§Peach & Tentacle
昔々あるところにおじいさんとおばあさんがいました。
ある日、おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に……行っちゃってぇ~っ! 川でお洗濯をしていたおばあさんが拾った触手がこのワ・タ・シ☆
ええ? 川を流れてくるのは桃太郎じゃないのかって?
そうね、お話が進まなくなるから桃太郎を作っちゃうわねっ☆
触手式むかしばなし、はじまりなのっ!
その日、洗濯から帰ってきたおばあさんを出迎えたのは発情しきった『男』だった。
「どうしたというんですか、おじいさん」
「ばあさんや、抱かせてくれ」
壁際にどん、と両手で押し捕らえられては逃げ場もない。
こんなことは十何年ぶりだ……すっかり枯れ果てたと思っていた彼のオスは興奮しきって着物越しにもその隆起が明らかだ。
「ばあさん……わしの子を産んでくれ……」
あからさまな誘いの言葉におばあさんが思い出したのは、川で拾ってきた触手のことであった。
「触手! どこにいるっ!!」
おばあさんの悲鳴に答えて、おじいさんの背中に張り付いていた触手がわさっと触腕を広げる。その一本はおじいさんの首の後ろにがっつりと食いつき、どくどくと脈打っているのだからこの状態を引き起こしている原因がそれであるということは疑いようもない。
「触手っ! じいさんになにをしたのじゃっ!」
ばあさんの問いかけをわさわさと揺れながら受け止めた触手は、笑いながら(表情のない生き物なのだからもちろん比喩表現である)答えた。
「恋のキューピッドよ♡ せっかくご夫婦なんだから、かわいいベィビーとか、いてもいいと思うのよ」
「残念じゃったなあ、わしはとっくにアガっておるで、子なぞできぬわ!」
「あらぁん? ワタシが触手だっていう事をお忘れかしら」
おばあさんは見た、触手の一本がうねりながら立ち上がるのを……それは先に太い鉤爪をそなえていた。
「安心しなさい、回春液をたっぷり注いであげるから、ふふふふ♡」
「やめろ、やめるんじゃ!」
「やめられないとまらない~」
鉤爪はばあさんの首筋にぷつりと突き立てられ、ぐいっと一気に皮下組織までもぐりこんだ。
「ぐう……う……」
「ああ、ばあさん、わしの○○を○○○」
「う……ぐ……あ……あめまーっ!!」
こうして子供は生まれたが、おばあさんはその子が触手陵辱の果てに産まれた実子だということを隠そうとした。そのために考え出された物語が今日広く流布している「ドンブラコッコと桃が流れてきました」なのである……
「ってかさあ、果物から人間が生まれるとか、ナンセンスだと思わない? ねえ、桃ちゃん」
うねりと触腕をくねらせて尋ねる触手に、彼女その隣を歩く少女が眉根をよせた。
「別に」
大事なことなのでもう一度言っておこう……日本一の文字を染め抜いたのぼりを背中に背負い、額にはりりしく鉢巻をあて、腰からおなじみ黍団子をぶら下げてはいても、この桃太郎は可憐な年頃の少女なのである。
彼女は不快を隠そうともせず、むしろ触手に蔑むような視線をくれて言葉を続けた。
「触手の怪しげな人体改造で閉経したババアが出産するって話よりは現実的だし、絵面的にもまっとうだと思うんだけど」
「もう! 桃ちゃん! 女の子がババアとか乱暴な言い方しちゃダメ!」
「じゃあ、『おババア』」
「何でも『お』をつければ丁寧になるってもんじゃないのよ! いい、日本語というのはねえ……」
「知ってる、うるさい」
「反抗期! 反抗期なのねっ! あんなに大事に育てた桃ちゃんが反抗期とか、ワタシ、泣いちゃうっ!」
「うるさいなあ、触手に育てられた覚えは……無くもないけど……」
そう、育児放棄したおばあさんの代わりに近所中に頭を下げて乳母を頼み、添い寝して彼女をここまでに育て上げたのはこの触手だ。
「だいたい……ちゃんと女の子として育ててくれたらこんなハスっぱにはならなかったよ!」
「しかたないでしょ! あんたを育てるときにおばあさんが出した条件がそれだったんだから!」
実母でありながら、おばあさんはこの娘をひどく疎んでいた。こうして鬼退治に向かうことになったのも、この機に乗じて彼女を亡き者にしようというおばあさんの策略なのだ。
「しかし、世も末ね~、自分の子供を殺そうとする母親がいるなんて」
「そんなことはない。西欧では娘の美貌が自分を超えたことに腹を立てて、その娘を猟師に命じて殺そうとした母親がいたらしい」
「あら、えらいわ~、桃ちゃんったら、ちゃんとお勉強してるのね~」
ゆらりと揺れながら頭に伸ばされる触手を振り払って、少女は恫喝する。
「触るな! 変態触手!」
「やあねえ、ただいい子いい子しようとしただけじゃないの~」
「うるさい。この前、頭を撫でる振りして尻を撫でやがったじゃないか」
「あれは……うふふふふ」
「ごまかすな! この雌雄両性無節操生物っ!」
「こら! そういう口をきくように育てた覚えはありませんよ!」
「はあ……もういいよ、なんか疲れた……」
肩をすくめて黙り込む少女に向かって、触手はひどくまじめな声を出した。
「あのね、確かに若いころのワタシは無節操だったかもだけど、今は桃ちゃんだけよ」
「ふん、どうだかな」
「というかね、あなたを育てながら……ずっと思っていたことがあるの……」
沈んだ声、ゆっくりと歩速は落ちる。触手の表情(とはいっても顔などないから動作で推し量るしかないが)もどこか真剣味をおびてみえる。
桃太郎は自らも足を止め、触手の顔と思しきあたりを覗き込んだ。
「なんだ? 何を思っていたって?」
「あなたの一番の魅力は優しさと素直さだわ。だから、それが失われたりしないように気を使って、大事に大事に育てるのって……」
「うん、育てるのって?」
「光源氏計画っていうんじゃないかな、って☆」
「ぐあ! まじめに聞いて損した!」
桃太郎は触手の一本を蹴飛ばして、ずしずしと歩き始める。
「遊んでないでさっさと行くぞ! とっとと鬼どもを退治して、あのババアにボクの強さを思い知らせてやるっ!」
「桃ちゃん、そっちに行っちゃダメ」
突然の触手の叫び声に桃太郎は足を止めたが、時すでに遅し! 足元の草むらから何かが飛び出し、桃太郎の行く手を阻んだ。
「く! 何やつ!」
それは一匹の犬だった……いや、ガタイのよさを考えるなら『一頭』と数えるのが正しいだろう。とてつもなく大きくて重量感ある戦うための犬……土佐犬だ!
「おっと、おじょうちゃん、悪いがここで死んでもらおうか」
「なるほど、ババアが送り込んだ刺客か」
自分の身の丈を超えるのではないかという相手にも、桃太郎が臆する様子はない。鼻先に小さな笑いを含んで腰の刀へと手を伸ばす。
ところが、これを押しとどめるように触手が桃太郎の手首に絡みついた。
「だめよ、桃ちゃん、ワンちゃんをいじめるなんてかわいそうよ」
「いや、アレを見ろよ、『ワンちゃん』なんて可愛らしい生き物じゃないだろう」
「ワタシ、教えたわよね、自分より弱い生き物には優しくしなさい、って」
「いや、確かに教わったけどさあ……」
この会話に憤ったのは犬だ。
「それはつまり、俺がその小娘より弱いと! ふざけんじゃねえぞ触手! 貴様らまとめてつぶしてやらぁ!」
その大きさと重量からは考えられないほどの跳躍を、犬は見せた。鍛え上げられた四肢の筋肉がみしっときしむほどの、見事な跳躍だった。
上空から桃太郎を見下ろして、犬が下卑た感じで舌を垂らす。
「へっへっへ、よく見ると可愛い面してんじゃねえか……殺す前にたっぷりと啼かせてやるよ」
その言葉に最も早い反応を示したのは触手の聴覚であった。
「……あんた、いま、なんて言った?」
次に動いたものは百を超えようというあまたの触腕。それはびゅるっと厄災な音をたてて犬の体中に巻きつき、かの生き物を地面へと叩きつけた!
「きゃいん!」
「ねえ……ワタシの聞き違いでないのなら、それってウチの桃ちゃんにエッチなことをするって意味よねえ?」
「ひ……」
「へえ……犬畜生のクセに、ねえ……そう……ふうん?」
びょるびょるっと、触手は容赦なく犬に巻きつき、その姿を覆い隠してゆく。
「ふふふふふふふ、穴という穴をほじくって、躾けてあげるわね♡」
――あまりに凄惨な光景のため、音声のみでお楽しみください――
ンジュク、ジュクン
「ふひいっ! や、やめろおおおお!」
ぐちょ、じゅくじゅくじゅくっ
「あひいっ! ひいいいいいいいいっ!」
ずぽん! ぐじゃっ!
「あ……が……ぐ……」
ぐっちゃ、ずっちゃ……
しばらくして触手が手放した犬の表情は、先ほどとはうってかわって晴れやかな、無邪気ささえ感じさせるものであった。
「ふふふふふふ、洗脳終了っ!」
触手がその背中をとん、と押せば、犬はまるで機械仕掛けであるかのように言葉を発する。「桃太郎さん桃太郎さん、お腰につけたキビ団子、ひとつワタシにくださいワン☆」
その姿こそ先ほどとはなんら変わるところ無く、短毛の毛皮を着たがっしりとした獣の姿に見えるが……だらしなく垂らした舌が細くて丸みのあるミミズのようにつるりとした肉質に変わっていることを、桃太郎は見逃さなかった。
「洗脳って、まさか……」
そういっている間にも犬の鼻の穴から小さなミミズ様の『なにか』がポトリと落ちる。
「あら、いやん☆ 落っこっちちゃった」
触手はそれを素早く拾い上げて犬の鼻に押し込む。だから洗脳というのがどういう行為なのか桃太郎にはわかってしまったのだが……
「ま、いいか」
こうして桃太郎と触手は、次々と襲い掛かる刺客――サルとキジをも『洗脳』して手下とし、鬼が島へと向かうのだった。
鬼が島戦の幕開けは桃太郎陣営による奇襲であった。
それぞれにイヌ、サル、キジの姿をしてはいるが体中の穴という穴からベロベロとミミズ様のものを垂らした得体の知れない獣が襲い掛かってくるのだ。島は一時、大パニックに陥った。しかし相手は人外の力を持った魔性の生き物、すぐに反撃の態勢を整えた鬼たちの前に通じる攻撃など無く、桃太郎たちは鬼が島の西北、うっそうと茂った林の中に身を隠すこととなったのだ。
早期撤退で被害は最小限にとどめたものの獣たちは満身創痍であった。毛皮の破れ目からぽろぽろとこぼれるミミズ様のものを拾っては体の裂け目に押し込んでいる。
そして桃太郎は、傷こそ浅いものの利き手を痛めていた。
「くそっ! これしきのことで……」
ためしに刀を握るが、腱をいためたか力など一つも入らない。刀は無様に地面に転がり、桃太郎はさらに不快うめき声を上げた。
「こんな……鬼にさえ勝てないようではババアを斃すことなどできないじゃないか!」
その言葉を聞きとがめて、触手が動いた。
「ちょっと桃ちゃん、あなたは村の人たちを困らせる鬼を退治しに来たんじゃないの?」
「いや、もちろんそれが目的だけどさあ……」
「あなたがおばあさんを快く思わない気持ちもわかるわ。確かに、あなたは愛情を知らずに育ってしまったものね」
今は男装させられているが、きちんと女の格好をすれば桃太郎は先ずもっての美少女だ。だからこそおばあさんの怒りをかったのだろう……桃太郎の実母であるのだから、おばあさんもかつては都にまで名の知れた美女であった。
女というのはいくつになっても嫉妬深いものだ。かつて自分が受けていた賞賛は年月の果てに押しやられて手が届かないというのに、これからこの娘がかつての自分と同じ賞賛を受けるのだということが耐えられなかったのだろう。おばあさんが桃太郎に向けるまなざしはいつも小暗い嫉妬に燃えた、憎しみの目であった。
「そうね、おばあさんのことなんか忘れちゃいなさいよ。鬼退治がすんだら、ワタシと二人っきりで一緒に暮らしましょ♡」
「いやだ。あのババアをどうしてもギャフンといわせなきゃ、ボクの復讐は終わらないんだ」
「復讐って、なんのよ?」
「ボクを産んだことに対する復讐だよ。一度も笑いかけてくれない、愛してもくれないなら、ボクのことなんか産まなければ良かったじゃないか!」
「あ~、ね」
触手はほんの一瞬だけ、自分のうかつさを呪った。思えばあんな性的いたずらを仕掛けなければ、桃太郎は生まれてくることの無かった子供なのだ。
「でも、ワタシは桃ちゃんに会えてよかったと、いつも思っているのよ」
「触手の気持ちなんか聞いていないっ!」
「はいはい。そんな人を呪うような気持ちを抱いていたら、勝てる勝負も負けちゃうわよ」
触手はうねり、と体を揺すって桃太郎の頭を撫でた。
「ねえ、『人を呪わば穴二つ』って言葉は知ってる?」
「……寺子屋で習った」
「この『穴』っていうのはね、墓穴なの。何で二つも墓穴があるか知ってる?」
「知ってるよ。呪った相手と、自分のと、二人分の墓穴が必要になるからだろ」
「そうね……でも、その墓穴にはまるのは『自分』だとは限らないのよ」
「へえ、じゃあ誰?」
「そうね、例えば……」
がさがさっと、木立が鳴った。獣たちが身をすくめる。
「鬼かっ!」
桃太郎は刀を拾い上げるが無駄なこと、力の入らない手のひらから零れ落ちたそれは、小石に当たって小さな金属音を響かせた。
それを合図としたか、あちらの木立、こちらの草むらから飛び出してきた鬼が一斉に桃太郎へと飛び掛る。
「桃ちゃん、危ないっ!」
触手はその全てでもって桃太郎の体を包み込んだ。
鬼たちは容赦ない。牙を、爪を突き立てて引きちぎり、引き剥がし、触手の体を引き裂いてゆく。
自分を抱きしめる無数の触腕が力を失ってゆくのを感じて、桃太郎は涙混じりに叫んだ。
「やめろ! やめてくれ! 殺すならボクだけにしてくれ!」
いま目の前で鬼の狼藉にさらされて細切れの肉界に変えられてゆくこれは……
「やめてくれ! こいつは触手だがボクを育ててくれた恩人で、家族で……なにより……大事なヒトなんだ!」
その言葉を聞いて、触手がふわりと動いた。
「桃ちゃんはやっぱり優しい子ね……だから……死んじゃダメ……」
それは人体を改造するホルモン液を流し込む、鉤爪型の針を備えた一本であった。
「大好きよ……桃ちゃん……」
優しい声とは裏腹に、恐ろしげな鉤爪が桃太郎の首筋を襲う。それは骨髄までを一気に刺し貫き、得体の知れない体液を彼女の胎内へと流し込んだ。
「ううっ!」
血が沸く……みしみしと骨格がきしむ……耳元で触手を伝う液体がドクドクと脈打つような音を立てて……
「う……わああああああああああああ!」
引き裂かれた触手の最後の一片が台地に投げ捨てられたとき、そこには世にもまがまがしい生き物がいた。
彼女の美しさはいささかも失われてはいない。すっくりと整った目鼻立ちも、すらりと美しい手足も、全ては元のまま……それがかえってその姿を醜怪なものと感じさせている。彼女の背中からは……着衣も鎧さえも突き破って無数の触手が生え出していた。
「触手……」
その生き物は瞳にひどく悲しげな色を湛えて大地を見下ろす。自分の愛する少女を守ろうとした触手はすでに無数の肉塊と化してそこに散らばっていた。
「……ああ、ボクの代わりに……墓穴に落ちてしまったんだな……」
それは静かな一言だった。
悲しみを越えた先にだけある、無情と慟哭の狭間のような低い声……それを肺腑からはききった少女は、自分を取り囲む鬼たちをにらみつけた。
「これだけの手があれば、墓穴なんかいくらでも掘れる……墓石は自分で用意しな!」
触手がひゅおっと空を切って、鬼たちに襲い掛かった。
その先は昔話にもあるとおり、三匹の獣を従えた桃太郎の大勝利となったわけだが……
「バカ触手……」
桃太郎は積み重なった鬼の死骸の間から肉片のひとつを拾い上げた。他とは違うミミズ色をしたそれは、あの触手の一部だったものだ。
「光源氏計画なんじゃないのかよ……だったら、ボクを嫁にしなくちゃだめじゃんかよ……」
それはすでに答えるもののいない言葉……だったはず……
「え、やだ、ほんとに! お嫁さんになってくれるの?」
それは犬の体の中から聞こえた。
「いやん♡ 桃ちゃんとあんなことやこんなことできちゃうなんてっ♡」
ミリミリ、ミシミシと毛皮を裂いて姿を現したのは、手のひらに乗るほど小さな触手……本物のミミズほどに細い無数の触腕がわさわさとうごめいている。
「お前っ! 死んだんじゃないのかよ!」
「やあねえ、かわいい桃ちゃんを残して死ねるわけないでしょ☆ こんなこともあろうかとワタシの本体細胞の一部をこの犬の中に埋め込んでおいたのっ♡」
「触手って……でたらめすぎる生き物なんだな……」
「まあね☆」
桃太郎の手にぴょん、と飛び乗って、触手は身悶えた。
「ああん、こんな小さな体じゃ桃ちゃんを満足させてあげられない! もう少し大きくなったら初夜をいたしちゃいましょうね」
「何の話だよ」
「だって、お嫁さんになってくれるって言ったじゃない?」
「あれは……そういう意味じゃなくてなあ……」
桃太郎はぐっと言葉を飲み込み、手のひらの中の触手に頬ずりした。そして声は、『彼』にだけ届くように小さく、秘めやかに響く。
「ボクの掘った墓穴に……一番大事なヒトが落ちたかと思って……怖かった」
「でしょう? もうヒトを呪うような気持ちは捨てちゃいなさいね」
「そんなの、無理だよ……だってさっきも、君を引き裂いた鬼を呪った……」
「じゃあ、こうしない? 桃ちゃんが人を呪わなくていいように、ワタシがず~っと守ってあげる。一生ね♡」
「うん……一生……」
桃太郎の背中から振るように伸ばされた触手と、小さな触手が見上げるように伸ばした触手が絡み合う。
二人はそのまま……いつまでもいつまでも絡み合っていた……
めでたしめでたし?