シヌキス
シヌキス。古代の神々の中でも一番風変わりでお調子者。全知全能の神イキルキスが孕ませた人の娘の頭から生まれた。はじめは内側からノックする音が聞こえて、徐々に大きな音を立てて脳を打ち破って出てきた。娘は死んだ。シヌキスは生まれてきたと同時にこの世の理を知った。娘を見て涙した。イキルキスから受け継いだ蘇生法を試してみてもシヌキスでは生き返らせることは出来なかった。シヌキスはイキルキスの半分しか能力を受け継いでいなかった。シヌキスは己を呪って娘の分まで人として生きることを誓った。 シヌキスは笑った。
車は横にスライドして移動は出来ない。
道なき道を乗用車は進めない。
そして急には止まれない。
きーっとブレーキを咄嗟に利かせてみても、ヒトをひいてしまった音がした。ひいてしまった音を解説するのは忍び難い。あえて説明するのならタイヤが乗り上げて重さに耐えられなかった肉あるいは骨がめきゃっと折れて潰れて、潰れたところから内容物が零れる音だ。加えてキャーとかギャーとか断末魔も含まれる。
急ブレーキをかけたためにアスファルトにはしっかりとタイヤを焦がした黒い跡が残っている。半回転して止まった車の中、運転席に座るシヌキスはふーっとため息をついた。フロントガラスからちょうど転がった肉塊が見える。空はきれいな夕焼けで、血の色はあまり目立たない。舗装された道路は新しく水分はみるみる内に吸収される。最近の道路はやけに水はけが良い。他の車は通らなかった。田舎を走る小さな通りは車どおりが少ない。ではなぜ最新式の舗装がされているのか。きっとインフラ整備でどこかが設け儲けしているのだろうとシヌキスは苦笑した。時々、人間のやる事なす事が全然分からないことがあった。助手席に座ったガールフレンドはどこかに頭をぶつけたのか朦朧としていた。よく見れば、ガラスが頭に刺さって血まみれになっていた。ふらふらと頭を揺らして起き上がると、何事もなかったかのようにデートの途中のような会話をする。ただし、会話はかみ合わず、息は絶え絶えだった。
「大体ここにくるときも軽トラにクラクション鳴らされてさー……」
「そうだね」
シヌキスはここに来るときの道筋を思い出していたが軽トラに出会ってなどいなかった。車デート自体初めてだった。二人はいつも遠出はせずどちらかの家に遊びに行くことが多かった。そこで借りてきた映画を観たり一緒に料理を作ったりした。
「冷凍にして食べるんだってさ。でも飽きちゃうよね」
「おなかいっぱいになればいいんじゃない」
何を冷凍にして食べるのだろうか、とシヌキスは考えていた。ガールフレンドの大好きなパンだろうか。二人ともごはんよりもパンの方が好きだった。朝はもちもちとしたパンに限る。シヌキスの家へ泊まりに来た時もパンを買ってからやってきた。しかし彼女の好きな惣菜パンは冷凍にしてしまってはあまりおいしくないだろう。
「ショートカットしたら?」
「ショートカット、に、したら?」
彼女の吐く息が辛そうで、あまり聞き取れなくなってきていた。出会った頃のボブカットからは結構伸びている。当然美容室で梳いてもらってはいるが、シヌキスが長い方が好きだからという理由で伸ばしていた。だからといってショートカットにしたら、嫌いになるという訳でもない。それはそれで好きになれる自信がシヌキスにはあった。
「ミサイルで吹っ飛ばせたら楽なのにね」
「そうだね。うん。本当にそう思うよ」
シヌキスは死体のことを言われたような気がしていた。その後、彼女は死んだ。
辺りはすっかり夜になっていた。
車から降りたシヌキスはうんと伸びをした。背骨や腰がぱきぱきと鳴った。エコノミー症候群気味の足を軽く揉んで屈伸する。すっかり良くなっていた。
シヌキスは反対側にまわって助手席のドアを開けた。ドアに寄り掛かった女が自然と外へ出される。絡み付くシートベルトを外して自由にしてやった。それから後部座席にしまっていたスコップで簡単に埋葬した。スコップの平たい部分で軽く土をならして手を合わせた。埋葬した女の頭からはタメライキスが生まれようとしていた。その能力はシヌキスの半分しかない。
シヌキスはようやく轢き殺した肉塊の側へと寄った。うつぶせをスコップであおむけに居直してみると整った顔をした女性だった。
シヌキスは口から息を吹き込んだ。
人工呼吸をするように、あるいは風船を膨らませるかのようにして。
女性はぼんやりと目を覚まし、シヌキスに促されるまま車の助手席へと座った。
シヌキスはこれから彼女に何を尋ねようかと思案した。はじめはお決まりの質問から、名前をきこうと決めた。鍵を差し込みエンジンが回転を始めた。シヌキスは笑った。