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第10章 線の内側

 面会の形式が、また変わった。


 職員からは「調整」と呼ばれた。外での接触が続いた結果、安定は維持されているが、判断の段階に近づいている――そういう説明だった。言葉は丁寧で、意味は曖昧だった。


「判断、ですか」


「はい。継続の可否についてです」


 可否、という言い方が、まるで契約の更新みたいで、少しだけ腹に引っかかった。


 その日は、施設内の別の部屋に通された。白い壁は同じだが、椅子の配置が違う。向かい合うのではなく、横並び。距離は近い。近すぎるくらいだった。


「今日は、ここで」


 職員はそれだけ言って、下がった。監視カメラの位置だけが、やけに目についた。


 彼女は、隣に座った。


「近いね」


「そうだな」


 肩が触れそうで、触れない。触れないように、互いに少しだけ体を引いている。その微調整が、前よりもはっきり分かった。


 しばらく、何も話さなかった。


 沈黙が苦しいわけじゃない。ただ、逃げ場がない感じがした。


「ねえ」


 彼女が先に口を開いた。


「最近さ、職員さんと話した?」


「少し」


「何て言われた?」


 聞き方は軽い。でも、軽さの下に、気にしているものが見えた。


「順調だって」


「……順調、ね」


 彼女はその言葉を、口の中で転がすみたいに繰り返した。


「順調って、何を指してるんだろ」


「問題が起きてないことじゃないかな」


 その言葉に、彼女は前を見たまま言った。


「じゃあさ、問題が起きたら、どうなるんだろ」


 答えは分かっていた。分かっているから、言葉にしたくなかった。


「……中断とか」


「だよね」


 それで話は終わった。終わってしまったことが、少しだけ重かった。


---


 部屋を出たあと、職員に呼び止められた。


「最近、ご様子はいかがですか」


 また、その質問だ。


「……どういう意味でですか」


「精神的なご負担です。無理をされていないか、と」


 無理、という言葉に、即答できなかった。


「分かりません」


 正直にそう答えた。


 職員は頷いた。想定内の反応、という顔だった。


「次の段階では、より明確な意思確認が必要になります」


「意思、ですか」


「はい。復元を継続するかどうか。生活範囲をどこまで広げるか。関係性をどう定義するか」


 関係性、という単語が、やけに重たかった。


---


 その日の外出は、短時間だった。


 夕暮れの公園を歩く。ベンチに座ると、彼女が言った。


「最近、よく“選ぶ”って言葉聞くね」


「だね」


「前は、こんなに考えなかった」


「多分、考えなくて済んでたのかな」


「それも、違う気がする」


 彼女は足元を見ている。影が長く伸びて、地面に溶けていく。


「前はさ」


 少し間を置いて、続ける。


「選んでたんだと思う。ただ、意識してなかっただけで」


 その言葉に、反論できなかった。


「今は、意識しすぎてる」


「それ、悪いこと?」


「分かんない。でも……」


 彼女は言葉を切った。


「私、選ばれる側になってる気がする」


 胸の奥が、少しだけ締まった。


「そんなことない」


 反射的に言った。言ってから、根拠がないことに気づいた。


「そう言われると、安心する」


 彼女はそう言って、こちらを見た。


「でもさ」


「ん」


「あなたが選ぶんだよね」


 否定できなかった。


 施設へ戻る道で、二人とも無言だった。別れ際、彼女が言った。


「ねえ」


「うん」


「答え、急がなくていいよ」


「……うん」


「でも、考えてはいて」


 それは、お願いでも、命令でもなかった。ただの確認だった。


 ドアが閉まる。


 外に残された僕は、その場に立ち尽くした。


 線が引かれている。


 彼女と僕のあいだに。

 施設と外のあいだに。

 今と、これからのあいだに。


 その線は、最初からあったわけじゃない。


 引かれたのは、最近だ。

 そして、その線を越える役目を、

 誰かが僕に押し付けている。


 逃げられない、というほどではない。

 でも、避け続けることもできない。


 選ぶ、という行為が、

 こんなに重たいものだとは、知らなかった。


 次に会うとき、

 何かが変わる気がしていた。

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