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とある世界の勇者の話

作者:

これは、魔法や魔物が存在する世界のお話です。


その世界には、とても強い魔王が人間界を脅かしておりました。

ある時、魔王は言ったのです。

人々の最後の希望であった“聖なる国”の姫君を差し出せ、と。


人間達は、当然それを簡単に受け入れるわけにはいきません。

魔王を倒すため、“勇者”が立てられました。

勇者に選ばれたのは、“聖なる国”の王族を守る近衛兵長の娘でした。

女と言えど、彼女はとても聡明で剣技も魔法の才能も全て兼ね揃えており、何より決して悪に屈することのない勇ましさがありました。


そして、その女勇者はついに魔王を倒し、世界に安寧をもたらしました。




―――と言うのが、後世の語り部たちが人々に伝えるお話なのですが、実はもう少し続きがございます。




“聖なる国”の勇者となった近衛兵長の娘、ローラは世界が平和になってからもその国の騎士団にて常日頃より己を鍛えておりました。

その剣の腕前は、正しく一騎当千に値します。

“聖なる国”の姫君も、それはそれはローラを気に入っておりました。


「ローラ、お茶を持ってきたので少し休憩にしません?」


こうして演習場で男の団員に混じって稽古をする彼女に、自らお茶を振舞うほどです。

ですがローラは、姫君が自分のためにわざわざ此処まで足を運んで下さるのが、嬉しくもありながら悩みでもありました。


稽古とは言え、演習場では兵士は真剣を使い、魔術師は呪文を唱えます。

花が恥じらって蕾に戻り、月が雲に隠れてしまいたくなるほどの繊細で美しい姫君には、この荒っぽい場所はとても危険なのです。


「アンジェ様。何度も言いますように、演習場に出向くのは危ないのでお止め下さいませ」

「あら、でも私に何かあってもローラが守ってくれるのでしょう?」

「それは勿論です。ですが、此処には“アレ”が、」

「今日のこの香りはセイロンかな?別に良いじゃないか、ローラ。怪我をすると分かってて来る姫が悪い」


ローラの背後から姫君へ慇懃無礼に言い放つ声に、彼女は振り向き様に剣の切っ先を向けました。

不敵にそこに立っているのは、姿は人ですが炎のように赤い髪と肉食獣に良く似た黄金の瞳、そして尖った耳を持つ青年でした。

彼の名はリューク。

人間と魔物から畏怖と尊敬の念を込めて“魔王”と呼ばれた男です。


「貴様が言うな、魔王!お前が何より危険なんだ!!」

「その称号は捨てたと言ったろう?今は“ダーリン”とでも可愛く呼んでくれ」

「……誰がそんな気持ち悪いことっ!」


男は自分の左頬にある傷跡を指でなぞりながら満面の笑みを見せますが、肝心のローラの方はあまりの気持ち悪さに鳥肌が立ち、一瞬思考が飛びそうになりました。


「大体、どうしてお前がうちの騎士団の稽古指導をしてるんだ!!」

「大事な花嫁がいる国の兵がお飾りばかりでは俺も安心出来ないからな。当然のことだろう」

「誰が花嫁だ、誰が!」


勿論、と魔王は女勇者を指し示します。


実は魔王討伐に向かったローラを、その魔王本人が見初めてしまったのです。

今までその強力な魔力で、何人たりとも近付けることのなかった魔王の顔に傷を付けた初めての人間。

その瞬間に恋に落ちた、とリュークは語ります。


「媚びるだけの美しい女には飽きた。ローラの様に勇ましい女は初めてだ」

「私は貴様を倒しに行ったのであって、決して嫁入りに行ったわけではないと言ってるだろう!」

「だが、こうして俺は生きているぞ?殺さないのか?」

「……それは」


ローラは言葉に詰まります。

今リュークは剣を腰の鞘に収めたまま、両手を広げて無防備な姿を晒していました。

魔王を倒さんとするなら、これほどのチャンスはありません。

ですが、ローラにはとても出来ないのです。


「俺は何もしないから安心しろ。愛する女に切られるなら本望だ」


それは彼女が誠実な勇者だからと言う訳ではありません。


「ゆっくり、お前の剣の切れ味を味合わせてくれ。……嗚呼っ、ローラにいたぶられるのを想像しただけで興奮して来、」

「うわあああぁああぁあーっ!!」


あまりに気持ち悪過ぎて倒せないのです。

彼を殺してしまったら、その後末代まで怨念が纏わり付きそうで。


絶大な魔力を誇り他者から危害を加えられたことのなかった魔王は、勇者に出逢ってあらぬ方向の道に目覚めてしまいました。

純情なローラにはとても太刀打ち出来ません。

敵に背を見せるのは戦士として有るまじきことですが、こればかりはどんな勇者とて逃げ出します。


ある意味、最強のスキル。


「申し訳ありません、アンジェ様っ!!私にはどうしてもこの男を切れません!!」

「大丈夫ですよ、ローラ。お茶を飲んで、少し落ち着きましょう?」


ね、と優しく声を掛ける姫君は正しく天使の様だ、とローラは思いました。

ですが、どんなに美しく儚い容貌でも、アンジェは大国の姫君なのです。

国内外の苛烈な政治の荒波を乗り越えてきた彼女は、その可憐な外見に反して多少のことでは慌てることはありません。


「切れないのなら、火刑にしてしまえば宜しいのですよ。火は不浄を清めてくれる神聖なものですから、きっとあの変態も成仏させられます」

「ひ、姫様…?」

「人を勝手に怨霊か何かと一緒にしないでくれないかな?」

「そこの恥知らずな魔王も一緒にお茶にしませんか?“毒入り”くらいでしかおもてなし出来ませんけれども」


柔和な微笑を浮かべる美しい姫君に、魔王は思わず舌打ちをします。


「……この腹黒姫が。聖女が聞いて呆れるな」

「そちらこそ。魔王が勇者の属隷になりたいだなんて、身の程を知りなさい?」


目には見えない、不穏な嵐が周囲を包んで行きます。

渦中にいるローラの背中には今までに感じたこともない悪寒が走りました。

いっそのこと、何もかもを捨ててこの場を逃げたいくらいです。


「言っておきますけれど、ローラはこの国の宝とも言える大事な方です。何人(なんぴと)たりとも、それこそ汚らわしい魔族になんて渡す気はありませんよ」

「常々感じていたが、人間とは本当に欲深で醜い生き物だな。世界の希望たる聖女ですら、この為体ていたらくか。ローラが宝なのは良く分かるが、それは“国に”ではなく“姫に”とってだろう?」

「それがどうか致しまして?私が愛するものは、同時に国や世界にとっても愛すべき存在なのですよ」


言って、アンジェは怯えている勇者の腕に、自らの腕を絡ませます。

何も知らない人が見れば、それは仲の良い姉妹がじゃれているような微笑ましいものだったでしょう。


けれども、内情を知っている人がそれを見たなら、それは修羅場の開始です。


「その汚らわしい手をローラから離せ。この変態女が!」

「聖女を穢れ呼ばわりする常識知らずは、流石は魔王と言ったところかしら。自分がローラに避けられてるからって、ひがまないで頂ける?」

「貴様は自分の立場を利用してローラにまとわりついているだけだろう。俺よりも性質が悪い魔女だ」


喧々囂々、罵詈雑言の嵐。


世界の希望の姫君と、魔族の頂点に君臨していた王が交わす言葉は、熱が入ってそろそろ放送禁止用語に突入しそうです。


清純な勇者には、とてもじゃないですがついて行けません。

この場に居るくらいなら、邪悪竜が群れで住む魔物の洞窟へ一人、素手で向かう方がマシです。




「―――ローラ?こんなところで何をしておる?」


兵士たちの援護も借りて、白熱する二人から何とか逃がれたローラは、近衛兵長の父の元へ辿り着いたと同時に、ついに緊張の糸が切れてしまいました。


「ち、父上ぇ…っ」


一体、何を間違ってこんなことになってしまったのでしょう。

彼女は国のため、世界のために勇気を持って魔王に立ち向かっただけなのに…。


どうして、彼女の周りには平穏は訪れないのでしょう?



魔王リュークに立ち向かった時には武者震いしか起きなかった気丈な彼女は、逞しい父にひっしとしがみ付きました。

いつもは勇ましい娘がいきなり抱きついて、これには少々父親もビックリです。



「もう私は剣を捨てて、普通の女になります!」

「……よしよし。随分と怖い目にあったようだなぁ」


溜息交じりながらも、実は内心、男勝りな娘の言葉にほっとしている父上殿がいたというは、内緒の話。




こうして、世界は多少の困難もありながらも、ゆっくりと平和になっていきましたとさ。


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