第24話 最後の放課後
放課後のチャイムが鳴り終わったとき、
教室にはもう、ほとんど誰もいなかった。
窓際に差し込む夕陽が、机の列を朱く染めている。
高瀬彰人は、その光の中で立ち尽くしていた。
凜音が転校生のように東京へ旅立つのは、明日。
今日が、二人にとって“最後の放課後”だった。
——この時間が終わったら、もう、毎日会えない。
それをわかっているのに、
彼はいつものように、机に手をつき、ただ待っていた。
扉が開く音。
ゆっくりと歩いてきた凜音が、小さく笑った。
「やっぱり、ここにいたんだね」
彰人は肩をすくめた。
「お前が来る気がしてな」
「……ふふ、もう読まれてるんだ」
二人の会話は、いつもより穏やかで、どこか静かだった。
言葉を選びすぎると、泣いてしまいそうだった。
凜音が窓の外を見上げる。
春の空は少し霞んで、校庭の桜のつぼみが膨らみ始めている。
「ねえ、桜が咲くころには、もう私はいないんだね」
彰人はゆっくり首を横に振った。
「いない、って言うなよ。
いなくなるわけじゃない。……ただ、場所が違うだけだ」
その言葉に、凜音は少しだけ目を細めた。
「彰人って、本当に優しいよね」
「そうか?」
「うん。いつも、私よりも私のことを考えてくれる」
彰人は、答えられなかった。
彼女の言葉が、まるで告白のように響いたからだ。
沈黙を破ったのは、凜音だった。
「ねえ、屋上に行こう。最後に、二人で見たい景色があるの」
屋上には、春風が吹き抜けていた。
フェンスの向こうに、夕陽が沈もうとしている。
街全体が橙色に包まれて、どこか遠い世界のようだった。
凜音はフェンスに手をかけ、ゆっくりとつぶやいた。
「この景色、好きだったの。
彰人とここで見た夕陽、忘れないと思う」
彰人は隣で頷いた。
「俺も。……最初に来たとき、お前に『景色がきれい』って言われて、
あの時、初めて学校が“悪くない場所”に思えた」
凜音は微笑んだ。
「そうだったんだ。……うれしいな」
風が彼女の髪を揺らす。
その横顔があまりに綺麗で、
彰人は目を逸らすことができなかった。
——この瞬間を、ずっと覚えていよう。
——もう一度、笑って会えるように。
凜音がゆっくりと彰人の方を向いた。
「ねえ、彰人」
「ん?」
「もう一度、約束しよう」
彰人は目を細める。
「約束?」
「うん。……“いつか、また同じ場所で夕陽を見よう”って」
彰人は少し考えたあと、真剣な眼差しで頷いた。
「わかった。絶対に」
凜音はほっと笑い、手を伸ばした。
彰人の手が自然と重なる。
指先が触れた瞬間、心臓の鼓動が速くなる。
「彰人、ありがとう。
出会ってくれて、信じてくれて、好きになってくれて」
その言葉が、風に溶けて消えていく。
彰人はただ、彼女の手を強く握り返した。
「……俺も、ありがとう」
そして、何も言わずに凜音を抱きしめた。
風が止まり、夕陽が二人を包む。
その光は、痛いほど優しかった。
「……行ってこい、凜音」
「うん。……待っててね、彰人」
彼女の声は震えていたが、
その瞳にはもう、迷いはなかった。
やがて、日が沈む。
光が完全に消える瞬間、
彰人は空に小さく呟いた。
——きっとまた、ここで会おう。




