第26話 離れていても
東京の朝は、驚くほど早い。
凜音はまだ慣れない学生寮のカーテンを開けた。
窓の外には、通勤の人々が途切れなく行き交い、
遠くからは電車の音が絶え間なく響いている。
制服ではなく、私服。
新しいノートとペンケース。
そして胸元には、彰人にもらった桜のペンダント。
それを指先でそっと触れるたび、
彼の声が耳の奥に蘇る。
——俺はここにいる。
——お前が帰ってくる場所、ちゃんと守ってるから。
「……大丈夫、私ならできる」
小さく息を吐き、鏡の中の自分に言い聞かせる。
完璧な生徒会長ではなく、
一人の“普通の女の子”として新しい一歩を踏み出すために。
一方その頃、彰人は駅前のカフェでコーヒーを飲んでいた。
アルバイトの合間に、ふとスマホを取り出す。
画面のメッセージ欄には、昨夜の凜音からのLINEが並んでいた。
〈朝の電車、人が多すぎてちょっとびっくりした〉
〈でも、大学のキャンパスきれいだよ。桜がもう咲き始めてる〉
彰人は微笑んだ。
彼女らしい。
最初は不安でも、ちゃんと前を向く。
〈俺のほうも桜が咲いた。満開になったら写真送る〉
そう打って送信すると、すぐに既読がついた。
そして、数分後。
〈楽しみにしてる。こっちも満開になったら見せてあげる〉
短い言葉。
けれど、それだけで十分だった。
彼女が遠くにいても、
同じ空の下で“同じ季節”を感じている。
それが、どんなに心を支えるか。
凜音の大学生活は、めまぐるしかった。
授業、レポート、友人づくり。
気づけば毎日が駆け抜けるように過ぎていった。
けれど、夜になると必ず彰人のことを考えた。
今日見た風景を話したい。
聞いてほしいことが山ほどある。
それでも、彼は働いている。
疲れているかもしれない——。
そう思うと、送る指が止まることもあった。
その夜、彰人から先にメッセージが届いた。
〈今日、バイト終わった。外、星がきれいだった〉
〈お前のところも見えるかな〉
凜音は窓を開けて、夜空を見上げた。
高層ビルの間から、かすかに光る星。
遠いのに、なぜかすぐそばに感じられる。
〈うん、見えるよ。たぶん、同じ星〉
〈私も、ちゃんと頑張ってるよ〉
送信してスマホを胸に抱いた。
——離れていても、心は繋がってる。
彼女はそう確信した。
数日後の放課後、彰人は学校帰りに公園へ寄った。
ベンチに腰をかけ、春風の匂いを吸い込む。
桜の花びらが風に舞い、地面を淡いピンクに染めていた。
ふと、彼はスマホを取り出し、シャッターを切る。
満開の桜を背景に、何も言わずに写真を送信。
すぐに返信が届いた。
〈きれい……! あの日と同じ場所?〉
〈うん。屋上から見たときの桜だ〉
しばしの沈黙のあと、凜音からもう一通。
〈私ね、今でもあの夕陽を思い出すの〉
〈怖いくらい、鮮やかに〉
彰人は微笑んで返信した。
〈それなら、ちゃんと約束覚えてるな〉
〈“いつか、同じ場所で夕陽を見よう”ってやつ〉
〈もちろん〉と返ってきたメッセージの最後に、
桜の絵文字が一つ、添えられていた。
その小さな光が、
彼の胸にあたたかく灯った。




