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君の隣で、世界が静かになる  作者: 海鳴雫


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第9話 夕映えの手

文化祭の午後、空は淡く朱に染まり始めていた。

 校舎の窓から差し込む光はやわらかく、それでいて、どこか切なげだった。


 桐島凜音は、ひとり中庭のベンチに座っていた。

 胸の奥に、言葉にならない痛みが残っている。

 昼間、再会した九条蓮の言葉が、心のどこかで何度も反響していた。


 ——「お前、誰かの代わりみたいに生きてる」


 たぶん、図星だった。

 凜音は“理想の生徒会長”という仮面をかぶり続けてきた。

 完璧であること。

 期待に応えること。

 誰かの悲しみにならないこと。


 そうしていれば、あの日失ったものを埋められる気がしていた。


 だけど、違った。

 本当は、埋まらなかった。

 時間を重ねても、過去は薄れない。

 ただ、静かに沈んで、形を変えて、また心の底で疼く。


 ——もし、あの時もう一度だけ言葉を交わせていたら。

 ——もし、あの日、手を離さなければ。


 後悔という名の問いが、終わりなく胸を叩く。


 「……やめて」

 思わず声に出していた。

 誰もいない中庭に、かすれた声が溶ける。


 そのとき、背後から穏やかな声がした。

 「また、ここにいたんだな」


 振り向くと、高瀬彰人が立っていた。

 校舎の光を背に受けて、彼の輪郭が金色に縁取られている。

 手には、紙コップの温かいココアが二つ。


 「生徒会長も、ちゃんと休憩しねぇと」

 そう言って、片方を差し出す。


 凜音は、ためらいながら受け取った。

 指先が少しだけ触れた。

 その瞬間、胸の奥で何かが静かに波紋を描く。


 「……ありがとう」

 紙コップの縁に口をつけると、甘くて少し苦い味がした。

 まるで今の自分の心みたいだった。


 しばらく沈黙が続いた。

 風が二人の間を抜けていく。


 やがて、凜音がぽつりと呟いた。

 「ねえ、高瀬くん。

  もし……誰かを傷つけた過去があったら、どうすればいいと思う?」


 彰人はすぐには答えなかった。

 彼の横顔に、夕陽の光が当たっている。

 目を細めながら、ゆっくりと口を開いた。


 「傷つけたって思うのは、ちゃんと相手を想ってた証拠だろ。

  忘れようとするんじゃなくて、そのまま抱えて生きるしかねぇんじゃないか」


 凜音は、息を呑んだ。

 彼の言葉は、不器用で、だけど優しかった。

 何も飾らないからこそ、心にまっすぐ届く。


 「でも、そんなの……重すぎるよ」

 「重くていいんだよ」

 彰人は少し笑って、ベンチに腰を下ろした。

 「誰だって、何かしら背負って生きてる。

  それでも前に進めるのは、その重さの中で誰かと出会うからだと思う」


 その言葉に、凜音の視界が滲む。


 “誰かと出会うから、前に進める”——


 心の奥で、何かが静かにほどけていくのを感じた。

 九条蓮との再会が痛かったのは、きっと過去と向き合う準備ができていなかったからだ。

 でも今は、違う。

 もう逃げない。

 あの日の自分を赦すために。


 「……高瀬くん、私ね」

 凜音は小さく笑った。

 「“完璧な生徒会長”でいようとしてたの。

  本当の私は、誰かを失うのが怖いだけの弱い人間なのに」


 「弱いままでいいと思うけどな」

 「え?」

 「弱いから、人の痛みに気づけるんだろ。

  強いやつばかりの世界なんて、きっと息苦しい」


 凜音は、言葉を失った。

 そして、静かに笑った。


 夕陽が傾き、校舎の影が長く伸びる。

 その中で、凜音はそっと手を伸ばした。


 ——彰人の手に、自分の指先が触れる。


 その瞬間、胸の奥で沈黙していた時間が、ようやく動き出した気がした。

 誰かの手を信じて掴むことが、こんなにも怖くて、こんなにも優しいなんて。


 「ありがとう」

 凜音の声は、風にかき消されるほど小さかった。

 でも、彰人にははっきりと聞こえていた。


 「……どういたしまして」


 ふたりの影が重なる。

 夕焼けに照らされながら、静かにひとつの想いが結ばれていく。


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