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第9話

 私とハウエルとの間にそんなことがあったことなど知る由もなく、バンビちゃんは今日も激しく可愛いのであります。

 私が訪れると怯えることはなくなったが、その代わりにそれはそれは大きな笑顔を向けてくれるのだ。見えないしっぽをふりふりと揺らし、耳はぴこんと立っていて、それでもまだまだこちらに近付くことには戸惑いを感じるようで、どうしようと悩んでいる姿も私の心を揺すぶるものだった。

「バンビちゃん、おはよう」

 そう言って、両手を広げると戸惑いながらもずりずりとこちらに近寄ってくる。走り出したいのを我慢するかのようなその仕草についうっかり鼻血を出してしまいそうになって天を仰いだ。そんな私の心情など知る由もないバンビちゃんは、嬉しさと戸惑いと少しの警戒心を持ってこちらへと近づいてくる。

 もう、こちらから抱きしめてもいいだろうか?

 懸命に自ら私を目指すバンビちゃんの努力は称賛に値するものの、私側の我慢がもうそろそろ限界なのだ。

「もう、無理ぃ。バンビちゃんっ。LOVEっ」

 とうとう抑えの利かなくなった私はバンビちゃんを掻き抱いたのだった。その勢いにびっくりし、固まってしまったバンビちゃんではあったが、昨日のように意識を手放すようなことはなく、その体の強張りも徐々に解けて行った。

「結月さん、おはようございます」

 なんということ。この、もう9割程度は私に心を許しましたという、安心しきった笑顔。そんな油断をしていたら、私に食べられちゃうのを解っていないのね、この子は。

 でも、そんなバンビちゃんが好きだぁ。

 体を締め上げられたバンビちゃんは低い呻き声を上げたが、決して抵抗をすることはなかった。私の激しい抱擁さえも受け入れたようで、激しい優越感に浸った。

 怯えられることが至福の時と考えていたが、無条件に慕われるというのも良いものだ。きっと私はバンビちゃんであるのなら、何でもいいのかもしれない。

「結月様。そろそろ話したほうが良いのでは? また昨日のように陛下の意識を飛ばしたいのですか?」

「あら、ハウエル。いたの? 私の愛情表現にケチをつけるなんて許せないわね。でも、バンビちゃんの意識が飛んでしまってはつまらないわよね。(まあ、その時はその時で素敵な時間なのだけど)あなたの言葉に従うわ」

 ハウエルに昨日と違っているところはない。至っていつも通りで、言っていることも表情も相違ない。私としてはありがたいことこの上ないが、この男が一体何を考えているのかよく解らない。

「バンビちゃん、強く締めすぎちゃってごめんね。どこか痛いところはない?」

「大丈夫です」

 照れ臭そうに鼻の頭を掻くのは止めなさい。おねぇさん、眩暈がしてきちゃうから。

 ちらりと横を窺うと、ハウエルも同じ状態のようで、ばちりと目が合ってしまった。その瞳が語っているのは、『やはり陛下は最高ですね』であり、私の返事は、『当たり前じゃない。可愛いなんてもんじゃないわ』だった。

 昨夜ちょっとしたことがあったけれども、同志はやっぱり同志であると再認識した私たちは強く頷きあったのだ。

「さあ、気を取り直して昨日の続きをしましょう」

 姿勢を正して立つことのできたバンビちゃんであったが、そこから歩き出そうとするとそれはまるでロボットのような不自然さであった。なんどチャレンジしてもロボットと化してしまうバンビちゃんは、心底落ち込んでいたが初めから出来る人間なんてこの世の中に特別と言われる人間だけなのだ。まあ、バンビちゃんは人間ではないんだけれど。

「やっぱり僕には魔王なんて……」

「バンビちゃん。弱気のバンビちゃんも可愛くて私は大好きだけど、昨日の何度もめげずに頑張ってたバンビちゃんは格好良かったぞ」

「……格好良い……僕が?」

「そうよ、頑張ってるバンビちゃんは格好良いんだから。一緒に頑張ろう」

 おや、バンビちゃんの瞳が熱く輝いてきましたね。ここまでくればもう大丈夫でしょう。いつも可愛いと言われ続けているバンビちゃんにとって、目指しているのは格好良さ、男らしさだと思った私はその男心をちょいとくすぐってみた。やっぱりバンビちゃんは、自分の可愛らしさを負い目に感じていたのだ。私があんまり可愛い可愛いと言い過ぎたのがいけないのと、女装姿を見たことが衝撃だったのだろう。

 私も少し可愛いと発言するのは控えた方がよさそうだ。心の中で大いに叫ぼうじゃないか。

「結月さん。僕頑張ってみるね」

 小首を傾げました。

 その体勢での微笑みがどれだけ破壊力があるのかあなたは知らないのか。ええ、ええ、バンビちゃんがそんなこと知るはずもないでしょうよ。かわええ、かわええ。どんだけかわええんじゃ、ボケェ。

「落ち着いてください、結月様。心情はお察ししますが、あまり溜め込まれるのもお体に悪いかと」

「でもさ、だってさ、バンビちゃんはさ、可愛いって言われるのがイヤだと思うんだ。だけどさ、私はさ、可愛いって思うんだもん。可愛いんだもん。私だけのバンビちゃんにしたいんだもん。抱きしめて、チューして、色んなところ触って、舐めて、気持ちよくしてあげたいって思うんだもん」

「黙りなさい、相変わらず変態ですね。そうやって心の中に溜め込もうとするから余計な欲望まで吐き出してしまうんです」

 ハウエルに叱られて、漸く立ち直った私がやってしまったことに後悔しつつバンビちゃんを窺うと、予想に反して怯えてはいなかった。寧ろ喜んでいるように見えるのは気のせいだろうか。

「僕、結月さんになら可愛いと言われても嬉しいです。それに……」

「解った、バンビちゃん。早速ベッドに行こうか」

「待ちなさい」

 バンビちゃんの腕を取って、寝室に籠ろうと考えていた私をハウエルの手が制した。

「なんでよぅ。バンビちゃんと私の気持ちが一つになったじゃないか。同意の上なら問題ないでしょう?」

「陛下それは本当ですか?」

「いえ、結月さんは大好きですが、そのそういったことは僕なんかでは喜んでもらえないと思うので……」

 私はといえば、バンビちゃんが発した『大好き』という言葉に翻弄されすぎて、後半部分は聞いていなかった。

 寝室に連れ込もうとする私とそれを阻止しようとするハウエルの攻防は長いこと続いた。

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