第十四話 電話番号
「私や玄のように力を持つ人はいるわ。けれど中には自分の力に気付かずに過ごす人もいるのよ」
朱音さんが何か言っているが私の耳には入って来ない。今私は自分のせいで傷付けたものの大きさに心の底から恐怖していた。縛られトイレにも連れて行かして貰えずに汗と尿の匂いを漂わさせてしまったのは……私が原因だった。
なぜ私はこっくりさんなんかやってしまったんだ……なぜ私はこんな力なんか持ってしまっているんだ。
震え視線がぶれる。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。自分が怖い。人を傷つけてしまった自分が。霊能力と言う理解しがたい力を宿している自分が怖かった。
私は何なんだ?
友人も恩師も傷つけて、平然としていた私は……化け狐よりも悪霊よりもずっとずっと禍々しい者なんじゃないか?
揺れる視界がボヤけてくる。呼吸が早くなり息を吸うことが辛くてしかたない。息苦しくてフラッと体が揺れた。ああ、倒れる。
私がそう思うと、体を誰かが抱き止めた。
「大丈夫よ。ほら、ゆっくり息をすって」
優しい言葉が掛けられると、少し冷たい手が頭を撫でた。
「あなたは偉いわ。自分のせいだと確りと受け止めて苦しめるんだもの」
頬に血で固くなった髪が触れると、鼻孔に鉄臭い臭いが届いた。けれど私の心も呼吸も暖かな言葉で落ち着いていく。
「悔やむ心があれば貴女は前に進める。謝りたい心があればこれからいくらでも償える。だって真美ちゃんもこの子もみんな生きているんだもの」
朱音さんは私を離すと頭を優しく撫でてくれた。「青歌ちゃんが私の所に来てくれたから、みんな無事に除霊することが出来たのよ。青歌ちゃん。友達が取り憑かれても逃げずに私の所に来てくれてありがとう」
頬を涙が伝うのが分かった。涙だけじゃない。鼻水もきっと垂れている。私は泣きじゃくった。嗚咽をこぼしながら、子供のように延々と泣いた。
「でも……私が悪いんです」
泣きじゃくる私の口から出た言葉は、ちゃんと単語になって出たかも怪しい、酷く聞き取りづらいものになっていたはずだ。それでも朱音さんは首を左右に振った。
「確かに学校でこっくりさんをしたのは悪い事だけど、霊能力を持っていたことは決して悪いことじゃないわ。今は重荷に感じて辛いだけかもしれないけれど、いつかきっとその力を授かった意味がわかるはずよ。玄と出会った私のように、きっと意味があるわ」
私がまた泣きじゃくると、朱音さんは優しく抱き締めてくれた。
私は朱音さんの胸で泣き続けた。今日一日泣きっぱなしの目からは、枯れることなく涙が流れ続けた。
何分泣いたか分からないが、朱音さんのTシャツが濡れて色が変わるほど私は泣き続けた。
「……すいません」
涙だけではなく、鼻水もべっちょりとつけてしまい、私は深々と頭を下げた。
「いいのよ」
朱音さんは優しく、咎めることもなく許してくれた。
頭をあげ濡れたTシャツを見ていて私は気づいた。肩と襟元に血がついていることに。肩は多分化け狐に押さえられた時に爪が食い込んだ跡だろう。襟元は頭から流れた血が付着したものだ。
血の跡を見ていたことに気づいたのか、朱音さんは平気よと私に言った。
「血は出たけど、傷自体は大したことないし、玄の薬もあるから傷も残らないよ」
その言葉に私はほっとした。
「青歌ちゃんは怪我はしなかった?」
「私は大丈夫です。朱音さんに守って貰いましたから」
「守られたのは私の方よ。ありがとうね」
頭をポンポンと叩き言うと、窓の外に視線を送った。沈みゆく太陽が西の空をオレンジに染め上げていた。
「思ったより遅くなっちゃったね」
携帯を取りだし時刻を見ると、六時を回っていた。
「青歌ちゃんの家は近いの?」
家までは歩いて三十分と言ったところだったし、学校前を通るバスに乗って帰れる。その事を朱音さんに伝える。
「今日はもう遅いから、明日の放課後にでも時間があったらうちにおいで」
バックからカウンセラーとではなく、小鳥心霊現象相談所所長と書かれた名刺を取りだし私に手渡した。見ると携帯番号も乗っていた。
「あっ、これはダメか」
私の手から名刺を取り返すと、ペンを取りだし空いたスペースに別の番号を書き足す。
「こっちが玄の番号になるからね」
受け取り私は支払いの事を聞いた。
「それは今度来た時でいいよ。私と玄はまだここに残って調べたいこともあるからね」
「調べたいことですか?」
「うん。分かったら事後報告するから楽しみにしていてね」
パチリとウインクして来た。
楽しみかどうかはおいとくとして、どうもはぐらかされた気分になった。
「もし帰りが心細いなら、ここは玄に任せて私が家まで送ろうか?」
「……」
私は朱音さんの車を思い出し、自分が出来る精一杯の笑みを浮かべる。
「玄君を待たせるのも悪いので、大丈夫です」
「そっか。乗せてあげられないのは残念ね。じゃあ今度一緒にドライブしましょう」
良いことを思い付いたとばかりに手をポンと鳴らす。
私はひきつりそうな口角を必死に律する。
「楽しみです」
「その時にでも……力の相談に乗るわ」
力とは霊能力の事だろう。そこで私は気づいた。番号を教えてくれたのも、ドライブに誘ったのも全ては相談に乗るためだったのだと。
「ドライブ楽しみにしてます」
私は作ることなく笑みを浮かべる事が出来た。
「うん。それじゃあ青歌ちゃん気を付けて帰るんだよ」
朱音さんが手を振ってくれたので、私も手を振り返す。
「はい。それじゃあ失礼します」
背を向け歩き出すと、不意に袖を引っ張られた。一瞬ビクンとし振り替えると、玄君が私の袖を引っ張っていた。暗い瞳が私の瞳をじっと見つめた。
「どうしたの?」
「……」
玄君は返事をせずに私の目を見続けた。何だろうと子首をかしげると、パッと手を離した。
「電話してね」
言葉だけ捉えればナンパされたんじゃないかと思ったが、私は何だか変な胸騒ぎを覚えた。
「……電話するね」
私はにこりと笑みを作り答える。校舎を出ると私はまず朱音さんの黄色のオープンカーに向かった。
車内からバックを取りだし私は学校を仰いだ。
ほんの数時間前には禍々しく感じた校舎だったが、今は見慣れた平凡な校舎にしか見えなかった。
私は朱音さんのようにくすりと笑う。
平凡でいいんだ。
「化け狐がいない。これ以上に大切なことなんてないかな」
私は一仕事終わったOLのような気分で背伸びをする。
「終わったな」
晴れ渡った気持ちでバス停に向かうと、あと四分で家の近くを通るバスが来ると書いてあったので、私は空いた時間で貰った名刺の番号を携帯に登録することにした。
まずは朱音さんを登録し、次に玄君を登録しようとした時に玄君の名字を聞いていなかったことを思い出した。
名前だけの登録にしようと思ったが、私はそうだと呟き、朱音さんの名前から登録し直した。
バスが来るまでの間に二人の番号を登録し終えた。
『小鳥朱音 奇跡の少女』と『玄君 孤独の少年』の二人の番号を。