第2章 〜 彰子
高校2年 11月16日
何とかゼミという大手予備校の模擬試験を受けてる。はっきり言って時間と金の無駄だ。走ってばかりで脳みそまで筋肉になってたぜ。問題を読んでも、自分が何をすればいいのかわからないんだからお手上げだ。寝よう。
誰かがつついてきた。せっかくいい気持ちで寝てるのに邪魔するんじゃない。
「あの、起きた方がいいんじゃないですか」
俺はちょっとムッとして答えた。
「起きてても何もすることがないんだよ」
クスッと笑った後、有名女子大学の附属高校の制服を着たその子は続けた。
「でも、答案用紙集めないと、時間になったから・・・・・・」
「あんた、S女子大附属だろ。何もしなくたって上の大学に行けるのに、何でこんなとこで試験受けてるの?」
答案を前の席に渡しながら尋ねた。
「自分にどれくらいの実力があるか、ちょっと試してみたくなって」
「なんだ、俺と同じだ」
その子は声をあげて笑った。なんでそんなにウケルのかわからなかったが、不思議と腹は立たなかった。
試験の帰り、電車を待つホームでさっきの子を見かけた。
「さっきはどうも。あんたもこの電車なんだ」
俺の顔を見てプッと吹き出しながらも応じてくれた。
「ええ、あなたもなんですね」
電車の中で少し話した。
「実力知りたいって思ったのは本当なんだ。思い知ったけど」
「わたしもこのまま上の女子大にしておいた方がいいみたい」
「その、このまま入れる女子大ってのを、全国の受験生は目指して勉強してるんだぜ。うらやましい限りだよ」
「でも、大学くらい共学に通いたいなって。中学からずっと女子校だったから」
俺の降りる駅が近づいた。
「じゃ、次で降りるから」
「あ、じゃ、チョコ持って行って。1人じゃ食べ切れないの」
カバンからチョコレートを出して俺にくれた。
「ありがとう」
「わたし、香山彰子」
「俺は岸和田浩」
電車が駅に着いた。
「また会えるといいわね」
「うん。さよなら」
俺は試験にもまいったが香山彰子にもまいっていた。黒髪を肩まで伸ばした、色が抜けるように白い、茶色っぽい瞳を輝かせて、よく笑う子だった。
チョコレートは本当においしかった。
高校2年 12月18日
先日受けた模試の結果が届いた。ひどいものだった。国語は偏差値がぎりぎり50あったが、英語は35、数学・理科・社会にいたっては30だぜ。試験中ほとんど眠ってんだから当たり前か。こりゃ、まともな大学は無理だな。でもなぁ、行きたいよな。
高校2年 12月22日
信じられないことに毎日真面目に勉強してる。今まで走ってた時間が勉強時間に変わったようなものだ。学力が少しはついたような気がする。また模擬試験でも受けてみようか。今度は眠らなくてもよさそうだ。前の試験で出会った香山彰子、元気だろうか。また会いたい。
高校2年 12月24日
高2の2学期も終わった。11月からの勉強の甲斐があって全体的に成績はアップしていた。もしかしたら俺はやればできるのかも知れない。冬休みも頑張ろう。死ぬほど勉強して国立大学に入って、親に少しは楽させてやろう。でも今日くらいは息抜きするか。安達に電話をした。
「おい、ちょっと出ようぜ」
「ダメだよ。今からデートだよ。クリスマス・イブだぜ、今日は」
「何?クリスマス・イブだ、デートだ、お前、俺の知らないうちになんてことするんだよ。許さねぇ」
「何言ってんだよ。最近つき合いが悪くなったのはお前じゃないか。急に真面目に勉強なんか始めちゃって。らしくないぜ」
「うるさい。俺は国立大学に入って親孝行するんだよ」
「そうか、頑張りな」
冷たい奴だ。「お前も来るか?」くらいは言っても罰は当たらないだろうに。しかし、今日はクリスマス・イブか。気付かなかった。俺も誰かとデートしたいよ。いや、香山彰子とデートしたいよ。
高校2年 1月11日
今日はまた何とかゼミの模試を受けた。前回よりできた。全教科偏差値5はアップしただろう。俺にしたら大健闘だ。でも、香山彰子はいなかった。休憩時間にのぞける限りの教室をのぞいたがいなかった。がっかりした。
高校2年 1月13日
夕方、駅に向かって歩いていると、誰かが後ろから声をかけて来た。香山彰子だった。嬉しかった。本当に。
「久しぶりね。元気だった?」
「うん。また懲りもせず模試を受けたんだ。前よりずっと出来はいいはずだけど」
声が弾むのが自分でもわかった。
「良かったわね。頑張ったのね。今度は眠らなかったんだ」
「ちゃんとすることがあったから」
「2か月で変われるなんてすごいのね。わたしなんてもうあきらめちゃった。上の女子大に行くことにしたわ」
「そりゃ、おめでとう。S女子大って、俺から見たら十分過ぎるほど立派だと思うよ」
「ありがとう。でも、真面目にしてないと推薦も取れないから大変よ」
「大丈夫でしょ。絶対入りなよ。S女子大に知り合いがいるなんて鼻が高いから」
「そんな風に言われると嬉しいな。あんまり気が進まなかったのに、本当にすごいことみたい」
「すごいんだって、間違いなく」
「ありがとう。岸和田君はどこに行きたいの?」
「まだよくわからないけど、教育学とか心理学とか勉強したい」
しまった、つい口から出任せを言ってしまった。
「岸和田君ならきっと狙ったところに入れるわよ。何かすごく集中力ありそう」
「頑張るよ。香山さんは何が勉強したいの?」
「わたしは英語。通訳になりたいの。あ。そうだ、チョコ食べる?」
「食べる。いつもチョコを持ってるんだね」
「好きなのよ。太るとイヤだけど。じゃ、この先で友達が待ってるから。さよなら」
「さよなら」
香山彰子はまたもチョコレートを残して去って行った。
しかし、思わず出た言葉が「教育か心理」とは・・・・・・。意外なところで進路ってのは決まるものなのかも知れない。
高校2年 1月14日
午後の授業が始まった。現国だ。牛尾って先生のワケのわからない説明が苦痛だ。入試問題ってのは初めて目にする文章だろ?そのときにいかに読めるかが勝負で、今、牛尾の説明聞いたって仕方がないじゃないか。聞くのはやめよう。
隣の席の安達に話しかける。
「安達よ、はっきり言った方がいいのかな?」
「何をだよ」
「好きな子に『好きだ』って」
「知るか!そんなこと!」
「それじゃ、お前達はどんな風にしてつき合い始めたんだよ。どっちから告白したんだよ」
「俺達は気付いたら何となく一緒にいたんだよ。ここからつき合い始めました、なんて区切りはないんだよ」
そんなものなのか。安達が続ける。
「お前はなぁ、白黒はっきりつけたがるからなぁ。きちんと告白した方がいいかもな。当たって砕けて来いよ」
「当たって砕けるのはお前達の勝手だが、少しは遠慮して話せ。今は一応国語の授業中だ」
牛尾が後ろに立っていた。
高校2年 1月16日
俺は決心した。あの子に、香山彰子に告白する。当たって砕けてもいい、はっきりと心の内を伝える。
「安達、決心がついたぞ。告白する」
「そうか、頑張れ。で、いつどこでするんだ。見に行ってやるから教えろよ」
「・・・・・・決めてなかった」
「電話で呼び出せよ」
「電話番号聞いてない」
「なにぃ、アホかお前は!偶然出会うのを期待してんのか!」
「何も考えてなかった。ただ、告白するのを決めただけで・・・・・・」
安達はあきれかえっていた。自分でもかなりのアホだと気付いた。仕方がないから、今日の午後、S女子大学附属高校の前で彼女が出て来るのを待っていよう。
5時限目の途中で「気分が悪い」と早退して、S女附属まで来るには来たが、いったいこの高校の授業終了はいつなんだ?4時前だというのに生徒がいる気配がない。今日は休みか?出直そう。
高校2年 1月22日
「S女附属詣で」は今日で何日になるだろう。各曜日の下校時刻が大体わかるまでになった。自分とこの学校は早退ばかりだ。しかし、香山彰子には会えない。毎日正門のところをウロウロしていると、さすがに変に思う者も出てくるだろう。それでも香山彰子に会いたい。会って何とか思いを伝えなければ。だが、会えない。
今日もダメかと学校に背を向けたときに肩をたたかれた。こんなところで俺の肩をたたくのはあの人しかいない!喜んで振り返ると、知らない人々だった。その中のリーダーとおぼしき、見るからに賢そうな顔をした1人が口を開いた。
「あなた、ここのところ毎日いるみたいだけど、いったい何の用なの?気味悪がって子もいるのよ。何もないんだったら迷惑だからもう来ないで」
きつい言葉だ。何かすごい女だなぁ・・・・・・。
「はあ、すみません。でも、知り合いに会いたくて」
「誰よ、知り合いって」
「香山彰子っていうんだけど・・・・・・」
「香山彰子って、あの香山彰子なの?」
「どの香山彰子かはよくわかりませんけどねぇ」
「うそでしょう。彼女色んな男の子に声かけられるけど、全部無視してるわよ。あなたみたいな知り合いがいるわけないでしょう」
「て、言われてもなあ」
「彰子につきまとってるだけなんでしょう。本人に聞けばすぐわかるからね。ほら、彰子が出て来た」
本当だ。久しぶりに彼女の姿を見る。嬉しい。この「すごいの」がいなければもっと嬉しいのに。
「彰子、この変なのあなたの知り合い?のわけないわよね」
「いいえ、知り合いよ。それに変なのじゃなくて、岸和田君よ」
横の「すごいの」は信じられないという顔をしたが、すぐに謝ってきた。
「ごめんなさい。てっきり変質者だと思って」
失礼なことを平気で言う。
俺を囲んでいた「人々」は解散した。が、なんでこの「すごいの」はいなくならないんだ?
「でも、あなた、彰子に何の用なのよ?」
「本人に直接言うよ」
「じゃ、言えば」
「・・・・・・。あんたがいたら言いたいことも言えないんだよ」
香山彰子が割って入る。
「この人は吉村せつさん。わたしの親友なの。だから、一緒にいても全然気にしなくていいのよ。わたしのことは何でも知ってるんだから」
「そうなのかも知れないけど、俺の親友じゃないし」
「当たり前よ。あなたみたいなのと親友のはずがないでしょ」
頭に来る女だ。
「吉村さん、でしたよね。あんた、クラス委員長でしょ。でなけりゃ生徒会長とか」
「なんでわかるのよ。生徒会長よ」
嫌味で言ったのに、当たってしまった。
「だと思った。絶対そういうタイプだよ」
「イヤな言い方。でも、わたしがいたら言えないことなんでしょ。彰子に『好きだ』と言いに来たとか?」
全てをぶち壊すような一言を平気で口にしたぜ、この「すごいの」、いや、吉村せつは。しかし、ここでひるんだら次の機会がいつ来るかわからない。よし!
「ああ、そうだよ。今から好きだって言うから、関係ないのはどっか言ってよ」
香山彰子を見る。笑っている。可愛らしい口が開く。
「ええ、じゃ話ができるところに行きましょう」
吉村せつといくらか言葉を交わした後、香山彰子は俺を近くの公園に案内した。砂場では幼児がトンネルを作って遊んでいる。母親がその傍らにたたずんでいる。落ち着いた公園だった。俺達は並んでベンチに座った。
「岸和田君、本当は何の用なの?」
砂場のトンネルが崩れた。
「・・・・・・いや、だから、好きだって言いに来たんだよ」
「冗談でしょ。もうせつはいないんだから本当のこと言ってもいいのよ」
「本当のことなの。何とかあんたに気持ちを伝えようと思って。でも、連絡先も何もわかんなくて。仕方がないから毎日正門のとこで待ってたけど会えなくて。今日やっと会えたけど。・・・・・・なんか、あんたの友達に先に言われちゃって。まあ、悪気はなかったんだろうけど。ちょっと拍子抜けしちゃって・・・・・・」
香山彰子はびっくりしたように俺を見ている。砂場ではトンネルの復旧作業が始まっている。
「すごく間が抜けた告白になっちゃったけど、俺、あんたが好きなんだ」
香山彰子は何も言わず俺から目をそらした。・・・・・・敗北だ。
「いいよ、何も言わなくても。俺はただ自分の気持ちを伝えたかっただけだから。じゃ、俺帰るわ。もう来ないから。さようなら」
俺はベンチを立って歩き始めた。砂場では母親までもがトンネル工事を始めたようだ。いいよな、幸せそうで。想像の中でそのトンネルを踏みつぶしてみた。・・・・・・むなしいだけだった。
公園を出て夕日に向かって歩いていると、何かサバサバしてきた。短い片想いだったがいいや。当たってみて砕けたんだから。太陽がなくなるわけじゃなし。でも、この後だろうな。駅や電車の中で幸せそうな人を見ると落ち込むだろうな。その後で呪ったりするかも知れない、その幸せそうな連中を。多分今夜は眠れないぜ。中学校の卒業前に一瞬つき合ってた麻由美ちゃんに電話でもしてみようか。手紙でも書いてみようか。安達に話しても笑われるだけだろうな。いいよな、あいつは彼女とうまくいってて。そうだ、まずあいつを呪ってやろう。許してくれるはずだ。友達だもんな。
と、後ろから足音が追いかけてきた。
「待って!」
香山彰子だ。
「ちょっと待って」
息を切らして走って来た。
「あのね、岸和田君、もう一度言ってくれる?」
「何を?」
「もう、意地悪しないで。もう一度言って欲しいの」
「からかうなよ」
「違うのよ。わたし、何かびっくりしちゃって。それからボーッとして、気付いたらいないんだもの。必死で追いかけて来たわよ」
「それじゃ・・・・・・」
「わたしだってキチンと返事したいわよ。岸和田君も返事を聞きたいでしょ」
「わかった」
深呼吸をした後言った。
「香山彰子さん、あなたが好きです。つき合ってもらえませんか」
「はい!」
彼女がはっきりした声でそう言った。その後笑った。俺はどうしていいかわからず、万歳をしながらそこいら辺りを跳ねていた(ようだ)。
駅まで並んで歩いた。嬉しかった。が、胸がドキドキした。地面がフワフワしてた。
「俺、模擬試験で会ったときから気になってた。その後また駅で出会えて本当に嬉しかった」
「わたしも。今まで会ったことがないタイプの人だったし、面白いんだけど、それだけじゃなくて。何かあるのよ」
「いや、特別なものは何も。顔も頭も良くないし、背も高くないし・・・・・・」
「違うのよ。ずっと持ってた気持ち、って言うか予感なの」
「予感?」
「そう、わたしね、ずっと予感がしてたの。いつか誰かに会えて、その誰かと気持ちが通じるだろうって。その誰かなのよ、あなたはきっと。わたしと同じような人」
そして、香山恭子はひとり言みたいにつぶやいた。
「わたし達、どうして出会ったのかなあ?」
「さあ」
「でも、会えて良かったわ」
冬の夕方だというのに、世の中が輝いて見えた。
高校2年 1月24日
つき合い始めてはっきりしたのだが、彰子はハーフだった。母親がイギリスの方らしい。色が白いのもよくわかる。彰子は冗談っぽく言う。
「父親の血がほとんどみたい。もうちょっと母親の血が濃ければ、国際的な顔立ちになれてたのに」
「このままで十分だよ。いや、このままがいい!」
言いたかったが、言えなかった。
高校2年 1月26日
学校帰り、彰子と待ち合わせた場所に行ったら、あの「すごい生徒会長」が彰子と一緒にいた。吉村せつだ。
「こんにちは。岸和田君。初めまして、じゃないわよね。あなた、よく彰子を落としたわね。この子は今のところ誰ともつき合う気はないって言ってたのに。信じられないわ。あなたがねぇ・・・・・・」
相変わらず失礼な女だ。
「そりゃどうも。自分でも信じられないくらいだから、あんたが信じられなくても仕方ありませんねぇ」
「そうでしょ」
やっぱり失礼だ。
「せつ、わたしが好きなんだからよその人はどうでもいいのよ。ねっ、浩君」
彰子のおどけに吉村せつは声をあげて笑った。
吉村せつは、口は悪いがすごくさっぱりした人だった。
「最初はね、みんなわたしのことオッカナイと思うみたい。思ったことはポンポンしゃべるしね。でも、それだけなのよ。腹に隠すってことができないのよ。でね・・・・・・」
面白そうに話す吉村せつ。彰子とはタイプが異なるが、実は結構美人だと思った。
「・・・・・・それで、彰子が話してくれるわけ、模試会場で出会ったおかしな人のこと。帰りの電車でも一緒になって、そのときはまともな人に見えたんだって。吊革にもつかまらずに、電車が揺れても平然とバランス取って立ってた、って。どこか遠い目をしてるの。『まさか恋?』ってきくと『よくわからないけど、また会いたい』って。それって完全に恋じゃない。『それが恋なのよ』って言っても『違うわよ』って。うそつきでしょ。まさか、その人があなただなんて・・・・・・」
このよくしゃべる女の子は、将来医者になるのだという。S女子大に医学部はないので、とにかく勉強するしかないそうだ。
「じゃ、岸和田君。わたし塾に行くからこれで。あ、なんか色々言っちゃったけど気を悪くしないでね。わたし、あなたのこと結構気に入ったわよ。彰子をよろしくね。彰子、また明日ね」
吉村せつはしゃべるだけしゃべって去って行った。でも、俺も彼女のことは気に入っていた。彰子が尋ねてきた。
「浩君、せつっていい子でしょ?」
「ああ、きかなくても俺の知りたいこと勝手に話して、笑わせてくれて、何か気持ちがいいよ」
「違うわよ。せつが『勝手に』話すわけがないでしょ」
そうか。優しい、本当に頭の良い人だったんだ。
高校2年 2月2日
「そんなに見ないでよ」
向き合って話をしていると、突然彰子が言った。
「え、何のこと?」
「わたしね、右と左の目の色が違うのよ」
「本当に?全然気が付かなかった。よく見せて」
彰子は初めは渋ったが結局見せてくれた。
「本当だ。右目は茶色で、左目が何色だろう、灰色みたいな色だ」
「そうなのよ。イヤなの」
「視力は?よく見えないとか、そんなことないんでしょ?」
「視力そのものに異常はないんだけど・・・・・・」
「えっ、色覚に異常があるとか?」
「ううん。でも、イヤなのよ。左右の目の色が違うなんて」
「カッコいいよ!絶対に。俺、その色、左目の方、好きだよ。俺は元々灰色が好きだけど、もっと好きになった」
「無理しなくていいのに」
そう言いながら、彰子は嬉しそうだった。
高校2年 2月14日
彰子がチョコレートをくれた。
「いつも行くケーキ屋さんのなの。そこの味、わたし好きなんだけど、どうかな?口に合うといいんだけど」
「絶対おいしい」
「まだ食べてないのに?」
「彰子のくれるチョコはいつもおいしいから。今日に限ってまずいなんてことないよ」
「そうよね、いつもの3倍の値段で量は3分の1なんだから、おいしくなかったら二度と行かないわよ」
「でも、彰子もチョコが好きだよなあ」
「うん、割とうるさい方よ」
「じゃ、一緒に食べよう。実は食べたいんだろう」
「実はね」
彰子は笑った。広場の木の下に座り、包みを開けると、おいしそうな生チョコが出て来た。
「太りたくないからあんまり食べられないの。だから、おいしいチョコレートを少しだけでいいの」
俺は1つ口に入れた。
「こりゃおいしいや。こんなおいしいのは初めてだ」
「大げさね。・・・・・・あら、ホント、いつものよりずっとおいしいわ」
「これで行きつけの店を替えなくてもよくなったね」
「そうね」
本当においしいチョコレートだった。
高校2年 3月10日
初めて彰子が家族について詳しく話してくれた。
「ウチはね、女ばかり3人なの。母と妹とわたし」
こう彰子は話し始めた。
彰子の父親、香山洋平は優秀なエンジニアだった。誰でも名前を知っている企業に勤めていた。その企業のイギリス進出時、香山洋平は技術面の責任者として妻子を日本に残し単身イギリスに赴いた。そして、後に彰子たちの母親となるマリアと出会い恋に落ちた。熱烈な恋愛だった。香山洋平は妻子を捨て、香山の「家」を捨て、会社も捨てた。マリアも親・兄弟を捨て、祖国を捨てた。そして、日本で2人の生活が始まり、彰子と妹の恭子が生まれた。幸せな暮らしだったそうだ。
しかし、彰子が中学に上がった年、香山洋平は病気で亡くなった。残されたマリアは、英会話学校の講師や翻訳の仕事をして彰子たちを育てている。「香山家」やイギリスの実家の援助は一切受けずに。
そして、彰子、恭子が一人前になるであろう6、7年後をめどに、マリアはイギリスに帰ることにしているのだという。「一度は捨てた祖国だけど、やっぱり祖国の土になりたい」のだそうだ。そして、彰子と恭子には「あなた達の祖国は日本よ」と言い続け、日本語で育ててきたのだという。
彰子と恭子は、そんな父親と母親を持っているのだ。
「母は口にはしないけど、苦労してわたし達を育ててくれたの。イギリスに帰ればそれなりの『お姫様』で苦労せずに済んだはずなのに・・・・・・。日本にこだわるのはやっぱり父を愛しているからなんだろうなって。父の国で、父と同じ国籍でわたし達を一人前にしたかったのね」
「すごいお母さんだね」
「ありがとう。わたしもそう思う。それとね、母にそこまで思わせる父もすごい人だったんだなって」
彰子の考え方が少しは理解できたような気がしたし、彰子が優しい、しっかりした女の子だと改めて確認できて嬉しかった。しかし、少し打ちのめされたような気もした。俺は、両親とか、家とか、国籍とか自分のこととして真剣に考えたことはなかった。全て一般論で済ませてきた。しかし、目の前にいる恋人は、生まれたときからそんなものを当たり前のように背負って生きてきたのだ。
高校3年になる前の春休み 4月2日
初めて彰子の家に行った。やっぱり緊張した。
彰子の母親、マリアはチョコレートケーキを焼いてくれた。1歳年下の妹の恭子は、どこからかアルバムを引っ張り出して来て見せてくれた。2人とも美人で優しそうだった。
内実は俺にはわからないが、涙が出るくらいに仲の良い、幸せそうな家族だった。
高校3年になる前の春休み 4月5日
彰子と歩いていると急に雨が降ってきた。それもすごい勢いで。当然傘などない。近くの公衆電話ボックスを借りることにした。狭いボックスの中に2人肩を寄せ合って入っていた。
「いきなり降ってきたね」
「うん、びっくりしたわ。すごい雨ね」
「天気予報では雨の『あ』の字も出てこなかったぜ。頭に来るな。あ、ちょっと弱くなってきた。もうすぐ止むよ」
「でも、わたし、もう少し雨に降っていて欲しいな・・・・・・」
もしかしたら、こういうさりげない言葉にこそ、実は、幸せってのがぎっしり詰まってるのかも知れない。
高校3年 4月6日
今年も安達と同じクラスだ。
高校3年 4月8日
彰子が路上でアクセサリーを売っている外国人さんと(多分)英語で話し始めた。もちろん俺にはちんぷんかんぷんだ。
「この人オランダから来てるんだって」
「へぇ」
彰子はまたそのオランダ人と話し始める。
「ねえ、指輪買って」
やっぱりそう来たか。俺にも経済状況というものがあるのだが・・・・・・。
「どれがいいの?」
「これ!幸せが永遠に続くように祈ってあるんだって」
「ウソっぽい」
「いいじゃない。気に入ったの」
結局、鳥の羽をかたどった銀の指輪を、持ち合わせのほとんど全てをはたいて買ってしまった。しかも、彰子の左手の薬指にはめてやることになった。ちょっと、いや、かなり照れた。
「ありがとう。大切にする。わたしの幸せの象徴よ。いつまでも、死んだ後も幸せが続くのよ」
「大げさな」
彰子は本当に嬉しそうだった。
これが彰子への初めての贈り物だった。
高校3年 4月9日
決めた。俺は国立の東京G大学に行く。教師になって体育や国語を教えたい。安達に言うと、
「お前が行くっていうのは勝手だが、G大が断ると思うぜ」
だとさ。偉そうに。だが、実際、遊んでばかりの安達が、勉強ばかり?の俺より出来がいいんだからイヤになるよな。俺も遊んでみようか。
高校3年 4月10日
安達が、あの安達が、予備校の現役生コースに通うという。
「M大を受けようと思ってよ。今のままでも何とかなると思うが、念のために」
「M大か。頑張れよ」
「ああ。お前も一緒に行かないか?予備校」
「俺はいいよ。高校に入るときも自分で何とかしたし。大学はそんなに甘くはないだろうが、今更人様のやり方では勉強できない。俺は俺のやり方でいくよ」
「そうか。お前はそれで伸びてるもんな。それでいいかもな」
「うん、行き詰ったら考えるよ」
「馬鹿、行き詰ったときには遅いんだって」
「じゃ、行き詰らないよ」
高校3年 4月19日
俺は山羊座の生まれ、彰子は乙女座の生まれ。
「山羊座と乙女座って相性がいいのよ」
さすが女の子だ。星座にはうるさいみたいだ。
「だけど、確率的には12人に1人は同じ星座の生まれだろ?アテになるのかな?」
「さあねえ。確かに浩は全然山羊座には思えないわねぇ」
「だろっ!」
「威張ることじゃないわよ。でも、わたし達は星座を越えようね」
「だって、相性がいいんだろ?」
「山羊座と乙女座じゃなくて、ヒロシとアキコの方がいいのよ」
何のことだかわかんない。が、幸せだけは感じた。
高校3年 5月8日
遠足だ。現地集合、現地解散。朝、出席を取った後、先生達もあきらめているのだろう、
「時間になったら勝手に引き上げろ。じゃあな」
と帰って行った。毎年、後はもう好き放題。家に帰る者、パチンコ屋の開店を待つ者、その場で酒盛りを始める者、雀荘に行く者、何をしてるかわからない者。今年は俺も安達も家に帰ることにした。帰りの電車で担任と同じ車両に乗り合わせた。
「おう、お前らもご帰還か?ま、他人様に迷惑かけないだけ立派だな」
だそうだ。わかってらっしゃる。
高校3年 6月1日
6月だ。センター試験まであと7か月ちょっとだ。1日1点ずつ得点をあげる努力をするとして、およそ200点ほど得点アップ。さて、今、何点くらい取れるのだろう。国語がほぼ120点、英語がほぼ100点・・・・・・。うーん、1日1点では間に合わないかも知れない。
高校3年 6月27日
期末試験が始まった。学校の教科書はほとんど勉強せずに試験を受けることになる。もう学校の勉強にはかまっていられないのだ。赤点をもらわなければ良しとしよう。
高校3年 7月9日
体育で水泳の授業があった。プールで好き勝手に泳ぐだけだったが。
授業が終わって更衣室に入ると人だかりができていた。何事だ、とのぞき込むと、人だかりの真ん中にパンツがある。しかもかなり汚れている。誰のパンツだ?ちょっと恥ずかしいよな。たとえ持ち主でも名乗れないよな。皆と一緒に「汚ねえな」とか「誰のだよ」とか言っておくしかないよな。気の毒に。俺じゃなくて良かったよ。
そのとき、松本が入って来た。
「どうしたんだよ?」
人だかりに参加する松本。次の瞬間、
「あ、俺のパンツだ」
事もなくパンツを拾って、さっさと着替えを始めた。
この日、「松本はすごい奴だ」という噂が学校中を駆け巡った。
高校3年 7月23日
夏休みだが勉強ばかり。親切なことに学校でも補習授業をしてくれるし、予備校や塾に行かなくてもいいよな、なんて、お気楽なのは俺だけだった。学校の補習が終わった後、皆どこかの予備校や塾に通っているとのこと。しまった。夏期講習だけでも受講すべきだったか。
高校3年 8月13日
家族は皆、母の実家に行ってしまった。墓参りだそうだ。5日ほどで帰ってくるらしい。俺は受験勉強でそれどころじゃない。でも、何で「盆」なんてあるんだろう。別に盆でなくても気が向いたときに墓参りすりゃいいじゃないか。まあ、俺が死んでも、墓になんて参ってもらわなくていい。それより、俺の写真を見て涙の一筋でも流してくれるとか、にっこり微笑んでくれるとか、そっちの方がうれしいぜ、彰子。ん?
高校3年 8月31日
夏休みが終わったよ。確かに勉強はしたけど、いったいどれくらい差を縮めることができたんだろうか。もしかしたら差が開いてたりして。
高校3年 9月3日
夕方、彰子と歩いてると、繁華街の端っこにある公園のトイレの陰で、男女の二人連れが4人の若い男に囲まれているのが目にとまった。彰子は気付いただろうか。気付いてないといいけど。何も見なかったことにして通り過ぎたい。が、彰子が立ち止まった。あっちゃー、気付いたのか。
「ねえ、あれ」
「うん、囲まれてるね」
「どうする?」
「どうするって・・・・・・」
「助けてあげないの?」
そう言われてもなあ。俺は決して正義の味方じゃないし、面倒に巻き込まれるのはごめんだ。殴られたら痛いし。でも、仕方ないよなあ、彰子が言うんじゃ。
「わかったよ。ちょっと行ってくるよ。俺が時間かせいでる間に警察呼んで来てくれよ。なるべく早くな」
「うん。手を出しちゃダメよ」
普通は「気をつけてね」だろう。彰子は走って行った。
だが、馬鹿なカップルだよなあ。この物騒な時代に物騒な街を歩くんなら「何があればどうする」って決めておけよ。2人仲良く囲まれることはないだろう。俺と彰子は決めてるぜ。まず、やり過ごす。でなきゃ、2人で逃げる。ダメなら彰子1人でも逃げる。俺は何とか彰子を逃がす。そして。彰子は人を呼ぶ。1人で身軽になった俺は逃げることを考える。ダメなら人が来るまでなるべく時間をかせぐ。それでもダメなら一戦交える。で、落ち合う場所(俺の家か、彰子の家か近い方)に後で行く。2人とも逃げ切れなかったら、先制攻撃をかまし、隙ができたところで彰子を逃がす。ダメなら一戦交える。云々ということになってる。まあ、結局、最後は一戦交えるんだけど。
「ねえ、何してるんですか?」
「あー、ダァレだよぉ、オメェ?」
「通りがかりの者ですが
「ザケンなよ。かンけぇネエンなら、イケよ」
「いや、そこの2人が可哀想かなって思って」
「ナニィー、カワイそーだぁ。オメェもカワイそーぅにしてヤローゥか?コラぁ!」
こいつ、何しゃべっても「漢字」があるように聞こえないから不思議なんだよなあ。
「勘弁してくださいよ」
「ぅルセエんだよぉ、おラァ、オメェもよ、カネだせ、カネ」
「イヤだね」
「ナニィ?やるのかヨ」
「やるね、俺は」
「アーーーッ、ナンだってぇ、ヤァルーぅ?」
と言いながら、火のついた煙草を投げつけやがった。もう我慢はやめた。
「シャベクってるヒマはないんだよぉ、オレにはぁ」
いかん、俺まで漢字なしのしゃべりになった、と、思いながらも手が出ていた。いや、足だ。「漢字なし兄ちゃん」の股間を思いっきり蹴り上げていた。
「グエィーッ」
兄ちゃんは変なうめき声をあげてうずくまった。うめき声まで「漢字なし」だ。あ、普通そうか。後はもう無茶苦茶だ。空手の心得があるったって、空手の試合をしてるわけじゃない。喧嘩なんだ。やり始めたからには、相手を叩きのめすか戦意を喪失させるかどちらかを目指す。目指すほどのことでもないけど。そのためには武器を持つのが一番だ。気付いたら、自転車のハンドルを持ってグルグルと振り回していた。変な兄ちゃん達は逃げて行った。全然骨がない。もちろんないほうが助かる。最初に始末した兄ちゃんが動けずにいる。俺も目が回って座り込んだ。カップルは唖然として突っ立っている。もう安心だ。
「行っちゃいましたね」
声をかけると、男の方が言った。
「はい、でも、大丈夫ですかね、その人?」
「漢字なし」の心配するより俺の心配しろよ。と、そのとき、警官が走ってくるのが見えた。遅いんだよ。もう手を出し終えた後だよ。かなり後ろに彰子も見える。色々と面倒だから、
「じゃ、これで」
カップルに声をかけ、ふらつきながら走ってその場を後にした。公園をぐるっと迂回して彰子のところに行ったが、何故か警官が俺を追っかけてくる。そりゃないだろう。
「お前も走れ」
彰子と一緒に逃げた。
「何で逃げるのよ?」
走りながら彰子が尋ねる。
「警察は面倒だから」
本当に面倒なのだ。たとえ「正義の味方」だったとしても「ちょっとお話を」で2時間は覚悟しなきゃならない。
どこかの店に走り込んでようやくやり過ごした。人助けも大変だよ。
高校3年 9月4日
朝、目が覚めると腰が異常に痛い。昨日の喧嘩とその後のランニングが腰に来てる。そうだ、俺は腰が悪い人だったんだ。
何とか我慢して授業だけは受け、学校帰りに病院に行った。「一週間ほど入院」だそうだ。慣れない人助けなんてするもんじゃない。
高校3年 9月5日
夕方、彰子とせつが花を持って見舞いに来てくれた。
「ごめんね、わたしが要らないこと言ったばかりに・・・・・・」
いいんだよ、彰子。お前のせいじゃない。
夕食を食べていると安達が来た。
「よぉ、エロ本持って来てやったぜ」
いいんだよ、安達。お前は来なくても。
高校3年 9月7日
退院。「まだいろ」と医者に言われたが、駄々をこねて退院。
高校3年 9月9日
彰子の誕生日だ。俺より早く18歳になる。おめでとう。
高校3年 9月18日
体育祭だ。俺は走るのも殴り合いするのも得意だから、リレー、棒倒し、騎馬戦と引っ張りだこだ。腰も一応治ったし、走る方は別にどうでもいいんだけど、棒倒しと騎馬戦の前に、
「岸和田よ、こいつを頼むぜ」
色んな奴等が名前を書いた紙を俺に渡してくる。いったい何を頼まれてるんだ?俺は。わかってるけど。今日は「走る暴力」になってやるぜ。でも、相手が敵方の奴なら期待にこたえられるが、味方の名前が書いてあっても困るよな。手の出しようがないじゃないか。
高校3年 10月15日
同級生の大宮は、通学途中に駅でよく見かける女の子に片想い中だ。F学院の子だ。
「ただ見てるだけじゃどうにもこうにもなんないぜ。早くデートに誘えよ。そうだ、うちの文化祭に誘えよ」
安達にそそのかされて本当に文化祭に誘ってしまった。
「・・・・・・じゃ、文化祭の日、正午に正門で待ってます」
そう言ったらその子はうなずいた、と大喜びしていた大宮。うなずいたんじゃなくて、うつむいたんじゃないの?本当かな、俺と彰子じゃあるまいし、そうそう簡単にうまくいくもんじゃないだろう。
高校3年 10月20日
文化祭だ。冷たい雨が降ってる。まあ、体育祭じゃないし構わないのだが、正門のところに立ちつくす大宮が哀れだ。
高校3年 10月22日
朝、駅で安達を待っていると大宮が現れた。かと思うと、ある女の子のところに走り寄った。「ああ、あの子か」と思いながら見ていると、いつの間にか安達が俺の横にいて、
「面白いことになりそうだな」
なんて言ってる。と、女の子は小走りに改札へと向かう。大宮がその後を追う。
「おい、行くぜ!」
安達も走り始める。行くのは勝手だが、そっちは俺たちの学校に行く路線じゃないだろ。俺は行かないよ。
安達が学校に現れたのは3時限が終わったときだった。
「お前、今まで何してたんだよ」
「決まってんじゃん、大宮の後を追ってたんだよ」
「で、その大宮は?」
「あいつ、警察に連れてかれたぜ」
「は?」
「あの馬鹿、電車の中で『なんで来てくれなかったんですか。なんで逃げるんですか』とか、あの子に言ってんの。それだけならまだしも、あの子の降りた駅で一緒に降りて後をついていくんだな」
お前も結果的に同じことしてたんだろうよ、安達。
「で、あの子が走り出したら大宮も走り出して、『痴漢です!』なんて叫ばれて。で、近くのサラリーマン達に取り押さえられてさ。警官が2人来てパトカーで連れて行かれた」
「大宮は痴漢まではしてないだろ。お前、見てたんなら誤解だって言ってやりゃいいじゃないか」
「やなこった。面倒だ」
大宮はこの日学校に来なかった。
高校3年 10月23日
大宮が学校に来た。何となくニヤついてる。可哀想に、自嘲の笑いを浮かべるしかないんだろうな。
「昨日は大変だったらしいな。痴漢呼ばわりされたって」
声をかけると、
「おお、それが、痴漢が誤解だとわかってさ、警察を出たところで、すごく可愛い子に出会ったんだよ。思いっきり目が合ってさ、いい感じなんだよ」
安達がいきなり現れて口をはさむ。
「やったじゃん。早くデートに誘えよ」
もうこいつと付き合うのはやめようか。
高校3年 11月4日
無茶苦茶勉強してる。本当に俺か?
高校3年 11月22日
模試の結果が出た。まずい。
高校3年 12月3日
彰子がS女子大学の英文科に推薦で合格した。おめでとう。彰子はすごく喜んでいた。夢に一歩近づいたのだ。本当におめでとう。
だが、俺にはすごいプレッシャーがかかる。彰子は大学生、俺は浪人ではちょっと惨めだ。何としてもG大に合格する。2人で大学生になるんだ。
高校3年 12月5日
受験が終わるまで彰子と会わない。本当は毎日でも会いたい。でも、大学進学が決まって遠慮なく残りの高校生活を楽しんでいいはずの彰子が、これから受験する俺に色々と気を使うのは目に見えている。気を使っているのがわからないようにさりげなく気を使ってくれるとは思うが、気の毒だ。電話も週に1度きりにしよう。
高校3年 12月6日
彰子に昨日の決心を伝えた。色々言わなくても理解してくれた。が、ちょっと悲しそうだった。俺はその様子が嬉しくもあり、可哀想でもあり、複雑な気持ちだった。しかし、一旦勉強に打ち込むと決めたんだ。意地でもG大に受かる。2人で大学生になるんだ。
高校3年 1月1日
いつの間にか年が明けていた。
とりあえずおめでたいが、センター試験まであと2週間だ。畜生、時間がないぜ。いや、何とかする。意地でもG大に受かる。2人で大学生になるんだ。
高校3年 1月16日
センター試験が終わった。やるだけのことはやったぜ。だが、俺の「やるだけやった」が通じるとは限らないのがつらい。しかし、絶対にG大に出願するぞ。
高校3年 2月27日
終わった。俺の大学受験が終わった。もう二度としたくない。
彰子に報告した。彰子はねぎらいの言葉をかけてくれた。結果はどうあれ、明日から彰子と会える!
高校3年 2月28日
彰子と会う。3か月ぶりだ。嬉しかった。楽しかった。別れ際に、頭の片隅にある不安を口にした。
「ねえ、もし俺がG大に落ちて浪人することになったらどうする?」
「『どうする?』って、どうもしないわよ。また1年は会う機会が少なくなるけど、今まで通りあなたのことが好きよ。ううん、頑張ってる姿を見たらもっと好きになるかも」
「本当に?」
「本当よ。でもね、大丈夫よ。受かってるって。あれだけ頑張ったんだから」
「元々頭のいい奴とか、俺より頑張った奴なんて掃いて捨てるほどいると思うぜ」
「いいんじゃない、それはそれで。ほかの人のことなんて知らない。わたしにはあなたのことがわかれば十分よ」
もしかしたら俺は、安心して浪人していいのかも知れない。きっと、かなり恵まれた浪人になれる。
高校3年 3月9日
合格発表。
「!」だぜ。
これで彰子と一緒に大学生。
やったぜ!ザマミロ!
高校卒業後の春 3月11日
吉村せつはT医大に合格していた。安達も安達の彼女もともにM大に合格していた。おめでたいことだ。で、みんなで合格祝いをすることになった。恭子も一緒だった。
高校時代から気ままに遊んでいた安達の案内で店に入り、まずシャンパンで乾杯した。その後は赤ワインだ。「初心者のために飲みやすいものをオーダーした」と安達が偉そうに言うだけあって、飲みやすいおいしいワインだった。からかどうか知らないが、皆おいしそうに何杯も飲んでいる。安達は顔がひきつっている。俺のところに来てこんなことを言う。
「知らないぜ。最初はおいしいだけだろうが、すぐに酔いが回ってとんでもないことになるぞ。大体、お前らは酒なんて飲み慣れてないんだからな・・・・・・。それに、ここは『店』なんだからな。お金ってものを払わなきゃならないんだぜ。おい、聞いてんのか」
「そりゃそうだ。とんでもないことする奴が出て来た上にお金足りません、じゃ困るよな。だから足立クン、君のお知り合いの店を使ってるんだろ。よろしくね」
「何言い出すんだよ、まったく」
安達の心配をよそに楽しく飲んで食べた。安達は「だから遊び慣れてない奴等と一緒だとイヤなんだよ」とかなんとかブツブツ言っていたが、酒が進むにつれ絶好調で盛り上げてくれた。やっぱりいい奴だ。
そして、もう1人、絶好調の人がいた。恭子だ。自分だけが年下ということもあったのだろう、あまり飲んでいなかった。しかし、1時間もすると、誰彼構わずからんでいる。彰子には「1人楽してずるぅーい。みんながギリギリしてるときに、サッて推薦、サッサッて先に推薦」、せつには「あんた、第一印象で患者に嫌われちゃ医者はおしまいだよ」、安達と安達の彼女には「きゃー、お似合い!あじさいとカタツムリくらいお似合い!桑の葉とカイコくらいお似合い!」、俺に対しては「頭の中で何かブーンっていったの、ブーンて」と言いながら頬をつねる始末。彰子も最初はたしなめていたがもうあきらめている。しかし、何故か憎めない。皆もそう思っているのだろう。悪態をつかれながらも笑っている。
電車は使わずに歩いて香山家に向かった。俺は恭子をおんぶしている。
「恭子がこんなに酒癖が悪いとは知らなかったわ」
彰子がため息をつきながら言う。
「楽しくていいんじゃない」
「今回はね。でも、いつもわたしやヒロシがそばについてるわけじゃないし。この先心配だわ」
確かにそうだ。俺の背中で眠っている恭子。完全に安らいでいる。
「ヒロシ、絶対に左を向いちゃダメよ」
彰子が急に言う。
「え、何で?」
「今左向いたら、恭子とキスしちゃうから。もう、大体どうしてわたしより先に恭子に背中を貸すのよ!わたし、おんぶしてもらったことまだないわよ」
俺は少し嬉しくなった。
「灰色の星」
彰子がつぶやく。
「え?」
「ヒロシのことよ。イメージなんだけど『灰色の星』なの」
「何で灰色なんだよ?いつも灰色の服を着てるからか?」
「それもあるわ」
彰子は続ける。
「いつでも北の空に輝いてる。でも、みんなには見えないの。だって、灰色なんだから。わたしにしか見えないの」
「・・・・・・」
「いつかは明るく輝く。みんなも気付く。でも今はわたしだけの星。だから『灰色の星』」
「何で北の空なんだよ?」
「何となくね。でも、北ってストイックな感じがするでしょ」
「お前、何か俺のこと誤解してないかい?」
「うん、してるかもね。でも、いいのよ」
北の空に輝く「灰色の星」か。俺は「星」なんてたいそうなものじゃない。せいぜい「灰色の虫」だ。虫が星になるのは大変だ。だが、とりあえず、虫なりに飛んでみよう。