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星が帰り道を教えてくれる

作者: 月森早紀
掲載日:2026/03/07

亡くなった曾祖父の事を残したくて書きました。

ただの思い出話だと思って読んで頂けたら嬉しいです。

【星が帰り道を教えてくれる】

――そう教えてくれた曾祖父は、もうこの世にはいない。


 不機嫌とも無表情ともつかぬ顔で、黙々と盃を傾けている姿が、私の記憶の底に沈んでいる。

 最も古い記憶の中の曾祖父は、片手に酒瓶を提げ、犬を連れて歩いている。

小学校に上がる前のことだ。当時住んでいた場所は博多区の端っこの方で、まだまだ田舎の風景が残ったのんびりした地域だった。その頃我が家では秋田犬を飼っていた。曾祖父が散歩を引き受けていたのであろう。私はその大きな背にまたがり、曾祖父は酒を口に運びながら手綱を取る。犬はゆるやかに歩き、道は静かに続いていた。良く晴れた暖かな日であった。もしかすると暖かかったのは陽光ではなく犬の背の暖かさだったのかもしれない。あるいは、穏やかな時間を暖かかったと思っただけかもしれない。真相はもう知るすべもないが、とにかく私はその日を暖かだったと記憶している。


 今にして思えば、奇妙で、しかしどこか牧歌的な光景である。

その時、曾祖父がどのような表情をしていたのか、私とどんな会話を交わしたのか、今となっては思い出せない。ただ、犬の背に揺られた日があったことだけは、四十年以上経った今でも鮮明に覚えている。


 曾祖父は賑やかなものを嫌った。幼い私がはしゃぐと、「せからしい」と叱られた。

ある日、「せからしか。これで菓子でも買うて食うてこい」と言って、小銭を投げてよこされたことがある。普通なら、子どもは怯える場面であったかもしれない。だが、なぜか私は怖いという感情を抱かなかった。母は口に入る物に厳しい人であったから、内緒で菓子を買えるその金は、むしろ魅力的な贈り物であったのかもしれない。


 あるクリスマスの日にも怒られた記憶がある。サンタクロースの話で興奮する私に、「しゃんたっちゃ誰な。知らん人から物ばもろうたらいかんって言うたろうが。夜中に家に入ってくるとは泥棒ぞ」と怒鳴ったのだ。今思えば、くすりと笑ってしまう老人の勘違いであった。明治生まれの曾祖父にとって、クリスマスは外国人のお祝いであり、仏教徒の家には関係のないことであった。だが彼は、神棚にこっそりケーキを供えてぶつぶつ言っていたのを覚えている。


 その他にも、曾祖父に怒られた記憶は数え切れないほどある。いつも無表情でぶっきらぼう、感情を表すときは怒るときだけであった。


 しかし振り返れば、曾祖父は本当に怒っていたのだろうか。

感情を表すことが苦手であっただけかもしれない。幼いころの私には、その真意を確かめるすべはなかった。

 ただ一つ確かなのは、私と曾祖父が、ことさら親しい関係ではなかったということである。

それでも、私たちには少なからず穏やかな思い出がある。


 曾祖父は時折、床屋に通った。髪のほとんどない頭であるのに、「頭を磨いてもらうったい」と言った。どのような顔をしていたのか、今では思い出せない。

だが、曾祖父が床屋へ行った日は、私にとって特別であった。帰ってきたばかりの、つややかな頭皮を撫でさせてもらえるからである。いつもは煩いと叱る曾祖父も、その日だけは黙って、私の小さな手を受け入れてくれた。すべすべだねと喜ぶ私に「そうやろう。きれいになったろうが。」とどこか誇らしげに言う曾祖父の喜んで撫でたあの時間が好きだった。

あの静かな許しの感触だけは、いまも指先に残っている。


――――――――――


年を取った曾祖父はそのような老人であったが、若い頃はたいそうな美男子であった。家に戦友会のアルバムがあり、それを見た私は家族に「この人、かっこいい!」と言った。すると家族は、「それはじいちゃんの若い頃よ。じいちゃんが好みのタイプね?顔だけで男を選ぶと苦労するばい。」と返した。幼い私は少なからずショックを受けた。

 こんな美男子も、年を取ればただの酒飲みで頑固な老人になるのだと、あの時、学んだのである。

 それでも、アルバムの中の曾祖父は魅力的であった。

海軍であった曾祖父は白い軍服に身を包み、大きな岩陰に立っていた。軍刀を杖のように持ち、凛とした佇まいは、まるで舞台俳優のようにも見えた。

写真の横には、地図のようなものが描かれ、いくつかの地名が記されていた。その地名も、私には魅力的であった。パプアニューギニア――当時、南国の動物たちの楽園と呼ばれた場所である。

私は曾祖父にパプアニューギニアのことを尋ねた。どんな動物がいたのか、暑さはどうであったか、食べ物はどのようなものだったのか。

 だが曾祖父は答えてはくれなかった。いつものように「せからしい」と言って追い払われたのである。その後も戦時中の話を聞こうとしても、一度も口を開かぬままであった。


 もっとも、「一切話さなかった」と言うのは語弊があるかもしれない。

ただ一度だけ、ほんの一度だけ、戦中の話を聞いたことがあった。それが――星の話であった。


 あれは小学校一年か二年のころであった。私はエジプトの古代文明に心を奪われ、いつか現地に行きたいと考えていた。ある日、両親が出かけ、家には曾祖父と私だけになった。砂漠を歩くラクダの絵を描いていると、曾祖父がぽつりと言った。


「砂漠はなんもないばってんが、迷ったら帰れるとな?」


私は答えた。「わからんけど…みんな帰れとうし、帰れると思うばってん…」

確かに砂漠を歩く人はどうやって道がわかるんだろう?慣れれば道がわかるようになるのかな?と思った。


曾祖父はまたぽつりと言った。

「星が帰り道を教えてくれる」


幼い私には意味が理解できなかった。曾祖父は続けた。

「船の上は真っ暗でなんも見えんかった。陸がどこにあるかもわからん。ばってんが星だけは見える。船の上は暗いばってんが、空はそりゃあきれいやった。星のいっぱい出とってキラキラしとった。」

「そこにな、四つ星があると。いっぱいある星の中で四つだけ、目印の星があって、それば見つけれたら帰れるようになっとうと。」

「その星、どこにあると?私も見てみたい。」

「その星は博多じゃ見れん。今お前が見れる目印は動かん星だけたい。知っとったら見つけられるけん覚えときやい。その星ば見つけたら星が帰り道ば教えてくれるけんな。」


その後、曾祖父は体調を崩し、寝たきりになった。家で静かに療養していた曾祖父の姿を見て、幼い私はさみしさを覚えた。ある夏の夜、寝ている曾祖父をうちわで扇ぎながら「福岡でこんなに暑っちゃけん、エジプトはもっと暑かろうね」と言うと、曾祖父はぽつりとつぶやいた。

「星…星ば見つけたら帰れるけん…。」と曾祖父がつぶやいた。「え?」と聞き返したが、曾祖父はもう、それ以上口を開くことはなかった。多分あれが私が交わした曾祖父との最後の会話のはずだ。


 数日後、曾祖父は亡くなった。私が小学校三年生の夏休みの事だった。親戚中が家に集まり、曾祖父の最後を見守る中、親戚の子どものうち、私だけがその場に立ち会うことを許された。亡くなる直前、曾祖父は周囲を見渡し、私に手を伸ばした。あの手は、私に何かを伝えたかったのだろうか。

撫でようとしてくれたのだろうか?何か伝えたいことがあったのだろうか?大人になった今になっても私にはわからない。


 あれから四十年近くが経った今も、曾祖父の「星が帰り道を教えてくれる」という言葉は、私の心に淡く残っている。戦争の話はほとんど口にしなかった曾祖父だったが、どんな思いで星の話をしてくれたのだろう。成長するに従い、アルバムに記載された地名が激戦区だったことを知った。パプアニューギニア・レイテ・サイパン・パラオ…教科書に載るほどの激戦区を航海した曾祖父は、どれほどの恐怖を味わったのだろうか。

死と隣り合わせの戦場で、見知らぬ港を渡りながら、遠く博多に残した妻子を思い戦ってきたはずだ。親戚からは、曾祖父は終戦を船の上で迎え、帰れると喜んで上官に殴られたという話も聞いた。きっと曾祖父は戦中の事を思い出したくない一心で酒を呑んでごまかしていたのだろうと思う。

 幼い私の目には、ただ酒を手に犬の散歩をする老人でしか映らなかった。だが、その背後には曾祖父のつらさがあったと今ならわかる。頑固で無口な性格も、感情を表に出すのが苦手なことも、すべては長い人生の蓄積に由来するのだと思うと、改めて胸が詰まる。

 星の話は幼かった私にできる、数少ない記憶の断片だったのではないだろうか。私が怖がることのない話、幼い女の子に出来る血の流れない話はそれしかなかったのかもしれない。

もしかしたら、つらい船の上で、、夜空の星だけが曾祖父の心の支えだった可能性もある。幼かった私には曾祖父の感情の裏まで察することが出来なかっただけなのだ。


――――――――――


そんな私も成長し、子も産み、その子も成人した。子どものうち一人は船乗りになった。曾祖父の星の話をすると、船乗りの子はこう言った。

「動かない星は北極星だと思う。知っていればというのは、見つけ方を知っていればってこと。あんまり目立たないから、ちゃんと見つけ方を知らんと見つけられんよ」と言われた。


どうやら今度、船から降りた時に教えてくれるらしい。四つの星については、いまだに分からない。私が砂漠に行けばわかるのだろうか。


いつか私が死んだとき、曾祖父に文句を言おうと思う。「知っていればって、場所を知ってればことやったんって?ちゃんと教えてくれんけんわからんかったやん」と。

その時曾祖父はどういう顔をするだろうか?いつものように「せからしか!わかったならよかろうもん!」と怒るのだろうか?

きっと遠くないうちにその答えもわかるだろう。


大好きではなかった、けれど嫌いではなかった曾祖父に今、無性に逢いたいと思う。


曾祖父は海軍だったそうですが、従軍時代何をしていたのか一切話してくれませんでしたのでわかりません。きっと大変だったと思いますが、星を見てきれいだと思える時間があったなら救いです。

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