第7話 文化祭の約束
校舎のあちこちから、ペンキや紙の匂いが漂っていた。
文化祭を目前に控え、放課後の校舎は慌ただしい熱気に包まれている。
生徒会室も例外ではなく、資料と工作材料が山のように積まれていた。
「桐島、これポスターの下絵、描き終わったぞ」
「ありがとう。すごく助かるわ」
凜音が微笑む。
その笑顔は、前よりも少しだけ自然に見えた。
あの日——写真のことを話してから、二人の距離は慎重に、けれど確実に近づいていた。
余計なことを言わず、ただ隣にいる時間が増えた。
それが、凜音にとっても彰人にとっても心地よかった。
「明日の装飾、二人で中庭を担当ね。先生に頼まれたの」
「二人で?」
「ええ。文句ある?」
「いや……別に」
わずかに頬をかきながら目を逸らす彰人を見て、凜音は小さく笑った。
「ふふ、あなたって本当にわかりやすいわね」
「うるせぇ」
そんな何気ないやりとりの中で、時間は穏やかに流れていった。
翌日。
放課後の中庭には、夕焼けが差し込み、花壇の上に橙の光が揺れていた。
二人は文化祭の飾りつけのために、木製のアーチに花のリボンを結びつけていた。
「このアーチ、入口になるの。生徒たちが通る場所だから、明るくしたくて」
凜音が言いながらリボンを整える。
その横顔を見て、彰人はふと思った。
彼女は本当に“光”のようだ、と。
どんな過去を抱えていても、今は目の前のことに真っ直ぐで、誰かのために動いている。
「お前、こういうの本当に好きなんだな」
「え?」
「誰かのために頑張ること。自分のことより先に、他人を気にしてる」
凜音は少し驚いたように目を見開いたあと、優しく笑った。
「そうね。……たぶん、そういう生き方しかできないの」
彼女の指先が、ひらりと風に揺れるリボンを結ぶ。
その動作は、まるで過去の痛みを静かに結び直しているようだった。
「なあ、文化祭が終わったらさ」
彰人が、不意に言った。
「少し、どっか行かねぇか。遊びとか、そういうの。生徒会の仕事抜きで」
「……デートの誘い?」
凜音がからかうように笑う。
彰人は一瞬たじろいで、「ち、違う!」と慌てて顔を逸らした。
けれど、その耳は赤かった。
「冗談よ。でも……いいかもね」
「え?」
「文化祭が終わったら、ちゃんと息抜き、しよう。約束」
凜音は手を差し出した。
彰人は戸惑いながらも、その手を軽く握った。
その瞬間、風がふわりと吹き抜け、花びらが二人の間を舞った。
夕陽が傾き、橙の光が二人の影を長く伸ばす。
——その光景は、まるで時間が止まったように美しかった。
夜。
文化祭前日の校舎には、まだ残って準備を続ける生徒たちがいた。
彰人も少し遅くまで手伝い、教室に忘れた道具を取りに戻ろうとしていた。
ふと、廊下の向こうで見慣れない人影を見つける。
外部の人——いや、制服はこの学校のものではない。
背の高い男子生徒。金色に染めた髪。どこか威圧感のある雰囲気。
「……なんだ、あいつ」
男は、校門の方向へ歩いていった。
そのすぐ後ろに、凜音の姿が見えた。
驚いたように立ち止まり、何かを話している。
男の表情は笑っていたが、その笑みには冷たさがあった。
彰人はとっさに足を踏み出そうとしたが、凜音の顔を見て、立ち止まった。
彼女は恐れているような、けれど懐かしさも滲ませた複雑な表情をしていた。
男が去ったあと、凜音はしばらくその場に立ち尽くしていた。
夕闇に沈みかけた空の下で、彼女の肩が小さく震えていた。
——彼は知らなかった。
あの男が、凜音の“過去”に深く関わる人物であることを。
そして、その再会が、二人の運命を大きく動かすことになることを。




