魔女と一輪の赤い花
「どうしたら、魔法使いになれますか?」
私は魔女に尋ねました。ほんの少しだけ、胸がトクンと動くのを、遠くに感じました。
「簡単さ。お前はもう、魔法使いになれるじゃないか」
「どういうことですか?」
「お前はすでに”魔法を使うために必要なもの”を全て持っているということだ」
「でも、私は魔法を使うことはできませんよ」
「……お前はどうやら勘違いをしているようだね」
「勘違い?」
「そう、お前は魔法というものを自分に”付加”しようとしている。魔法というものを”手に入れよう”としている」
「はい。どんなつらい修行でも試練でも乗り越えてみせます! だから、私に魔法を教えてください」
「そして、お前は魔法を”特別なもの”だと思っている。修行や試練といった非日常を乗り越えて、初めて到達できる領域にある、稀有な存在だと勘違いしている」
「……言ってる意味が、わかりません」
「お前は今、生きている。他の生命を喰らい、時間を浪費し、他の人が存在したかった場所をたった一人で占拠しながら、生きている。そして、同じように生きているのはお前だけではない。”生きる”ということは、ありふれていて、けして特別なものではない。……魔法も一緒だよ」
「…………」
「魔法とは、”生み出す”ことではない。”失う”ことだ。魔法とは、”付加する”ことではない。”奪う”ことだ。魔法とは”プラス”ではない。”マイナス”だ。お前に、”失う”覚悟はあるか? ”奪う”覚悟はある? ”マイナス”を受け入れる覚悟はあるのか?」
「…………あります」
私には覚悟がありました。ここに来るずっとずっと前から、覚悟だけは、この胸にありました。
「そうか。いいだろう、お前に魔法の使い方を教えてやる。なに、簡単さ。さっきも言ったように、お前はすでに必要なものは全て”持っている”。後はそれを”失う”覚悟と、価値を見極める”観察力”さえあれば、魔法を使えるだろう」
「ありがとうございます」
「お礼なんか言うんじゃないよ。これから教えることは、けしてお前を幸せにはしないのだから」
「……はい」
魔女は悲しい顔で笑っていました。
「いいかい、まず、この世界は『等価交換の大原則』でできている、ということを理解しなければいけない」
「等価交換?」
「そう、この世界のエネルギーの総量は決まっているんだ。だから、どこかが膨れ上がれば、その分他のところがへこむ必要がある。お前は生きるために、ほかの生命のエネルギーを奪っている。時間を対価に払うことによって生きている。そういう意味で言えば、”生きる”ということも魔法の一種と言えるだろう。お前はちゃんと、生きるための対価を払って生きているんだ」
「魔法も……同じということですか?」
「呑み込みがはやいじゃないか。その通りだ。魔法を使いたければ、それに”見合った”対価を払えばいい。そして、魔法を使う上で難しいのはその”見合った対価”を見極めることだ。この世界の掟は厳格にできていてね、ちょっとでも価値が等価ではないと、魔法は発動しないんだ。つまり、等価な価値を見極める観察眼が必要だということ。そして、等価なものさえわかってしまえば、あとはそれを”失う”だけでいい。自分がその価値に見合うものを持っていないのであれば、”奪え”ばいい」
「それが、”覚悟”ということですか」
「あぁ、普通の人間には、難しいことだからね。自分の持っているものを手放すのは誰だって嫌だし、人から奪うということも、簡単ではない。それに、自分の持っているものの”真の価値”を理解している者も、この世にはほどんどいないからね。今こうして、素晴らしい日常を捨ててでも「魔法を使いたい」なんて言っているお前もきっと、”真の価値”を理解できていないのだろうね」
「私は……ただ、奇跡を望んでいるだけです。望んではいけませんか? 奇跡を望むのは、バカのすることですか?」
「そんなことはないよ。そもそも奇跡なんてのは、あまりに美化され過ぎているからわかりにくいかもしれないけれど、その本質はたいしたことはないものだから。奇跡なんてそこらへんに溢れている、価値のないものだからね」
「奇跡に……価値はない? どういうことですか!?」
私は、奇跡を望む自分の心をバカにされた気がして、腹が立った。
「奇跡にたいした価値はない。それを理解していない者が多すぎるから、奇跡は起きない。それだけのことだ。奇跡の本当の価値を理解し、それと見合う等価なものを差し出せば、それだけで奇跡を起こせる。それなのに、人は奇跡よりもずっと価値の高いものを差し出して、奇跡を起こそうとしている。それが間違いなんだ」
「あの人に、笑って、明日も生きて欲しい…………それは、価値のない奇跡…………」
「気付け! 誰かの生きたくても生きられなかった笑顔の明日と、お前が望まない苦しみの明日は等価なんだ。感情を捨てろ。社会性を捨てろ。もっと俯瞰的に、真の価値だけを見極めろ!」
「………………魔法、見せてください。実際に、今、ここで!!」
「……いいだろう」
そういうと、突如魔女の体は砂の様に崩れました。
「え!? え、ええ??」
私は突然の出来事に、訳が分からなくなり、大変混乱しました。
「……これは?」
魔女の砂をかき分けるように、小さな赤い花が、突如として地面から出てきました。
「この花と、魔女の命は等価ということなの……」
結局、私は魔法を使うことはできませんでした。ありふれた日常が奇跡と等価だとは、思えなかったから。私にとって大切なあの人の命が、道端に咲くみすぼらしい花と等価だと、どうしても、思えなかったから。
奇跡を起こすのに、命を投げ出す必要はないのです。何故なら、命の方がもっと価値のあるものだからです。
奇跡なんてものは、くしゃみ一つで起こせるほど、本当は価値のないものなのです。奇跡を美化しすぎて本当の価値を見失ってはいけません。
ただ、真の価値を見極めるということが、必ずしも幸せに繋がるとは限りません。本当は価値のないものでも、「自分にとっては価値があるんだ!」と、真の価値を否定しながら、生きていく。自分の感情や社会によって決められた価値を信じて生きていく。
―――そっちの方が、幸せかもしれませんね