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第十二話 符術

「うぅぅぅ」

 化け狐が唸ると、一斉に机が飛んでくるが、結界にはばまれ弾かれる。

「うぅぅぅ」

 机が弾かれ恨み辛みがこもった唸り声をあげる。


 すると、浮いていた机も椅子も力を失ったように一斉に床に落ちる。


 諦めたのか? 


 私がそう思っていると朱音さんがぼそりと呟いた。


「まずいわね……」


 化け狐は尻尾をゆらゆらと揺らし出す。


 その様子から何かを感じ取ったのか、朱音さんは私を向いた。

「青歌ちゃんは……私が守るからね」

 柔らかい笑み。私を安心させるような綺麗で美しく何処か儚さを含んだその笑みは、私の胸をぎゅっと締め付けた。


 私はこの笑みを知っていた。お母さんが私に向けた笑みに似てるんだ。病室のベッドで私の手を握り微笑んだお母さんの顔に。私が最後に見たお母さんの顔に。


 化け狐の尻尾が波打ち迫ってきた。机でも椅子でもなく尻尾が。床を砕いた尻尾が迫ってくる。


 見えない結界に尻尾がぶつかると、大音量のバヂッという弾ける音が教室を震わす。化け狐の尻尾は弾かれると、白い煙を挙げた。

「ギャァァァァァァ」

 苦しむ叫び声が、また教室を震わし、窓をガタガタと揺らす。


 防いだ。

 しかし辛うじてなんだろう。

「くっ」っと、朱音さんは苦しそうな声をあげると、膝をつく。


 刀を握る手がふるふると震えている。限界が近いようで、私達を囲んだ青白い円は、切れかけた蛍光灯のように、光が弱まり点滅していた。


「グゥゥルゥゥゥゥ」

 化け狐は唸ると煙の上がる尻尾を揺らした。


「玄君……早くっ」

 私の叫びが虚しく教室に響くと、化け狐の尾が波打ち迫ってきた。結界に触れた瞬間、バヂッと言う音と共にバリンと何かが割れた音が私の耳に届く。


 結界が壊れた音だと私には分かった。


 化け狐の尻尾が円の中に入り込み、私達を凪ぎ払おうとうねる。


 私は怖くて固く目を瞑った。

 直後体に衝撃が走り、ジェットコースターが急加速したような風圧を感じ、直後ガンという音と、衝撃がまた私の体を襲った。


 しかし、不思議なことに体には痛みがなかった。

 窓側に叩き付けられたのになぜ痛みがないんだと、私は疑問に思った。


 死を回避することが出来ないほどの大きすぎる怪我をすると、痛みを感じなくなると聞く。私もそれだけの怪我を負ったのだろうか。知ってしまうことに恐怖を感じながらも、薄く目を開けると、どうして痛みを感じなかったのかがわかった。


 私は抱き締められていた。


 庇うように抱く朱音さんの頭からは血が流れていた。


 尻尾も壁への衝突も私を庇った朱音さんが一身に引き受けていたんだ。


「朱音さん!」

 起き上がり呼びかけると、虚ろな目が私に向いた。


「怪我は……ない?」

 朱音さんの頭から流れる血は綺麗な黒髪をどす黒く染め上げ、床にゆっくりと広がっていった。私には怪我の重症度を判断する知識なんかないが、この血の量で軽傷と言うことはないと言うことくらいは分かった。


 血を止めないと。私はハンカチを取り出そうと、ポケットに手を伸ばした時、トンと言う床に降りる音が耳に届いた。


 ドクンと胸が裂けそうなほど鳴る。恐る恐る顔をあげると、化け狐が床に降り立っていた。


「贄……やっと喰える。喰う。喰われない。贄」


 一歩近づくごとに、私の体の震えが激しくなる。玄君はまだなのか。すがる目を入り口に送っても開く様子はなかった。


 怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。


 恐怖が体を縛り上げる。カタカタと歯がぶつかり合うと、朱音さんが体をふらつかせながら起こし、私を庇うように抱き締めた。


「この子は……貴方になんかやらない……喰うなら私を……喰いなさい」


 朱音さんの髪があたり、べたっとした冷たい液体が頬についた。こんな状態でも私を守ろうとしてくれていた。

「……ッ!」


「お前も供物の主も喰う。力。喰う。喰う。喰う」

 

 ぞくぞくぞくと背筋に悪寒が走る。朱音さんの体で見えないはずなのに、私には今にも飛び掛かろうとしている化け狐の存在を感じた。


 私も……私を身を挺し守ろうとする朱音さんも喰われてしまうんだ。


 喰わせたくない。私も……朱音さんも。


 私の中に怖いと言う思い以上に喰わせたくないと言う思いが湧いてきた。


 けれど……私はただの女子高生でしかなく、化け狐に抗うすべなんて持っていなかった。


「うっ」

 悔しくて私は涙した。何も出来ない守られるだけの自分が腹正しくてしょうがなかった。


「贄。贄。にえぇぇぇぇ」

 化け狐は叫んだ。ご馳走にありついてはしゃぐ子供のような、嬉しさの溢れた叫びだ。大口を開け私達にかぶり付こうとする姿が脳裏に浮かぶ。


 もうダメだ。私はぎゅっと目を瞑り、抱き締める朱音さんを抱き締め返そうとしたーーその時、掌に何かが触れ、かさっと音を立てた。


 どうしてかは分からないが、私には触れたものが何なのか分かった。札だ。


 私は目を開く。脳裏の映像と同じく、化け狐が大口を開き、舌を垂らし、涎を撒き散らしながら飛び掛かってきていた。


 嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。喰われたく……喰わせたくない。


 朱音さんの抱き締める力が増す中、私は朱音さんのポケットから札を取り出す。


「喰うなぁぁぁぁぁぁぉ」

 叫びと共に、化け狐の大きく開いた口に貼り付ける。


「ギャァァァァァァ」

 バヂッという音と共に、化け狐の体が車に衝突されたかのように弾き飛ばされた。


「ガァァァァァァァ」

 顔を抑え、札を剥がそうと、化け狐は悶えた。


 叫び声に反応し、朱音さんが化け狐を振り返った。

「……札?」


 化け狐は悶えながらも札を引き剥がす。

「ガァァァァァァァ」

 叫ぶ化け狐の目は怒りで充血していた。


「そんな……」

 札を貼り稼げた時間は十秒ほどだった。


 私の体から消えた恐怖が札が剥がれると共に戻ってきた。


「……青歌ちゃんのお陰ね」

 朱音さんが震える私の頭に手を置くと、優しく撫でてくれた。


「喰う喰う喰う。供物の主ぃぃぃぃぃぃ」


 凶器を波乱だ叫びを化け狐があげると、朱音さんはふらつきながらも立ち上がり、クスッと笑った。

「もう無理よ」

 そう言うと教室の入り口を指差した。


 化け狐の顔が入り口を向くと、ブルッと体を震わせた。

 その様子は、狐に追い詰められたネズミのようだった。


「解」

 廊下から小さな声が聞こえると、入り口の扉が開いた。


「崩」

 積まれた椅子や机が、がらがらと音を立て崩れる。遮るものがなくなり、声の主の姿が見えたというのに、私は捉えることが出来なかった。


 玄君が来てくれ、安堵の涙が止めどなく溢れたからだ。

 涙でボヤける目を手の甲でぬぐい、玄君の姿をしっかりと捉える。


 私より背が低く、表情の乏しい顔をした幼い玄君は、教室に一歩踏み込むと、前を開けたベストの裏側から、札を一枚取り出した。


「遅かったわね」


「……」

 玄君は教室を見回す。散乱した机や、怯える化け狐を見て、状況を把握したようで、私達に向かい謝った。「ごめん。面白いものを見つけてね」


「面白いもの?」


 聞き返す朱音さんの質問に答えずに玄君は化け狐を見据える。

「後で話す。すぐに……終わるから」


 そう言うと、玄君は怯えた化け狐目掛け札を投げる。


 化け狐は、目を見開き横に飛んで避けるが、玄君は化け狐を追うように、指を動かす。札が化け狐を追いかけ、肩に貼り付く。

「縛」


 玄君が静かに唱えると、青白い光が札から発せられ、化け狐の体を縛り上げる。


「ギャァァァァァァ」

 唸り声をあげ、床にた折れ込む。


「……あっ、札一枚じゃダメだよ」

 私は朱音さんの札を二枚引き剥がした事を思いだし、玄君に向かい叫ぶ。


「大丈夫よ」

 玄君の代わりに朱音さんが答えた。

「あの程度の相手なら……札一枚で十分すぎるわ」


 化け狐は見えないロープに縛られているかのように、身動き一つとらずに、ただひたすら叫び続けた。尻尾もピクリとも動いていなかった。


 玄君の札の効果は絶大で、朱音さんが札二枚使っても抑えきれなかった化け狐を容易く封じていた。


 凄い。


 これが孤独の少年の力。


「どうする?」

 苦しむ化け狐を見もせずに、玄君は平然と教室を進み、私達の元に来る。


「玄に任せるわ。ただし、あの先生から追い出してからね」

 ちらりと視線を化け狐に送ると、朱音さんは私の手を取り立たせる。

「頑張った私と朱音ちゃんは、先生から化け狐を追い出したら廊下で休もうか」


「あっ、はい」


 私が返事をすると、朱音さんは玄君の頭にぽんと手を置く。

「玄。お願いね」


「分かった」

 玄君は返事をすると、指を立て念じる。

「浄」


 バシッと青白い火花が散り、化け狐が鼓膜を破るんじゃないかというほどの絶叫をあげると、口から黄金色の煙が上がり教室に四散する。

『おのれ。術師風情がぁぁぁぁぁあ』

 今までの先生の声ではなく、年老いた男のような低い声が鼓膜にではなく脳に直接語りかけてくる。


 四散した煙は一ヶ所に集まっていくと、大型犬ほどの大きさの狐を形どった。光沢のある二本の尻尾が何処か神々しさを感じさせた。


 これが化け狐の本性なのか。狐の目がきっと見開かれると、教室が立っていられないほど震え出した。「きゃあっ」


『うぬら皆喰らってやるぅぅぅう』

 化け狐の尻尾がうねりながら、教室の机を残骸にかえながら迫ってくる。


「妖孤か」

 玄君は平然と呟くと、ベストから札を取り出し、顔の前に掲げる。

「壁」


 私達を囲むように大きな円が発生すると、迫り来る尻尾を弾いた。


『ギャぁぁぁぁぁァ』

 悲鳴が脳を揺らす。


 思わず私が耳を押さえると、玄君が掲げた札を投げた。

「縛」

 札が貼り付くと、化け狐の動きが止まる。


『うぅぅぅぅぅう』

 唸りながらなんとか体を動かそうとしているが、ぷるぷると震える事しか出来ていなかった。


「さてと」

 朱音さんは呟くと、平然と化け狐の前を通りすぎ、先生の元に行く。

「青歌ちゃんこっち支えてもらってもいいかな?」


 手招きされ、私は恐る恐る化け狐から距離を取るように先生の元に向かう。


『にえぇぇぇぇ』

 私を目で追いながら化け狐は唸る。


「ひぃィ」

 と、声をあげながらも先生の元に行き、朱音さんと二人で担ぐ。


 力の入っていない先生は重く、死んでいるんじゃないかと思ったが、弱い呼吸が耳に届き生きていることが分かった。入り口から廊下に出て、ゆっくり先生を床に置く。しゃがみこみ、私は先生と呼び掛けるが、返事は帰ってこなかった。


「大丈夫。取り憑かれて衰弱してるけれど、命に別状はないわ」


「良かった」

 ほっと胸を撫で下ろすと、脳に化け狐の唸り声が届いた。


『にえぇぇぇぇ。儂の力ぁぁぁぁぁぁ。喰わせろぉぉぉぉぉぉ』


「孤独に喰われなさい」

 朱音さんは立ち上がり、入り口の戸に手をかけると、封じられて動けない化け狐に笑みを送り、戸を力一杯閉める。


 すると私の体が恐怖と寒気を感じとり、ガタガタと震え出した。

 嫌な気配を教室の中から感じ取った。


 中で何が起きてるんだ。

 玄君は大丈夫なのか? 心配で中を覗こうと、立ち上がりかけた私の肩を朱音さんは押さえた。


「直ぐに終わるから、座ってて」

 優しい笑みを浮かべるが、肩に置かれた手には力がこもっていて、私に中を見せまいとしていることが分かった。


「はーー」

『あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーー』

 はいと返事をしようとした私の言葉は、化け狐の叫びにより遮られた。


 今までおぞましさを感じさせられた化け狐の叫びであるが、最後の断末魔の叫びには怯えと恐れが入り交じった物悲しいものであった。


 叫びがやみ、十数秒後教室の戸が開いた。


「終わったよ」

 玄君が感情のない声で言った。


 まるで電球を換えた事を告げるような気軽さで、こっくり騒動の終焉が訃げられた。

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