第12話
「結月さんに触るなっ」
初めて聞くバンビちゃんの叫び声に私もハウエルも思わず沈黙した。ハウエルなど驚きすぎて私から手を放したものだから、私は見事に床の上に落下した。私もぼんやりとしていたものだから着地することが出来ずに、しこたま可愛いヒップ(自分で言ってごめんなさい)を打ち付けてしまう始末。
勿論バンビちゃんの鋭い叫び声にも驚いたが、ハウエルを睨みつけるバンビちゃんにも驚かされた。
いち早く正気に戻ったハウエルは、睨みつけるバンビちゃんを嬉しそうに眺めている。
うわぁ、睨まれて嬉しそうとかってハウエルっぽくてなんかヤダ。
「バンビちゃん?」
どうにか体制を整えてバンビちゃんの傍まで寄ると、ハウエルを睨みつけながらも目尻には涙が浮かんでいる。
怖ろしいハウエルに果敢に挑むバンビちゃんはちょっぴり男らしさを醸し出していた。
「バンビちゃん、私は大丈夫よ。ハウエルのはたんなるおふざけだから」
「でも、僕、結月さんが誰かに触られるのは……」
「イヤなの?」
こくりと頷くバンビちゃんに抱き付いたとしても、誰も文句を言えるはずがないと思わないでしょうか。バンビちゃんは、ハウエルにやきもちを焼いたのだと思うのですよ。私という存在を誰にも取られたくないと。え、それって自意識過剰でしょうか。
私とバンビちゃんは、ラヴでつながっているのですっ。
「ということで、ハウエルは私に金輪際触れないことぉ」
「却下させていただきます」
「どうしてよぉ。こんなに愛らしいバンビちゃんのお願いなのよぉ。聞いてあげたいって思うのが普通なんじゃないの?」
「確かに陛下のお願いとあれば、私も聞いてあげたいと思いますが、私個人があなたに触れないでいられるなんて思えないのです」
また、話をややこしい方向へ持っていきやがって。そこはさらっとバンビちゃんのお願いを受け入れておいて、陰でこっそり濃厚な愛撫を……ってそんなのはこっちがお断りだけど、普通の男だったらそうするでしょうよ。
「陛下。私は結月様をお慕いしております、心から。陛下のその気持ちは私と同じものでしょうか? そうでないのなら、私を止めることは出来ません」
私ににじり寄りながら、目線だけは真っ直ぐにバンビちゃんを見据えていた。
もしかしたら、ハウエルはこの機会にバンビちゃんを逞しい男にするために敢えてそんなことを言っているのではないか。そうであるのなら、私はここでハウエルの暴走(?)を止めるべきではないのかもしれない。
「それに、陛下には婚約者がいらっしゃるではありませんか。結月様を愛人にでもなさるおつもりですか?」
「えぇっ。バンビちゃん、婚約者いるのぉ?」
私の叫び声には、バンビちゃんもハウエルは無視で二人だけで睨み合っちゃって、なんだか私一人置いてけぼりされた気分で寂しい。
そもそも私を巡って争う必要はないと思うんだよねぇ。バンビちゃんに婚約者がいるのなら、私とバンビちゃんがどうこうなるってことはないんだから。
この世界の王族は、一人の女性しか娶らないしきたりとなっている。私のイメージでは魔王っていうと(国王でも同じなんだけど)、王妃の他に側妃が何人もいてウハウハのエロおやじって感じなんだけどね。王族だけでなく一般市民も法律で決められているわけではないが、一夫一妻を守っている感がある。一般市民の場合、『魔王様が一人の女性しか娶らないのに、一般市民の俺たちが何人も娶れるかっ』というのが多数意見なのだ。勿論、娶りはしないがこっそり奥さん以外の女性を味見する男は数多くいる。
「結月さんを愛人にするなんて、出来るわけありません。僕はただ、ハウエルさんが結月さんに触れるのを見るのがイヤなだけです」
「ただイヤなだけで、私の想いを邪魔するおつもりですか?」
バンビちゃんは何も言い返せずに俯いて唇を噛んだ。
「私は結月様を欲しいんです。振り向いてほしい」
ハウエルは厚く潤んだ瞳をこちらに向けた。
ぎぇっ、ハウエル本気じゃんよぉ。
じりじりと熱い目を向けるハウエルが近づいてくる。また、濃厚なキスでも仕掛けてくるつもりじゃないだろうな。
恐らくハウエルの言っていることは半分本当で半分嘘だ。私に多少なりとも気があるというのは本当。欲しいと思っているのも本当。でも、振り向いて欲しいと思っているかは疑問だ。ただ、私の体を誰よりも早く奪いたいと思っているような気がする。そう、下手すりゃ一発出来りゃいいと思っているのだろう。だから、ハウエルに私に対する熱い思いなどありはしないのだ。この状況を楽しんでいる。バンビちゃんを挑発して、反発したり悔しがったりするバンビちゃんを見たいだけなのだ。
勿論私は、ご相伴に与ってバンビちゃんのそんな可愛らしい一面を間近で見ているのだけれど。この空気感を損なっちゃいけないと我慢しているけど、もうバンビちゃんを抱きしめたくてうずうずしているんだよ。だって、ハウエルに懸命にたてつくバンビちゃん。それだけで私は色々といける。
ハウエルに捕まった私は、唇を奪われることも覚悟したが、触れる感覚は唇には来なかった。代わりにおでこにその感覚が伝わり、驚いて顔を上げた。
ハウエルなら容赦なく唇にキスするだろうと思っていたからだ。ハウエルと目が合うと、今まで見たこともないような優しい微笑みを浮かべた。正直、びっくりした。ハウエルがこんな笑顔をすることができるなんて思いもしなかったから。そこらの女の子だったら、一発で仕留められるほどの殺傷能力のある笑顔だった。
「あんた、いつもそうやって笑ってればいいのに。その笑顔は可愛いよ」
私の心からの賛辞に笑みはさらに深みを増した。
そんな時横から伸びてきた手が私の両手を掴み、ハウエルの手から奪って行った。
「僕は結月さんが好きですっ」
びっくりするほどの真っ直ぐの瞳が、何とも愛らしいバンビちゃん。
「そうなのぉ? 私もバンビちゃん大好きだよぉ。相思相愛だねぇ」
何故かがっくりと肩を落とすバンビちゃんと、満足そうに微笑むハウエル。
ごめんねぇ、バンビちゃん。私は君の想いには堪えられないから、おバカな女を演じるよ。鈍感な馬鹿な女を。




