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塾の先生  作者: 高野敢太
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第5章 〜 それぞれの道


大学3年 10月7日


 教育実習が始まった。忙しい。


大学3年 10月9日


 研究授業(という名の「いけにえ」授業)を俺が担当することになった。ついてない。俺より優秀な学生は掃いて捨てるほどいるのに、何故、俺なんだ。何か間違ってる。


大学3年 10月11日


 うちの大学の附属校の生徒は下手に頭が良いから、楽な面もあれば苦労する面もある。だが、頭が良いよりは性格が良い方が俺達教育実習生にはありがたいのに。つまり、それ程ありがたくない状況なのだ。


大学3年 10月12日


 毎日、朝早く起きて、電車に揺られて学校に行く。そして、また、電車に揺られて帰り、遅い夕食をとってから寝る。この繰り返しだ。


大学3年 10月17日


 実習生とは言え、生徒達に接するときは先生だ。しかし、生徒達と接すれば接するほど、自分の力量不足を思い知らされる。知識や授業の仕方が云々という前に、俺は本当に生徒が好きなんだろうか?先生になってもいいんだろうか?そこから考え直す必要があるかも知れない。


大学3年 10月19日


 生徒から悩み事の相談にのってくれと言われた。多聞に漏れず、恋愛相談だった。普通は自分の体験の1つも話してやって、「お前も頑張れよ」とか「ぶつかるだけぶつかれ」とか言うものなのだろうが、そんなことは何も言えなかった。聞いてやるだけで精一杯だった。


大学3年 10月24日


 研究授業だ。よりによって俺だもんな。附属校、特に俺の指導教官は可哀想だ。仕方ないよな、俺を選んじゃったんだから。まあ、俺のやり方でさせてもらったが、授業後の討論会では侃々諤々のすごいことになった。知るか。その後、附属校の先生達との話し合い。大学の教授や助教授の顔もちらほら見える。つるし上げ状態だ。「今の自分にできる精一杯の指導法と問題提起です」と発言し、「その問題提起とはどういうことか」と詰問された。正直に答えた。

「授業は生身の教師が行います。しかし、授業は1つのシステムでもあります。そして、今の僕には、教師がシステムを補い、システムを支えるために授業をしているようにしか見えませんでした。でも、システムというのは、教師、そして、何よりも生徒のために存在するべきなのではないかと。授業という場に居合わせる、教師と生徒を補完するのがシステムなのではないかと。だから、敢えて、一般的な授業の枠を逸脱しても構わない、というより、逸脱する気で授業を行ってみました。つまり、現在のシステムを無視して、システムの及ばない場を作ってみたんです。生意気なのも、力量不足なのもわかっています。生徒にも迷惑だったと思います。でも、やってみなければわからなかったので、やってみました。もう、2度とやろうとは思いませんが」

 先生達は笑った。


大学3年 10月27日


 教育実習がやっと終わった。長かった。

 実習が終わるに当たっての会で、実習生の多くは「生徒がますます好きになりました」とか「教師として生きていこうと改めて思いました」とか、臆面もなく言っていたが、俺はそういう気にはあまりならなかった。変なのだろうか。


大学3年 10月28日


 景山教授に呼ばれた。

「岸和田君、また、話題を作ってくれたね」

「はあ、実習の授業のことですか?」

「そうだよ。今まで学んできたことを少しでも生かして授業をしたのかね?」

「少しは。でも、学んできたことだけが正しいことだとは思いません」

「ほう?」

「色んな方法があっていいはずです」

「各論にこだわるということかな?」

「総論は、正直、よくわからないんです。『教育とはかくかくしかじかだ』って言われたら、『立派だな』とか『理想的だな』とか『その通りだな』とか思うんですが、それを消化しようとするとどの方法も僕には合いません。完全に実行し切れません。だから、僕には各論も役に立ちません」

「それが君の言った『システム』のことに通じるのかね?」

「はい、多分。僕が授業をするからには、僕のシステムで授業をすべきなんです。でも、教える技術そのものを習得する必要は痛感しました」

「結構。岸和田君、君のシステムを作りなさい。結果的にそれが誰かのものと同じだったとしてもいいじゃありませんか。でも、君のシステムを作るために、まずしなければならないことは何ですか?」

「既存のシステムを破壊することです」

「・・・・・・。はっはっはっはっ」

「どうしました?」

「いや、『習得すべきことは習得すること』とか、『現在のシステムを研究・分析すること』っていう答を期待していたので」

「すみません」

「いや、君らしくていいんですよ」


大学3年 10月30日


 学校教育だけが教育なのだろうか?


大学3年 11月16日


 毎日大学に通ってる。当たり前のように。

 何の疑いもなく、教員になるための勉強をし続ける多くの学友達。もちろん、全員が教員になれるわけもないが、少なくとも目指してはいるようだ。

 俺も、色んな講義を聴き、演習を繰り返す。実験をし、レポートを書き、作品を作り、論文を書く。

 まあ、充実した毎日だ。


大学3年 12月7日


 日常の繰り返しに埋没している。それはそれで幸せなのかも知れない。


大学3年 12月21日


 もうやめた。ごまかし切れない。今の俺の心は、勉強では、日常では、目指すものでは癒せない。埋められない。

 悲しい。何もする気が起こらない。ここから始める。


大学3年 12月24日


 クリスマス・イブだ。

 気がついたら香山家へと足が向いていた。家の前で長い間ぼーっとしていた。恭子が出て来た。思わず物陰に隠れてしまった。最後に恭子を見てから10年くらい経っているような気がした。本当に懐かしかった。

 恭子は教会へでも行くのだろうか。声をかけようと思ったが、かけられなかった。恭子の後姿が拒んでいた。そして、輪郭がぼんやりしていた。曖昧だった。

 恭子も壊れている。そう思った。言い様のない情けなさがこみ上げてきた。恭子だけは悲しみから守ってやりたかったのに。彰子のいない悲しみとはまた違う悲しみが生まれていた。


大学3年 12月25日


 彰子を失ってから俺に付きまとっているのは何だろう。

 自分の心をどこかに取られてしまった、そんな感じだ。彰子は他人ではなかった。時間や距離を超えて、いつでも意識せずに分かり合える存在だった。元々あるべきものが失われた、そうだ、喪失感だ。

 だが、昨日、恭子を見たときに感じたのは何だったんだろう。


大学3年 1月8日


 恭子に会いたかった。合って、また、無茶を言って欲しかった。彰子は決して言わなかった無茶を。


大学3年 1月11日


 恭子の誕生日だ。それを口実に、思い切って恭子に電話してみた。意外に明るい声だった。

「・・・・・・ありがとう。明日はヒロシの誕生日ね。おめでとう」

「ありがとう。明日ヒマならちょっと会わないか?」

「明日は予定があるの」

「そうか」

「ごめんなさいね」

「いや、いい。ちょっと顔が見たかったんだ」

「わたしも会いたいわ。でも、無理だわ」

「元気にしてるのか?」

「元気よ。ヒロシはどう?」

「こっちもそこそこ元気だ」

「そう。じゃあね」


大学3年 2月2日


 せつから電話があった。

「ねえ、最近恭子さんに会った?」

「いや」

「わたし、昨日たまたま見かけたんだけど、ひどいわよ。ギスギスに痩せちゃって、ほんと、蹴ったら折れそうなくらいだったわよ」

「前に電話したときは元気だって言ってたぜ」

「うそに決まってるでしょ。恭子さん、彰子が死んでから全然元気がないわよ。だんだん弱ってきてるって感じよ。まあ、ヒロシも元気なかったけど」

「そうか。よほどショックだったんだろうな」

「当たり前よ。でも、あれは異常よ」


大学3年 2月6日


 マリアにお願いがあると呼ばれた。恭子は食事をとらず、病的に痩せてしまって、マリアが病院へ行くように言っても聞かないのだという。無理矢理にでも病院に連れて行くから手伝ってくれということだった。

 恭子に会った。せつの言う通りだった。泣けてしまった。

「恭子、どうしたんだよ。お前・・・・・・」

「何も食べたくないの。食べてもどうせすぐにもどすし」

「恭子、病院へ行こう」

「いやよ」

「お前、このままじゃ死んじゃうよ」

「いいわよ」

「力ずくでも病院に連れて行く。頼む、恭子、お前まで死んじゃったら、俺は・・・・・・」

「何?」

「どうしていいかわからない」

 恭子はうつむいて、つぶやいた。

「わたしにもどうしていいかわからないのよ」

「とにかく、病院だ」

「行かないわ」

 恭子を抱きかかえた。恭子は抵抗したが、あまりにも無力だった。本当に軽かった。そのまま、マリアの運転する車に乗せて病院まで連れて行った。


大学3年 2月7日


 彰子に何もしてやれなかった。恭子にも何もしてやれない。ただ、そばに突っ立っているしかない。


大学3年 2月10日


 病院のベッドで恭子は横になったまま雑誌を見ている。何も話そうとしない。


大学3年 2月13日


 恭子が退院する。車で迎えに行った。マリアと一緒に歩いてロビーに現れた。顔色も良く、体つきも多少ふっくらしていたが、相変わらず何も言わなかった。

 香山家に着き、荷物を下ろしトランクを閉めたとき、恭子がそっとささやいた。

「ありがとう。・・・・・・さようなら」


大学3年 2月14日


 恭子が初めて「さようなら」と言った。「さようなら」と。じわじわと効いてくる。


大学3年 2月18日


 恭子に電話した。マリアが出た。恭子に代わってもらおうとしたが、

「恭子は出られないって。ごめんなさい」

「そっとしておくしかないんですね」

「今はそうみたい。本当にごめんなさいね」

「いえ、いいんです」

 本当に「さようなら」なのか。


大学3年 2月19日


 自分とは違うものがいる。それが自分に向かって来る。最初は受け入れるどころか、拒みさえするかも知れない。しかし、それでも向かって来る。何度も何度も。そのうちそれを認めて受け入れたら・・・・・・。また、逆に認めて受け入れてもらえたら・・・・・・。

 初めから自分の中にいるものに感じる一体感。互いをぶつけ合ってその果てに感じることができる一体感。どちらも同じか?対象として見つめる分だけ、自分とは違うものに最終的に感じる一体感の方が大きいのでは・・・・・・。

 理屈ではない。彰子が「俺の中」からいなくなって、俺は悲しい。そして、恭子が「俺の前」からいなくなったら、やはり悲しい。

 俺は恭子が好きだったのか。でも、彰子が好きだったじゃないか。


大学3年 2月20日


 気付かなければ良かった。姉を、妹を、2人を好きだったなんて。いや、俺は恭子が好きだったのかも知れない。彰子は好き嫌いを超えた存在だったのかも知れない。


大学4年になる前の春 3月8日


 早春、雪の影も消えてしまう。俺の影は恭子から消えるのか。恭子の影は俺から消えるのか。彰子の影はいつまでも消えないのに。


大学4年になる前の春 3月10日


 景山教授から電話があり、駅で待ち合わせをした。何と、教授はカラオケに俺を連れて行った。

「今日は日本語の歌は禁止です」

 そう言いながら、教授は古い英語の歌を次々と歌っていった。俺はカラオケが嫌いなので、ずっと教授が歌っていた。どうしても歌えと言われて、テンポが緩やかで歌いやすい"COUNTRY ROAD"と"HEY JUDE"と"TIME AFTER TIME"を歌った。

 3時間後解放された。その後、うって変わって静かなバーで酒を飲みながら、教授と話した。

「どうでしたか?カラオケは」

「はあ、僕はあまり好きではないので」

「僕の歌は気に入りましたか?正直に答えてください」

「"MY WAY"と"IMAGINE"は良かったと思います」

「そうですか。少しは気持ちが良かったんですね」

「はい」

「僕は、君の歌には感動しました。特にあの"TIME AFTER TIME"、いいですね。教育者はああでなくちゃいけない。いつまでも、いつまでも、何度でも、何度でも。岸和田君、君は自分の教え子を信じて、いつまでも待ち、何度でも手を差し伸べることができますか?」

「わかりません。でも、そういう気になる教え子もいるはずです」

「相変わらず正直ですね。でも、いいんですよ。少なくとも君は可能性を否定しませんでしたし。ところで、僕は歌っているときは大変に気持ちがいいんですよ。変ですかねえ?」

「いや、そんなことはないと思います」

「そうですか。カラオケは気持ちいい。でも歌っている人ばかりが気持ち良くても仕方がない。だから、カラオケは居合わせる人みんなが歌ってこそ意味があるんです」

「そうですね」

「そういえば、プロの歌手はカラオケに行くんでしょうかね?」

「遊びでは行くこともあると思います」

「ほう、遊びでね。では、お金の問題を別にしたら、遊びと本気の違いは何でしょう?」

「歌で何を伝えるか、何が伝わるかじゃないでしょうか。プロなら遊びで歌ってもすごいと思いますが、本気で歌えば聴く人の心に響くものがあると思います」

「伝えたい、伝えるべきものを、歌という媒体を通じていかに伝えられるかですね、プロの価値は。もし、プロがカラオケで本気で歌えば心に響きますかね?」

「恐らく」

「みんなが気持ち良く歌える、そして歌っていないときに聴く歌は心に響く。同じカラオケでもそんなカラオケだったら素晴しいですね」

「はい」

「今の教育現場では、限られた時間内に、居合わせる人みんなにマイクを回すことなどできません。だから、みんなが能動的に一度に気持ち良くなる頻度は低いのです。でも、プロがそこにいれば何人をも圧倒する感動はそこそこの頻度で生み出せるかも知れませんね。もちろん、いずれはみんなに歌ってもらわねばなりませんが。君だけの『システム』、見てみたいですねえ」

「先生・・・・・・」

「カラオケも経験しないと、良さも悪さもわかりません。もしかしたら、君や僕のカラオケの歌を聴いて泣く人もいるかも知れませんしねえ。実際、君自身は嫌いだという君のカラオケで僕は感動したんですから。嫌いなこと、つまらないことの中にも、大切な何かがあるのかも知れませんよ」

「はい、そういうこともあるかも知れません」

「結構。君は、何かを伝えようという意志を持っています。後は、伝え方の問題です。どうか、プロとして君の教え子に伝えてください。いや、感動させてください」

「はい」

「いいですねえ、"TIME AFTER TIME"。君のテーマ曲にしなさい」

「します。でも、僕は気が短いんで、待ちきれずに怒ったり飛び出したりするかも知れません」

「はっはっはっ。どちらかと言うと、それは君を受け入れる側の度量の問題ですね。ま、またカラオケにも行ってみてくださいね。カラオケで歌を練習してプロになる人もいるみたいですし」

 カラオケは多分、一生好きになれないと思う。だが、俺は、素晴しい先生に巡り会った。


大学4年 4月10日


 4年だ。奇跡的に卒業のめどがたった。景山教授のご尽力のおかげだ。教授はこの春、異動でT大の大学院に移られた。ありがとうございました。


大学4年 5月7日


 また教育実習だ。今度は普通の日本語が通じないホントの子ども、小学生相手の実習だ。憂鬱だ。だが、俺に研究授業や何かをさせようとは誰も思ってないだろう。もし、くじ引きで俺に当たったとしても、絶対にくじ引きをやり直すに違いない。


大学4年 5月9日


 悪魔だ、子ども達は悪魔だ。よくわかった。俺も悪魔になってやる。悪魔同士仲良くやろうぜ。


大学4年 5月11日


 子ども達と一緒に並んでいる。そして、俺の前には校長がいる。子ども達と一緒に校長室で叱られる教育実習生はそうはいない。

 担当の指導教官は「ハアー」とため息ばかりついている。

 校長室から解放された俺に、指導教官が言った。

「理科室の水槽で子ども達と一緒に熱帯魚釣りをした教生は初めてです。叱る気にもなりません」


大学4年 5月14日


 駅から自転車で通勤する(実習生も一応通勤と言うのだ)途中、ウチの自動が2人、必死で走っていた。「遅刻するよぉ」と今にも泣きそうだった。仕方がないので、1人は俺の肩に手を置かせ荷台の前のほうに立たせ、もう1人は二台の後ろの方に座らせて学校まで連れて行った。が、校門を入ったところで校長に見られてしまった。校長は顔をヒクヒクさせている。まずいなあ。

「校長、後で謝りに伺います。今は早く行かないと、ほら、遅刻になっちゃいますから、失礼します」

 2人の子どもと一緒にそそくさと校舎の中に入って行った。

 昼、思いっきり叱られた。今度は校長室に俺1人、いや校長と2人きりだった。かなり怖かった。

 教育実習の単位、出るかなあ。きわどいなあ。


大学4年 5月21日


 教育実習最後の日だ。子ども達が歌を歌ってくれた。下手くそな歌だった。悪魔の歌。

 ありがとよ、みんな。立派な悪魔になりなさい。


大学4年 6月6日


 恭子に会った。いや、恭子を見かけた。友達らしき女の子と一緒に買い物をしていた。声はかけなかった。3か月前に比べればずいぶん元気そうだった。笑っていた。安心したが、寂しさも感じた。彰子が亡くなってから、俺には笑顔なんか見せてくれたことはなかった。

 もう、恭子は俺とは関係のない人になったんだろうか。彰子の死と共に、恭子との関係も無くなったんだろうか。

 彰子を失ったのと同じくらいつらい。


大学4年 7月3日


 マリアから電話があった。

「ヒロシさん、恭子がね、アメリカに行くことになったの。わたしのいとこがボストンにいるんだけど、そこに行くのよ。8月の終わりには発つわ」

「いつまでですか?」

「わからない。1年かも知れないし、10年かも知れない。ずっと向こうにいるかも知れない」

「え、もう日本には帰らない気なんですか?大学はどうするんですか?」

「大学はね、やめるの。せっかくヒロシさんに入れてもらったのに、ごめんなさいね。多分、向こうで入り直すとは思うんだけど」

「そう・・・・・・ですか」

「ごめんなさいね、混乱させちゃって。でも、あなたにはお知らせしておかないとね。それと、わたしもイギリスに帰ることにしたの。もう、香山も彰子も恭子も日本にはいないんですもの、日本にいる必要がなくなっちゃったから」

「何て言えばいいのかわかりません」

「ごめんなさい。でも、今はこうするしかないみたい。恭子にしても考えに考えた末に出した結論なのよ」

「・・・・・・わかりました。でも、僕は・・・・・・」

 恭子が好きです、と言いたかったが、飲み込んだ。恭子の母親には言えても、彰子の母親には言ってはいけないような気がしたのだ。

「あなたみたいな息子も1人産んでおけば良かった。落ち着いたら手紙を書くわ。元気でね、ヒロシさん」

「あなたも、お元気で」


 恭子が俺の目の前から消えたら、俺は耐えられるだろうか?多分、耐えられる。彰子が死んだときと同じくらいには。


大学4年 8月2日


 大学院に行くことにしていた。大学入学時から漠然と考えてはいたが、教育実習時にその思いは決定的になっていた。このまま教師になってはいけない。何より俺に教えられる子どもが可哀想だ。景山教授のいるT大の大学院を受けることにした。また受験勉強だ。

 しかし、その前に一応、教員採用試験も受けることにした。親がうるさいのだ。大学院のことはまだ話していない。まあ、大学までは出してもらう約束だったから、大学院ということになると自分で学費を出すことになるだろう。多分、家にもおいてもらえないだろう。覚悟はしている。塾とか予備校でアルバイトしよう。


大学4年 8月9日


 教員採用試験の1次試験が終わった。学科、実技、小論文、どれもそこそこだ。他の受験生と違いどうでもいいと思っていた分、力が抜けていて、かえってできたかも知れない。本当にどうでもいいけど。


大学4年 8月18日


 彰子が死んでから今日でちょうど1年だ。さすがに1年経つと悲しみも随分和らいでいる。時間は偉大だ。だが、彰子はまだ俺の心の中に生きている。恐らく、一生心の中に生きているだろう。ほかの誰かを好きになっても、恭子が好きでも、それは変わらない。


 彰子の墓に行った。見晴らしのいい場所だ。十字架が刻まれた灰色の墓石の前に白い花が置いてあった。そして、恭子がいた。

「恭子、来てたのか」

「ええ、やっぱりヒロシも来たのね」

「1年経ったんだな」

「うん。でも、もうずっと昔のことみたい」

「ああ」

 しばらく目を閉じて祈りを捧げた。色々な想い出があふれてきた。出会い、チョコレート、公園、告白、大学合格、お互いの留学、海、銀の指輪・・・・・・。

 恭子が話しかけてきた。

「ねえ、いっぱい想い出した?」

「ああ」

「わたしも。生まれてからずっと一緒だったんだから、多分ヒロシの10倍以上想い出があるわ」

 街を眺めていると、恭子が近寄ってきた。俺の横に並んで、街の方に顔を向けた。2人とも街を眺めたまま話した。

「行くんだろ。よく見ておけよ。これが俺達の街だ」

「そうね、わたし達の街」

「いつか帰って来るのか?」

「わからない」

「そうか」

「あのね、今日ここに来ればヒロシに会えると思ってた。ヒロシを待ってた」

「会ってどうしようって思ったんだよ?」

「心に刻みつけるのよ」

「俺はどうしようか迷ってる」

「何を?」

「恭子を心に刻みつけようか、よそうか、迷ってる」

「なぜ?」

「刻みつけたら忘れられなくなる。いなくなるお前を忘れられなかったら、つらいだけだろう?」

「でも、きちんと刻みつけてよ」

 どちらからともなく顔を近付けた。俺と恭子はキスをした。初めての、そしてさよならのキスをした。

 恭子がささやいた。

「あの夜は左を向いてくれなかったのに、今やっとキスしてくれたわね。ありがとう、『灰色の星』」

「恭子・・・・・・」

「ヒロシは姉さんだけの星じゃなかった・・・・・・。さようなら」

「さようなら」

 恭子は微笑み、そして背中を向けて歩き出した。

 俺は、立ったままで、ゆっくりと小さくなっていく恭子の後ろ姿を見ていた。止められなかった。また、大切な人がいなくなった。


大学4年 9月20日


 教員採用試験、1次試験の合否がわかった。「合格」だった。親は大喜びしてるが、俺は憂鬱だ。


大学4年 10月18日


 2次試験を受けた。全くやる気はないのだが、スーッと終わってしまった。


大学4年 11月25日


 教員採用試験に合格してしまった。教育委員会は、いったい、どこを見て採用してるんだ。ふざけてるぜ。

 父親は笑ってる。母親は涙ぐんでる。あらま。どう責任取ってくれるんだよ。


大学院 4月8日


 今日からT大の大学院に通う。景山教授のところだ。


 昨年、秋、教員採用試験に受かっていたが辞退した。親は激怒したが仕方ない。その日のうちに荷物をまとめて、とりあえず安達のところに転がり込んだ。学習塾でアルバイトしながら、卒論を書き、大学院の受験勉強をした。合格がわかってからすぐにワンルームを借りた。挨拶をしに景山教授のところに行くと、こう言われた。

「やっと君から逃れられたと思ったのにねえ、来ちゃいましたねえ」


 研究の日々が始まる。金も稼がなきゃならない。予備校・塾でのアルバイトをいくつか掛け持ちするか。


 安達は家電メーカーで営業をしている。本当は出版社に入りたかったのだが、就職試験を受けた2桁の出版社全てに振られて今の仕事をしている。「いつかは出版社、いつかは編集長」と言いながらも、あちこちの小売店を飛び回っている。

 せつは内科医になるために頑張っている。「2年後に国家試験、その後研修医として修行。一人前になるにはまだ何年もかかるわ。おばさんになっちゃう」と言いながらも、充実した日々を送っているのだろう。


 それぞれの春。それぞれの道・・・・・・。


大学院 4月10日


 町の学習塾と大手予備校、2か所で講師をすることになった。学校とは違ってなかなか面白い。


大学院 9月7日


 マリアから手紙が来た。イギリスで落ち着いたらしい。恭子はこの9月からアメリカの大学に通い始めたということだった。

 恭子。遠い名前。でも、決してなくならないであろう名前。

 黄昏てても仕方ない。俺は俺の闘いを続ける。


大学院終了 3月3日


 論文が通り、はれて修士課程を修了。一応俺もマスターだ。4月からは私立の小学校で先生をする。


小学校教師 4月9日


 異常だ。この小学校は。世間的に見ればお坊ちゃん、お嬢さんの学校かも知れないが、実際の子ども達はいたって普通(普通に悪さもすれば、喧嘩もするし、泣くし、笑うというレベルでの普通)なのだ。何が異常かと言うと、先生達なのだ。「この小学校は名門なのだ」「ウチは上流階級の子女をあずかっているのよ」という、どうでもいいプライドが見え隠れ、じゃない、見え見えしているのだ。


 俺なんか本当にプライドが高いから何でもできる。必要があれば裸踊りだってっするし、頼まれれば靴だって磨いてやるぜ。だって、何をしようが俺は俺で、他人がどう思おうが俺という人間に変わりはないんだから。自分に自信を持つ、それが本当のプライドで、他人からどう思われるかはプライドの本質から外れている。そう思いませんか?(誰に向かって尋ねてるんだろう)


小学校教師 4月13日


 掃除の時間に遊んでいる子どもを見つけたので叱ったら、他の先生がグチグチ言ってくる。おいおい、どうなってんだ。

「まあ、ウチはいいとこの子女が多いから、掃除なんてしたことないのよ。家政婦さんなんかがやってくれてるから。掃除の必要性なんて感じてないのよ。実際必要ないしね」

「掃除なんて単なる作業はね、どうでもいいんですよ。勉強してくれれば」

 何だよ、単なるサギョウって?「サシスセソ」か?呆れてものが言えない。


小学校教師 4月16日


 昼食の時間、嫌いなものは全く食べない子どもがいた。もしや、と思い、様子を見ると、クラスの大半が食べ残している。理由を聞くと、「まずい」「嫌いなものが入っている」「お腹がすいていない」からだそうだ。

 嫌な予感はしていたが、同僚に話してみると、

「まあ、当たり前のことですね」

 にべもない。


小学校教師 4月17日


 ぶち切れた。食べ物を食べないのは本人の勝手だが、食べ物を投げておもちゃにするのは許せない。ありとあらゆる人、物に対して失礼だ。叱りとばした。が、やはり、問題になった。知るか。

 大体、本当にいいとこの子どもは食事のマナーくらい身につけてるぜ。はしもきちんと使えれば、好き嫌いは言わないし、最後まで残さずにきれいに食べる。もし、残すことがあっても申し訳なさそうにしてるぜ。食事中に立ち歩くなんてことはしない。ましてや、食べ物を投げるなんて真似は絶対にしない。

 もし家で食事のマナーを教えていないのなら、気付いた大人が注意したり教えてやるべきだろ?それは教師や学校の問題ではなくて、社会として当然のことではなかろうか。


小学校教師 4月25日


 親達と話していて気が狂いそうになった。他人と話すときに、どうして自分の子どもを「マサノリちゃん」なんて言えるのだ?家では何とでも呼んでくれ。「マーちゃん」でも「マサノリさま」でも。しかし、他人に「マサノリちゃん」はあるまい。「愚息」とまでは言わなくても「マサノリ」や「息子」くらいにしておけよ。

「ウチのマサノリちゃんが・・・・・・」「カナエちゃんはね・・・・・・」「ヨックンは」「ユミちゃんが」「ピーちゃん」「マミマミ」・・・・・・。みんな母親、いや、馬鹿親の口から出てくる言葉だ。話す相手は俺、つまり担任教師。

 ふざけるな!


小学校教師 4月26日


 親も親なら子も子だ。

「ウチのくそババアが」「はげ親父が」「サチコ(母親の名前)さんが」「ツトム(父親の名前)が」「あいつ(父親か母親)が」「ご両人(父親と母親)が」・・・・・・。

 小学生だ、「父」「母」と言え、とまでは言わないが、いったい自分の親を何と思ってこういう言い方ができるのだろうか。


小学校教師 5月7日


 何が名門だ。何が一流だ。何が上流階級だ。

 校長以下、教師が変だ。何か勘違いしてる。親が勘違いし、子ども本人が勘違いし、本来、その勘違いに気付かせてやるべき教師までが勘違いしてるんだからどうにもならないぜ。


小学校教師 5月10日


 もうやめた。こんなろくでもない学校、辞めてやる。

 校長室に辞表を出しに行った。PTA会長もいたが構うものか。

「校長、短い間でしたがお世話になりました。辞めさせていただきます。では」

 辞表を机の上に置き、出て行こうとしたら、PTA会長が声をかけてきた。

「ちょっと、待ってください。お辞めになる理由は何なのですか?」

「一身上の都合です」

 と答えると、

「いいんですよ、正直に言ってみてください」

 景山教授みたいなことを言う。校長はおろおろしているが、わかったよ、正直に話してやろう。

「この小学校に通う子ども達は普通のこども達です。でも、この学校の先生達は何か勘違いして、子ども達にちやほやして、子ども達を甘やかしています。だから、子ども達も自分達は何か特別なんだと勘違いをしているんです」

 校長が口をはさむ。

「岸和田先生、それはないでしょう。ウチは実際に立派なご家庭のお子さんばかりおあずかりしてるんですから」

「は?」

「だから、ウチはね、イギリスの上流階級が子女を・・・・・・」

 イギリスの上流階級がどんな教育をしてるかわかって口きいてんのか、この日本人は。彼らはまず、自分達には、恵まれた生まれの者には、「責任」があるってことを子どもに叩き込むんだぜ。もちろん、上流階級全てが立派とは言わないが、少なくとも、上辺だけ飾るような愚かなことはしない。マリアを見ていたらよくわかる。頭にきた。

「わたしはあるイギリスの貴族階級出身のご婦人を大変よく存じ上げております。わけあって日本にいらっしゃいましたが、彼女は、ご自分の2人の娘さんに、まず、日本の社会で守らなければならない義務をお教えになりました。もちろん日本語を第一とし、英語は後に勉強するように配慮なさいました。そして、他人に対する優しさ、気遣いがマナーの本質であると、愛情をもって、それはそれは厳しく、優しくお教えになりました。そして、人間には果たすべき責任があることも。ウチの学校の先生達とは全く違う教育でした。」

「君、失礼じゃないのかね!」

 いつの間にか校長と喧嘩してるぞ、俺は。

「いいえ、少なくともその方はご自分のお子様に『ちゃん』はおつけになりません。悪いことをすればお叱りになり、良いことをすればお褒めになりました。目に余れば、よそのお子様でも注意をされていました。お子様が大きくなりテーブルマナーを身に付けるまでは、外食にお連れになることもありませんでした。その方のお子様は、食べ物の好き嫌いは言いません。食べ物を粗末にはしません。挨拶もきちんとします。自分の親を馬鹿にするようなことは言いません。掃除も熱心にします。勉強も頑張ります。自分の主張はしますが、他人の話も聞きます。はい、いいえと返事も・・・・・・」

「わかりました」

 PTA会長が俺をとめた。

「岸和田先生、でしたね。いやあ、親としては耳が痛いことばかりです。おっしゃりたいことはわかりますよ。色々と考えてみなければいけませんねぇ。自分で言うのもおかしなことですが、確かに、この学校には金持ちの家庭の子女は多くても、本当の意味で品のある家庭の子女は少ないかもしれませんね」

 話のわかる会長だ。会長だけのことはある。この人のお子さんはマリアの娘達並みかも知れない。

「言い過ぎました。すみませんでした。失礼します」

 出て行こうとすると、会長がまた尋ねてきた。

「岸和田先生、あなた、下のお名前は?」

「浩です」

「岸和田浩・・・・・・。さっきの、その、イギリスのご婦人は、もしかしたら、『香山』というお名前ではないですか?」

「はい。ご存知なんですか?」

「ええ、一番上の娘が中学からS女子にお世話になっていましてね。同級生に『香山彰子』さんがいらっしゃいました。そうですか、あなたが香山さんの・・・・・・。岸和田浩という名前、娘から何度も聞いていますよ」

「はあ、わたしは存じ上げないのですが」

「ははは、そうでしょうね。でもね、吉村せつさんと香山彰子さんは娘の学年では有名でね、そのお2人と仲の良い、岸和田浩君の話もよく出ていましたよ」

「馬鹿なことばかりしていましたからね」

「あなたがそうだとはね。娘に教えてやらなくては。ああ、彰子さんはお気の毒でしたね」

「いえ」

 校長はわけがわからず、会長に尋ねた。

「何ですか、その香山さんとか娘さんとか?」

「いいんですよ、校長。こっちの話です」

 思わぬところでマリアと彰子を知ってる人に出会ってしまった。驚きだ。だが、ここは俺のいるべき場所ではない。

「それでは、ご迷惑をおかけいたしいました。失礼いたします」

 校長室を出た。せいせいした。

 最後にあの会長に出会えて良かった。

 

 さあ、これから何して生きていこうか。


無職 5月17日


 塾の常勤講師を募集していたので履歴書を送ったらすぐに面接となった。「栄明塾」という名の中堅の進学塾だ。

 塾長が尋ねた。

「どうして小学校をひと月でお辞めになったんですか?」

 うーん、答えにくいなあ。

「色々と合わなくて。校長とも喧嘩しましたし」

 しまった。言わなくてもいいことを言ってしまった。取り繕わねば。

「つまり、小学校自体が僕には合わないんです」

「で、その合わない小学校にどうしてお入りになったんですか?」

 この人は割と追求してくるなあ。

「カラオケみたいなものです」

「カラオケ?それが小学校とどういう関係があるんですか?」

「話すと哲学的になりますからやめましょう」

「カラオケと小学校と哲学ねえ」

 そりゃ、理解できないだろうな。俺と俺の「先生」以外には。


無職 5月20日


 栄明塾に採用していただいた。6月から中学生、高校生の文系教科を担当することになった。


無職 5月27日


 せつは医師の国家試験に受かり、研修医として母校のT医大の附属病院に勤めている。内科のお医者さんだ。

「俺は塾の先生、お前は病院の先生。同じ先生でも響きが全然違うよな」

「今更何言ってるのよ。研究者にも、普通の学校の先生にもなれたのに。それにね、わたしは言ってみればどっか壊れちゃった人を『治す』先生だけど、ヒロシは人を『育てる』先生でしょ。どっちが創造的な先生かしら」

「そういう考え方もできるな」

「でもね、自分の思いをそのままぶつけたらダメよ」

「ああ、わかる。俺の持ってるものをそのままぶつけたら、たいていはつぶれるよな。受け取るだけの気力や能力がある生徒ならいいけど。だから、生徒に対しては自分をセーブすることは覚えた」

「生徒に対してはね。ほかのものもつぶさないようにしなさいよ」

「さあね。それはこれから覚えるよ。お前も患者さんをつぶさないようにしろよ」

「患者をつぶすって、どうするの?」

「色々あるんじゃないか。ただの胃潰瘍なのに、『胃がんの疑いもあるのかな』ってわざとひとり言のようにつぶやいて患者に聞かせるとか、何でもないのに、患者さんとカルテを見比べながら首を傾げてみるとか」

「よくそんなことすぐに思いつくわね。やっぱり性格に問題があるわね」

「治してみるか?」

「内科医の仕事じゃありません」

「何言ってんだよ。医療もトータルで考える時代だろ。精神科医でなくても心のケアはするんだろ?」

「心のケアはしても、ねじ曲がった性格をまっすぐにするなんて、わたしには無理。どちらかと言うと教育の仕事でしょ」

「そうか。まあ、お互い頑張ろうぜ。病院の先生」

「そうね、塾の先生」


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