第30話 その先の未来へ
夏の終わり、
蝉の声が遠くなり、街に涼しい風が戻りはじめた頃。
高瀬彰人は、河川敷の坂道を登っていた。
あの日と同じ場所——
凜音と初めて心を通わせたベンチが、そこにある。
空は柔らかな茜色で、
雲の隙間から夕陽が差し込んでいた。
彼はポケットからスマホを取り出す。
画面には「凜音」の文字。
通話ボタンを押すと、数秒ののち、
少し息を弾ませた声が聞こえた。
「ごめん、ちょっと遅れた」
「大丈夫。ゆっくりでいいよ」
まもなく坂の下から、
風に揺れる髪と白いワンピースが見えた。
凜音が手を振る。
「彰人!」
「おう」
息を弾ませて駆け寄るその姿に、
彼は思わず笑みをこぼした。
「暑くないか?」
「ううん、ちょうどいい風。夏が終わる匂いがするね」
二人は並んでベンチに座った。
夕陽が、長く影を伸ばしていく。
しばらく言葉もなく、ただ空を見ていた。
やがて、凜音が静かに口を開いた。
「彰人、今日ね……言いたいことがあるの」
「ん?」
彼女は少しだけ笑って、
小さく息を吸い込んだ。
「私、このまま東京での勉強を続けるつもり。
でも、もう“離れてる”って思うのやめようと思うの」
「……?」
「だって、距離はあっても、
私たち、ちゃんと繋がってるでしょ?
寂しいとか、不安とか、そういうの全部含めて、
あなたと一緒に歩いていきたいの」
彰人は、その言葉を聞いて小さく頷いた。
「……俺も同じこと考えてた。
お前が遠くにいること、もう“我慢”じゃなくて“選択”にしたい。
会えない日があっても、それでもお前を信じていたい」
凜音の瞳がきらりと揺れた。
「彰人……」
彼は少し照れくさそうに笑いながら言った。
「昔はよ、見た目が怖いとか言われて、
人と話すのも避けてた。
でもお前と出会ってからだ。
誰かを“守りたい”って本気で思えるようになったのは」
凜音はゆっくりと微笑み、
その手を彼の手の上に重ねた。
「私も、彰人に出会って変われた。
“正しくあらねば”って自分を縛ってたけど、
本当はただ、誰かに素直でいたかった。
あなたが、それを教えてくれたの」
二人の手の温もりが、
言葉以上のすべてを語っていた。
夕陽が沈み、夜が降りてくる。
街の灯がひとつ、またひとつ灯っていく。
彰人がぽつりと呟いた。
「なあ、凜音」
「うん?」
「いつか、同じ場所で暮らしたいな」
凜音の目が少し見開かれ、
そして、柔らかく笑った。
「……その“いつか”を、私も信じる」
「約束な」
「うん、約束」
二人は立ち上がり、
並んで歩き出す。
夜風が涼しく、
星が滲む空の下で、
凜音が小さく呟いた。
「ねえ、彰人」
「ん?」
「あなたといると、本当に世界が静かになるね」
彰人は振り返り、微笑んだ。
「俺もだ。
お前の声があれば、それで十分だ」
その言葉に凜音はそっと微笑み返した。
夜の静寂が、二人の間を優しく包み込む。
遠くで電車の音が響いた。
それは、未来へと続く合図のようだった。
——たとえ道が違っても、
この想いは、同じ方向を見ている。
二人の手は離れないまま、
街の灯の中へと溶けていった。




