


「千代ちゃんととは好き?」

 お母さんの話ばかりだったので、お父さんはどうなんだろうと思い聞いてみると、千代ちゃんの顔がどんどん曇ってきた。なにか不味かったのだろうか。


「ととは千代が六つの時に流行り病で死んじゃったの。だからあんまり覚えてないの」

 物悲しそうに鞠をいじり千代ちゃんは言った。

「お姉ちゃんはかかと、とと好き?」


 千代ちゃんの質問に私は黙ってしまった。かか……お母さんは私が六つの時に死んでいる。癌だったと聞いている。


 私の記憶の中のお母さんは写真の中の止まったお母さんと、亡くなる前のベッドに寝たお母さんしかない。


 あとは全て忘れてしまった。小学校に上がる前の事だ、仕方ないのかもしれない。


 少しだけ千代ちゃんの気持ちが私には分かった。好きなはずだけど、好きだった記憶があまりないんだ。私と同じように。


 お父さんを好きかどうかは、お母さん以上に答えづらい質問だった。私にはお父さんが二人いるからだ。


 一人は血の繋がった実の父親。私が生まれてすぐにお母さんと乳飲み子の私を捨てて出ていった父親。


 おばあちゃん……お母さんのお母さんに実の父親の事を、どんな人だったのか聞いたことがあった。高校に入る前の事だ。

 その時おばあちゃんはろくな男じゃなかったと答えて不機嫌になったので、私はそれ以上なにも聞けなかった。


 写真も残ってなく私は顔も知らない。好きかどうか聞かれれば嫌いと答えるだろう。お母さんと私を捨てたから。


 もう一人のお父さん。私が五つの時にお母さんと再婚した人だ。優しくいつも私を守ってくれた大好きなお父さん。


 五歳の時再婚した相手だと知るまではずっと実のお父さんだと思っていた人。


 高校に入るのを機にお父さんとおばあちゃん二人が私にお母さんの再婚相手と話してくれるまでは、実の父親と信じて疑わなかったお父さん。


 高校の制服が出来上がり、袖を通した私に二人は話してくれた。大きくなるまではーー高校に上がるまでは黙っておこうと考えていたようだ。

 話の結びに、騙していて悪かったとお父さんに言われ、私とお父さんの間には溝が出来た。

 お母さんを失った私に伝えることができなかった事くらい私にも分かる。けれど、血が繋がっていようがいまいがお父さんには違いがないと言うのに、騙していたと言われたことが悔しくて苦しくて私は反発した。


 その日を境に、中学の時のようにベッタリと接することもなくなり、距離を置いて生活した。お父さんと呼ばずに、一樹さんと下の名前で呼ぶようにもなった。


 その事で私はおばあちゃんに怒られた。お母さんが亡くなって血の繋がらない私を引き取り必死に育ててくれたんだと。お父さんと呼んでやりなと言われた。

 血の繋がりなんて関係ない事くらい私にもわかっていた。

 けれど、どうしても私は意固地になってしまい反抗を続けた。反抗期だと言うこともあるかもしれないけれど、どう謝っていいのかも私には分からなかった事も和解できない原因でもあった。


 私はただただ、自分の都合だけを羅列しお父さんに文句を言い続けた。けれど、その度におばあちゃんが私を叱ってくれたので、私は言葉と言う切れるナイフを振るいはしたが、ある一線を越えずにすんでいた。


 けれど先週、おばあちゃんがお友達と半月ほど四国に旅行に行くことになり、家には私とお父さんの二人だけになった。

 おばあちゃんが家を空けること自体は、私が中学生の頃はよくあったが、高校に入ってからは、初めての事だった。


 止める人がいない私のナイフは越えてはいけない一線を越えてしまった。

 事の始まりは朝食を食べる食べないと言う些細なものだった。けれど私はお父さんをまくし立て、家を出る前に言ってはいけない一言を言ってしまった。

 ナイフを振るい一線を越えた。


 心を切り裂き殺してしまった。

『血も繋がってないのに父親面しないで』とナイフを振るった。


 お父さんは固まり何も言い返さなかった。その時私は自分のしでかした事の重大さに気づいたけれど、謝ることもせずに逃げ出した。

 どう謝って良いのかも分からなかったし、どう謝ろうとも、許されることじゃないと思ったからだ。


 その日、お父さんの現場で事故があった。お父さんが操縦する重機が倒れたそうだ。

 お父さん自体に大きな怪我はなかった。同じ現場だった人が言うには突如錯乱したかのように叫んだ後に操縦を誤り転倒したという。


 病院でその話をお父さんの同僚に聞き、私のせいだと思った。

 私が朝にあんな事を言ったから、お父さんが事故に遭ったんだと。


 お父さんは入院せずに家に帰ってきたが、様子がおかしかった。心ここにあらずと言う感じで、食事をとっても箸が止まり、私の問いかけにも何も答えなかった。


 全ては私の一言のせいだった。だから私は、こっくりさんに参加したんだ。


 お父さんにどう謝れば良いのか聞きたくて。お父さんをもとに戻したくて、その思いを指先に乗せたんだ。


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