第3章 〜 恭子
大学1年 4月6日
大学生だ。
昔は大学生になった自分なんて想像もできなかったぞ。でも大学生だ。そういや、ヒゲを剃ってる自分なんて幼い頃は想像もしたことないのに、いつの間にか、当たり前のように毎朝ヒゲを剃ってるもんな。それと同じか。大きくなったもんだ。
両親に感謝。
大学1年 4月9日
俺は教員養成系の大学に入ったのだが、入りたくて入ったのだが、いいんだろうか?俺みたいな奴でも4年間いれば教員の免許がもらえてしまうのだ。俺が言うのも変だが、教員も、医師や薬剤師みたいに最終的には国家試験で資格を与えるようにした方がいいんじゃないかい?何となくそう思った。
大学1年 4月15日
S女子大の近くで彰子と待ち合わせた。さすがにS女子大、あの子も美人、この子も可愛い、っていう学生ばかり(ということにしておこう)。が、彰子の輝きはちょっと違うんだな。すぐにわかる。周りから見たら俺みたいなのは「馬鹿な男」なんだろうな。
でも、彰子と並んで歩いていると、男達が皆彰子を見ているのがわかる。すれ違った後振り返る奴もいるぞ。俺も振り返ったからわかるけど。目がそいつと合ったし。
大学生になって彰子はいっそうきれいになった。
俺はすごく幸せ。で、大馬鹿野郎かも。
大学1年 4月23日
恭子に勉強を教えることになった。「教員養成系の学部なんだから高校生くらい教えられるだろう」というマリアの無茶を聞く形になった。
「英語はね、まあまあなのよ。いざとなればわたしでも彰子でも教えられるし。でも、国語と社会が全然ダメなのよ。お願い、見てやって」
「僕は全然頭良くないし、自分勝手な勉強法しかしてこなかったので他人を教える自信はありません」
「その勝手な勉強法がいいのよ。実際にそれでG大に受かってるんだし」
今ひとつ気乗りはしなかったが、彰子と会う機会も増えるし、と引き受けてしまった。
恭子も彰子がそうだったように私立の高校に通っているが、違うのは上に大学がないということだ。進学するには受験勉強するしかないのだ。
「恭子、お前どこの大学に行くんだよ」
「R大かH大」
「英語だけで受かるつもりか?」
「だから、他の教科も勉強し始めたんじゃない。志望校に通してよ。落ちたら恨むからね。責任とってよ」
「無茶言うなよ。俺は魔法使いじゃない。お前が勉強して合格するの」
先が思いやられる。
大学1年 5月5日
彰子がイギリスに留学することが決まった。できるだけ早い時期に、英語だらけの環境に身を置きたいと言っていたが、まさかこんなに早いとは。
せっかく2人で大学生になったというのに、彰子は夏からイギリスに行ってしまう。向こうの大学は9月から始まるが、その前に一応語学研修を受けておくというのだ。
寂しいが、彰子が夢に近づくのは嬉しい。
行って来い。でも、俺のところに帰って来いよ。
大学1年 6月18日
恭子の国語、特に古文が驚異的な伸びを見せた。助動詞の活用を無理やり覚えさせただけなのだが、活用がある全ての品詞に応用する器用さが恭子にはあったのだ。驚きだ。
一番驚いていたのは恭子本人だった。模試の結果をまとめたデータ表を嬉しそうに見せてくれた。いいと言うのに「何かお礼するから」と聞かなかった。
大学1年 7月8日
この2、3日ずっと雨だ。
勉強しながら恭子がつぶやく。
「梅雨なのね」
「ああ、うっとうしいな」
「でも、もっと雨が降らないかな。何もかも洗い流すくらいに」
「そりゃ、洪水だろう」
「洪水でも何でもいいわよ」
「お前、何か悩んでるのか?」
「悩みくらいあるわよ」
「俺は聞きたくないから、さっさと勉強しようぜ」
「するわよ」
大学1年 7月23日
明後日、彰子が日本を離れる。
「離ればなれだな」
「うん。だけど手紙だって書くし、電話だってするわ」
「ああ。だが、一緒にいられない。彰子は平気か?」
「平気じゃない。つらい。・・・・・・ごめんね、わたしのワガママで・・・・・・」
彰子は涙ぐんだ。
「悪かった。俺が変なこと言った。謝る」
「ううん、いいの」
「心配するな。どこにいようが俺は俺、彰子は彰子。俺達は俺達だ」
大学1年 7月24日
恭子の勉強を見た後、夕食を一緒にと、マリアが声をかけてくれた。明日は彰子がイギリスへ発つ。しばらくは食事を共にすることもない。家族水入らずを邪魔するのも悪いと思ったが、お言葉に甘えさせてもらった。
夕食後、お礼を言って香山家を出た。彰子が門の外まで送ってくれた。
「泣いちゃうから、明日は見送りに来ないでね」
「ああ、行かない。でも、誰か送ってくれるのか?」
「母と妹とせつが空港まで来てくれるの」
「その3人が一緒じゃ、俺がいなくても自然に泣けてくるだろ」
「いいえ、泣かないわ」
「絶対泣くって」
「泣きません。例えヒロシがいても泣きません」
「さっきといってることが違うぜ」
「今決めたの、泣かないって」
「じゃ、俺も行く」
「いいえ、来ないで。来たら泣くわよ」
「行かないよ」
「それじゃ、お休み」
「お休み。ちゃんと帰って来いよ、彰子」
「お休み」の、そして「行ってらっしゃい」のキスをした。
大学1年 7月25日
じっとしていられなくなった。空港に来てしまった。彰子たちを見つけた。出て行くタイミングがわからず柱の陰から見ていた。4人で何か話していた。
出て行こうか、よそうか、迷っているうちに彰子と目が合ってしまった。ほかの3人は俺に背を向けているから気付いていないようだ。
俺は右手で拳を作って突き上げた。彰子も3人の相手をしながら右手を上げた。が、すぐに両手で顔を覆ってうつむいてしまった。マリアが、肩を抱きながらハンカチを差し出していた。言葉通り、俺が来たから泣いたのか。俺も泣きそうだった。彰子が顔を上げ、またこちらを向いたとき、無理に笑って手を振り、背を向けて歩き出した。涙が出る寸前だったのだ。
大学1年 8月7日
恭子の成績が全体的に伸びてきた。
恭子は夏休みだというのにうそみたいに一生懸命勉強している。志望校に行かせてやりたい。
大学1年 8月10日
彰子から手紙が来た。
「・・・・・・わたしはこれから、あなたの知らないものを見て、あなたの知らないことを話して、あなたの知らない人と出会います。でも、決してあなたの知らないわたしにはなりません。わたしはわたしのままでいます」と結ばれていた。嬉しかった。
大学1年 9月20日
夏休みが終わる。彰子のいない夏休みだった。
大学1年 9月22日
恭子の偏差値が、R大のボーダーライン近く、H大の合格ラインを越すまでに上がった。これまでは漠然とした憧れでしかなかったものが現実味を帯びてきたのだ。恭子のモチベーションはいやでも高まるに違いない。
恭子が「お礼」のケーキを焼いてくれた。マリアのケーキと遜色なかった。「お母さんと変わらない腕前だ」と言うと、「大学生になってお菓子作りにかける時間が増えたら、お母さんを超えるから楽しみにしてて」と答え、マリアに鼻で笑われた。
だが、これからが勝負だ。もうひと伸びしてもらわなければ。
大学1年 9月26日
恭子の世界史が芳しくない。どうして覚えることが覚えることが一番多い世界史なんて選んだんだろうか。文句を言っても仕方がない。出来事の起こった順序が覚えられないという恭子のために、項目を並べかえるパソコン用のプログラムを書いた。やっつけ仕事で味も素っ気もないものになったが、恭子は気に入ったようだ。
プログラムに名前をつける際、岸和田の頭文字Kを適当に3つ並べて「KKK」としたら、恭子はKu Klux Klanの略になるからと嫌がった。面倒くさいのでKyoko Kayama with Kishiwadaの「KKK」だと言いくるめた。
大学1年 9月27日
不気味な頭巾をかぶった連中に恭子が拉致される夢を見てしまった。やっぱり「KKK」という名前はやめておけば良かった。
大学1年 9月30日
自分の受験前に俺自身が試みたありとあらゆる勉強法を恭子にも試している。その中で、恭子が納得できて効果のありそうなものを継続している。
第三者が見たら「馬鹿じゃないの」と思うようなものでも、意外に効くことがあるのだ。
例えば、国語の文章の速音読だ。目で素早く字面を追うと同時に発声もしてみるのだ。声にできるということは、目で見た単語や句がしっかりと認識できているということなのだ。試せばわかる。簡単なはずの、平仮名が多い部分に結構苦労する。瞬時に認識したことを声に出すことで口を動かす神経も刺激され、自分の声を聞くという聴覚的な効果もあるのではないかという、デタラメな発想であみ出したものだが、これを始めてからひと月ほど後に模試を受けたとき、自分の文章を読む速さに驚いた。しかも、目で読むだけなのに、頭の中に自分の声がはっきりと響くのだ。問題の文章が読めないはずがない。更に読む時間が短縮される分、考える時間が増えるのだ。(俺の場合、「考える」方に問題があったのだが・・・・・・)
また、恭子にはあまり必要ないが、英語の長文読解でも変なことを大真面目にした覚えがある。問題集の長文の部分を、句や節、文、段落と適当に切りばらばらに並べかえる。そのままだと断面の形で想像がつくから、コピーを取り、切ったときの記憶が薄れる次の日以後に、そのコピーを見ながら文章を整除する、というものだ。単語の意味や表現云々ではなく、流れをつかみ全体を把握するセンス(というより、直感か)はそれなりに磨けたと思う。
馬鹿馬鹿しいと思わない方はお試しあれ。ただし、結果には責任持ちません。
大学1年 10月2日
恭子が夏休み明けに受けた模試の結果が出た。英語が少し下がった。国語と社会しか勉強していないんだから仕方がない。本人はずいぶん落ち込んでいる。
「どうしよう。頼みの英語がこれじゃ落ちるわよ」
「どこが悪かったんだ?」
「長文かな。時間が足りなかったわ」
「時間かぁ」
「時間というより単語よね、やっぱり。今までタカをくくって単語の勉強をあまりしてないから、わかんないのがいっぱいあって読み切れなかったのよ」
「今から単語の勉強始めるのか?」
「遅い?」
「しないよりはいいけど、それだけに時間取るわけにもいかないだろ」
「どうしよう。落ちたら恨むからね。一生恨むわよ」
すぐに人を脅す。
「わかった。俺が去年作った単語集をお前用にアレンジしてやる」
「え、単語集作った!?普通買わない?」
「作ったんだよ。色んな入試問題見て、よく出てるものを1000くらいにしぼってまとめた。それを覚えたというか、作り上げた時点でほとんど覚えちゃってたけどな」
「変わってるとは思ったけど、ここまで変わってるとすごいわね」
「どうするんだよ。いらないならいいぜ。面倒だし。市販の使えよ」
「それで実際に入試に出たの?」
「バッチリ」
「じゃ、作ってよ。何もしないよりマシよ」
俺の努力の結晶は「マシ」でしかないのか。
大学1年 11月23日
恭子が買い物につき合えという。コートを買うらしい。女のファッションはわからないのだが、まあ、息抜きだ。と思ったのが失敗だった。この女だけは、どうしてコート1着買うのに何時間もかけられるんだ、いったい。ゆうに2桁の店を廻ったあげく、最初に行った店で決勝戦をおこなうことになった。
「ねえ、このグレーとダークレッドとどっちがいい?」
「俺が着るならグレーだけどなあ。ちょっと着て見せてくれよ」
恭子は初めに灰色を、次にえんじを試着した。どちらもすごくよく似合っていた。
「ねえ、どっち?」
「どっちもよく似合うなあ」
「もう!どっちよ!」
どっちでもいいよ。本当にどちらもよく似合ってるんだから。自分の好きな方にしろよ。色やデザインで決められなきゃ、値段で決めるとかコイントスで決めるとかあるだろうが。俺に振ってくるなよ、まったく。ええい、俺の好きな灰色がいいか。いや、それじゃ面白くないよな。決まった。
「えんじ。えんじの方がお前の顔が引き立つ」
「本当?」
「ああ」
「じゃ、こっちにしよう」
というわけで、恭子はえんじ色のコートを買った。
大学1年 12月1日
大学でいきなり景山教授に呼ばれた。
「留学してみないか」という話だった。アメリカの大学、期間はほぼ1年。向こうでの勉強も単位として認めてくれるという。実は、留学する学生はすでに決まっていたのだが、その学生が都合で留学を辞退したのだという。いわば、ピンチヒッターの留学生だ。
しばらく考える時間をもらうことにした。
大学1年 12月19日
12月になって、恭子は学校に行かず家で勉強することが多くなった。俺も時間が許せば勉強につき合った。
しかし、今日はびっくりした。
昼前に電話が鳴った。香山家にかかってきたのだから香山家の者が出るべきなのだが、恭子は動こうともしない。「出なくていいから」と言う恭子の制止を「そんなわけにはいかないだろう」と無視して、俺が受話器を取った。何と、恭子の学校からだった。
「あの、香山さんですよねえ。私、恭子さんの担任の稲葉と申します。実は、恭子さん、この一週間学校にお見えになっていないんですよ。何度かお電話差し上げたんですが、いつもご不在のようで・・・・・・。いったい、どうなさっているのかなと思いまして」
「はあ・・・・・・」
「あの、恭子さんのご家族の方ですよね?」
将来はそうなるかもしれないが、今は違う。
「はい、いえ、あの・・・・・・。今、本人と代わりますから」
受話器を手で押さえて恭子に伝える。
「おい、担任の先生からだ。学校一週間も休んで何してるのかって」
恭子は俺から受話器を奪い取り、大声で言い放った。
「何してるかって?決まってるでしょ!受験勉強よ!」
ガチャン。
「だから出なくていいって言ったのに」
「すみませんでした」
何故か謝ってしまった。
大学1年 12月24日
夕方近く、恭子の勉強を見に行く。
1時間ほどしてマリアが帰って来た。
「恭子、ちょっとだけでいいから教会に行って来なさい。わたしは帰りに寄って来たから。ヒロシさんも一緒に行ってみる?クリスマスの教会には行ったことないでしょ?割といいものよ」
俺はキリスト教徒ではないが、マリアのすすめに従った。
恭子と並んで教会まで歩いた。
「俺はクリスチャンじゃないけどいいのか?」
「もちろんよ。わたしが十字の切り方教えてあげる。右手貸して」
恭子は俺右手を取り、上下、左右とゆっくり動かしてくれた。
香山家が通っている教会に着いた。門から続く、煉瓦を敷き詰めた小道の先に、白い美しい建物があった。多くの人々が集まっていた。キリスト教徒は意外に多いんだなと思った。
「お祈りだけしてくるね」
恭子は前に歩み出て、大きな十字架に顔を向けていた。十字を切った後、両手を合わせて何事かつぶやいているようだった。その後、身長2mはありそうな黒人の牧師と言葉を交わしていたが、手招きしてきた。前に出て行くと、大男の牧師に紹介してくれた。その牧師は上手な日本語で話した。
「今日こうしてあなたと出会えたのは神のお導きです。お会いできて光栄です」
大きな手を差し出してきた。握手した。暖かな手だった。
教会からの帰り、俺は恭子に尋ねた。
「何をお願いしてたの?」
恭子は笑って答えた。
「初詣じゃないんだから。お願いはしないわよ。ただ、感謝してお祈りしてただけ」
「へえ、そうなの。でも、祈りと願いってどう違うんだ?」
「難しいわね。でも、祈りは『お祈り』、願いは『お願い』。どっちの方が愛情や慈悲にあふれてるように聞こえる?どっちの方が利己的に聞こえる?」
「そういやそうだ。言われてみれば何となくわかるような気がする」
「でもね、ホントはね、ちょっとだけ『お願い』もしちゃったの」
「え、何て?大学合格?」
「違うわ。そんな自分の力で何とかすべきことは願いにも祈りにもしないわよ。もっと神様に力を貸してほしいこと」
「何なの?」
「教えてあげない」
香山家でクリスマス・ディナーをご馳走になり、のんびり歩いて家に帰ったら0時前だった。イギリスとの時差は9時間、今頃彰子は午後のお茶でも飲んでいるのだろうか。
入浴を済ませてボーッとしていると午前2時になった。彰子に国際電話をかけてみた。・・・・・・出なかった。教会に行っているのだろう。彰子は「お祈り」しているのだろうか。それとも何か「お願い」しているのだろうか。
大学1年 1月1日
新年だ。おめでたい。
しかし、自分の受験は終わっているのに、何故かまた受験勉強をしながら年を越してしまった。自分の受験じゃない分、責任を感じてしまう。
とりあえず神社に初詣に行ったが、すごい数の人だ。神様もいちいち願いを聞いてられないだろうな。来年になっちゃうぜ。その前に、誰がどんな願いをしたか覚えてられないだろう。で、俺はおもいっきり大きな音を立てて拍手を打った。恐らく、日本の神社の神様は、拍手の音、波長で誰なのかを判断なさるのだろうから(そうでなければ、お辞儀をして手を合わせるだけの参拝法になってるはずだから)、これでもかと大きな音を出して目立たなきゃ。拍手を打たない奴、手袋をしたまま打つ奴、お義理でペチペチと小さな音しか出さない奴、「どんなお願いか」以前に「誰なのか」わかってもらえないぜ。もちろん「拍手の音、波長」は、俺の勝手な解釈で、神主さんとかに教えてもらったわけではないから、正しいかどうかはわからないんだけど。神様にアピールできたぜ、と満足して家に帰った。
・・・・・・ん?形式にばかりこだわって、肝心のお願いをしていなかった。馬鹿だ、俺は。まあ、いいか。本来、神様は貴び敬うもので、頼りにするものではないからな。でも、後でまたお参りに行こう。
夕方から恭子のところに行った。恭子も「年越しで勉強した」と威張っていたが、当たり前だろう。お前の受験だ。でも、どの問題もかなりよくできてる。俺ごときに勝っても仕方ないけど、負けそうになるくらいキッチリと解けるようになってる。これは期待できる。
帰宅後、彰子に電話した。久しぶりに長い間話した。新年の挨拶、街の様子、友達のこと、マリアや恭子のこと、俺の家族のこと、そして、お互いの気持ち。アメリカ留学のことも相談してみた。彰子は留学に賛成だった。
「自分がしてるからよくわかるけど、絶対に留学したほうがいいわ。英語ならうちの母に教えてもらえばいいわよ、ネイティブなんだから」
「そうだな、そうするよ。アメリカか、全く実感ないなあ」
「今は日本にいるんだから実感も何もないでしょ。行ったら嫌でも感じるわよ、異国だって」
「彰子もそうだったのか?母親の国だろ」
「わたしの祖国は日本よ。だから、初めは『来ちゃった』としか思えなかったわ。今は、自分の居場所もあるから『ここにいるんだ』って思えるけど」
「俺もそうなれるかな」
「大丈夫よ。でもね・・・・・・、わたしが帰国するのとほとんど入れ違いでしょ、寂しいな」
「じゃ、やめようかな」
「やめちゃダメ!言ってみただけ。自分を磨けるときに磨いておかなきゃ。時間はその後にもいっぱいあるんだから」
大学1年 1月8日
留学したい旨を景山教授に伝えた。英会話学校にも通うことにした。
大学1年 1月9日
恭子の受験間近。
英語は大丈夫。国語も出来上がってる。
あとは世界史だ。出来事、人物名など、暗記しなければならないことが限りなくある。暗記だけは肩代わりしてやれない。
ええい、もうクイズだ。
「『マッツィーニ』『カブール』『ガリバルディ』と言えば?」
「イタリア統一!」
こういう具合だ。お遊びにしか見えないだろうが、俺も恭子も必死なのだ。しかも、試験に出やすいところをクイズにするわけだから、前の日、俺は何時間も過去の問題等を研究しなければならない。大変なのだ。
出来事の起きた順番や流れは、「KKK」のおかげか、ほぼ理解しているようだ。
大学1年 1月11日
恭子が誕生日がどうのこうのと言っていた。何故、明日が俺の誕生日だと知ってるんだ?彰子に聞いたのか?
「誕生日プレゼントに何くれるんだ?」
「は?誕生日プレゼントを『あげる』の間違いでしょ」
「え、尊敬する岸和田先生の誕生日に何かくれるんじゃないのか?」
「なによ、可愛い生徒の誕生日に何かくれるんじゃないの?」
「お前、いつが誕生日なんだよ」
「今日よ。1月11日」
「今日?俺は明日、1月12日」
「うそでしょ。ホントに?ヤだあ」
「何がヤなんだよ」
「ヒロシの1日前なんて変な気分」
「俺だって、お前の1日後って、微妙だな・・・・・・。で、何が欲しいんだよ」
「いいわ、もう。お祝いする気が失せちゃった」
失礼な奴だ。
「俺はお祝いして欲しいから、明日待ってる」
「ずーーーっと待ってれば」
かわいげのない奴だ。
大学1年 1月12日
恭子が「一応ケーキを焼いたから食べに来い」と言うので、途中でマフラーを買って行った。えんじ色のコートに合う(と思った)ベージュのマフラーを選んだ。
ケーキはすごくおいしかった。恭子もマフラーを気に入ってくれた。
どたばたした誕生日だった。
大学1年 2月3日
明日は恭子がH大を受験する。ヒマなので「ついて行ってやろうか」と言うが、「友達と行くからいい」ということだった。頑張れ。
大学1年 2月8日
「もしもし、恭子か?」
「お早う」
「お早う。よく眠れたか?」
「うん」
今日はR大の受験日だ。朝電話してくれと言われていたので、6時過ぎにこうして電話したのだ。
「いよいよだな」
「うん」
「どうだ、何とかなりそうか?」
「どうだろう・・・・・・」
「やけに謙虚じゃないか」
「そう?でも、やるだけやるわよ」
「その意気だ」
「ありがとう」
「いいか、お前は俺の一番初めの教え子なんだからな。自信を持て」
「それが心配の種なのよ。まともな教え方じゃなかったから」
「今更遅いんだよ。あきらめて頑張ってこい」
「今までやってきたことを信じるしかないもんね。頑張ってくる」
恭子、俺という人間を信じないのは構わないが、少なくとも俺が教えたことは信じる価値があるはずだ。だって、俺はお前の「先生」だったんだから。
大学1年 2月15日
恭子がH大に合格した。
俺はH大は大丈夫だと思っていたし、恭子本人も自信があったらしく、それほど嬉しそうでもなかった。だが、H大でも十分だよ。
大学1年 2月17日
恭子から、R大の合格発表を一緒に見に行ってくれと電話があった。
「H大は1人で見に行ったじゃないか。R大も1人で行けよ」
「嫌よ。1人で泣いてたら馬鹿みたいじゃない」
「まだ落ちると決まったわけじゃないだろう」
「泣くのは落ちたときだけじゃないでしょ!自分の生徒がそんなに信じられないの!」
「それじゃ、うれし涙を流して来いよ。今日は英会話学校に行かなくちゃならないんだよ」
「わかったわよ。1人で行くわよ。合格してたらいいわね。もし、落ちてたら何するかわからないわよ」
これだよ。
一旦英会話学校に顔を出したが、レッスンをキャンセルしてR大に向かった。「姫」には勝てなかった。
R大の構内はすごい数の人だった。こんなにいっぱい受験した人がいるなら、正直なところ、恭子が落ちていても仕方がないと思った。しかし、肝心の恭子がいなかった。しばらく人混みの中を探し回るが見つからなかった。ふと見やると、隠れるように木の幹にもたれているえんじ色のコートがあった。そばまで歩いて行くと、その「えんじ色」はこちらを向き、こう言った。
「何しに来たのよ。落ちて泣くのを見に来たの」
「今朝の電話と言うことが違うじゃないか」
「だって・・・・・・」
「行こう。そろそろ掲示だぜ」
恭子は目を閉じ十字を切ると、右手をそのまま俺の方へ差し出した。
「何だよ?」
「言えるうちに言っておくわね。今までありがとう、先生」
俺は右手で恭子の手を取り、握手しながら言葉を返した。
「どういたしました。初めての教え子様」
恭子の右手をそのまま俺の左手に持ち替えて、恭子を人混みへと引っ張って行った。
恭子は何も言わなかった。その代わりに、俺の手を強く握りしめてきた。顔を向けると、不安そうな目が俺を見つめていた。俺は思わず手を強く握り返していた。
それから数秒見つめ合っていたような気がする。一瞬だったけど、そこには「彰子の妹」という修飾語の付かない香山恭子がいた。
湧き上がった歓声が俺を現実に引き戻した。恭子を引っ張って掲示が見えるところまで連れて行った。
「あるか?」
「・・・・・・あるわ」
「ホントか!?」
「あるわ!ホントに!」
それからは周囲の歓喜の渦に同化していた。ただ、さっきまでとはうって変わった恭子の涙交じりの笑顔ははっきり覚えている。
「!!!」だぜ。
お決まりの騒ぎをひと通り済ませてから恭子を送って行った。駅から香山家に向かって歩いていると、何だかしみじみとしてきた。もちろん、恭子の合格は叫びたいくらいに嬉しく、西日を浴びたいつもの家並みも何となく華やいで目に映っていたが、この道を通る回数も極端に減るのだなあ、と思ったのだ。
「こうやってこの道を通ることもなくなるんだよなあ」
「もううちへは来ないってこと?」
「いや、彰子も帰ってくるし、またお邪魔させてもらうよ。でも、今は英会話の勉強で忙しいし、何より、お前が合格したんだからもう教えに来なくていいだろ」
「そうよね、わたしは大学生になるし、姉さんも帰ってくるし、嬉しいでしょ?」
「ああ、嬉しいな。俺は夏の終わりにはいないけどな」
「姉さんとはすれ違いばかりね。もしかしたら、姉さんよりもわたしと一緒にいる時間の方が長いんじゃない?」
「確実にそうだ」
「それでいいの?」
「仕方がないじゃないか」
「そうか・・・・・・。姉さんもヒロシも、自分の道をしっかりと歩いてるって感じね。わたしはかなり後れを取っちゃった。1歳しか年が違わないのにね。自分が何をしたいのかも曖昧だし」
「何言ってるんだよ。恭子はこれからだろ。何でもできるんだよ。何にでもなれるんだよ」
「何でもできる、何にでもなれる、か。そうだといいけど」
「お前、合格したその日にいきなりブルーになってどうすんだよ」
「何よ、先にしんみりしたのはそっちでしょ」
「悪かった。じゃ、パーッとするか」
ワインとチーズと紙コップを買って公園に立ち寄った。
「どこか店にでも連れて行ってくれるのかと思った」
「盛大なのはお前の友達とやれよ。これは2人の打ち上げだ」
紙コップにワインを注いで乾杯した。それから俺たちはしばらく話した。昨日までのこと、明日からのこと、今日で先生ではなくなること、生徒ではなくなること・・・・・・。
日が落ちかけ、ワインの赤色が周りに溶け始めた。恭子のコートも黒っぽいシルエットに変わった。
「そろそろ行こうか」
「少し酔っちゃったかも」
「げ、お前、酒癖悪いからな。去年のこと思い出したよ。彰子やせつと飲んだ後、お前をおんぶして今日と同じ道を歩いたんだよ。どうせ記憶にはないだろうけど」
「失礼ね。記憶ぐらいあるわよ」
「はい、はい。酔いが足に来ないうちに家まで帰ろう」
ゴミと空き瓶をくずかごに入れて、俺は公園を出た。「待ってよ」と恭子も追いかけて来た。香山家はすぐそこだ。再び並んで歩きながら恭子が言った。
「わたし、覚えてるよ、去年のこと」
「もういいから」
「あっ、信じてないんだ」
「信じるも何も、お前、思いっきり俺の背中で寝てただろうが。幸せそうに」
恭子が何かつぶやいた。
「・・・はい・・・・・・し・・・」
「え、何?」
「何でもない。ひとりごと」
香山家に着いた。
マリアが大喜びしていた。マリアにつられたのか、酔いのせいなのか、恭子もまたテンションが高くなってきた。
挨拶をして早々に香山家を辞すことにした。玄関先で恭子に尋ねた。
「さっき、何て言ったんだよ。『ひとりごと』ってヤツ。言いたいことならはっきり言ってくれよ。気になるよ」
「いいのよ。それより、本当にありがとう」
それから、しばらく無言で恭子見つめていた。ちょっとだけ長めの黒髪、大きな黒い瞳、気の強そうな口元。会おうと思えばいつでも会えるのだろうが、何故か、目に焼き付けておきたかったのだ。
俺は恭子の先生ではなくなった。
大学2年になる前の春休み 3月1日
留学費用の足しにするため、割のよいアルバイトをと、工事現場の作業をし始めたが、いったい何なんだ「現場」って。ズブの素人の俺に何ひとつ教えずにおいて「アレしろ、コレしろ」だ。ワケがわかんないまま何かしてると、すかさず「何やってんだ!」と罵声が浴びせられる。理不尽だ。でも、すぐにやめたんじゃ「根性なし」って思われるから意地でもやめない。「足手まといだ」って言われても、嫌がらせのつもりで春休みの間は居座ってやる。俺を雇ったことを後悔しろ。
大学2年になる前の春休み 3月5日
体中痛い。が、ここ2、3日現場で叱られる回数が減った。ザマミロ。
大学2年になる前の春休み 3月7日
休みだ。久しぶりの休みだ。現場、現場で毎日クタクタだ。ずーっと寝ていたやろうと思ったが、ダメだった。マリアから電話が入ったのだ。ケーキを焼いたから食べに来いと言う。
およそ3週間ぶりの香山家だった。
「やっぱりマリアのケーキはおいしいわっ!」
こう言って恭子にジロッとにらまれた。にらむほどのことか。
友達と会う予定があるからと、恭子が出かけた。マリアが切り出した。
「ヒロシさん、彰子のことなんだけど・・・・・・」
「どうかしたんですか?」
「別にどうってこともないんだけど、ヒロシさん、まだ彰子のことが好きなのかなって思って」
「何言い出すんですか。好きですよ」
「そう。それならいいんだけど」
「何かあったんですか?」
「何もないわ。彰子の気持ちも、あなたの気持ちも変わっていないとは思うのよ。でもね、彰子はずっとイギリスだったし、今度はあなたがアメリカに行っちゃうでしょ。その間にね、気持ちは変わらなくても、2人の関係が変わることがあるんじゃないかと思って」
「何か難しいですね。例えば、僕が彰子さんを思う数値が100だとしたら、いつの間にか120くらいに思う人ができてるってことですか?彰子さんを100思いながら」
「面白いこと言うわね。でも、そういうこともあるかしら。ほかの人を好きになる云々だけじゃないんだけど」
「お互い、相手には理解してもらえない経験をしたり、相手には隠しておきたいことができちゃうってことですか?」
「そうね。それも当たり前のことだと思うし、それであなた達が離れちゃっても仕方ないと思うのよ」
「僕達は離れませんよ。これからも彰子さんのことが好きです。」
「変なこと言って悪かったわ。これからもよろしくね」
「こちらこそよろしく」
マリアは何が言いたかったのだろう。「関係が変わる」ってどういうことだ。関係ってのは相対的なもので、うーん、俺の彰子への気持ちは絶対的だとして。・・・・・・絶対が1つだけとは限らない、か?絶対的なものAがある。もう1つの絶対的なものBが出てきた。そのときにAはBによって相対化されることもあり得る、よな。でも人間関係は相対化されるものばかりか?例えば、ある男にとって妻は誰よりも好きで、大切な、絶対的な存在だったと、少なくともそんな時期があったとする。で、子どもが生まれと、子どもは絶対的な存在になる。そのとき、男は自分の思いを妻と子どもに半分ずつ注ぐのか?いや、多分、思いは妻しかいないときの2倍になってるよな。俺には妻も子もいないからわからないけど。でも、それなら、離婚する夫婦なんていないよな。ましてや子どもがいれば。夫婦関係は絶対のうちに入らないのか。じゃ、親子関係はどうだ。これは絶対だろう。いつでもどこでも人は誰かの子だ。それは真実だ。相対化しようがない。でもなあ、子もいつか親になる。そうしたら、自分の親より自分の子だろう、普通は。新しい親子関係が古い親子関係を相対化していないか?してるよな。第一、彰子の父親だって、マリアに出会っちゃったから、それまでの夫婦関係はもちろん、親子関係まで相対化しちゃったんじゃないか。でも、親子関係は残るよな。この場合、関係が人間を絶対化してるよな。うーん、わかんない。ん?何より、俺の考えてることって、今の彰子と俺の関係から思いっきりズレてないか?マリアは単に2人のことを心配してるだけだろ。だから、よけいに気になるんだよな。何がマリアを心配させるのか。恭子か。せつか。正直、2人とも好きだぜ。すごく魅力的だし。でもそれは俺と彰子の関係があって初めて成り立つ「好き」であって、ちょっと違う「好き」だ。え?また「関係」か。がーっ。体ばかり使って頭は放っておいたから思考力がなくなってる。でも、とにかく俺は彰子が好きなんだよ。
大学2年になる前の春休み 3月8日
今日も1日働いた。「現場」ってところにも慣れてきた。だが、俺の体は大丈夫だろうか。大体、腰が悪くて走るのやめた人間がするような仕事か。今気付いたけど。まあ、お金までもらえる激しいリハビリだと思えばいいか。
せつに電話した。マリアが俺と彰子の仲を心配してることを言うと、
「馬鹿じゃない。あなたが恭子さんにばかり気を取られて、彰子のことほったらかしにしてるからでしょ」
厳しい言葉が返ってきた。
「でも、恭子は大学受験だったんだから、気を取られて当たり前だろう」
「それは彰子には関係ないことよ。妹さんのことだから、関係ないって言うのも変だけど。とにかく、あなたと恭子さん見てて何か思うところがあったんでしょ」
「勉強見ろって言ってきたのはマリア本人だ。それに、恭子は彰子の妹だぜ。しっかり見てやって当然だろ」
「ふうん。それならそれでいいんじゃない」
「全然よくなさそうな『いいんじゃない』だな」
「いいえ、いいわよ。お母様にしてみたら、あなたが長女とつき合おうが、次女とつき合おうがどっちでも。いずれ義理の息子になるのはあなたで変わらないんだし。ただ、ちょっと家庭内がもめるくらいで」
「お前、話が無茶苦茶だよ」
「そう、無茶苦茶よ。だけど、お母様のおっしゃる『関係』ってほかには思いつかないんだけど」
「俺とせつとの関係じゃないか?」
「『無関係』っていう関係は気になさらないんじゃない?」
せつの声があまりにも冷静で困ってしまった。謝っておこう。
「はい、すみません」
「いい、彰子が好きなら彰子をみてなさい。ほかに好きな人がいるならその人のところに行きなさい」
「お前のところに行ってもいいか?」
また、要らぬことを言ってしまった。
「いいわよ。いつでも来てよ。その気があれば」
相変わらず冷静だ。怖いくらいに。
「やめとく。今まで通り彰子を見てる」
「それがいいわね」
「ありがとう。せつと話してると、何ていうか、こう、見通しがよくなるって言うか、元気になっちゃうんだよ」
「どういたしまして。とにかく、彰子が帰ってくればいいのよ。すっきりするわよ、どんな関係も」
大学2年になる前の春休み 3月26日
今日で「現場」のアルバイトが終わった。我ながらよく頑張ったものだ。事務所でアルバイト料を受け取った。二十日分で二十万円だ。税金分は引かれてたけど。だが、そばにいた現場監督が、「おまけだ」と、1万円もくれた。ありがたく受け取った。
「兄ちゃん、また、金が要るときは来いよ。2度目からは日給も上げてもらってやるよ」
ありがとうございました。
大学2年 4月7日
いつの間にか大学2年だ。俺はいったい1年のときに何をしたんだろうか。何故か2度目の受験勉強はしたよな。単位も取った。それも人並み以上に。しかし、頭には何も残っていないような、それでも、ちょっとばかし偉くなったような。よくわかんない。今年は、はっきりわかるようにかなり偉くなってやるぜ。留学もするし。留学か、すでにずいぶん偉そうだ。
大学2年 5月10日
武道として柔道を履修した。空手や剣道の時間には他に履修しなければならない講義があったのだ。だが、やめておけば良かった。今回の履修者30人中、俺を含めて5人だけが初心者、残りは全員が有段者だったのだ。4月中は受身や基本的な型を教えてくれていたが、5月の最初の授業、担当教官のひと言で地獄の時間が出現した。
「珍しいな、今年は有段者ばかりだな。教えることもない。やっぱり試合形式だな。そうだ、10連続勝ち抜きで単位を出すことにしよう」
体格のいい(どころではない、牛のような)奴等、しかも余裕の有段者を相手に勝てるわけがない。数名いる俺と同じくらいの体格の奴等も、高校ではそれなりに鳴らしていたらしい。そうなのだ、俺はそれとは知らずに、場違いなところに紛れ込んでしまっていたのだ。俺達、5人の素人は人気者だった。その中でも一番小さい俺はアイドルだった。俺と試合すれば確実に1勝があげられる。相手が俺と同じくらいの体格ならまだ粘れる。運が良けりゃ3分くらいはもつ。しかし、牛を相手にどうしろと?襟をつかまれて力で転ばされて寝技で、ハイおしまい。上に100kgの奴に乗っかられてみろ、下手すりゃ息ができない。100キロといえば10分の1トンだぜ。もちろん、100キロ以上の奴もいる。俺の体重の2倍だ。たまったもんじゃない。
全敗でも単位がでるんだろうか。
大学2年 6月14日
恭子が電話してきた。「今日ね、わたしにも彼らしい人ができたのよ」だそうだ。
恭子は恭子の大学生活を送り始めたのだ。
大学2年 6月17日
恭子が電話してきた。「今日ね、彼と別れたのよ」だそうだ。
恭子は恭子の大学生活を送っている、のだろうか。つき合い始めて3日目で別れるなんて荒業はちょっとできない。大丈夫かあいつは?心配になってきた。
大学2年 6月21日
梅雨だ。うっとうしい梅雨だ。
恭子に会った。ケロッとしている。
「お前、もう別れちゃったの?」
「うん」
「振られたのか?」
「ううん、振ったの」
「どうして?カッコイイ人だって喜んでたじゃないか」
「さあ、どうしてでしょう?わたしにもよくわかりませんねえ。あんまり好きじゃなかったみたい」
「変なの。まあ、落ち込んでもいないみたいだし、ちょっと安心した」
「落ち込んでるわよ」
「え?それでか?ずいぶん気分良さそうな落ち込みだな」
「・・・・・・今年も梅雨真っ最中ね」
「雨で滅入っているのか?」
「ううん、雨が上がった後よ」
大学2年 7月1日
教育心理学のレポート、理科の教材研究、美術の作品提出、ピアノの演奏、視聴覚教材の作成、その他アレもコレも・・・・・・。忙しい。受験勉強してるときと変わらないくらい忙しい。これに教育実習が重なったらどうなるんだ?
大学2年 7月17日
家で野球のナイター中継を見ていると電話が鳴った。
「ただいま。今、家に着いたの」
彰子の声だ。
「お帰り」
後の言葉が続かない。本来俺が尋ねるべきことを、彰子の方から尋ねてくる。
「元気だった?」
「ああ。彰子は?」
「元気よ」
「良かった」
「家に来る?」
「いや、今日は彰子も疲れてるだろうから。明日の午後行ってもいいか?」
「うん、待ってる」
「それじゃ」
俺の中では、今日は正月よりおめでたい日だ。
大学2年 7月18日
彰子の顔を見たら、関係がどうのこうのとグジグジ考えてたことが馬鹿らしくなってくる。いちいち確かめなくてもわかった。離れていても、2人の思いは変わっていない。関係も変わっていない。
彰子はイギリスの話をいっぱいしてくれた。写真もいっぱい見せてくれた。俺も日本でのことを色々話した。マリアも恭子も色々話した。
図々しく夕食をごちそうになり、夜9時過ぎに香山家を出た。彰子が一緒に来た。公園でブランコに腰掛けて2人の話をした。
「ねえ、正直に言うわよ。わたしね、向こうにいてもそれほど寂しくなかったの。行く前は、絶対に寂しいって思ってたのにね。ヒロシは?」
「そう言えばそうかも。まあ、恭子の受験とか、自分の留学準備で忙しかったってのもあるけど。少なくとも寂しくて泣いたことはないな」
「わたしはね、会いたい、声を聞きたいとは思ったわよ。毎日のように。でも、寂しいのとはちょっと違うのよ。何か、どこかで安心なのよ。わたしがそうだと思うことはヒロシも多分そうだと思う、ヒロシが違うと思うことは多分わたしも違うと思う、そういう安心感がね、あるの。離れててもそれがよくわかった。価値観が一緒なのかな?」
「価値観とは違うと思うよ。例えば、俺が気に入っってるスニーカーだって、彰子は『汚い』のひと言で済ませちゃったりするだろ。だけど、そんなことどうでもいい」
「そうよね、言葉にする以前にもうわかっちゃってる」
「うん、自分じゃないのに彰子の考えがわかっちゃうんだよな。一瞬で」
「そうそう、ヒロシの考えが、フッと飲み込めちゃうの」
「俺達は似た者同士なのかな?」
「ううん、どちらかと言うと同じ人みたい。ヒロシはちょっと変わってるわたし。わたしはちょっとまともなヒロシ」
「お前、今、さりげなくひどいこと言わなかった?」
「言ったかも。でも、わたしの考えがわかっちゃうんでしょ?」
「今のはわかんない。わかりたくない」
「あーあ、ついにケンカだ」
「俺が日本にいる間に仲直りしような」
「うん」
「それじゃ、俺、帰るわ」
「気をつけてね」
「お前こそ、家まで送ってやろうか?」
「いいわよ。何かあったら大声出すから」
「じゃ、5分ほどここにいるよ。その間に彰子の声が聞こえなかったら帰る」
「うん、お休み」
「お休み」
1人、ブランコに腰掛けて、ゆったりと流れる安心感、一体感に包まれていた。俺がアメリカに行っても俺達はやっぱり俺達なんだろうなあ。また、1年後、同じように彰子といるんだろうなあ。
何故か、俺達がつき合い始めた日、彰子が言った言葉を思い出した。
「わたし達、どうして出会ったのかなあ?」
出会ったと言うより、還ったのだ。お互いが、お互いへと還っていったのだ。そんな風に思えていた。