第6話
あの後目覚めたバンビちゃんがあんまりに嘆き悲しむものだから、私もハウエルも大いに反省することとなったのである。勿論、可愛らしい女装のバンビちゃんと王城内を練り歩くという夢もあえなく散ったのであった。
だって、文句も言わずにたださめざめと泣くバンビちゃんを見ていたら、ついつい私ももらい泣きしてしまったんだもの。
「バンビちゃん。お気を確かにもって。人生辛い時もあるけど、絶対這い上がれるものだから。きっといいことあるさ」
「私が思うに、あなたさえいなければ、陛下ももっとましな人生を送れるんじゃないでしょうか。最近とみにそう思うのですが……」
鏡の前で鳴くバンビちゃんを抱きしめ頭を撫でながら号泣する私を見て、冷たく言い放ったのは勿論ハウエルだった。
「そんなことないもん」
「あなたが可愛くいったところで、恐怖を感じるだけなので止めていただきたい」
「酷っ。私まだまだ乙女なんですけど。っていうか、女は死ぬまで永遠乙女なんだよ」
ハウエルに噛みつきながらもバンビちゃんの頭に乗せた手は動きを止めない。茫然と鏡を見つめていただけのバンビちゃんだったが、私の肩にこてんと頭を乗せて小さなため息を零した。
ごめんねぇ、ごめんねぇ、バンビちゃん。でも、でもね、おねぇさんは後悔していません。許してぇ。
「……結月さん。この姿、どう思いますか?」
バンビちゃんがむせび泣きながらもたどたどしく鏡越しに問いかけてくる。
「イタズラして本当にごめんね。でもね、すっごくにあってるし、すっごく可愛いよ」
「いつもの僕より?」
「あのね、バンビちゃんはどんな姿でも可愛いのよ。ただ、可愛いドレスを着せてみたくなっちゃったの。私としては大満足で、もう一生その姿は忘れないと思う」
バンビちゃんが一体何を考えているのか鏡越しではよく解らない。といって、直接表情を窺えば解るのかと問われれば解らないのだけれどね。
「良かった。結月さんが喜んでくれたのは嬉しいです。でも、もう着替えてもいいですか? もう耐えられません。僕は男です」
両手を顔に充てて声を立てて泣き始めたバンビちゃんを見て、慌ててドレスを脱がしにかかった。
「あの、結月さんっ」
「え? だって着替えたいんでしょう? 私が着替えさせてあげるわね」
勘違いしてほしくないのだけど、間違ってもバンビちゃんの服の下に隠れている柔肌が見たいからそんなこと言ったわけじゃないのよ。もうすでにバンビちゃんの柔肌はドレスを着せる時に拝んでいるし、好奇心に負けてほんの少しだけすりすりしてしまったわけなのだから。
ああ、でもあの柔肌、もう一度拝めるのなら……。
「侍女を呼びますから大丈夫です」
「ダメよ。さっき侍女たちはティータイムをしていたわ。せっかくの休みを妨げては申し訳ないもの(こんな潤おしい柔肌を触らせるものですか、なんびとたりとも)」
ティータイムしていたのは本当だし、侍女たちをこの部屋から遠ざけたのも私で間違いないけどね。私が彼女らを厄介払いしたともいう。
「そうですか……。じゃあ、僕やりますから」
真っ赤に染まった頬に、慌てたことにより涙は止まっていたがその名残が瞳を潤ませ、真っ赤に熟れた頬に筋を残していた。そして何より至近距離。
鼻血……。私、鼻血出てないよね? 出てたら病院送りかもしれない、出血多量で。
固まってしまったままバンビちゃんを見つめていた私を不審に思ったのか、小首を傾げて覗き込んでくる。至近距離だったものがさらに近付いて、キス圏内に入りました。
これは襲ってくれと言っているのでしょうか? 答えは――イエース。
とはいうものの私とてそこまで野獣じゃないのだ。バンビちゃんの頬についた涙の筋を綺麗に舐めあげただけでとどめましたとも。
頬に手を添えさらにさらに赤くなってしまったバンビちゃんは、ふるふると小刻みに震えている。お魚のように口をぱくぱくとさせる姿もバンビちゃんがすると間抜けに見えないのが不思議だ。
「結月様。あなたという人はなんてことをなさるんですか。今すぐ舌を出してください」
「えぇ、イヤだよぅ。せっかくバンビちゃんの涙の味を堪能してるのに」
「そうですか、ではおすそ分けしてくださいね」
にっこりほほ笑んだ――だからあんたの笑顔は怖いんだっての――かと思えば、私の顎を掴むと強引に唇を奪った。
すんなりと入ってきたハウエルの舌がバンビちゃんの涙を堪能した神聖な舌をすぐに捉えた。
ああ、バンビちゃんの涙がっ。
私が真っ先に考えたのはそんなことだった。ハウエルにキスされたことへの動揺など少しもない。心は乙女だけど、残念ながら体は乙女とは言えないのだ。殿方にキスされたくらいで動揺するような私ではないのだ。
むっつりハウエルは、バンビちゃんの涙どころかおまけに私さえもたっぷりと堪能して漸く私を解放した。
「あんた、何してくれんのさ。私のバンビちゃんの涙を。バンビちゃん、そういうことだからもう一回舐めさせて」
「私にキスされて、そんな態度を取ったのはあなたが初めてです」
驚いたとは言うものの、表情は対して動いてはいない。驚いてんならもっと驚いた表情をすればいいのに。
「なあに、ハウエルはそんなに女の子にたっぷりキスを与えて酔わせていたの? まあ、確かにあんたのキスは上手いよ。けど、本当に私を感じさせるまでには至らなかった。それに、キスひとつで動揺するほど私は小娘ではないのよ。乙女だけどね」
好きでもない男との接吻なんて、ただのままごとだ。感じるはずもない。どんなに堪能でも、好きな人の不器用なキスには負ける。
「キスひとつで惚れさせるだけのものは持っているつもりでしたが……」
「残念ね。私を落とすには百万年早いわ。あれ、バンビちゃん?」
間近で繰り広げられた濃厚なキスにどうやら立ったまま気絶してしまったようだ。
なんて純粋な子なんだろう。
「ここは私のキスで目覚めさせるところかしら?」
「あなたのキスじゃ濃厚すぎて気の毒です。私の方が適任でしょう」
「あんたの方がよっぽど悪いわっ」