第十話 化け狐
「……ッ! なんで!」
叫びながら助けを求めるように振り替える私の目は、一昨日こっくりさんをやった机の上に狛犬の像のように座っている人物をしっかりと捉えた。
「……先生ッ」
呟くと同時に私の前に朱音さんが割って入り、庇うように両手を広げた。
「青歌ちゃん。気持ちを落ち着かせて」
落ち着かせてと言われても今の私には無理なことだった。
机の上に座るのは担任の教師だった。三十代だが童顔な事もあり、同級生と接するような気安さのある女の先生。
化粧っけが少なく、目が小さい事を気にしており、よく加奈子にマスカラつければ大きくなるよと言われていた。
その先生のコンプレックスだった小さな目は大きく見開かれ、鋭くつり上がっていた。まるで狐のような瞳だった。その瞳に合わせるように口角もつり上がり、どこかおぞましさを感じる笑みを浮かべていた。
先生の顔だと言うのに、あれは先生じゃなく化け狐だと私ははっきりと分かった。
途端に息苦しくなり、呼吸が荒くなり、心臓が痛いほど拍動する。
はっはッはッと短い呼吸を続けていると、突如朱音さんが先生に向かい、札を投げた。
柔らかい紙で出来ているはずの札はへたることなく一直線に先生に向かい飛んでいく。先生は座った体勢のまま横に飛び上がり、かわすと、猫のように他の机に着地する。
「縛れ」
かわされると同時に朱音さんは人差し指と中指を立て念じながら叫ぶ。札は飛んだ先生の後を追い、着地した先生の背に貼り付く。
「浄化せよ」
バジッと青白い光と放電したような音をあがる。
「ギャッ」
っと先生は叫ぶと机から転げ落ちる。その声は先生かどうかと言うより、人かどうかすら怪しい、動物の鳴き声のようだった。
「青歌ちゃん!」
先生が苦しみもがいていると、朱音さんは声をかけながら、私の手からバックを取り上げ、床に置くと中を漁る。
「これじゃなくて……これだ」
一つの匂袋を取りだし、私の顔の前につき出す。鼻孔に柔らかな花の香りが届くと、息苦しさが薄れ、呼吸が楽になった。
ホッとしたような笑みを見せると、私の手に匂袋を握らせる。
「また怖い思いをさせちゃったね」
朱音さんは木箱の紐を歯でほどくと、宙に放る。木箱が空中で開き、中に納められた日本刀が飛び出す。左手で日本刀の鞘を掴む。
「もう逃げてとは言わないわ。私が護るから少しだけ待っていてね」
「……はいッ」
私は頼ることにした。どうしてかはわからないが、校長室に向かおうとしても、校舎の外に逃げ出そうとしても、私の足はここに向かってしまっていた。
また逃げようにもきっと、ここに舞い戻ってしまっただろう。
逃げることが出来ないのならなんの力も持たない私に出来るのは、拐われたお姫様のように王子様に助け出されるのを待つしかないんだ。
「待ちますッ」
悪霊を倒し真美を救った朱音さんならきっと助けてくれる。私は朱音さんの背に全てを託すと、床でのたうち回っていた先生が飛び上がり机の上に飛び乗った。
「ぐうぅぅぅぅぅ」
唸り声をあげると手を背に回し、貼られた札を引き剥がす。剥がされた札はボロボロと崩れ落ちる。
「これを剥がしちゃう妖は久しぶりね」
ポケットから札を二枚取り出す。
「昔の自分を叱ってやりたいわ。こんな危ない妖を放置していたなんてね」
「キャーキャー」
先生はまるで動物のような鳴き声をあげる。何を言っているかはわからないが、先生の瞳は怒りの炎で爛々と輝いていた。
ぶるりと震えてしまう。炎のように輝いていると言うのに、部屋の温度がさらに下がったように感じた。
「嫌な目ね。まるで鼠に咬まれた猫のような目ね」
札を構える。
「キャーキャー」
また鳴き声をあげると、腰をあげ前に着いた手に体重預ける。まるで獲物に飛びかかる獣のような体勢だった。
「狐憑きの除霊は何度もしたことがあるけれど、化け狐退治なんて久しぶりーーねッ」
朱音さんが喋っていると突如先生ーー化け狐が飛び掛かって来た。朱音さんは化け狐の動きを読んでいたのか、飛び掛かると同時に札を投げた。
化け狐の額と胸に札が貼り付くが紙が触れただけでは、化け狐の動きは止まらずに、朱音さんに襲いかかる。
「浄ーーッ!」
念じながら唱えるよりも早く化け狐の手が朱音さんの肩を捕らえた。のし掛かられるとバランスを崩し背中から床に叩きつけられる。
「痛ッ!」
背中を打ち付け朱音さんはカハッと息をもらす。
「ーーひぃっ」
手を伸ばせば届きそうな距離で化け狐が朱音さんに馬乗りになる。
肩を押すでもバックで殴るでもして朱音さんを助けるべきだというのに、私は怖くてバックを抱え震えることしか出来なかった。
怖さと情けなさで涙が出てきて視界が霞む。今日一日泣きっぱなしと言うの、私の涙は枯れるどころか勢いが増してくる。
私はなにも出来なかった。
化け狐も私など眼中にないのか、朱音さんの上で口を大きく開き、よだれを私の涙以上にボタボタと垂らす。
剥き出しの歯が朱音さんの喉笛を噛みきろうと迫る。
恐怖で私は目をきつく閉じる。
と、ガキンと言う金属音にも似た音が教室に響く。
ガキン?
喉笛を噛みきった音ではあり得ない音に私はうっすらと目を開けると、化け狐が日本刀の鞘にかじりついていた。朱音さんは咄嗟に歯と首の間に日本刀を差し込んでいた。
にっと化け狐に笑みを送ると叫んだ。
「浄化せよッ」
バジッという音と共に青い火花が散り、化け狐が朱音さんの上から弾き飛ばされ、机を凪ぎ払っていく。
「キャンッ」
苦しみが現れた声をあげる。
「浄化せよ」
追い討ちをかけるように朱音さんは念じながら叫ぶ。
化け狐は苦しみ、床を転がり回る。机が倒れる音と化け狐の叫び声が教室に響き渡る。
凄い。
私は苦しむ化け狐を見て、朱音さんの勝ちを確信した。
が、朱音さんはぼそりと呟いた。
「ダメか」