第4話 噂と真実
昼下がりの教室に、微かなざわめきが広がっていた。
黒板に書かれた公式よりも、生徒たちの関心は別のところに向かっている。
「ねえ、聞いた? 生徒会長が高瀬と一緒に放課後残ってたって」
「えっ、マジ? あの高瀬? 絶対何かあったでしょ」
「ていうか、あの人危ないって聞いたことあるし……」
囁きはあっという間に校内を駆け巡った。
“生徒会長と不良が親しい”――ただそれだけの出来事が、誰かの口の中で形を変え、尾ひれをつけ、やがて噂となって独り歩きしていく。
その中心にいる二人は、まだそのことを知らなかった。
*
放課後。
高瀬彰人は廊下を歩いていた。手には古い掲示板の資料。
この数日、桐島凜音と放課後に作業をすることが習慣になりつつあった。
ただの手伝い――そう思っていたはずなのに、彼女の笑顔を見るたびに胸がざわつく。
“誰かと過ごす時間が心地いい”なんて、いつ以来だろう。
「高瀬くん」
振り向けば、凜音が小走りで近づいてくる。
「ごめんなさい、待たせた?」
「いや、今来たとこ」
そう言いながら、彰人は自然と微笑んでいた。
凜音もふっと笑い返す。
その瞬間、廊下の曲がり角から視線を感じた。数人の生徒がこちらを見て、ひそひそと何かを囁いている。
嫌な予感がした。
けれど凜音は気づかないふりをして歩き出した。
「ねえ、高瀬くん。来週の文化祭準備、手伝ってもらえる?」
「俺でよければ」
「助かるわ」
その会話は、穏やかで、普通で、温かい。
——だからこそ、翌朝に待っていた現実は、あまりにも冷たかった。
翌日、教室に入ると空気が変わっていた。
友人と呼べるほどの人間はいないが、それでも今までは静かに過ごせていた。
今日は違う。
視線。囁き。避けるような気配。
「おい、あれ……生徒会長とつきあってるらしいぜ」
「マジ? あいつ、裏じゃ怖いことしてるって聞いた」
彰人は息を呑んだ。
くだらない、と心の中で吐き捨てる。
けれど、凜音の顔が頭をよぎった瞬間、胸の奥に不安が灯った。
放課後、彼女の教室の前まで行くと、扉の向こうで女子たちの声が聞こえた。
「生徒会長があんな人と関わるなんて、幻滅した」
「先生にも注意されてたよね? “生徒会長としての自覚を持て”って」
「やっぱり高瀬って危ないんだよ」
その言葉を聞いた瞬間、彰人は踵を返した。
彼女に迷惑をかけたくなかった。
自分のせいで彼女が傷つくのは、何よりも耐えられない。
——それが彼の癖だった。
“傷つける前に、離れる”。
それだけが、これまでの生き方で覚えた唯一の防御だった。
数日が過ぎた。
凜音は、彰人が姿を見せなくなったことに気づいていた。
放課後、掲示板の前に立つたびに、隣にいるはずの彼がいない。
理由も分からず、ただ心にぽっかりと穴が開いていく。
そしてようやく、彼女は噂のことを耳にした。
——「生徒会長が不良とつるんでる」——
廊下の片隅で、凜音は拳を握りしめた。
心の奥から、静かな怒りがこみ上げる。
翌日の放課後。
屋上に吹く風の中で、彰人は柵にもたれていた。
夕陽が沈みかける空の下、どこか遠くへ逃げ出したい気持ちを、ただ無言で噛みしめていた。
「……やっぱり、ここにいた」
振り向くと、凜音が立っていた。息を切らし、頬を紅潮させている。
「どうして来ないの?」
「……俺のせいで、変な噂が流れてる」
「そんなの、気にしなくていいわ」
「でもお前まで悪く言われてる」
「構わない」
凜音の瞳は、まっすぐに彼を射抜いた。
「私は、真実を知ってる。あなたがどんな人かも、どうして誤解されてるのかも」
「……桐島」
「みんなが何を言っても、私は信じる。それじゃダメなの?」
その言葉は、風よりも優しく、真実よりも強かった。
彰人の喉が詰まる。
「……お前、変なやつだな」
「よく言われる」
二人は顔を見合わせ、少しだけ笑った。
その笑顔の中に、確かな絆が生まれていた。
沈む夕陽が二人の影を重ねる。
誤解から始まった関係は、今、噂を越えて“本物”へと変わり始めていた。




