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君の隣で、世界が静かになる  作者: 海鳴雫


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第8話 再会の影

文化祭の朝。

 校舎中がざわめきに包まれていた。

 笑い声、足音、音楽の練習の音——いつもは静かな学校が、まるで別の世界のように華やいでいる。


 そんな中で、桐島凜音は胸の奥に重いものを抱えていた。


 昨日、夕暮れ時の校門で見た“あの顔”。

 忘れられるはずがなかった。

 ——九条蓮。

 中学時代の同級生で、そして、あの写真の少年。


 事故で亡くなったと思っていた。

 けれど、確かにそこに立っていた。

 笑って、凜音の名前を呼んだ。

 まるで何もなかったかのように。


 「……どうして、今になって」

 凜音は控室の鏡の前で、自分に問いかけるように呟いた。

 胸の鼓動が速い。喉が乾く。

 心の奥に沈めていた過去が、再び水面に浮かび上がってくる。


 ——あの日、事故現場で見た光景が蘇る。

 雨の中、傘もささずに泣き叫ぶ自分。

 救急車の赤い光。

 そして、手を伸ばしてももう届かない誰かの背中。


 「……やめて」

 頭を振って、その記憶を振り払おうとする。

 しかし、忘れようとすればするほど、思い出は鮮明になる。

 忘れることが、怖い。

 けれど、思い出すことは、もっと怖かった。


 ドアをノックする音がした。

 「桐島? 準備、そろそろいいか?」

 彰人の声。


 凜音は小さく深呼吸して、笑顔を作った。

 「すぐ行くわ」


 鏡の中の自分は、完璧な生徒会長の顔をしていた。

 でも、その笑顔の奥で、何かが軋んでいた。


 昼過ぎ。

 文化祭のステージ企画がひと段落し、校内を歩く人々の間で、凜音はふと立ち止まった。

 校庭の向こうに、見覚えのある後ろ姿が見える。


 ——九条蓮。


 黒いフードをかぶり、手をポケットに入れたまま、ゆっくりとこちらを見た。

 その目に宿るのは、懐かしさとも、怒りともつかない感情。


 「久しぶりだな、凜音」

 声が低く、乾いていた。


 凜音の心が、凍りつく。


 「……生きてたの?」

 「その言い方、ひどくね?」

 「だって——あなた、死んだって……!」

 「死んでたら、今ここにいねぇよ」


 蓮は薄く笑った。

 けれど、その笑みには棘があった。


 「俺、転校してたんだ。事故のあと、親の都合で。ニュース、誤報だったらしいぜ」

 「そんな……」

 凜音の手が震える。

 “死”という言葉を信じることで、ようやく自分を保ってきた。

 それが今、あっさりと崩れ落ちた。


 「ずっと、探してた」

 蓮の声が低く響く。

 「なんで何も言ってくれなかったんだよ。俺たち、親友だったろ?」

 「言えるわけない……! あの時の私が、どんなだったか知らないくせに!」


 凜音の叫びに、周囲のざわめきが一瞬だけ遠のいた。

 彼女の胸の奥で、抑えていた感情が溢れ出す。


 「私、あの日からずっと、自分を責めてた。

  あの雨の日、私が止めなければ——あなたは怪我なんてしなかった。

  あなたが“いなくなった”のは、私のせいだって……」


 蓮は目を伏せた。

 沈黙が落ちる。


 「……違うよ」

 やがて、蓮が静かに言った。

 「俺は勝手に走った。お前のせいじゃない」

 「でも……!」

 「お前、あの時からずっと何かを背負ってる。

  “理想の自分”とか、“誰かの代わり”とか、そんなものの中に閉じこもってる」


 凜音の瞳が揺れる。

 「やめて……」

 「見てらんねぇんだよ」


 その言葉に、凜音の心が崩れかけた。

 けれどそのとき——背後から静かな声が響いた。


 「——おい」


 彰人だった。

 彼は文化祭の装飾の箱を抱えたまま、二人を見ていた。

 表情は穏やかだが、目だけが真剣だった。


 「桐島、大丈夫か?」

 「……うん」

 凜音は、かろうじて答える。


 蓮は彰人を見て、わずかに口角を上げた。

 「彼氏か?」

 彰人は何も言わなかった。

 ただ、凜音のほうへ一歩進み出て、傘を差し出すようにその隣に立った。


 ——それだけで、凜音は泣きそうになった。


 「……違うわ。ただの、同級生」

 「そうか。……まあ、元気でな」

 蓮は軽く手を振り、背を向けて歩き去った。

 その背中が人混みに消えるまで、凜音は何も言えなかった。


 夕方。

 中庭に戻ると、アーチの花飾りが夕日に照らされていた。

 橙の光の中で、凜音は静かに呟く。


 「私ね、あの人に“生きてた”って言われた瞬間、安心したの。

  でも、それと同時に……怖かった」


 彰人は隣に立って、黙って聞いていた。


 「過去に縛られてる自分が、まだいる。

  誰かを想うたびに、あの日の自分に戻ってしまうの」


 「戻ってもいいじゃねぇか」

 凜音は目を見開く。

 「戻るたびに、前に進めるなら、それでいい。

  お前がどんな過去を持ってても、今ここにいるなら、それで充分だ」


 凜音の瞳に、光が宿る。

 ゆっくりと息を吸い、空を見上げた。

 雲の切れ間から、夕焼けの光がこぼれる。


 「……ありがとう」

 その声は震えていたが、確かに優しかった。


 傍にいるだけで、心が静まる。

 ——彼の存在は、彼女にとって“赦し”そのものだった。


 風が吹き抜け、リボンが揺れた。

 それはまるで、過去と今を結び直すように、柔らかく舞っていた。

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